衝撃
四日目の朝は列車が止まる時の振動で目が覚めた。寝ぼけ眼のままアスタはカーテンからかすかに顔を覗かせた。すると好奇心いっぱいの目が見つめていて、アスタは慌ててカーテンの中に引っ込んだ。
「駅に着いたのか……。みんなこの列車に興味深々なわけね……。人は寝てたっていうのに」
ぶつぶつと文句を言いながらも身だしなみを整えるために明かりをつけた。普段ならカーテンを開ければ事足りるが、アスタは新首都エストレーラに集まった大勢の観衆の前で、堂々と着替えるほど図々しい神経の持ち主ではない。
「せめて昼につくようにしなさいよ、全く!」
窓も開けていないのでカーテンがはためくことはない。それでもカーテンの向こう側に、無数の目が存在するのだと思うと、アスタはどうにも落ち着かなかった。
窓の方を気にしながら手早く着替えを済ませると、髪を梳いたり顔を洗って化粧をしたりとせわしなく動く。そして人に見られても困らないくらいの格好に整えると、アスタは慎重にカーテンの向こう側を覗き込む。
向こう側にうごめく無数の頭と好奇心いっぱいの目。エストレーラの駅にいる、というよりは飢えた狼の群れに放り込まれた羊の気分だった。それでも初めて見るエストレーラの駅を観察すべく、カーテンの隙間から目だけを出して駅構内を眺める。
さすが新しく建てられた駅というだけあって綺麗だ。屋根は付いていて、室内のような雰囲気ではあるのだが、ドーム型の天井はなんとガラスでできていて、採光を考えられた明るく開放的な駅である。
この列車は乗っている人への配慮なのか、一応、いくつもあるホームの真ん中に停車しているようだった。だからこそ列車に連なるホームには人があふれかえっているのだ。どうにか出入りを規制できなかったのかと思ったが、その人々がある瞬間、一斉に同じ方向を向いた。
列車の前の方を向いているようなのだが、カーテンの隙間からではとても見える位置ではない。しかしかといって窓を開けて顔を出すのは怖い。
「廊下に出るしかないか」
アスタはカーテンを些か神経質に閉めた後、自分の持ち物を綺麗に整頓し簡易クローゼットやカバンの中にしまった。そしてもし窓の空いていないこの部屋で、万が一にもカーテンが全開になったとしても、アスタのプライバシーは守れると確かめてから廊下に出た。
「おはよう」
「きゃっ」
廊下に出た瞬間に、声をかけられて反射的に部屋に引きこもろうと後ずさった。すると内開きの扉は既に定位置にまで戻ってきており、アスタは足を扉にぶつけてしまった。
「いった……」
「大丈夫か?」
ヴィルヘルムはアスタの反応に驚いたのか、驚いて身じろぎしたあと、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。アスタは突然のことでとっさに反応できず、何を言うべきか悩んだ後、素直にこの状況を尋ねることにした。
「今、エステートの駅にいるんですよね? 朝起きたら、カーテン越しにたくさん人が見えましたが」
「早朝から予想外に人が集まったらしい。軍の元帥が予定外の挨拶をして、さっきどうやら乗車したみたいだな」
ヴィルヘルムはアスタの嫌味をさらりと流してそう言った。あるいは彼の中では予想の範囲内で、人だかりがカーテンの向こう側にあるくらいでは動じないのかもしれない。
「なるほど。それであの視線の動き……その乗車された方は、ベルシュ語も話せる方なんですよね?」
「そうだ。だからこそ、誰も反対しなかったんだからな。食堂に行くか? 今いけば紹介できるが」
ヴィルヘルムがこちらの意向を聞いてくるのは珍しい。こういう言われ方をすると、いつものように反抗的な態度をとるのが途端に難しくなる。
どのみち今だろうが後だろうが、紹介は受けるはずなので、アスタはおとなしく食堂に行くことにした。
「行きます」
「わかった」
一度、気まずさがなくなると、そういう事実がなかったかのように会話が進んでいく。アスタもヴィルヘルムもなんとなくその話題に触れるのは躊躇われて、お互いが自然にふるまうことで、その事実を忘れ去ることにした。
