第114話 聖女はドラゴンスレイヤーになんて、なりたくはなかった
邪神竜の体が、灰になって消えていきました。
終わりました……。
何もかも……。
わたくしは空虚な気持ちで、消えゆくデュランダルを見送りました。
後に残されたのは、草原に倒れる2つの人影。
1人目は剣聖ランスロット様。
もう1人は聖女ソフィア様です。
お2人とも目立った外傷はなく、意識を失っているだけのように見えました。
リュウは?
リュウはどこですの?
視線を巡らせると、草原の奥に彼の姿を見つけました。
全力疾走で駆け寄るつもりだったのに、膝が震えて思うように走れません。
これは魔力切れではありませんわね。
デュランダルの魔力を使って身体強化魔法を発動したので、体内には充分な魔力が残っています。
膝が震えるのは、単に怖いから。
――遠い。
リュウまでの距離が、果てしなく遠い。
よたよたとした足取りで、草原を駆けるわたくし。
その横を、何かが高速で追い抜いていきました。
茶トラ柄の空飛ぶ猫。
フクですわ。
わたくしよりも遥かに早くリュウの元まで辿り着き、回復魔法を発動させます。
しかしリュウは、ピクリとも動きません。
フクよりかなり遅れて、ようやくわたくしもリュウのところへと辿り着きました。
「フク……。リュウは……?」
「ご主人様……」
それっきりフクは黙り込み、首を左右に振りました。
「そう……ですか……」
仰向けに倒れているリュウ。
彼の胸には、大穴が開いていました。
口からも血が垂れ、顔には精気が感じられない。
絶命しているのは、明らかです。
……なぜ、わたくしの回復魔法は弱いのでしょうか?
こんな時に、強い癒しの力があれば。
アナスタシアお母様やソフィア様。
あるいは数百年前の竜滅の巫女みたいな回復魔法が使えたら、違う未来があったのでは?
強大な敵を打ち倒せても、愛する人を助けられないのなら空しいだけ。
何が竜殺しの英雄ですか。
わたくしはそんなものに、なりたくはなかった。
お母様のような聖女になって、回復魔法で人々を救いたかった。
愛する人達を癒したかった。
今だって、強い癒しの力があれば。
フクと2人がかりで回復魔法を使えば、リュウをきっと……。
……いえ。
やはり無理だったのかもしれません。
死者を蘇らせる魔法は、お母様でも完成させられなかった。
お母様よりすさまじい回復魔法の使い手であるフクでさえ、リュウを蘇生させることは不可能だった。
すべてが遅すぎたのです。
わたくしは草原に膝を着き、リュウの亡骸を抱き起しました。
ああ、もう冷たくなり始めている。
血も流し尽くしてしまったようです。
「嘘つき……。ミランダと約束したくせに……。死んでもわたくしを悲しませないって、約束したくせに……」
否定して欲しかった。
目を開けて、「俺は嘘つきなんかじゃねえ」って言って欲しかった。
なのに返ってくるのは沈黙ばかり。
周囲を見渡してみれば、聖騎士達も沈黙しています。
顔見知りであるはずのママさん達でさえ、近寄っていいものか悩んでいるようです。
正直、今は誰も近づかないで欲しい。
2人だけにして欲しい。
リュウの死に顔に、目を落とします。
形の良い唇が、半開きになっていました。
そういえば、まだでしたわね。
婚約者になったのに、機会を逃してばかりでした。
わたくしはリュウの唇に、そっと自分の唇を重ねます。
初めてのキスは冷たく、血の味がしました。
心がときめくどころか、凍りついてしまいそう。
なんだかそれがおかしくて、笑いがこみ上げてきます。
ローラステップの草原に、わたくしの乾いた笑い声が響き渡りました。
ひとしきり笑い続けたあと、そっとリュウに囁きかけます。
「寂しがらないで。わたくしもすぐ、側に行きます」
わたくしは神剣リースディアを、短剣の姿へと変えました。
美しい黄金の刀身に、見惚れてしまいます。
ああ、とても便利な神器ですわね。
意思を汲み取って、必要な形へと変化してくれる。
「ご主人様! やめて!」
「聖女ちゃん! ダメ!」
制止する声が、やけに遠く聞こえます。
フクやママさんですわね。
みなさんには、申し訳なく思います。
しかしもう、生きていたくないのです。
リュウがいないこの世界には、耐えられない。
瞼を閉じ、呼吸を止め、短剣を喉に突き立てました。
首元のイフリータ・ティアは避けるように。
これは大切な、リュウとの思い出の品ですもの。
ドン! という鈍い衝撃が、喉から伝わります。
……?
