第44話 聖女は伝説に挑む
「【ハイドラファング】」
力ある言葉――魔法名が告げられると共に、蛇が空中を駆け巡りました。
本物の蛇ではありません。
魔法で作られた、水の蛇。
蛇はプラアーサ・クラーケンの触手を食いちぎり、捕えられていたリュウ様を解放します。
今の水魔法は、リュウ様のものではございません。
駆けつけた、シュラ・クサナギ様によるものでした。
「リュウ兄さん。なにをやっているんだよ」
「シュラか、助かったぜ。ウチの相方は、俺を魔獣の慰み者にしやがった」
リュウ様からは、ジトーっとした視線。
シュラ様からは、不思議そうな視線が向けられてしまいました。
「あらいやですわ。わたくしとしたことが……。おほほほ……」
わたくしが、誤魔化し笑いを上げていた時のことです。
足元で、砂煙が上がりました。
――しまった!
まさか海中どころか、地中まで突き進んでくるとは思いませんでしたわ。
身体強化魔法を発動する暇など、ありませんでした。
プラアーサ・クラーケンの触手が、わたくしの足首を絡め取ります。
そのまま強い力で、空中へと引っ張り上げられてしまいました。
さらに2本、3本と触手が伸びてきて、わたくしの全身を拘束します。
怯んだせいで遅れてしまいましたが、わたくしはようやく【フィジカルブースト】の魔法を発動できました。
しかし――
「くっ……! 引きちぎれない」
プラアーサ・クラーケンの触手は伸縮性があり、単純な力では引きちぎれそうにありません。
わたくしの手刀や足刀でならば、切断することは出来そうです。
しかしすでに拘束された状態からでは、手足を充分に加速させることができない。
斬れ味を、生み出せないのです。
わたくしはプラアーサ・クラーケンの上半身――人型をした部分の近くへと、引き寄せられました。
魔獣は中性的な美しい顔で、ニタリとした笑みを向けてきます。
――ふん。
顔立ちは悪くありませんが、筋肉は全然足りておりませんわよ?
「ヴェリーナさん! いま、僕が助ける!」
シュラ様は草色のローブをひるがえし、呪文詠唱を始めました。
先ほどと同じ水魔法の【ハイドラファング】ですが、今度は込められた魔力量が違います。
生み出された水の形は蛇ではなく、竜の首でした。
それが、3体も同時に。
この魔法ならばプラアーサ・クラーケンの触手をズタズタに引き裂き、わたくしを助け出してくれることでしょう。
ですが、わたくしは――
「待ってください! シュラ様!」
わたくしに待ったをかけられたシュラ様は、魔法を発動直前で止めました。
すごいですわね。
いつでも発動させられる状態で魔法を一時停止するなど、かなりの高等技術です。
「ヴェリーナさん! なぜ、止めるんだ!?」
「プラアーサ・クラーケンは、獲物をもてあそぶ習性があります。わたくし、すぐに食べられたりはしませんわ。そんなに急いで助けていただかなくても、平気ですのよ」
嘘です。
平気ではありません。
プラアーサ・クラーケンの触手は粘液まみれで気持ち悪く、一瞬でも早く解放されたい。
――ですがこれは、チャンスなのです。
「リュウ様……。『伝説』に、挑戦してみたくはありませんか?」
リュウ様の片眉が、ピクリと吊り上がりました。
「親父と……『千言の魔術師』タツミ・ムラサメと、同じ魔法を撃てっていうのか?」
昔プラアーサ・クラーケンが出現した時、タツミ様は雷の魔法で魔獣を焼いたそうです。
触手に捕えられた人々を、まったく傷つけることなく。
「……ダメだ。聖女さんを感電させる危険は、冒せねえ。あれはミスリル級冒険者であった、親父だからできた芸当だ。親父は、世界最高の魔道士だったんだ」
気づいておりましたとも。
ガウニー亭でシュラ様の語りを聞きながら、絵画の中のお父上を見るリュウ様の表情。
そこには憧憬と同時に、複雑なものが浮かんでおりました。
劣等感――ともまた違うのでしょうが、「自分は父親を超えられない」とでも言いたげな諦めの視線。
ミスリル級冒険者といえば、歴史上数人しかいない伝説の存在ですものね。
気後れしてしまうのは、分かります。
わたくしがアナスタシアお母様に抱く想いと、似たようなものでしょう。
――しかし、リュウ様とわたくしは違います。
お母様の力をこれっぽっちも受け継げなかったわたくしとは、全然違うのです。
「わたくし、タツミ様にはお会いしたことがありませんもの。わたくしが知る世界最高の魔道士は、リュウ・ムラサメなのです」
俯き気味だったリュウ様の顔が、上を向きます。
わたくしと、視線が合いました。
少し驚いたように、金色の瞳が見開かれています。
「ヴェリーナさん! リュウ兄さんも! 雷魔法だなんて危険なものを、撃つ必要はない! 僕の【ハイドラファング】なら、安全に触手を切断でき……」
