第107話 聖女はメイドの正体を知る
「何を……何を言ってるんだい! ご主人様! 自分を食べてだなんて!」
フクが顔のすぐ前まで飛んできて、叫びました。
こんなに近くで叫んでいるのに、やっぱり声が遠くに聞えます。
「フク……。わたくしはもうダメです。あなただけでも逃げて」
喉がかすれる。
思うように、唇が動かない。
肺から空気が出ていかない。
生きる気力が湧かない。
『愚かな人族よ。我に貴様を食らえとは、どういう意味だ?』
意外ですわね。
ドーズギールは苛立っています。
嬉々として、私を食べるかと思ったのですが。
「あなたの体は、リュウ・ムラサメのもの。わたくしが愛した番。心優しき火竜のもの。食べていただければ、お腹の中で彼とずっと一緒にいられますもの」
本気でした。
彼の心が、魂がすでにこの世に存在しないのなら――
せめて体だけは、共にありたい。
彼の一部になりたい。
『ふざけるな!!』
フクから怒られるかもしれないとは、思っていました。
しかし激昂したのは、ドーズギールの方でした。
『我は人族など食わぬ! 食わぬのだ! 「一緒にいられる」だなどと……。ミランダと同じことを言うな!』
……ミランダ?
ミランダ・ドーズギール?
なぜ我が家のメイドと、同じ名前が?
やはり偶然とは思えません。
気にはなるのですが、もう考えるのも億劫です。
『実に腹立たしい! 絶対に食ろうてなどやるものか! ……だが、せめてもの慈悲だ。殺してはやろう。我が爪で、ズタズタに引き裂いてな!』
ふふふ……。
それは良い考えですわ。
斬り裂かれるのなら、一瞬で死ねるでしょう。
苦しまずに済みます。
わたくしは跪き、手の平を組んで最期の時を待ちました。
「ダメだよ! ご主人様! 諦めないで! 戦ってリュウを取り戻すんだ!」
フク……。無理ですわ……。
体は同じでも、あれはもうリュウではないのです。
紫色の瞳からは、彼の意思が全く感じられません。
番だから分かるのです。
リュウの魂が……、竜魔核が変質してしまっていることを。
何よりわたくしは、もう戦えない。
いつだってそうです。リュウがいたから戦えた。
単独で戦う時も、終われば彼とまた会えるから頑張れた。
だから……もう……。
ドーズギールの足音が止まりました。
わたくしの頭上でゆっくりと、巨大な爪が振り上げられます。
フクが防御結界魔法を張ったとしても、あれなら貫通して即死できるでしょう。
「ご主人様! 立ってーーーー!!」
フクの悲痛な声を聞きながら、わたくしは静かに瞳を閉じました。
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……おかしいですわ。
なかなか爪が振り下ろされません。
ひょっとしたらわたくし、死んだことを自覚していないのでしょうか?
おそるおそる、瞼を開いてみました。
「――え?」
わたくしは、見たことのない場所にいました。
雲ひとつない青空。
地平線を見ても、建造物や山などは見当たりません。
いえ。地平線ではなく、水平線と表現するべきでしょうか?
地面はなく、水面の上にわたくしはいました。
不思議なことに、水の中へ沈んだりはしません。
水面のすぐ下に、大地があるような感触です。
「ここは……? 死後の世界なのでしょうか?」
わたくし達ミラディース教徒は、死後に「女神のゆりかご」と呼ばれる楽園へ行くのが悲願。
楽園と呼ぶには、あまりに何も無さすぎる。
ここは「女神のゆりかご」ではないのでしょう。
元々ゆりかご行きは、諦めておりました。
教義によると、生前に精一杯生きた魂だけが行けるそうです。
自ら生きることを放棄したわたくしに、「女神のゆりかご」へ行く資格などあるわけがございません。
膝をついていた状態から立ち上がり、周囲を見渡します。
水面に波紋が広がりました。
なぜか膝は濡れていません。
「……フク? ……フク! しっかりして!」
すぐ背後に、フクも倒れていました。
抱き上げて背中を撫でると、青い瞳がうっすらと見開かれます。
「ご主人……様? 良かった……。生きていてくれたん……だね」
「ここが死後の世界でないのなら……ですけど」
フクはゆっくりと浮かび上がりました。
2人でキョロキョロと、この得体のしれない場所を観察します。
そんな時、声が聞こえました。
「お嬢様もフクも、まだ死んでなんかいないんダスよ」
