第120話 聖女は焼けつくような口づけを
「そんな……。わたくしはただ、自分のことに精一杯で……。ミラディース様をお救いしようなどと、大それた考えは……」
「その精一杯生きる姿が、ボクら神々から見ると尊いんだ。キミにその意思がなくても、ボクを救ってくれた事実に変わりはないよ。『聖女』の称号に相応しい」
「ミラディース様。わたくしもう、教会の聖女ではありません」
「人族って勝手だからね。特に大きな組織になると、恥知らずなことも平気でやるよ。ミラディース教会はキミを引き戻し、再び聖女に据えようとするだろう」
「ええっ? そんな今さら? わたくしを無能聖女と疎み、追い出した教会がですか?」
「自覚していないみたいだけど、いまのキミは教会にとって危険な存在なんだ。剣聖を超える戦闘力に、死者を蘇らせるほどの回復魔法。敵に回すなんてもっての外。何とか抱き込んで、利用しようとするだろうね。身の振り方を、しっかり考えておくといい」
ミラディース様のお言葉に、聞き流せない部分がありました。
この場所に来てからずっと気になっていたのに、怖くてなかなか口に出せなかったのです。
「『死者を蘇らせる』と、おっしゃいましたね。それでは、わたくしの【リザレクション】は……」
「安心していいよ。キミの術式は完璧だった。リュウ・ムラサメは、間もなく生き返る」
全身の力が抜け、白い地面にへたり込んでしまいました。
よかった……。
間に合った……。
リュウが戻ってくる。
ミラディース様が、右手でわたくしの背後を指差します。
左手には、ドーズギールの魂を抱えたままです。
「あっちに行けば、リュウ・ムラサメの魂に会えるよ。迎えに行ってあげるといい」
指差された方向を振り返りますが、霧に包まれていて何も見えません。
背後を見るのをやめて、再び視線をミラディース様に戻した時です。
慈愛と安息の女神は、姿を変えていました。
服装はロングスカートのメイド服。
こげ茶色の髪を三つ編みにして、左右に垂らしています。
顔にはそばかすが浮かんでいました。
ミランダ・ドーズギールの姿です。
ちょっと違うのは、ぽっちゃり体型ではなくスリムなこと。
そして眼鏡をかけておらず、茶色い瞳がよく見えていること。
「お嬢様。お暇をいただきたいんダス」
「ミランダ……。今まで側にいてくれて、ありがとう。お疲れ様でした。ゆっくりと休んでください」
へたり込んだ状態から立ち上がり、ミランダへと感謝の言葉を述べます。
彼女は寂しそうに微笑むと、蒼い炎を胸に当てました。
炎――ドーズギールの魂は、ミランダの体にスウッと吸い込まれていきます。
この瞬間のために、ミラディース様はミランダの姿を保存していたのですね。
彼女はスカートの裾を摘まみました。
なんちゃて貴族令嬢のわたくしより、何倍も様になった淑女の礼。
そのポーズのまま、ミランダ・ドーズギールは霧に包まれて見えなくなりました。
「ミランダ……。いつかまた、あなたに会えそうな気がします」
ですがそれは、まだ先のことでしょう。
今わたくしが、再会しなければならない人物――
それは――
クルリと背後を向き、走り出します。
全力疾走です。
肉体がないので身体強化魔法も使えませんが、わたくしの精神体はぐんぐん加速していきます。
進むごとに霧が晴れ、周囲は明るくなってきました。
肉体がないのに、息は上がります。
鼓動も速い。
ただ単に、走っているからという理由でしょうか?
それとも彼に会えることが嬉しくて、胸が高鳴っているのでしょうか?
やがて霧の向こうに人影が見えました。
ああ、あのシルエット。
見間違うはずがありません。
わたくしよりも高い背丈。
荒々しく刈り込まれた髪。
襟足部分で括られていて、短い尻尾のように揺れています。
顔も見えないうちから、飛びついてしまいました。
背中側からタックルして、腰に腕を回してしまいます。
お互い肉体はないはずなのに、確かな感触と温もりを感じました。
「おかえりなさい。リュウ」
「ただいま」と言って欲しい。
声が聞きたい。
そう思っていたのに、また意識が遠のいてゆきます。
「そんな……リュウ……」
瞼が重い。
まだリュウの顔も、よく見ていないというのに……。
【リザレクション】で気を失った時と違い、意識が闇に染まってゆきます。
わたくしはまた、気絶してしまいました。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
闇の中で最初に聞こえたのは、ざわめきです。
これは……木の葉がこすれる音?
聴覚に続いて、嗅覚も覚醒します。
「魂の回廊」で嗅いだのと同じ、樹木の匂いがしますわ。
少し、草原の匂いも混ざっているかも?
わたくし、ローラステップに戻ってきたのでしょうか?
