おでかけするんです
お仕事は昼過ぎまでかかってしまった。
このあとは再び夫婦の研究をしなければならないが、どういうことをすればいいのか名案は浮かんでいなかった。そんな中で、局長よりお誘いを受ける。
「良かったら、このあとお茶を飲みに行きませんか?」
局長が貴族のご令嬢に人気があるという喫茶店に連れて行ってくれるらしい。
「そこのカスタードパイが美味しいらしいですよ」
おお、カスタードパイ。なんという甘美な響き。しかしながら、外出するにあたって一つ気になることが。
「でも、大丈夫ですか?」
首を傾げる局長。分からないようなので、はっきりと指摘する。
「いや、局長のその恰好……」
全身黒尽くめの不審者に見えなくもない恰好は、果たして日の当たる街中では異質に映らないかという心配があった。
「おかしいでしょうか?」
「いえ、私は見慣れているから平気というか」
でも、カスタードパイ食べたい! でも局長の服装は街中では浮く! そんな思いが伝わったのか、一度家で着替えてから行こうということになった。
帰宅後に侍女に予定を伝えれば、何故か私まで着替えようと急かされてしまう。今の姿もリボン付きのブラウスに長いスカートという、どこに出かけても恥ずかしくない服装だったが、それではいけないと言われてしまった。結局、出発までの時間は身支度で終わってしまう。
レースたっぷりのずっしりとしたドレスに、これでもかと花やフリルの飾りが盛られた帽子、もったりとしている装飾過多で重たい日傘を手渡された。私は一体何をしに行くのかと、眉間の皺がいつまでも解れなかった。
局長はすでに玄関に居た。その姿を見てぎょっとしてしまう。
そんな唖然としている私を見つけた局長は、こちらに向かって駆け寄って来る。そして、気合が入り過ぎている私の服装を見ながら、「とても素敵です」と言ってくれた。
「いやいや、局長には敵いませんよ」
いつもの黒尽くめの姿とは違い、完璧な貴公子みたいな服装で現れた局長は、とても街中で目立ってしまいそうだな、と思ってしまった。
局長が纏うのは落ち着いた緑色の外套に同色のズボンとベスト。白いシャツに黒いタイを巻いている。黒以外の服を着ている姿は初めて見た。目にかかっていた前髪は綺麗に整えてあり、目立たないようになのか、眼鏡をかけているが良くお似合いで。思わず見惚れてしまう良い男だった。
まあ、そんなことよりも大切なのはカスタードパイだ。のんびりしていたらあっという間に日が傾いてしまうので、早く行こうと急かす。
噂の喫茶店は貴族たちがお買いものを楽しむ商店街にあった。客であるご令嬢たちは扇を片手に会話を楽しんでいるように見える。ぱっと見た感じ男性客はあまりいない。社交期になればまた客層も違うのだろう。局長は席を予約してくれていたようで、店員が案内をしてくれる。
店内は落ち着いた雰囲気で、各席には周囲に様子が見えないように囲いがあった。
「よくこんな場所をご存じでしたね」
「前に、妹に付き合わされて」
「ああ、なるほど」
ちなみにその時はフロース様が勝手に注文をしてしまい、局長の口にカスタードパイが入ることはなかったらしい。それにしても、予想通り局長は全力で目立っていた。しかしながら、当の本人は私の方ばかり見ていて周囲の視線に一切気が付いていない。
案内された席に座り、品目が書かれたものに目を通す。一番人気と書かれていたのは『カスタードパイ・バニラアイスのベリー添え』というもの。二番人気は『カスタードパイ・バニラアイスとチョコレートソース』とある。文字だけなのにとても美味しそうだ。どちらにしようか、いまだかつてないほど悩んでしまったが、やっぱり王道が一番だと思い、ベリーが乗っかっているものに決めた。局長はカスタードパイだけのシンプルなものを注文する。
「あの、きょく……」
言いかけて口ごもる。こういった場で『局長』呼びは良くないと思ったからだ。
