第1話 聖女はSTR特化型
「ヴェリーナ・ノートゥング。君との婚約を、破棄する」
目の前にいる男性から、冷たい言葉が投げかけられました。
彼は、わたくしの婚約者――いえ。
数秒前まで婚約者だった、ランスロット・コールブランド様。
たいへん、容姿のお美しい方です。
流れる菫色の長髪を見ると感嘆の溜息が零れ、アメジストのような瞳に見つめられると腰砕けになってしまう。
国中の女性達から、そのように評される美貌の聖騎士。
さらには、神剣に選ばれし剣聖。
おまけに、由緒正しいコールブランド侯爵家の三男。
今までわたくしなどの婚約者だったのが、おかしな話なのです。
「……フン。ずいぶん、余裕あり気な表情だな。婚約破棄など、取るに足らんということか? 君はいつもそうやって、私のことを……」
余裕あり気?
いえいえ。
これでもわたくし、傷付きましたのよ?
婚約破棄を突きつけられて、傷付かない女がおりまして?
ああ。
きっとわたくしが、いつもの「聖女ちゃんスマイル」をキープしているからですわね。
わたくし、ヴェリーナ・ノートゥングの肩書は聖女。
教会の看板とも言える存在。
人前ではいつも、聖女に相応しい笑顔を心掛けてきました。
そのせいで陰では、こう言われているそうです。
『悲しみを知らない、能天気な女』
『何をしても怒らない、鈍感な女』
と――
ヘコみますが、それでも笑顔でみなさんを元気づける方が大事ですものね。
ランスロット様の婚約破棄宣言を聞きつけて、周囲の人々が騒めき、注目し始めました。
わたくし達が会話しているここは、教会にあるロビー。
参拝者の方々のために、テーブルや椅子が用意され休憩スペースとなっています。
教会のロビーなものですから、わたくしの同僚である神官や教会事務員の方々が大勢行き交っていらっしゃいました。
皆が好奇の視線で、わたくしとランスロット様を見つめてきます。
「婚約を破棄する、理由をお聞かせ願いますか?」
声が震えそう――と思ったのですが、意外と落ち着いた口調で言ってしまいました。
いけませんわ。
これではますます、ランスロット様の神経を逆なでしてしまいます。
「その、動じない態度……。相変わらず、可愛くない女だ。いいだろう、教えてやる。私は、真実の愛を見つけたのだ」
――愛?
いま、愛とおっしゃいましたの?
まさかランスロット様は個人の恋愛感情で、貴族家同士が決めた婚約を破棄するおつもりですの?
それって、大丈夫なのでしょうか?
コールブランド家が我がノートゥング家に、多額の慰謝料を払わないといけなくなりません?
まあ、コールブランド家は侯爵家。
わたくしの実家ノートゥング家は「聖伯」という特殊な爵位で、地位は伯爵相当だといわれております。
爵位は向こうが上なので、そんな無茶もまかり通ってしまうのでしょう。
「他に、愛する女性ができたということですのね」
「その通りだ。紹介してやろう」
いえ、別に結構です。
あなたが誰を好きになろうが、知ったことではありませんわ。
心の傷に、塩を塗りたくるような無神経さ――
おそらく、わざとやっているのでしょうね。
この方と夫婦にならずに済んで、幸いだったのかもしれません。
「ソフィア、来なさい」
聞き慣れた名前が耳に飛び込んできて、心臓がドクリと脈打ちます。
「はいっ! ランスロット様ぁ!」
周囲に集まっていた人垣を押しのけて、神官服の少女が飛び出してきました。
ふわふわの金髪に、愛らしい顔立ちはまるで妖精さんのようです。
小柄で華奢な体躯は、男性ならば庇護欲を搔き立てられるものでしょう。
ソフィア・クラウ=ソラス。
彼女はわたくしの後輩で、次代の聖女として教会が養成中の神官です。
「ソフィア様が、『真実の愛』のお相手ですの?」
「その通りだ。彼女は実に可愛らしい。無能なことを棚に上げ、聖女としての研鑽を怠り、挙句の果てにソフィアの才能に嫉妬して陰惨な虐めをする君とは大違いだ」
嫉妬?
虐め?
全く身に覚えがありません。
むしろソフィア様には、優しく丁寧な指導を心がけておりました。
彼女はわたくしなどより、素晴らしい回復魔法の資質を持っています。
多くの人々を癒し、救える存在なのです。
その才を羨みこそすれ、嫉妬や虐めなど――
あ。
ひょっとして、たまに小言を言うのが虐めだと思われているのでしょうか?
でもソフィア様にはちょっぴりグータラなところがあって、誰かが見ていないとすぐに勉学や修行をおサボりする癖があるのです。
指導する際の言葉選びについては、気を付けていたつもりだったのですが――
「ランスロット様っ! ヴェリーナ様は、酷いのですぅ! いつも雑務をアタクシに押し付けるし、魔法修行は理不尽なメニューを課してきますぅ」
ちょっと待ってください。
雑務を押し付ける?
わたくしは体力的にキツい仕事を自分で引き受けて、楽な仕事をソフィア様に回すようにしていただけですのよ?
理不尽な修行メニュー?
歴代の聖女が作り上げてきた、合理的かつ効果的な魔法訓練の数々ですのよ?
