第25話 聖女は竜をやっつけた
光の激流に混じって、火の粉が舞っていました。
肌が、チリチリと熱い。
そういえば以前お屋敷で、オーディータ様が魔王四竜について語っておられましたわね。
地竜オーディータ。
水竜クサナギ。
雷竜レッセント。
そして、火竜ムラサメ。
リュウ・ムラサメ様は、火竜の一族なのですわ。
光が、徐々に収まってゆきます。
その向こうに、巨大なドラゴンの姿が見え始めました。
全てを切り裂く、長くて鋭い爪。
巨体を大空へと舞い上がらせる、大きな翼。
そして鱗は、紅玉よりも明るい赤。
その輝きは、まるで太陽の欠片。
赤き竜は天を仰ぐと、激しく咆哮しました。
その音圧と迫力に気圧され、わたくしは思わず1歩後退してしまいます。
「リュウ……様……?」
わたくしの呼びかけに、金色の瞳がギョロリとこちらを向きました。
ちゃんと、わたくしのことを認識している?
精神力で、竜化の力をねじ伏せた?
そう、希望的観測をした時です。
莫大な魔力が、リュウ様の口内に集中していくのを感じました。
「聖女ちゃん! 逃げて!」
背後から、ママさんの声が聞こえます。
ですがあまりに一瞬のことで、わたくしは微動だにできませんでした。
赤竜の口から、放たれる閃光。
息吹ですわ。
わたくしに当たる軌道では、ありませんでした。
息吹は光の槍となって、虚空を貫きます。
わたくしは振り返り、息吹が放たれた方角を見ました。
遠くの山に大穴が空き、向こう側の空が見えています。
その周囲には、煌々と赤熱する溶解跡。
なんという威力。
なんという射程。
なんという高温。
以前にリュウ様が仰っていたことを、思い出します。
『赤竜種の火炎に比べたら、緑竜種の息吹なんざ子供の火遊びよ』
――と。
炎などという代物ではなく、全てを焼き尽くす熱線兵器。
これが、火竜レッドドラゴン。
リュウ様は魔王竜の家系なので、赤竜の中でも特に強い力をお持ちなのでしょう。
ですが――
リュウ様は咆哮しながら、空に向けて何発もの息吹を放ちます。
その形相と叫びは、苦悶に満ちていました。
「ダメ! リュウは暴走してるわ! 聖女ちゃん、離れて!」
ママさんの仰ることは、半分当たりだと思います。
リュウ様は、竜化の力を制御できていない。
それでも――
逃げろというママさんの指示を無視して、わたくしはリュウ様に1歩近づきます。
尻尾が振り下ろされ、地割れが起こりました。
ですが大地は、わたくしを避けるようにひび割れます。
さらに、もう1歩前進。
爪が閃き、草原が抉り取られます。
しかしその爪は、決してわたくしに触れることはない。
さらに歩を進めて、手を伸ばせばリュウ様に触れられる位置まで来ました。
(ぶん殴って、正気に戻してくれるんじゃねえかって思ってな)
かつて言われた言葉が、頭の中に響きます。
身体強化魔法を全開にしたわたくしの拳なら、竜化したリュウ様の意識を刈り取ることも不可能ではないかもしれません。
わたくしは、右拳を振り上げ――
そっと、下ろしました。
やっぱりわたくし、暴力は嫌いですもの。
代わりに両手を広げ、リュウ様の体に抱きつきます。
鱗に覆われた体は、思ったよりもしなやか。
そして、温かい。
抱きついたまま、わたくしは魔法を発動させます。
術者であるわたくしの体と、対象者であるリュウ様の巨体。
両方が、淡い光に包まれました。
わたくしが得意とする身体強化魔法ではなく、不得手な魔法。
回復魔法【リカバリーライト】ですわ。
わたくしの回復魔法は脆弱。
それは傷や病を癒す力だけではなく、毒、麻痺、精神錯乱などの状態異常を治す力も同じこと。
それでもわたくしは、この魔法をリュウ様に向けて使います。
「分かっていますのよ? 優しいリュウ様は必死で竜化の力に抗って、わたくしが傷つかないようにしてくださったのですわね」
息吹が真横を通過した時、わたくしの髪は毛先すら焦げていませんでした。
前にリュウ様は、この黒髪が好きだと仰ってくださいましたものね。
「リュウ様……。わたくし、空を飛んでみたい。地竜領で翼竜に乗って空を駆けるリュウ様や、オーディータ様の背に乗るカーラ様を見て、羨ましいと思っていました」
空に向けて連射されていたリュウ様の息吹が、ピタリと止まりました。
「全部終わったら、海を見に行きましょう。あなたの背に、乗せて下さい」
抱きついたまま両目を閉じ、全身でリュウ様の体温を感じます。
すると体の中から、魔力の糸のようなものが伸びているのに気づきました。
リュウ様の体からだけではありません。
わたくしの体からも、魔力の糸が伸びている。
お互いの糸は絡み合い、組み紐のように編まれ太くなりました
魔力の組み紐は、わたくしの体内とリュウ様の体内にある何かを繋ぎ合わせます。
なんなのでしょう?
