第35話 聖女はお腹が鳴っている
「さっそく、今から出発するダスか?」
ミランダの言葉に、わたくしもリュウ様も驚きました。
事情がよく分かっていないはずのフクまで、青い瞳を見開いています。
「ミランダ……。いくらなんでも、今から出発だなんて……。旅支度だって、全然整っていないでしょう?」
わたくしの発言に、ミランダ・ドーズギールは瓶底眼鏡の縁をクイクイと動かしました。
そして「ふんすっ」と鼻息を立てつつ、誇らしげに言います。
「いーえ、ヴェリーナお嬢様。こんなこともあろうかと、アヴィーナ島行きの話が出た日には旅支度を終わらせておりますだ。あとは、カメムシトカゲ様の回復待ちだったんダス」
な――何ですって?
それってまだ、昨日の話ではありませんの。
このフリードタウンで長屋を借りた手際といい、本当にミランダには驚かされます。
リュウ様の怪我が完治していなかったことにつきましても、見破っていたようですし。
「お嬢様だって、ウッキウキで準備を始めているのは知っているんダスよ? 昨日ギルドからの帰りに、コソコソと水着を買ってきたダスね?」
くっ。
そこまで見抜かれているとは。
メイドの眼力、恐るべしですわ。
「カメムシトカゲ様も、旅支度は整えているダスね? プラチナ級冒険者なら、遠隔地での緊急任務に備えて常日頃から荷造りをしているものダス」
「参ったな……。ミランダさんには、敵わねえ。休暇の期間だって、限られてるしな。よし、今日出発しちまうか」
なんとリュウ様まで、本日出発に乗り気なようです。
「ちょ……ちょっと待って下さい、リュウ様。まだ、道中の食料なども買い込んでおりませんし」
「そんなもん、商店街で売ってる弁当でも買っていけば充分だろ? 聖女さん。馬やルドランナーで、ちんたら陸路を走って行くわけじゃねえんだぜ?」
――あ。
すっかり忘れておりました。
今回ウ・ミムラー海洋国家連合までの道のりは、陸路ではありません。
「景色を楽しみながら悠々と飛んでも、1時間半ってところだな。俺の飛行速度ならよ」
そう、今回は空の旅。
変身して赤竜となったリュウ様の背に乗って、遠く離れたアヴィーナ島までひとっ飛びなのですわ。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
フリードタウン冒険者ギルド前――
わたくしとリュウ様は、ママさんや冒険者の皆様に挨拶をしていました。
「それではママさん、行って参りますわね」
「もう……。『ギルドには2週間立入禁止』なんて言っちゃったんだから、わざわざ出発の挨拶になんて来なくてよかったのにぃ。聖女ちゃんは、律儀ねぇ。みんな、気を付けて行ってくるのよぉ」
すでにリュウ様は変身して、ドラゴンのお姿になっています。
オーディータ様と戦った時より、体のサイズは控え目。
予想した通り、竜人族の竜化は大きさをある程度調節できるようですわ。
おかげで街の外まで出ずとも、ギルド前の道で変身可能でした。
赤い鱗に覆われたリュウ様の背中には、革製の鞍が取り付けられています。
わたくしとミランダが、騎乗しやすいようにですわ。
「こんなこともあろうかと、職人に鞍の製作を依頼していたんダス」
「『こんなこともあろうかと』……って。いったい、いつからですの?」
旅支度はともかく、ドラゴンの背に合わせた鞍など一朝一夕で作れるはずがありません。
「お嬢様達が地竜領から帰ってきて、すぐダスね。翼竜やオーディータ夫妻の話を聞いて、いずれお嬢様がドラゴンの背に乗る日が来ると確信したんダス」
ミランダったら――
本当に、信じられないぐらい先見の明があるんですから。
「魔法で風圧や慣性力からは守られるといっても、鞍は絶対必要なんダス。直に乗るなんて、もっての外。このカメムシトカゲは、背中でお嬢様やわたすのお尻の感触を楽しむに決まってるんダス」
『おいっ! ミランダさん! 俺を、変態みたいに言うんじゃねえ!』
抗議するリュウ様の念話を聞いて、わたくしは少々不思議に思いました。
はて?
上に乗られて悦ぶのは、変な性癖なのでしょうか?
レオンお父様はよく、アナスタシアお母様から椅子にされていましたが。
まあリュウ様はお父様ではなく、お母様寄りな雰囲気があります。
きっとリュウ様はミランダに、好みの違いを訴えているのですわね。
わたくしとミランダは、リュウ様の背に乗りました。
今回の旅は、ミランダも一緒です。
前席がわたくし、後席がミランダですわ。
鞍があるだけで、安定感が全然違います。
鱗に直接触れるのも、スベスベで温かくて好きだったのですが。
荷物も鞍に固定できるので、背負う必要がなくて楽です。
「カメムシトカゲ様、安全飛行で頼むんダスよ。お嬢様を酔わせるような飛び方をしたら、尻尾をちょん切るんダス」
『わーってるよ! やかましいメイドさんだな!』
ミランダとリュウ様が賑やかに会話しているのを聞いて、なんだか胸の奥がザワザワします。
つい先日まで、リュウ様の背中はわたくしだけのものだったのに――
『聖女さん、気分でも悪いのか? 眉間に、皺が寄っちまってるぜ?』
はっ!
わたくし、何を考えているんでしょう?
