第2話 聖女は貴族令嬢……だった
教会を追い出された日の晩――
わたくしは久しぶりに、実家へと帰ってきておりました。
10歳の頃――
聖女見習いとなってすぐは、実家から教会に通っていました。
しかし12歳あたりからは教会本部に住むようになり、実家には数えるほどしか帰ってきておりません。
実はお母様との折り合いが、あまりよくありませんの。
お父様が亡くなったあの日以来、どうも関係がギクシャクしてしまって――
それまでは、仲の良い家族でしたのに――
わたくしは玄関の戸を開け、ノートゥング邸内へと足を踏み入れました。
すぐ横に、大きなスタンドミラーが置かれています。
そこには、可愛くない女が映り込んでいました。
一般的な成人男性ほどもある、長身。
腰まで届く、真っすぐな黒い髪。
腰は細いのに、胸やお尻だけ大きくて見苦しい体型。
水平に切りそろえた前髪の下からは、ちょっとだけ目尻の下がった青い瞳が覗いています。
この瞳も好きではないと、以前にランスロット様はおっしゃっていました。
はぁ――
ソフィア様とは、全然共通点がありません。
彼女のようなタイプこそ、このミラディア神聖国ではモテモテなのですわ。
それでも流れる黒髪と青い瞳は、わたくしの誇り。
「ヴェリーナ、帰ったの?」
屋敷の奥から迎えに出て来て下さったのは、わたくしと同じく漆黒の髪を持つ女性。
お父様亡き後は、ノートゥング家当主。
先代聖女でもある、アナスタシア・ノートゥング。
わたくしのお母様です。
「お久しぶりです、お母様」
「聞いたわ。婚約を、破棄されたそうね。おまけに聖女も、クビになったんですって?」
驚きました。
その情報が、もう耳に入っていらっしゃるとは。
教会だの婚約破棄事件から、まだ3時間ぐらいしか経っていませんのに――
「はい。申し訳……ありません……」
ああ、なんて親不孝な娘。
コールブランド家三男との結婚は、跡継ぎがいない我がノートゥング家にとって良縁だったはず。
聖女を、クビになったことに関してもそう。
わたくしは回復魔法が下手で、「無能聖女」、「偽物聖女」と蔑まれてきました。
その度にお母様は、恥ずかしい思いをしてきたのでしょう。
出来の悪い娘で、ごめんなさい。
聖女時代は100人に及ぶ瀕死の騎士達を、5分で治療してみせたという伝説を持つアナスタシアお母様。
なぜわたくしは、黒髪しか受け継げなかったのか。
腕を組んだまま、無言、無表情で見つめてくるお母様が怖い。
沈黙に耐えきれず、わたくしは口を開きました。
「明日から、魔獣討伐の遠征に向かいます。聖女として、最後の仕事です。それが済み次第、貴族令嬢としての研鑽に励みます。なので、どうかわたくしをこの家に置いて……」
聖女でも神官でもなくなった今、わたくしに残る肩書きといえばノートゥング聖伯令嬢。
ひとり娘のわたくしは婿を取り、世継ぎを産んで家名の存続に尽力するのが務めというもの。
長く社交の場から離れ、婚約破棄されたという悪評まで立ってしまったわたくしに、婿取りは難しいのかもしれません。
相当、頑張らなければ。
ですが、お母様の返答は――
「必要ありません」
「お母様……? いま、なんと?」
「聞こえなかったのですか? 今さらあなたが、貴族令嬢らしく振る舞う必要などないのです。跡取り問題を気にかけているようですが、解決しました。……ジル。こちらに来て、ご挨拶しなさい」
お母様に促され玄関ホールまで出て来たのは、金色の髪を持つ美少年。
瞳の色は青。
髪色と瞳の組み合わせは、亡くなったレオンお父様と同じですわね。
なんて可愛らしい子――
まだ、10歳ぐらいでしょうか?
この少年は、いったい――?