ゆっくりと目を開きます。
青々と茂った、世界樹の葉が見えました。
生命力溢れる、美しい緑色です。
ブライアン・オーディータ様の鱗を連想させます。
世界樹の葉を見上げているということは、わたくし根っこの上で仰向けになっているのでしょうか?
それにしては、背中が痛くないような……?
「気が付いたか?」
すぐ近くから聞こえた声に、心臓が跳ねました。
力強く、優しい。
暖炉の火みたいに、心を温めてくれる声。
すぐに声の主が、わたくしの顔を覗き込んできます。
以前と変わらない、黄金の瞳で。
「リュウ……、リュウ……」
「ただいま、ヴェリーナ」
抱きついてやろうと企んでいましたのに、体が思うように動きません。
【リザレクション】で、魔力がカラカラになった後遺症でしょう。
そこでわたくしは、自分がどういう体勢でいるのか気付きました。
世界樹の根に腰を下ろしたリュウから、横抱きにかかえられているのです。
どうりで背中が痛くないはずですわ。
お姫様抱っこも慣れてきたと思ったのに、やはりドキドキしてしまいます。
「すまなかったな。ずいぶん心配かけちまったようだ」
「そうですわよ。とっても心配したのですから。これは一生かけて、償っていただかないといけませんわね」
「ほう? 償いってのは、どうすればいい?」
「それは……その……。わたくしのことを愛して……」
「ずいぶん抽象的だな。俺は具体的にどうして欲しいのか聞いているんだぜ? 例えば……こういう行動はどうだ?」
「あっ……」
背中を支えてくれていた手が、後頭部へと回されます。
余ったリュウの左手は、わたくしの顎へ。
こ……この体勢は……。
昼間からそんな……。
でも……別にいいかも?
だってもう、2回目ですし。
1回目は、リュウが死んでいましたけど。
あれこれ考えているうちに、リュウの顔が近づいてきました。
恥ずかしいので、目を閉じてしまいます。
何も見えない状況で、唇に柔らかいものが触れました。
リュウの唇でしょう。
ああ、1回目の時と全然違います。
焼けつくように熱い。
火傷してしまいそうですわ。
さすが火竜の一族……って、それは全然関係ありませんわね。
なんだか頭の中がグルグルして、思考が散らかってしまいます。
密着しているので、心臓のドキドキが伝わってしまったら恥ずかしいなとか。
この大歓声は、何なのかとか。
……え?
大歓声ですって?
一気に冷静さを取り戻したわたくしは、勢いよく両目を開きました。
リュウとの口づけを中断して、身を起こそうとします。
相変わらず思うように体が動かないのですが、周囲を見渡すことぐらいはできました。
「こんなに大勢が見ている前で……とは……。我が娘ながら、大胆ね」
「魔王の妃は、これくらいでなければ。いいぞ、もっとやれい」
きゃああああっ!
アナスタシアお母様とルビィお義母様から、しっかり見られていますわ!
けっこう近い距離にいらしたのに、全然気付きませんでした。
その隣にいるミツキは、にやにやしながら無言でこちらを見つめています。
シュラ様は眼鏡の曇りを拭きながら、見て見ぬフリをしているというのに。
……ん?
ちょっと待ってください。
先ほどは、もっと大勢の歓声が聞こえましたわね。
思い出してしまいました。
このローラステップには、フリードタウンの冒険者達と教会聖騎士団ほぼ全軍が集まっていることを。
視線を遠くに巡らせば、とんでもない数の人々がわたくし達に注目しています。
フリードタウン冒険者ギルドのみなさんは、お祭り騒ぎでした。
派手に雄叫びを上げたり口笛を吹いたりして、囃し立ててきます。
教会聖騎士団の塊に紛れ込んでいるソフィア様は、居心地の悪そうなお顔をされていました。
フレデリック・デュランダル教皇の命で色々動いていたので、糾弾されないか不安なのですわね。
ソフィア様の側にいるランスロット様は、何か色々吹っ切れたような表情でした。
あわわわわ……。
こんな大勢の前で、わたくしリュウと夢中になってキ……キスを……。
恥ずかしさのあまり、耳が熱くなります。
きっと真っ赤になっていることでしょう。
「さて。帰ろうぜ、俺の聖女様。どこか落ち着ける場所で、魔力譲渡しねえとな」
リュウはわたくしを横抱きにしたまま、ひょいっと軽快に立ち上がりました。
「え……? リュウ、まさかこの姿勢のまま……?」
「もちろんだ。ヴェリーナはいま、自力で歩けないだろ?」
当然といった口調で、リュウは言い放ちます。
ああああっ!
これではアヴィーナ島で執行された、「衆人環視お姫様抱っこの刑」と同じではありませんか!
リュウを助けようと頑張ったのに、こんな辱めを受けるなんてあんまりです。
恨みを込めた瞳で、キッ! と睨みつけてやります。
ですがわたくしの番は、涼しい笑みを返してくるばかり。
やはりこの男は、生粋のドSなのですわ。




