第41話 聖女は水着にNGを出される
わたくしの目の前で、黒髪の女の子が泣いていました。
年齢は、4~5歳といったところでしょうか?
長い、サラサラした黒髪が特徴的な子です。
彼女の腕には、1匹の猫が抱かれていました。
血まみれで、ハアハアと苦し気に呼吸をしています。
毛色は茶トラで、どことなくフクに似ていました。
「どうしよう? おかあさまはいま、おうちにいないし……。このままじゃ、ねこちゃんがしんじゃう」
少女の腕の中で苦しむ猫は、馬車に轢かれて虫の息になっていました。
――わたくしは轢かれた現場を見たわけでもないのに、なぜそれが分かったのでしょうか?
そこでようやく、自分が夢を見ていることに気が付きました。
ワンピースの胸元を血に染めて泣いている少女は、過去のわたくし。
幼き日のわたくしは、目の前で猫ちゃんが馬車に轢かれてしまう瞬間を目撃したのですわ。
あの時は、轢かれた猫ちゃんが苦しむのを見るのが辛くて――
命の灯火が消えていくのが怖くて、まだ未熟な知識を総動員して猫ちゃんを助けようとしていたのです。
――どうして今まで、わたくしはこの出来事を忘れていたのでしょう?
こんなに衝撃的な光景、幼かったとはいえ少しぐらい憶えていてもよさそうなものですが。
「そうだ! おかあさまのまねをしてみよう」
わたくしの背筋を、嫌な予感が走りぬけました。
――ダメ!
「えーっと……。たしか、こうやって。じゅもんえいしょうとかは、よくわからないけど」
少女の体内で魔力が巡り、猫ちゃんを抱きかかえている両腕へと集まっていくのを感じました。
よく思い出せないけど、何かとても恐ろしいことが起ころうとしている。
――やめなさい! 過去のわたくし!
「【りかばりーらいと】」
発動を手助けする、力ある言葉――魔法名が告げられます。
強い光が、猫ちゃんと過去のわたくしを包み込みました。
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「ダメえええええっ!!」
自分自身の叫びと共に、意識が覚醒しました。
目を開くと、白い天井。
備え付けられた、魔力で回転する大きな吊り下げ式扇風機が目に入ります。
ここは、宿泊している高級ホテル。
そこの客室、ベッド上ですわ。
「ん~? どうしたんだい、ご主人様? 悪い夢でも見たのかい?」
太股の上で丸くなり、眠っていたフクが目を覚ましました。
夢の中で見た茶トラの猫ちゃんと、本当にそっくり。
夢の中の猫ちゃんには、尻尾は1本しかありませんでしたけど。
「夢……。そう、悪い夢を見たのですわ」
きっとあれは、ただの夢。
実際の記憶とそうでない部分が混ざりあって、変な映像になってしまったのですわ。
猫ちゃんが馬車に轢かれ、死にかけていたのは現実なのでしょう。
しかしその後、わたくしが回復魔法を使おうとしていたことなど妄想の域を出ません。
あんなに小さな女の子が、魔法など使えるはずがありませんもの。
仮に使えていたとしても、わたくしは回復魔法の資質が全くありません。
きっと猫ちゃんは、あのまま死んでしまったのですわ。
そのことがショックで、わたくしは今まで記憶を閉ざしていたのかもしれません。
わたくしはフクの頭を、優しく撫でました。
とっても気持ちよさそうに、ゴロゴロと喉を鳴らします。
「ご主人様……。オイラはずっと、ご主人様と一緒にいるからね」
「ありがとう、フク。あなたは、やさしい子ですわね」
わたくしはフクを抱きかかえたまま、客室窓際に向かいます。
ホテルは15階建て。
この部屋は、最上階です。
明るい陽射しを受けて、わたくしもフクも少し目を細めました。
ガラス越しに見える、眩しいほど白い砂浜。
宝石を溶かしたような、エメラルドグリーンの海。
今日はあの海水浴場で、思いっきり遊ぶ予定なのですわ。
「楽しみですわね、フク」
「オイラは別に、泳がないけどね。ご主人様って、そんなに水泳好きなの?」
もちろん、泳いだり水遊びしたりするのも好きです。
しかし、わたくしが何より楽しみにしているのは――
「お嬢様、ヨダレが垂れているんダス。筋肉フェチも、ほどほどにするんダス」
同室のミランダ・ドーズギールは、すでに起床してメイド服に着替えていました。
淑女らしくない口元を、注意されてしまいましたわ。
ぐふふふ――
海水浴場ということは、殿方はみんな水着姿。
冒険者ギルドにいたフンドシマッソーズの皆様のように、筋肉を惜しげもなく披露しているはず。
何よりわたくしが1番楽しみにしているのは、リュウ様の下半身。
いつも半裸に近いファンションの上半身と違い、下半身は筋肉の形がわかりにくいダボっとしたズボンを穿いていらっしゃいます。
水着姿になれば、大腿四頭筋が!
ハムストリングスが!
