第37話 聖女は逆ハーレム体質かもしれない
「きゃっ!」
最後尾を歩いていた奴隷の女の子が、転んで悲鳴を上げました。
どうやら元から、足を痛めていたみたいです。
なのに他の奴隷と共に無理なペースで歩かされて、限界を迎えてしまったようですわ。
転んだ女の子の元に、先導していた男が走り寄ってきました。
無言で、手に持っていた鞭を振り上げます。
「どうしたのか?」と、尋ねたりするつもりは毛頭ないようです。
わたくしはとっさに飛び出して、鞭と女の子の間に割って入ろうとしました。
達人の振るう鞭の先端は音速を超えると言われますが、この男は素人。
身体強化魔法を発動すれば、軽く素手で掴み取れますわ。
しかしミランダから、静止の声が入ります。
「だめダス! ここで女の子をかばったら、ヴェリーナお嬢様が営業妨害……いえ。軍事行動妨害の罪に問われるダス!」
軍事行動妨害?
奴隷の皆さんは、海洋国家連合軍の何かに組み込まれていると?
この国でそんな問題を起こしては、所属しているフリードタウン冒険者ギルドの信用を地に堕としてしまう。
リュウ様にも、多大なご迷惑をおかけしてしまう。
そんな迷いが、わたくしの足を鈍らせました。
ダメですわ。
もうあの子を、鞭から守る時間も手段もない。
両手を組んで握り締め、せめて女神ミラディース様に祈ろうとした瞬間でした。
そこそこ大きな波が、埠頭の上にまで押し寄せたのです。
奴隷少女を鞭打とうとしていた男は、波に足を取られて転んでしまいました。
――今のは、なんですの?
奴隷少女や、他の奴隷達は全くの無事です。
まるで波が、鞭を持った男だけを狙ったかのような――
不思議に思っていると、黒髪眼鏡の青年が隣でクスクスと笑っていました。
「おじさん、気を付けないとダメだよ。今日は結構、波が高いんだから」
全くのデタラメ。
海面は、とても穏やかです。
青年の態度で、わたくしは直感しました。
今のは、彼が放った水魔法だと。
呪文無詠唱。
高速発動。
魔力の流れを隠蔽。
さらには、標的以外を一切傷つけない精密発動。
――水魔法だけなら、リュウ様を上回るかもしれない使い手ですわ。
ずぶ濡れになった男鞭が立ち上がるまでの間に、転んでいた奴隷少女も起き上がっていました。
鞭男は気まずそうに、振るう理由がなくなった鞭をしまい込みます。
再び縄を引っ張って、奴隷達を歩かせ始めました。
よく見れば転んだ少女以外の奴隷達も、身体の至る所を痛めているようです。
腕や足、腰などをかばいながら、鞭痕だらけの体を引きずるように歩いていきます。
「くっ……。わたくしは、なんて無力なんですの……」
鞭男を殴り倒し、奴隷達を逃がしてもなんの解決にもなりません。
奴隷の身分のままでは、職に就くことができないんですもの。
再び奴隷に戻ることでしか、彼らは生きられないのです。
拳で大地を割り、生身で雲の近くまで跳躍し、素手でエルダードラゴンを屠る力があっても、目の前の少女ひとり救えない。
ゴールド級冒険者になっても、聖女時代と何も変わっていない。
誰も助けられない。
「ご主人様。そんなに悲しい顔を、しないでおくれよ。今はオイラがいるってことを、忘れてもらっちゃ困るね」
わたくしのバッグから、フクが飛び出してきました。
空中でクルクルと身を捻ってから、3本の尻尾のうち2本を奴隷達の列に向かって振ります。
すると虹色の燐光が渦巻き、埠頭を吹き抜けていきました。
光を浴びた奴隷達は、戸惑っています。
しかし次の瞬間、驚きと歓喜が混ざった声を上げました。
「嘘だろ!? 腰が、全然痛くねえ!」
「鞭痕は……鞭痕は、どこに消えたの!?」
「ああ……。指が……潰れていた指が、動く」
信じられません!