魂が繋がる感覚とでも、言えば良いのか。
こそばゆく、恥ずかしい。
だけどとても嬉しく、温かく、幸せな気持ち。
『ヴェ……リー……ナ……』
頭の中に、念話の魔法が響きます。
ああ――
やっと、名前で呼んで下さった。
遅いのですわ。
「はい。わたくしは、ヴェリーナですわ」
『ヴェリ……へへっ。聖女様の回復魔法は、心地いいな。癒されるぜ』
両目を開け、リュウ様のお顔を見上げます。
先ほどまでと変わらぬ、ドラゴンの顔。
しかしその瞳には、いつもと同じ優しい光が揺れています。
「まだ、聖女呼びですの? わたくし、もう聖女ではありませんのよ?」
『前にも言ったろ? 他の奴らがなんて言おうが、俺にとってあんたは聖女様なんだよ。あんたはいつも、俺を癒してくれる。力をくれる。そして、勇気をくれる』
「買いかぶり過ぎですわ」
それに力や勇気をくれるのは、いつもリュウ様の方ではありませんか。
今もそうです。
さっきまでオーディータ様の力に怯え、震えていたのが嘘のよう。
なんだって、できるような気分になっています。
そしてリュウ様は、わたくしが喜ぶ言葉をくれる。
他人を癒したいのに回復魔法が苦手なわたくしにとって、「癒される」ほど嬉しい言葉はありません。
『みんな、心配かけてすまねえな。聖女様の回復魔法で、俺は正気を取り戻せたぜ』
リュウ様の念話魔法による、広範囲への呼びかけ。
見守っていた冒険者の皆様が、大歓声を上げます。
うーむ。
わたくしの回復魔法に、それほどの力はないはずですが――
単にリュウ様の精神力が、竜化の力に打ち勝ったのでは?
それとも何か、別の要因が?
考え込んでいるとリュウ様から、念話で促されました。
『さあ、飛ぶぜ。聖女様、俺の背に乗るんだ』
リュウ様の言葉に従って飛び乗る前に、わたくしは視線を感じて背後を振り返ります。
そこには、困ったような笑顔を浮かべているミランダ・ドーズギールの姿がありました。
「それが、お嬢様の選んだ道なんダスね」
「ミランダ……。心配かけて、ごめんなさい」
「いいんダス。おいしい晩御飯と、お風呂を用意して待ってるんダス。無事に帰ってきて欲しいんダス」
わたくしはミランダに向けて、親指を立てました。
冒険者達の間では、賛成・同意・満足などを表す仕草。
貴族令嬢や聖女は、このような真似をしません。
もうわたくしは、ノートゥング聖伯令嬢でもミラディース教会の聖女でもありませんもの。
ゴールド級冒険者、ヴェリーナ・ノートゥングですわ。
ミランダも、親指を立てて応えてくれました。
さらに周囲を見渡せば、フリードタウン冒険者ギルドの皆様も親指を立てて見送って下さいます。
わたくしは身体強化魔法を発動させ、跳躍しました。
1回転後方宙返りを入れ、リュウ様の背中へと飛び乗ります。
『悪いな。ちょっと、乗りにくいかもしれねえ。鞍とか着けてる時間は、ねえからよ。しっかり掴まっていてくれ』
わたくしは、リュウ様の首筋にしがみつきます。
ここもポカポカと温かくて、心地いい。
『いくぜ、聖女様。いや、竜殺しの英雄』
「竜殺しの英雄って……。わたくし、オーディータ様を殺す気はございませんのよ?」
「オッサンじゃなくて、俺がもうやられちまっているからな」
はて?
それはいったい、どういう意味なのでしょうか?
リュウ様に訊ねようとした瞬間、翼が大きく開きます。
さらに、複数の魔法が同時展開。
重力操作、慣性力低減、風操作、空気抵抗低減――
魔王竜姿のオーディータ様や、エルダードラゴンと同じですわ。
翼の力だけで、この巨体を飛ばすことはできませんもの。
そしてこれら魔法の数々は、騎乗しているわたくしに負担をかけないためのものでもあります。
リュウ様は、両翼を一振り。
同時に強靭な足が、大地を蹴ります。
信じられないほど軽々と、わたくしとリュウ様は大空に舞い上がりました。
あっという間に、地面が離れていきます。
草原で見守っていたママさん達が、もう豆粒のよう。
リュウ様は10秒もかからずに、空を覆っていたぶ厚い雲を突き破りました。
それほどの急加速にもかかわらず、わたくしが振り落とされることはありません。
音よりも速く飛行しているのに、風圧は軽く髪がなびく程度。
リュウ様の展開する複数の魔法が、わたくしを守ってくださいます。
くるりと1回転ロールをして、リュウ様は水平飛行へと移ります。
どんよりとしていた雲の下と違い、青い空が眩しい。
どこまでも続いている白い雲の平原は、なんと美しいことでしょう。
目指すは、聖都ミラディアの方角。
できればオーディータ様が聖都に着く前に、追いついてしまいたい。
聖都上空で竜化した竜人族同士が戦えば、市街に甚大な被害が出てしまうでしょうから。
理想は広大で周囲に人がいない、ローラステップ辺りで阻止すること。
リュウ様は翼をはためかせ、さらに速度を上げました。