下腿三頭筋が! 太陽の下に晒されます。
細くても無駄なく鍛え上げられた上半身の筋肉から察するに、下半身の筋肉もキレッキレに違いありません。
思わず、ペロリと舌なめずりをしてしまいました。
「ご主人様って、割と変態なんだね」
フクが失礼なことを言うので、わたくしはマッサージで責め立ててやりました。
「あにゃにゃあ~! そこはやめて~! ダメになっちゃうよ~!」
とか叫んでいましたが、ドン無視です。
わたくしの指テクで昇天したフクはベッドの上で仰向けになり、グッタリしてしまいました。
俗に言う、「へそ天」というやつですわ。
さあ。
朝食を食べ終えたら隣の部屋に宿泊しているリュウ様を誘って、海水浴場に向かいましょう。
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朝食を済ませたわたくし達一行は、さっそくビーチへとやってきておりました。
「えっ? リュウ様? その恰好で、泳ぐのですか? 水着には、着替えないので?」
わたくしの期待に反し、リュウ様の恰好は普段着っぽいものです。
丈が膝まである、トロピカルな柄のハーフパンツ。
上半身は、白い長袖の上着を着ていらっしゃいます。
首の後ろにフードがあるこのデザインは、魔国ヴェントラン雷竜領で流行っているパーカーというものですわね。
「聖女さん。俺が着ているこれは、ラッシュガードっていう水着の一種だぞ? 日焼け防止で、肌を晒さないようにしてるんだよ」
お――おお――
なんということでしょうか。
下半身の筋肉どころか、普段はチラ見し放題な上半身の筋肉まで封印されてしまいました。
見えるのは、ふくらはぎの筋肉ぐらいのものですわ。
わたくしは残念さのあまり、ガックリと砂浜に膝を突きました。
そのまま両手を組み、天に向かって祈ります。
「慈愛と安息の女神ミラディースよ。わたくしに筋肉を……もっと、筋肉の祝福を……」
「ミラディースも、元聖女からそんな祈りを聞かされたら呆れてしまうダスよ」
女神様の代わりに呆れ顔になったミランダが、ビーチマットとパラソルを用意しながら告げます。
彼女はビーチに来てもメイド服。
泳ぐつもりはなく、荷物番に専念してくれるとのこと。
フクもパラソルの影に入って、お昼寝体勢ですわ。
「……ハッ! わたくし、気付いてしまいました。あのラッシュガードは水に濡れたら透けて、筋肉がより淫靡な感じに強調されるのでは?」
「いや。コレは、透けねえ材質のやつだ」
リュウ様から残酷な真実を聞かされて、わたくしは夢も希望も失いました。
もう海水浴場に来た意味が、9割がた消滅しましたわ。
「……せめて、水遊びをしますか。わたくしも、水着に着替えてきますわね」
ビーチの隅には、更衣用の小屋が設置されています。
そちらへトボトボと歩き出そうとしたわたくしを、リュウ様が呼び止めました。
「聖女さん、ちょっと待て。……ミランダさん。聖女さんが買った水着って、どんなヤツか確認したか?」
「カメムシトカゲが! また、破廉恥な想像を……いえ。そういうことダスか」
「そういうことだ。念のため、確認しといた方がいいだろ?」
お2人が何を懸念しているのか、わたくしにはさっぱり分かりません。
ミランダはわたくしに駆け寄ってくると、「失礼します」と言ってから水着の入ったバッグを覗き込みます。
そして眉間に皺をよせてリュウ様の方を向き、頭上に両手で大きくバッテンを描きました。
リュウ様は額を押さえながら、「やっぱりな」とため息をつきます。
――???
何が、「やっぱり」なんですの?
「お嬢様! 聖伯令嬢が、こーんな過激なデザインの水着を着るおつもりダスか?」
「え? そんなに過激ですの? きっとアナスタシアお母様なら、こういうのを着ると思いますわよ」
「で・す・か・ら! 奥様の基準で考えちゃダメだと、いつも言ってるんダス!」
わたくしが買ってきたのは、かっこいいデザインのビキニ。
法衣や瞳の色と同じ、鮮やかなブルーですわ。
確かに布面積がちょっぴり少ないような気もしますが、別に気にするほどでは――
ミラディア神聖国中心部では、わたくしのように色々と出っ張った体は醜いと蔑まれます。
しかしここは、ウ・ミムラー海洋国家連合。
魔国と同じく、ボン・キュッ・ボンな女性でも受け入れてくれるはずですわ。
露出の多い水着を着ていたからって、気持ち悪がられたりはしないはず。
「だーっ! 聖女さんがその美貌で! そのスタイルで! 過激なデザインの水着なんか着ていたら、島中の男が群がってくるだろうが!」
「またまた。リュウ様もミランダも、大袈裟なんですから」
「大袈裟じゃねえ!」
「大袈裟じゃないんダス!」
リュウ様もミランダも、割と本気で「おこ」な感じです。
このままでは、海に入らずホテルに帰れとか言われてしまうかも――
「しょーがねえな。聖女さん、水着の上からこれを着てな」
肩にバサりと、白い衣類が掛けられました。
これは、先程までリュウ様が着ていたラッシュガード?
振り返れば裸になったリュウ様の上半身が、太陽に照らされて輝いていました。
上半身の筋肉はわりと見慣れているのですが、ベストを着てない完全な裸は初めて拝見しますわ。
野生の肉食獣を連想させる、鋭くもしなやかな筋肉――
「ミラディース様……。心から、感謝いたします」
「たぶんミラディースも、『そんな方向性の感謝はいらない』とか思っているんダス」
信仰心ゼロなミランダは、勝手にミラディース様のお心を決めつけてしまいます。
わたくしは彼女に背を向けて、更衣室へと走りました。
着替える前に、リュウ様から借りたラッシュガードの匂いを嗅いでみたのは秘密です。
なんだか、心が落ち着く匂いでしたわ。