リュウ様の背中は、わたくしのものなどではないのに。
それにこれから楽しいバカンスに出かけるというのに、皆の気分を盛り下げるような表情はよろしくありません。
「いいえ、なんでもありませんわ」
営業用、「聖女ちゃんスマイル」発動です。
聖女をクビになってからも、この技には度々お世話になりますわね。
『そんじゃ、飛ぶぞ! ギルドのみんな! 行ってくるからな!』
オーディータ様を止めに向かった時の急上昇と違い、リュウ様はフワリと空に舞い上がりました。
ゆったりした翼の動きと、高度の上昇。
風はリュウ様の魔法で完全に遮断されていて、全く風圧を感じません。
ああ。
前回は緊急事態で楽しむ暇なんてありませんでしたが、リュウ様の背に乗って飛ぶのは本当に気持ちいい。
「ねえ、そろそろ顔を出していいかい? ご主人様の服の中は、色々と圧迫感が凄くて苦しいんだ」
法衣の胸元が、モゾモゾと動きます。
わたくしが襟を引き下げると、可愛いにゃんこが顔を覗かせました。
フクには、ちょっと隠れていてもらったのです。
ギルドの皆様に精霊だと知られたら、質問攻めにされてしまいますもの。
普通の猫ちゃんのフリをしてもらったとしても、「可愛い~」と撫で回される運命だったことでしょう。
そうなれば、出発はかなり遅れてしまいます。
「リュウ様。わたくし、ちょっと心配です。2人同時に2週間もギルドを離れて、大丈夫なのでしょうか?」
自惚れるわけではありませんが、わたくしはギルドに数人しかいないゴールド級冒険者。
リュウ様にいたっては、ギルドのエースであるプラチナ級冒険者なのです。
もし強力な魔獣が発生したり、サレッキーノの時みたいに魔獣の氾濫が発生した場合は戦力が足りるのでしょうか?
『ん? 別に、大丈夫だろ? いざとなったらギルドマスター自ら、魔獣討伐に出てもらうさ』
「ママさんは現役冒険者でなくなってから、けっこう長いようですが……」
『あの非常識な筋肉見りゃ、分かるだろ? 鍛錬は、続けてるみてえだ。元、ミスリル級冒険者なんだぜ? 俺と聖女さん2人がかりでも、勝てるかどうか怪しい相手だ』
ムッキムキの筋肉をフリル付きの可愛らしいドレスで包み込んでいる、ママさんの姿を思い起こしました。
ひょっとして魔獣と戦う時も、あのお姿なのでしょうか?
リュウ様の話を聞く限り、ギルドに関して留守中の心配は不要なようです。
わたくしは意識を、景色へと移します。
今日のリュウ様は、低空飛行。
魔王竜クラスの強さとは言っても、魔王四竜には数えられておりませんからね。
竜化して飛んでる姿を誰かに見られても、問題ありません。
風で波打つ草原の上を、わたくし達は飛行してゆきます。
季節は、もう夏。
強い太陽の光に照らされて、すくすくと育った草。
生命力に満ち溢れ、元気いっぱいです。
草原の真ん中を通っている街道には、旅人や馬車の姿がチラホラと見受けられます。
魔獣のエルダードラゴンかと見間違えて驚く方もいれば、竜化した竜人族だと分かっていて手を振ってくる方もいらっしゃいました。
人類に問答無用で襲いかかってこない時点で、エルダードラゴンと竜人族の区別はつきますものね。
それにこの世界には天翼族という、背中に翼の生えた魔族の方々もいらっしゃいます。
彼らも巨大な鳥に変身して、空を駆けることができるのです。
なので竜人族がドラゴン姿で空を飛んでいても、大事にはならないようですわ。
『聖女さん、海に出るぞ』
え?
もうですの?
あっという間に大陸北端まできて、海上に出てしまいましたわ。
実はわたくし、海を見るのは生まれて初めてなのです。
川や湖には、お父様と一緒に水泳をしに行ったことがあるのですが。
「うわぁ……。広いんですのね」
どこまでも続く海原。
深さを感じさせる、藍色の海面。
海のスケールに、わたくしは圧倒されておりました。
あっ。
水平線の向こうから来る船の帆が、先っぽから徐々に見えてきます。
この世界が「星」という球状になっていることを、あらためて実感できました。
『この辺りの海は、そこまで綺麗じゃねえ。見ていても、そんなに面白くねえな。速度を上げて、一気にアヴィーナ島の近くまで行くぜ』
リュウ様はそう言って、翼を力強く振ります。
速度だけでなく、高度も上昇させて雲の上に出ました。
『空気の薄い高高度を飛行した方が、速く飛べるし魔力も節約できるんだ』
なるほど。
だからオーディータ様を止めに行った時も、最初は一気に垂直上昇したのですわね。
周囲は青一色。
今日は、雲も少なめですわ。
日差しが強いのですが、これもリュウ様が魔法で軽減して下さっているようです。
「カメムシトカゲ様。わたす達、そろそろお弁当食べてもいいダスか?」
もう!
ミランダったら!
リュウ様おひとりに飛行させて、自分達だけお弁当を食べるなんてことはできませんわ。
『構わねえよ。俺はまだ、腹減ってねえし。下手に降りて休憩入れるより一気にアヴィーナ島まで飛んだ方が、俺も聖女さん達も楽だろう。そのまま、背の上で食いな』
そ――そうなんですの?
実はわたくし、ちょっとお腹が減ってきていたのです。
お腹がクルクルと鳴る音をリュウ様に聞かれていないか、不安だったのですわ。