「危険なんて、ありません! リュウ様はわたくしの髪1本燃やすことなく、取りついたスライムを焼き尽くせる腕前ですのよ」
リュウ様は、まだ迷っておられるようです。
わたくしを、危険に晒したくない。
そのお気持ちは、嬉しい。
でもそれ以上に、わたくしが彼に望むのは――
「リュウ様……。カッコいいところを、見せて下さい」
リュウ様の瞳が――表情が変わりました。
出会った時と、同じお顔。
自信と闘志に満ちた、戦士の笑み。
この表情に、あの日のわたくしは――
「手を出すなよ、シュラ! ……聖女さん! 念のため、身体強化魔法を全開にしておくんだ!」
身体強化魔法には、皮膚や内臓を強化して防御力を上げる効果もあります。
ですがわたくしは、魔法発動の必要を全く感じておりませんでした。
リュウ様は、失敗しない。
まずはわたくしの体に、防御結界の魔法がかけられました。
電撃耐性に特化した、光の膜で覆われます。
「全力でいくぜ!」
リュウ様の両手に、激しい雷光が生じました。
「やめろ! リュウ兄さん!」
「やってください! リュウ様!」
シュラ様の声を無視し、わたくしの要望通りに雷の魔法が放たれました。
「【ライアットサンダー】!」
太く、激しい雷が荒れ狂います。
電撃の嵐が、わたくしとプラアーサ・クラーケンに降り注ぎました。
災厄級の魔獣は形容しがたい絶叫を上げ、ガクガクと痙攣します。
人型上半身の顔は苦悶に歪み、口からは煙を吹いておりました。
肉の焦げる臭いが、周囲に立ち込めます。
一方でわたくしは、なんともありません。
電撃で痺れることもなければ、熱さも痛みも感じません。
こうなることは、分かり切っておりました。
リュウ様の魔法ですもの。
雷に焼かれたプラアーサ・クラーケンは、たまらずに触手の力を緩めます。
わたくしは魔獣の拘束から解き放たれ、砂浜へ落下しました。
自力で体勢を立て直して、足から着地しても良かったのですが――
リュウ様の力強い両腕が、わたくしを抱き留めていました。
お姫様抱っこは、これで通算何度目でしょうか?
「まったく、聞き分けのないお嬢さんだな。ちゃんと、身体強化魔法を発動しておけって言っただろ?」
「リュウ様の魔法が、わたくしを傷つけるなんてあり得ません。身体強化するなど、魔力の無駄遣いですわ。……それに身体強化魔法は、これから必要になるのです」
わたくしが視線を向けた先には、海へと逃げ込むプラアーサ・クラーケンの姿。
慌てて追いかけたりなど、しません。
わたくしはリュウ様の腕から下り、ゆっくりと海へ入っていきます。
「おい、聖女さん。まさか、素手でやろうってんじゃねえだろうな? ママは……剣鬼オーヤン・モテギは、刀を使ったんだぜ?」
「わたくし、剣士ではありませんので。それに『剣鬼』より不利な条件でやり遂げてこそ、伝説を超えたという証明になりませんか?」
「剣鬼」オーヤン・モテギ。
「剣聖」レオン・ノートゥング。
この2人が剣を交えたという記録は、残っておりません。
活躍した時代が違いましたもの。
しかし、何度も論争の的にはなっています。
「どちらが最強の剣士なのか」――と。
いつもお世話になっているママさんには悪いのですが、わたくしはレオン・ノートゥングを最強の剣士として推させていただきます。
だって、わたくしのお父様なんですもの。
伝説に挑戦したかったのは、むしろわたくしの方。
剣聖の力を――レオンお父様の凄さを、みんなに知ってもらいたかったのです。
娘のわたくしが、「剣鬼」の伝説を破ることによって。
膝まで海に浸かったところで、わたくしは足を止めました。
プラアーサ・クラーケンは海に潜ってしまい、もう見えない。
ですが強大な魔力の波動を感じるので、位置は把握できます。
「【フィジカルブースト】、全開。……伝説破りの、仕上げですわ」
わたくしはゆっくりと、右手を頭上に振り上げます。
「剣聖レオン・ノートゥングが娘、ヴェリーナ・ノートゥング! 我が手刀は、『剣鬼』の一刀を超える!」
わたくしは昔、レオンお父様が【神剣リースディア】を振るう瞬間を見たことがありました。
【神剣リースディア】は、持ち主に合わせて自在に姿を変える神器。
レオンお父様が振るう時は、長大な両手剣の姿になります。
お父様は光り輝く大剣で、大陸を2つに分けてしまいました。
「修行中の素振りで大陸地図を書きかえるなんて、何を考えているの!」
と、あとからお母様にこっぴどく叱られていましたが。
あの時のイメージで、わたくしは手刀を振り下ろします。
目の前に広がる海もプラアーサ・クラーケンの巨体も、きっと大陸よりは脆いですわ。
水飛沫が吹き荒れ、轟音が轟きます。
予定通り、エメラルドグリーンの海は真っ二つに裂けました。
プラアーサ・クラーケンの巨体もろとも。