「はじめまして、お義姉様。僕は、ジルと申します。ジル・ノートゥングです」
貴族として、完璧な礼を取るジル少年。
年不相応に、優雅な仕草です。
わたくしはおそるおそる、隣に立っていたお母様へと視線を向けました。
「レオンの隠し子ではありませんよ。我がノートゥング家の跡取りとして、優秀な養子を迎え入れました」
「そう……でしたのね……。ならば、わたくしが婿を取る必要など……。この家に、わたくしは必要など……」
「ええ。この家に、貴族令嬢としてのヴェリーナ・ノートゥングなど必要ありません。ですから……」
もう、何も聞きたくありませんでした。
先程閉じたばかりの玄関ドアを再び開け放ち、わたくしは外へと飛び出しました。
「ヴェリーナ! 待ちなさい!」
「お義姉様!」
お母様と義弟の声は、すぐに聞こえなくなりました。
わたくし、足は少々速い方なのです。
走る馬車を追い越しながらメインストリートを駆け抜け、街外れまでやってきました。
ああ、ちょうどいいですわ。
明日、冒険者の皆様と合流する聖都東門の近くです。
今夜はこの辺りで、空いている宿を探しましょう。
「わたくし教会だけでなく、実家でも要らない子だったのですね……」
夜空を見上げ、月に向かって話しかけます。
当然何も、返事は返してくれませんでした。
肯定の言葉も――
否定の言葉も――
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
翌朝――
わたくしは聖都を囲む防壁の門から、街の外へと出ました。
時刻はまだ早く、辺りには薄靄が立ち込めています。
「チッ! 逃げなかったのか……」
背後で舌打ちしたのは、わたくしのお世話役である男性神官さん。
ミラディース教会より、派遣された方です。
実際にはお世話役ではなく、監視役なのでしょう。
わたくしが任務放棄して逃げ出せば、この神官さんも危険なローラステップに向かわなくて済んだのですが――お気の毒ですわ。
この監視役の神官さん――
以前はもっと腰の低い話し方でしたのに、今は態度が横柄です。
今日いっぱいで聖女ではなくなる者に、敬意など払う必要はないという考えなのでしょうね。
わたくしへの態度はそれでも構いませんが、一緒に仕事をする冒険者の皆様に失礼な言動をとらないかは心配です。
冒険者とは、ギルドに所属して様々な依頼をこなす荒くれ者達。
魔獣の討伐、行商人の護衛、危険領域の探索、希少な鉱石や薬草の採取など、その仕事は多岐に渡ります。
魔獣と遭遇する機会が多い職種のため、ほぼ全員が優れた戦士。
教会聖騎士団のように統率の取れた集団戦は不得手なものの、個々の能力は聖騎士に引けを取らない方々なのです。
「……あ。冒険者の皆様が、お見えになったようですわ」
朝靄の向こうから、複数の影が近づいてきます。
シルエットは大きく、スピードも速い。
馬に、騎乗していらっしゃるのかしら?
いえ。
あの輪郭は、馬ではなく――
鳥?
ようやく、ハッキリと姿が見えました。
二足歩行で大地を駆ける巨大鳥、ルドランナーに乗っておられます。
先頭を駆けてくるのは、黒いローブに身を包んだ若い男性。
歳は、20代前半ぐらいでしょうか?
わたくしはそのお方から、目が離せません。
朝日を反射して輝く赤い髪は、焼けつくような煌めきを放っていました。
その髪型は乱雑に刈り込まれているように見えるのに、燃え盛る炎を連想させ芸術的ですらあります。
あ。
襟足だけ、ちょっと長いみたいですね。
後頭部で括られた髪が尻尾みたいに揺れていて、チャーミングですわ。
彼が、冒険者達のリーダーみたいですわね。
土煙を上げながら、ルドランナーをわたくしの前へと停めます。
彼は鞍に跨ったまま、金色の眼差しを向けてきました。
まあ――
なんて綺麗な瞳。
それでいて目つきは鋭く、肉食獣のようにギラギラした危険な魅力が感じられます。
「冒険者ギルドの方々ですね? わたくしミラディース教会より回復役として派遣されてきた、ヴェリーナ・ノートゥングと申します」
頭を下げてご挨拶すると、リーダーの男性は唇の端を釣り上げました。
長めの鋭い犬歯が覗きます。
この笑みは、亡くなったレオンお父様が時々されていた笑みですわ。
自信と闘志に満ちた、戦士の笑み。
野性的な美形のお顔によく似合っていて、素敵――
「話は聞いている。あんた、聖女様なんだろ? こんな魔獣討伐任務に、聖女様がわざわざ出向いて来てくれるとはありがたいぜ」
言葉遣いはちょっと不良っぽいですが、内容は丁寧なわたくしへの感謝。
良かった。
このリーダーさんは、いい人みたいです。
彼はヒラリとルドランナーから飛び降り、わたくしの正面に立ちました。
まあ――
背が高いのですわね。
女性としては長身であるわたくしが、少し見上げないといけません。
「背が高くて可愛くない」とよく言われていたので、自分より高い男性の傍に立つとホッとしますの。
「俺が冒険者達のリーダー、リュウ・ムラサメだ。家名は発音しにくいだろうから、リュウと名前で呼んでくれ。よろしく頼むぜ、聖女様」
そう言って、リュウ様は自然に右手を差し出しました。
一般市民や冒険者達の間では、信頼や友好の証として握手を求めるのは普通です。
ですが――
「いけね。確かあんたは、聖伯令嬢でもあるんだったよな? 貴族令嬢の手を握るとか、失礼だったぜ。勘弁してくれ」
引っ込められようとしたリュウ様の右手を、わたくしは引きとめるように握り締めました。
大きくて、ガッシリした手――
幼い頃にたくさん撫でてくれた、お父様の手に似ている――
「構いません。わたくし、もう貴族ではございませんの」
あの家には、戻れませんものね。
ノートゥング姓を名乗り続けていいものか、悩みます。
ですがお父様とお母様の娘であるということは、わたくしの心の拠り所でもあるのです。
「よろしくお願いいたしますわ、リュウ様」
久しぶりに「聖女ちゃんスマイル」ではない、ヴェリーナ・ノートゥングとしての自然な笑顔が出せたような気がします。