なんと呼んでいいか分からずにぱらりと扇を広げ、ひそひそ話をするように身を寄せて話しかけようとしたが、それでも万全の策ではないと思い、鞄の中から紙切れを出してそこに質問事項を書いた。一つ目の質問は「何か、外で使う名前とかがあるのですか?」というもの。任務で使う偽名はあるようで、こっくりと首を縦に動かして肯定をする。ならば、教えて下さいと書き込んだ。局長はさらさらと紙に書き込んでから、紙片をこちらに戻してくれた。
気になる偽名は、『レグルス・ラティオー』と記されていた。どうやら偽るのは家名だけで、名前はそのまま使うらしい。
「ラティオーさん、ですね」
呼ばれた瞬間に何かを書き始める局長。その紙切れには、「夫婦役をするので、名前で呼ぶ練習をした方がいいかもしれませんね」という内容が書かれていた。
「ああ、それもそうですね。レグル……」
「お待たせいたしました! カスタードパイ・バニラアイスのベリー添えとカスタードパイの単品、紅茶をお二つですね」
勢いで言ってしまおうと思ったのに、店員がやって来てしまったので名前を呼ぶことに失敗をする。
まあいいやと、気持ちを入れ替えてカスタードパイに集中することにした。
「うわあ、美味しそうですね!」
お皿の上にはほどよい大きさにカットされたカスタードパイが載っており、その隣にはバニラアイスがどっかりと鎮座している。脇に寄せられた小さなベリーは真っ赤に熟れていて、丸みを帯びた形状が可愛らしい。甘い香りがふわりと漂い、思わず胸がきゅんと高鳴る。
局長をちらりと見れば、召し上がりなさいと言うような慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。いつまでも眺めていてはアイスも溶けてしまうので、いただくことにする。
まずはカスタードパイから。フォークで一口大に分けてから、先端に刺して口の中へ。パイは焼きたてで温かく、さっくりほろほろと何層にも重なった生地が口のなかで解れる。たっぷり入っていると思われるバターの風味が香ばしい。生地の中層にはなめらかなカスタードが存在感を主張した。上品な甘さと優しいクリームの風味が、サクサク生地と合わさってなんとも言えない幸せな気分となる。素晴らしく美味しい。これは間違いなく世界一のカスタードパイだと言えよう。
次にバニラアイスを銀の匙で掬ってから一口。冷たい氷菓はあっという間に舌の上で溶けてなくなる。新鮮な家畜の乳を使って作っているからか濃厚な味わいで、すっと雪のように舌の上で溶けた。そして、そんなアイスとカスタードパイを一緒に食べる。冷たいアイスと温かいパイとの相性は抜群で、今までとは違うさっぱりとした甘さが口の中に広がった。
添えられたベリーを一緒に食べても美味しい。果物の酸味とカスタードの甘みは互いの良いところを引き立て合っていた。そんな素晴らしいお菓子と一緒に飲むのは砂糖の入っていない紅茶。ほどよい渋みがちょうどいい。
ふと気づけば、一言も喋らないでお菓子を完食していた。どれだけ甘いものに飢えていたのか。局長のパイは半分にもなっていない。そんな私に局長が「美味しかったですか?」と質問をする。
「はい、とても!」
今までお店でお菓子を食べたことがなくて、緊張をしていたはずなのに、いざ食べ物を前に迎えたら、いろいろなことを忘れて夢中になってしまった。本当に恥ずかしいと思う。頭の中で大反省会が起こっている中で、局長が思いもよらない提案をしてくる。
「これ、食べませんか? 思いのほか甘くて」
とんでもないことでございますと言って遠慮をする。そんなにがっついているように見えたのだろうか。反省してもしきれない。
「……食べかけなので要りませんよね」
「いえいえ、そういうわけでは!」
少しの間遠慮をしていたが、結局、私は局長のカスタードパイまでいただいて帰ることとなった。局長も無駄な抵抗はさっさと止めろと思ったことだろう。
その後、商店街に来たついでだからとフロース様の結婚祝いを買って帰ったらどうかと提案した。
「時間は大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんです」
私達は雑貨屋を目指すことになった。




