表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

この世は舞台        :約2000文字

作者: 雉白書屋
掲載日:2026/02/09

 とある昼下がりの電車内。乗客の数はそこそこ。大半は座席に腰を下ろし、スマートフォンの画面を指でなぞったり、目を閉じたりしている。窓から差し込む柔らかな陽光が床に光の図形を落とし、車体は一定のリズムで揺れていた。レールを刻む規則的な振動音がどこか眠気を誘う。そんないつも通りの穏やかな――


「なあ、馬鹿ばっかりじゃないか? 世の中! 馬鹿ばっかりじゃないかあ!」 


 突如として、その穏やかな空気を怒声が切り裂いた。

 一人の男が立ち上がり、声を張り上げたのだ。車内の時間が一瞬止まった。乗客たちは反射的に肩を強張らせ、男へ視線を向けたが、すぐに足元や窓の外へと逸らした。


「いい加減にしろ、この野郎! 全部わかってんだよ!」


 ヤバい人だ――皆、そう認識したのだ。車内に沈黙が広がり、妙な連帯感が生まれた。

 男はそんな空気をまるで意に介さず、通路を行ったり来たりしながら、言葉を吐き散らし続けた。


「駄目だろ! このままじゃ日本、乗っ取られるぞ! 駄目だろ……なあ、駄目だろ! 駄目だろ! ハルマゲドンが起きるぞ!」


「――くん?」


「馬鹿に投票権を与えるな! 裏金議員に投票するアホばっか――ん?」


 男がある女性の前で喚いていた、そのときだった。女性が少し身を乗り出し、男の顔をまじまじと覗き込んだ。そして、はっとしたように目を丸くし、弾んだ声で言った。


「――くんでしょ。久しぶりー!」


「え、ああ、咲子さん……」


「懐かしー! 高校以来だよね? 元気してた?」


「あ、う、うん……ははは……」


「今、何してるの?」


「えっ、今? 電車に乗ってる……」


「あはは! そうじゃなくて、お仕事とかだよ。ほんと、相変わらずおもしろーい!」


「あっ、ああ、あはは……咲子さんは、えっと、大学行って、東京の会社に就職したんだよね?」


「うん、そうだよー。誰かから聞いたの?」


「いや、SNSで見て……あ、いや、その、検索したとかじゃなくて、たまたま、たまたまね。その、知って……」


「ふふふ、何慌ててるの? 見てくれたの嬉しい」


「そ、そう? ははは、でも、もう何年も更新してないよね? やめちゃったの?」


「ううん。あれ、本名でやってたやつだから。やめて、新しく作り直したの」


「あっ、へー! ネットリテラシーだね。監視されたりするかもしれないからね。そのほうがいいね、うん」


「監視?」


「あ、いや、なんでもない。ははは……」


「ふふ。それで、今何してるの? なんか、さっき叫んでたみたいだけど……」


「あー……あー……劇団!」


「劇団?」


「そうそう、こういう不特定多数の人がいるところで稽古するもんなんだよ。度胸つけるためにね」


「すごーい! 役者なんだ! どんなのやるの?」


「んー……まあ、シェイクスピア系だね、うん」


「そうなんだー! じゃあ、それも衣装なんだね。ホームレス役?」


「え、いや、違うけど……」


「じゃあ、お母さんにまだ服を買ってもらってる人の役?」


「ははは、なんだよそれー……。面白いなあ……。あっ、ちなみに主演ね」


「えっ、すごーい! チラシとかないの? サイトは?」


「あー、まあ、それは追々といいますか……ところで、SNS、今なんて名前でやってるの?」


「えー、あたしのことなんていいよー。それより、なんて名前の劇団?」


「いやあ、それは……つーか、隣座ってもいい? ちょっと歩き疲れちゃって」


「あっ、ダメ。ごめんね」


「えっ、なんで?」


「彼氏が座るから。ほら、来た」

「おう。トイレめちゃ遠かったわ。……ん、誰?」


「高校の同級生! 天然系で面白いんだよ」

「へえー、どうもー!」


「ど、どおうもおおううう……」


「えっ……大丈夫? この人……」

「もちろん。優しいし、今、役者やってるんだって」


「うううう……結局! おれは損してばかり! そんな人生! 馬鹿ばっか!」


「へー、ヒップホップ系?」

「ううん、シェイクスピア系なんだって」


「お前ら全員おかしい! 気の流れがよくない!」


「スピ系?」

「ううん、だからシェイクスピア系」


「政治だ! 政治政治政治! ろくな考えもなしに投票するから! 国がもうもうもうもう壊れる!」


「政治系の話?」

「わかんない。シェイクスピアって、よく知らないし」


「このままでいいのか! いけないだろ! 問題だろ!」


「熱量がすごいなあ」

「ねー。いつもこんな感じで練習してるみたいだよ」


「無知無知無知無知無知ばかりで、この世は真っ暗だ!」


「あっ、次の駅だよね?」

「うん」


「今が最悪! 最悪最悪! これからもっと最悪!」


「緊張するなあ」

「ふふふ、大丈夫だよ。うちの両親、絶対に喜ぶから」


「ホレイショオオオオオォォォオ!」


「ふふ、よし、ビシッと決めるか」

「うん! あっ、――くん。またねっ! 役者頑張ってね!」


「あ、はい……」


 電車が減速し、滑り込むように駅へ到着した。扉が開き、二人は微笑み合いながらホームへ降りていった。

 車内に残された彼は、その背中が見えなくなるまで、じっと目で追っていた。やがて力が抜けたように視線を落とすと、静かに彼女が座っていた席に腰を下ろした。

 少しだけ尻を浮かせ、手のひらを差し入れて座面をそっと撫でる。そして彼はぽろりと涙をこぼし、小さく呟いた。


「悲しい役だなあ……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