――というか先代の考えたメニューが厳し過ぎたので、ソフィア様にはかなり緩くした訓練をやっていただいているのです。
「おまけに聖女としての地位にかじりつくために、身体を使って教皇猊下に取り入ろうとしましたわねぇ? 猊下も、迷惑していらっしゃいますのよぉ?」
迷惑なのは、こっちですわ。
教皇猊下は趣味が悪いというか、なんというか――
顔もスタイルも良くないわたくしに、何故かしつこく愛人になれと言い寄ってこられるのです。
「私という婚約者がありながら、なんてふしだらな女だ」
ランスロット様は、ソフィア様の嘘を完全に信じ切っているようです。
腰にはソフィア様が抱きつき、勝ち誇ったような笑みを向けてきました。
周囲の神官達からは、侮蔑の視線がわたくしに突き刺さります。
そうですの――
みなさん、ソフィア様の話を全面的に信じるのですね。
仕方ないのかもしれません。
無能な聖女の弁明など、誰も聞いてはくれないでしょう。
「君のような女、二度と顔を見たくない」
「いえ、それは無理ですわ」
吐き捨てたランスロット様に、わたしは告げます。
本当はわたくしも、会いたくありません。
しかし、ランスロット様は剣聖。
わたくしは聖女。
聖女は怪我や病で苦しむ人々を回復魔法で救うという役目の他に、戦場に立つ剣聖をサポートするという役目もあるのです。
嫌ですけど、有事の際はランスロット様を支えなければ。
「いえ、ヴェリーナ様。あなたは二度と、ランスロット様に会う必要はありませんわぁ。教皇猊下からの解雇通知を、持って参りました」
ソフィア様がこれ見よがしにピラピラとさせる書類は、紛れもなくわたくしの解雇通知。
猊下の印も押してある、本物です。
『明日をもって、聖女としての任を解く。以後は部外者なので、教会への出入りを禁ずる』
解雇通知というより、追放通知ですわね。
聖女や神官ではなくなっても、わたくしはミラディース教徒。
参拝客として訪れるのも許さぬとは、どういうことですの?
「ああ。書類は、もうひとつございましてよぉ」
さらにソフィア様から手渡されたのは、聖女として最後の遠征指令。
『冒険者達と協力し、ローラステップの魔獣を討伐せよ』
ローラステップは危険な魔獣が闊歩する、死の草原地帯。
なるほど。
後腐れなく次の聖女へと代替わりが行われるよう、わたくしには消えてもらった方が良いと?
手回しのよろしいことで。
「こんな危険な任務、ヴェリーナ様に万が一のことがあっては……。追放の件も考え直していただけるよう、アタクシが口添えを……」
「いえ、ソフィア様。結構ですわ。それでは遠征の準備がございますので、これにて失礼いたします」
これでさらに、わたくしの評判は落ちるのでしょう。
「ソフィア様が口添えしてくれるというのに、無碍にした」と。
しかし、どうせ口添えしていただいても――
教皇猊下から引き出せる条件など、
『小間使いとして教会に残してやる代わりに、ワシの愛人になれ』
ぐらいのものでしょう?
ソフィア様とランスロット様に背を向け、わたくしは廊下を歩き始めました。
指令書によると、一緒に仕事をする冒険者の方々と合流するのは明日の朝。
急いで準備しなければ、間に合いません。
私室も、今日中に引き払わなくては。
教会に住み込んでいたわたくしですが、私物はほとんどありません。
出て行く支度は、短時間で済みそうです。
仕事の引継ぎは――
さすがに無理でしょうね。
そこは残る方々で、なんとかしていただきましょう。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
荷物をまとめたわたくしは教会の玄関から出て、いちど建物を振り返りました。
「さよなら、教会本部。さよなら、ミラディア大聖堂」
荘厳な建物を見上げながら感傷に浸っていると、何やら背後から物音が聞こえてきます。
威勢のいい男性の掛け声と、滑車の軋む音ですわ。
そういえば今日は、女神様の新しい石像が納入される日でしたわね。
そんなことを思い出していると、破裂音が響き渡りました。
これは――
ロープが切れる音?
「聖女様! 危ない!」
振り返った時には、慈愛と安息の女神ミラディース様のお顔が眼前に迫っていました。
どうやらロープが切れ、倒れてきてしまったようです。
あら、大変。
製造業者からの仕様書によると、確かこの石像は全高3.5m。
重さは6tあったはずです。
下敷きになったら、人間などひとたまりもありません。
「よいしょ」
潰されてはかないませんので、わたくしは石像を片手で受け止めました。
そのまま強めに押し返し、元の直立状態に戻します。
「……は?」
納入に来ていた業者の方々も、受け入れの仕事をしていた神官の皆様も、全員がポカーンとしていました。
「呆けている場合ではありませんよ。もっと、安全には気を付けていただかないと。わたくしでなかったら、死人が出ているところですわ」
業者の責任者らしい方に、ちょっとお説教です。
むう。
ちゃんと、聞いているのですか?
幽霊か魔獣でも、見るような表情をして。
「とにかく、細心の注意を払って作業して下さいね」
わたくしは教会大聖堂と女神ミラディース様の石像に背を向け、街へと歩き出しました。