奴隷の皆さんは、全部で10人ほど。
1人1人が、複数の怪我や不調を抱えていたみたいですのに――
それを、瞬時に治すなんて――
本当に、フクがいてくれて良かった。
心から嬉しそうな奴隷の皆さんを見ていると、わたくしも気持ちが弾んできます。
「お前ら! 黙って歩け!」
鞭男が、怒鳴り声を上げます。
ほとんどの奴隷はそれに従い、黙って歩き始めました。
しかし1人だけ、それに逆らった者が――
「お姉ちゃんと猫ちゃんが、治してくれたんだよね? ありがとう! もう、全然足が痛くないよ!」
最初に転んだ少女が、枷を嵌められたままの手を大きく振ってきます。
鞭男はその行動にいきり立っていましたが、少女が再び歩き始めたので何もしませんでした。
「広範囲回復魔法か。お嬢さん、凄いね」
「凄いのは、フクです。わたくしは、何もできませんでした。……あなたの水魔法こそ、凄まじい腕前ですわね」
「へえ、気付かれちゃったかい。やっぱりお嬢さん、タダ者じゃないよね」
黒髪の青年は眼鏡の奥で、金色の瞳を細めました。
「ねえ、お嬢さん。あの奴隷達、魔族が多いと思わないかい?」
言われて、初めて気付きました。
確かにそうですわ。
特に多いのは耳が長く、尖った魔族。
先ほど転んだ少女も、そうでした。
エルフ族です。
「魔族……特にエルフは保有魔力量が多く、魔力回復速度も速いからね。適任なのさ」
眼鏡青年の言葉を聞いて、とても嫌な予感が湧いてきました。
先ほどの奴隷達は小舟に乗せられ、海へと漕ぎ出しています。
小舟が向かう先は、対岸の軍港。
そこに停泊している、戦艦カジキン。
「あの戦艦の動力源は、魔力炉。大勢の奴隷達から、魔力を吸い上げて燃料にするんだ。魔力枯渇で、死ぬ直前までね」
聖女見習いとして修行中だった頃に味わった、魔力枯渇。
その苦しさを思い出し、吐き気を催してきました。
修行は自分で追い込むから限界を超えずに済みますし、いざとなれば気を失ってしまうこともできます。
しかし強制的に魔力を吸い上げられるなど、逃げ場のない地獄ではありませんか。
「彼ら燃料役の奴隷は、死なないギリギリの状態で体調管理される。船はいちど航海に出ると、長い間海の上だからね。その間、彼らはずっと魔力を搾り取られ続けるのさ」
小舟に乗って運ばれていく、奴隷の皆様。
フクが怪我を治してくれたおかげか、全員表情が明るいです。
特にエルフの少女は、わたくし達に向かってまだ手を振ってくれています。
しかしこの先、彼女らを待ち受ける未来を思うと、陰鬱な気持ちになりました。
もう本当に、わたくしにできることは無さそうです。
ならば――
「残酷で理不尽な世界で、精一杯生きる者達よ。あなた方に、慈愛と安息の女神ミラディースの祝福があらんことを」
わたくしはひざを折り、小舟の少女達に向かって祈りました。
時間をたっぷりとかけて。
想いをしっかりと乗せて。
どれくらい、時間が経った頃でしょうか。
わたくしの祈りを見守ってくれていた、黒髪眼鏡の青年。
彼が、唐突に話しかけてきました。
「他人の喜びを、苦しみを、自分のことのように感じることができる。そしてその幸せを、心の底から祈ることができる。君は、優しい人なんだね」
「優しいだけでは、誰も救えない。誰も癒せない。わたくしはまだ、ただの無力な女ですわ」
「そんなことはないと思うけどね。ねえ、お嬢さん。僕の名前は、シュラ。シュラ・クサナギ。君の名前も、訊いていいかな?」
――クサナギ?
その家名には、聞き覚えがあります。
「わたくしの名前は、ヴェリーナ。ヴェリーナ・ノートゥング。クサナギという家名は、ひょっとして……」
「知っているのかい? まあちょっと、面倒臭い家の生まれなのさ。……ヴェリーナさん。この島には、しばらく滞在するつもりかい?」
「ええ。長期休暇を取って、みんなでバカンスに来ているので」
「……悪いことは言わない。お仲間のみんなと一緒に、早くこの島を立ち去った方がいい」
「……それは、どういう意味ですの?」
優しそうなシュラ様のお顔が、冷たく無表情なものへと変わりました。
「詳しくは言えない。でもこの島に留まり続ければ、君も仲間もきっと危険な目に遭う」
不穏な発言を受けて、ずいっと前に出た者達がいました。
ミランダとフクです。
「わたすが一緒にいる限り、お嬢様を危険な目になんて遭わせないんダス。メイドオブハートの名にかけて」
「シュラ。オイラの力は、見ただろう? 精霊を、舐めてもらっちゃ困るよ」
本当に、頼もしい2人ですこと。
ミランダの言う、メイドオブハートの意味が分かりませんが。
彼女は時々、異界の言葉としか思えない台詞を吐くのですわ。
それに、もう1人。
今は入国管理事務所で足止めされていますが、最も頼もしい方がいらっしゃるのです。
「シュラ様が何を懸念されているのか分かりませんが、心配には及びません。頼もしい仲間達がいますし、かの有名な『星海祭』も見てから帰りたいですわ」
わたくしの返答に、シュラ様は溜息をつきました。
不本意ながらも、どこか嬉しそう。
そんな溜息に聞えたのは、気のせいでしょうか。
「そうか、分かったよ。とにかく、気を付けてね」
「それは、シュラ様もですわよ」
「僕にも、気を遣ってくれるのかい? ……ありがとう、気を付けるよ」
シュラ様は手を振りながら、商業港を行き交う人混みの中へと消えてゆきました。
ふと隣を見やると、ミランダ・ドーズギールが鼻を指で押さえています。
「臭うダス! 臭うダス! お嬢様に近づく、悪い虫の臭いがするダス!」
「ミランダ……。その台詞、リュウ様にも言っていませんでした?」
「同類の臭いがするダス! シュラ・クサナギ。今度から奴のことは、スカンクトカゲ野郎と命名するダス」
「スカンクは、虫ではありませんことよ。それよりもミランダ、トカゲ野郎と言いましたわね。するとやはり、シュラ様は……」
ミランダは瓶底眼鏡の縁を、指2本でクイクイと動かします。
人差し指1本でブリッジを押し上げるシュラ様とは、一味違った仕草ですわね。
ミランダは、低く押し殺した声で告げました。
「シュラ・クサナギは、クサナギ家の魔王竜セス・クサナギの長男。次期クサナギ家魔王竜にして、次期水竜公ダスね」