思ったより、痛くないですわね。
おそるおそる、目を開けます。
「そんな……。どうして……」
両手で握り締めていたはずの短剣は、腕輪へと戻っていました。
「どうして死なせてくれないの!?」
右手首の神剣リースディアは、何も答えません。
腕輪の姿のまま、静かな輝きを放っていました。
そう……。
戦女神リースディース様は、死ぬことを許してはくれないのですね。
絶望し過ぎて、現実感が湧きません。
リュウが死んだという事実を。
彼がいない世界で、生き続けなければいけないという事実を受け入れられない。
悲しみが強過ぎて、涙すら湧いてきません。
これからわたくしは、どうすれば……。
「ヴェリーナ……」
……え?
この声は?
声のした方向に、視線を向けます。
取り囲んでいた聖騎士達が、どよめいていました。
人垣が割れ、1人の女性が足早に草原を歩いてきます。
「お母様……」
わたくしと同じ、長い黒髪。
旅用の簡素な法衣に身を包んだその人は、わたくしの母。
先々代聖女でもある、アナスタシア・ノートゥングでした。
お母様はすぐ近くまできて、わたくしとリュウを見下ろします。
「あなたという子は……。自害しようとするなんて!」
お母様の手が動きました。
――打たれる。
そう直感したわたくしは身をすくませ、両眼を閉じてしまいました。
しかし暗闇の中で感じたのは、頬の痛みではありません。
全身を包み込む柔らかさと、確かな温もり。
戸惑いつつ目を開けると、わたくしはお母様から抱きしめられていました。
「辛いわよね。愛する人を失った苦しみは、私にもよく分かる。私も何度、自ら命を断とうと思ったか……」
そうでした。
お母様もレオンお父様が亡くなった時、同じような思いをしたはずなのです。
こんな苦しみに、お母様はずっと耐え続けて……。
「私がそうしなかったのは、ヴェリーナ……あなたがいてくれたから……」
わたくしもリュウとの間に子供がいたら、耐えられたのでしょうか?
いいえ、きっと無理でしょう。
わたくしはお母様のように、強くはないのですから。
そんな強いお母様の頬を、涙が伝っていました。
ああ。わたくしも一緒になって、泣きわめきたい。
なのにどうして、涙が出てこないのでしょう。
まるで心と体が、干上がってしまったかのよう。
「ごめんなさい……。お母様、ごめんなさい……。でも、わたくしはもう……」
抱きしめてくれていたお母様でしたが、急にわたくしから離れました。
涙を手で拭い、真剣な目をして見つめてきます。
「ヴェリーナ。あなたは私とは違う」
……?
そんなことはわかりきっています。
わたくしはお母様ほど強くはないですし、癒しの力も弱い無能聖女。
ああ、もう聖女ではありませんでしたわね。
とにかく、わたくしとお母様は全然似ていません。
似ているのは容姿だけ。
「あなたならきっと、まだ間に合う。愛する人を、取り戻せる」
お母様は、何をおっしゃっているのでしょうか?
愛する人を取り戻す?
死んだ者を蘇らせるなど、誰にも不可能な……。
そういえば忘れておりました。
目の前にいる人は、かつてその不可能に挑んだのだということを。
わたくしも微力ながら、お手伝いをしたのだということを。
お母様は自分の荷物を漁り、1冊の分厚い本を取り出しました。
それを無言で差し出してきます。
わたくしも同じように黙って、本を受け取りました。
ページをめくってみると、見慣れた字が目に入ってきました。
どうやらこの本の著者は、お母様のようです。
……これは魔道書?
……この魔道書の内容は!
「魔国ヴェントラン、水竜領の奥地。ハイエルフの里で見つかった古文書を私が翻訳し、最新の魔道技術も加えて書き上げたものよ。あなたと一緒に研究していた内容と、重複している部分も多いはず」
わたくしは身体強化魔法で動体視力を向上させ、素早くページをめくっていきます。
この魔道書があれば……。
魔道書の内容に、あの呪文詠唱を加えれば。
かつてアヴィーナ島でセイレーンのセーラ様から聴いた、世界樹の歌を思い出します。
あの歌の最後にあった祝詞を、詠唱に組み込むのです。
理論上は完成する。
歴史上誰も成功しなかった、あの魔法が。
わたくしは魔道書を閉じました。
その表紙には、魔法の名前が大きく記載されています。
死者蘇生魔法、【リザレクション】と。