特徴的な訛り。
聞き間違えるわけがありません。
「ミランダ!」
いつの間にかすぐ近くに、我がノートゥング家のメイドが立っていました。
そばかすだらけの顔に、瓶びんの底みたいな眼鏡。
両サイドに下げた、こげ茶色の三つ編み。
ロングスカートのメイド服。
懐かしいその姿に、涙が滲んできます。
「ミランダが、助けてくれたんですの?」
「はい。空間に穴を開けて、お嬢様とフクをここに引っ張り込んだんダス」
薄々気付いてはおりました。
そんな真似ができるなんて、やはりミランダ・ドーズギールは普通の人族ではないのですね。
「ああ……、やっぱりダメだったダスか……。お嬢様は、わたすが未来視しにくい人族の1人。リュウ様、フクとの3人がかりで、神剣リースディアもあるならあるいはと思ったんダスが……」
「未来視……。ミランダ……あなたは一体? 邪竜の名前があなたの家名と一緒なのは、どういうことですの? あなたと邪竜ドーズギールには、どんな関わりが……」
「直接は関わりがないダス。――ボクとドーズギールにはね」
突然変わった口調と1人称。
ああ、わたくしはこの喋り方を知っている。
「ボクが姿を借りているこの娘――ミランダには、あの邪竜――いや神竜ドーズギールと深い関わりがあった」
こげ茶色だったミランダの髪が、銀色へと変わりました。
三つ編みは解け、水面まで長く伸びます。
「魂の結びつきが、絆が、愛情が確かにあったんだ」
ぽっちゃりとした体型がスマートに。
メイド服はドロリと溶け、代わりに黒い衣へと姿を変えました。
ドーズギールの鱗と同じく、夜を溶かしたような漆黒に。
「それは遠い遠い昔にあった、悲しいできごと。人と竜が紡いだ、希望と絶望の物語」
瓶底のような眼鏡が、スッと外されました。
その下から現れたのは、神秘的な虹色の瞳――
「この姿で会うのは、アヴィーナ島以来かな? 久しぶりだね。竜滅の巫女ヴェリーナ・ノートゥング」
「ずっとミランダの姿で、見守っていてくださったのですね」
わたくしとフクの目の前には、慈愛と安息の女神ミラディース様が佇んでおられました。
――とても悲し気な表情で。
「もう、ノートゥング邸でのお仕事はいいんですの?」
「ハハハ……。片付けてきたさ。神の力を使って、ちゃちゃっとね。後は他のメイドさん達が、なんとかしてくれる」
「そうですか……」
傍らを見れば、フクは全く驚いていません。
「フクはミランダの正体がミラディース様だと、知っていたのですね」
「うん。オイラはミラディース様から、精霊にしてもらったんだ。だからミランダ様の姿をしていても、出会った瞬間に分かったよ」
そう言ってフクは、ちょこんとわたくしの肩に降りました。
「ミラディース様は、こうなることを知っていたのですね。ドーズギールが復活することも。その過程でリュウが体を奪われることも」
「ボクにも全部分かっていたわけじゃないよ。さっきも言ったように、キミの未来は見えにくいんだ」
「未来が……見えにくい?」
「そうさ。人族の中には、たまに未来が見えにくい人間がいる。運命を変える力が、強い人間と言えば分かりやすいかな。ミラディア神聖国内ではキミとか、聖騎士団長の奥さんとか、あとはフレデリック・デュランダル教皇もそうだね」
「わたくしが運命を変え、ドーズギールを倒した可能性もあったと?」
「確率は低かったけどね。……だけどボクは、そんな未来が見たかった。ドーズギールもいい加減、休ませてあげたいしね。ドラゴンゾンビとして現世に留まり続けるのは、耐えがたい苦痛を伴う。肉体を得て復活した今も、魂は憎悪に焼かれ続けている」
「……ドーズギールの過去に、何があったのでしょうか? ミラディース様のお話だと、ミランダ・ドーズギールという人物は太古の昔に存在したようですね。ドーズギールとミランダ、そして人族との間に何が?」
「……見るかい? 遥か昔に、何が起きたのかを。見ていてかなり辛いと思うよ?」
ミラディース様は釘を刺しましたが、わたくしは見る決意を固めておりました。
このまま何も知らないのは嫌です。
わたくしが深く頷くと、ミラディース様は導きの杖を取り出しました。
アヴィーナ島の時と同じく、何もない空間から突然ですわ。
そして杖の柄で、足元の水面を突いた瞬間――
わたくしの意識は舞い上がり、旅に出ていました。
遥か昔。
ドーズギールがドラゴンゾンビと化す前への時代へと。