食堂につくまでの短い時間も、二人は他愛のない会話しかしなかったが、沈黙でもなかった。
「お先にどうぞ」
ヴィルヘルムが扉を押えて道を譲った。彼はすでにベルシュ語を使っていて、どうやら狸の皮はかぶりおえたらしい。
アスタはそれがおかしくてクスリと笑ってしまうと、ヴィルヘルムが少しだけ怪訝そうな顔を見せた。しかしそれに答えずにそのままアスタは食堂車に入り、そして、入り口のすぐそばで立ちどまった。
「あなたは……」
驚いたように目を見開く壮年の男性がいたからだ。
歳は母セルマと同じくらいか、それより若いくらいだろうか。彼が茫然としながらつぶやくと、隣にいたラクテアの首相ハンネスがすかさず言った。
「ああ、彼女は通訳のアスタさんですよ」
そしてその紹介の直後にヴィルヘルムがアスタの後ろから一歩進み出た。
「おはようございます。ブルーノ元帥」
「おはようございます。ヴィルヘルム殿」
そのやり取りを聞いた瞬間、アスタはあることを思い出した。目の前の人物はブルーノ・バーリフェルトだ。今はビア=ラクテア軍元帥であり、そしてかつてのセルマ・エクダルの部下。
どうやらブルーノはアスタがセルマの娘だと一瞬で分かったようだった。確かにアスタの見た目は母譲りである。正直に言って母の方が美人だが、それでも母娘だと分かるくらいには似ていると思う。
昔、セルマが聞かせてくれた彼女の生い立ち話で出てきた人物だ。ラクテア人だったセルマを川に突き落とし、ビアへと追いやったその人物。
「アスタさん?」
ヴィルヘルムの呼びかけでアスタははっと我に返った。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。ちょっと……思い出してしまったもので」
アスタは挑戦的にブルーノを見つめ、そしてそう言った。ブルーノは小さく息をのむと、彼もまたアスタを凝視している。
アスタは視線を反らしてテーブルの方に向けると、一番近くにあったテーブルに着いた。
「お腹がすきました」
「……早くくるといいな」
ヴィルヘルムはブルーノとアスタを見比べた後、アスタの向かい側の席に座った。
アスタはテーブルについてからもう一度ブルーノの方を見ると、彼はまだアスタの方を見ていた。しかし彼は何か思い立ったようにハンネス首相の方を向くと、何やら質問し始めた。
おそらくアスタの出身についてだろうが、ハンネスはアスタの本当の両親については何も知らない。つまりアスタさえ口を割らなければ、ブルーノはアスタがセルマの娘ではないかと疑っていても、それを確かめることはできないはずだ。
給仕の人が持ってきてくれたウインナーにフォークを突き刺すと、勢いが良すぎて汁が皿の上で跳ねた。
「総帥、ね」
あの若さで元帥になるのは、言語能力だけではなくラクテアで華々しい功績がないと無理だろう。
たとえば、セルマ・エクダルの暗殺に成功するとか。そういうものだ。
表に公表できない何かがあるからこそ、あの地位いるはずである。
アスタは不思議と自分が彼を恐れていないことに気づいた。目の前にいるセルマを裏切った彼は、絶対にセルマの幸せを壊すことはできないのだ。
それにセルマが死んだことになっている以上、わざわざアスタを殺そうとしてまで秘密を守ろうとはすまい。そんなことをすれば、セルマが死に損なったことが明るみになるし、それは自分の功績が無に帰すことを意味するのだから。
それでも、気を付けなければいけなくなったとアスタは思う。
ヴィルヘルムはセルマとアスタの関係性にうっすらと気づいているはずだし、未だに分からないヴィルヘルムの立場だが、彼は中央政府の役人であることには間違いない。もしかすると軍の元帥と話すこともあるかもしれない。
その時に彼がうっかり口を滑らせたとなれば非常に厄介だ。
となるとアスタにできるのは、あえて話題にして全てを話し、ヴィルヘルムに釘をさす。あるいはそれとなくアスタの出自はハールス教授の血縁者であるほうが都合がよいと吹き込むかのどちらかだ。
列車旅は侮れない。
アスタは小さく唇を噛みながら、次の行動をどうすべきか思案を巡らせていたのだった。




