断章 楽園創設編 第22話 楽園の始まり――エリザの旅――
16世紀の中頃。何が始まりだったのかは分からないしエリザも覚えていなかったが、とりあえずエリザは旅に出ていた。何も天使達に自分達の居城を追われた、という事では無い。もしかしたら、彼女の母と似て、奔放さがこの年にして表に出たのかも、知れなかった。
『はぁ・・・また・・・?』
その日も、エリザはため息混じりに寝床から起き上がる。寝床にしていたのは、とある廃村のの一角だ。その中でもまだ使える廃墟を今夜の寝床にしたのだった。そこで朝起きると、朝から非常にと言っていいほどに元気な声が聞こえていた。
『村を包囲しろ! 結界術式の展開状況は!』
『対象、目覚めました! が、動く気配は無し!』
『気をつけろよ! 相手は<<金色の魔人>>! 一説には夜城への出入りが噂されている奴だ! ここで取り逃がせば間違いなく逃げ帰られる! 総員、戦闘態勢!』
『応っ!』
兵団の隊長らしき男が、自分の指揮する兵士達に声を飛ばす。教会の騎士達だった。夜城とは、フィオナの居城の事だ。相も変わらず彼女は勝手気ままに生活をしていて、それ故にいつしか教会の騎士達からはこのように呼ばれる様になったのである。
『我らの生命に替えても、ここで討ち滅ぼすぞ! 我らに、主の御加護を!』
『我らに、主の御加護を!』
この騎士達の言葉に、エリザは深い溜め息を吐いた。エリザは、フィオナとは違い無駄な殺人行為については忌避感がある。そして、幾ら教会の騎士といえども、彼らはエリザにとってみれば単なる雑魚に過ぎない。それ故に敵わぬと見て逃げてくれれば良いが、頭が固いお陰で全滅させねば、ならなかった。
『隊長! 敵が出て来ました!』
『来るぞ! 総員、突撃ぃー!』
『おぉおおおお!』
廃墟から出て来たエリザに対して、盾を構え、槍を突き出し、剣を振り上げ、兵士達が一斉に突撃してくる。さすが、教会の騎士。おそらく一介の軍人達が見れば、そう嘆息を零しただろう。それだけの練度と、気概だった。だが、それでも。圧倒的な存在が居た。
『はぁ・・・』
死屍累々。周囲の状況を見ながら、エリザが溜め息を吐いた。逃げる者は居なかった。騎士であるが故か、主とやらの加護があると信じていたからか、他にも理由があるのか、彼らの誰も逃げなかった。逃げる素振りさえ見せなかった。この無駄な戦いが、彼女の心身を摩耗させる。
『・・・どこへ行こうかしら・・・』
無駄な戦いがいやならば、安全な家に帰れば。そう言われた事は無いでは無い。だが、そのつもりはなぜか、起きなかった。
これは後に旅を一緒にするエルザが述懐した事だが、教会に喧嘩を売りまくった自分が家に迷惑を掛けたくなかったのだろう、ということだった。
『とりあえず、東へ、かしら・・・』
家も教会の本拠地も共に今のエリザの居た位置から西に位置していた。それ故に、エリザはそこからなるべく離れる様に移動を始める。そんな時だった。偶然にして、その少女に出会った。
『・・・はぁ・・・随分治安が悪くなったわね・・・』
今日の宿を探してただ偶然に歩いていただけだが、そうであるがゆえに、街道沿いで偶然にも野盗の集団に襲われている一人の少女に出会った。どうでもよいと見過ごそうとも考えたが、少女が何も知らなそうな人魚族であると見て取ると、溜め息と共に、干渉する事にする。
『やめなさい。<<血の崩壊>>』
<<血の崩壊>>。吸血を行う夜の一族固有である吸血の因子を最大まで活性化させて、対象の血を全て抜き取るという術だ。抜き取られた血は、別にエリザら使用者の血になるわけではない。ただ、空気中に雲散霧消する。時に噴出する血の量が多く、血の霧に見えたから名付けられた術だ。まさに生きる為の技ではなく、殺す為の技だった。
『きゅ、吸血鬼・・・吸血鬼だー!』
どうやら赤い光と共に起きた現象に、残る野盗達もエリザが吸血鬼かそれに類する存在である事を把握したらしい。一目散に逃げていった。そうして直ぐに、エリザは少女を開放する。それから暫く少女と会話していたが、その途中で、どうやら騎士達の第2陣と遭遇した。
今度は先程よりも数が多い。当人達の台詞からしても、どうやら本隊の様子だった。それに、再びエリザは深い溜め息を吐いた。
『私に続けぇー!』
『まったく・・・貴方達は馬鹿の一つ覚えみたいに・・・』
まさに馬鹿の一つ覚えの突撃を見るのは、もう何度目だろう。エリザはとうの昔に数えるのをやめた襲撃に、深い溜め息を吐いた。これでは意味を為さない事は、既に向こうも把握しているはずである。なのに、まるでその突撃が騎士の本懐とでも言わんばかりに、突撃を仕掛けてくる。確かに時には賢い司令官が居て待ち伏せや暗殺紛いの攻撃を仕掛けられる事もある。だが、それは数えられた程だ。
エルザはこの数十年ばかり、こういった無数の襲撃を受けていた。多いのは単独による賞金稼ぎや腕自慢達だが、このように騎士団が攻撃を仕掛けてくる事も少なくない。どちらにせよ、襲撃された回数は覚えていない。心身が摩耗するのは、致し方がない事だった。
『ふぅ・・・200人ぐらいかしら・・・いえ、まだ、居たわね』
終わった、そう思った所に現れた新しい敵に、エリザは久しぶりに本気になる事を決める。
『エリザ・べランシア・・・<<真紅の女王>>が娘・・・やはり、人の子では勝ちえませんか』
『わかっていてやらせるなんて・・・貴方も悪辣ね』
相手の言葉に、エリザがため息混じりに告げる。わかっていたなら、止めてもらいたかった。無駄な殺生はエリザとて好む所ではない。
そんな相手には、純白の翼があった。その髪は金色。目は空の如き青。顔は中性的な美形だった。若干の男っぽさがあるので、おそらく聖別は男。頭に輪っかがあるわけではなかったが、誰もが、天使とわかる容姿だった。そんな彼は、おそらく戦装束らしい金色のブレストプレートを身に纏い、明らかに何か人が拵えたのではなさそうな細剣を携えていた。
『私は彼らの心意気を買っただけ・・・彼らは騎士として、我ら天使の力に頼るではなく、自らの力で人々を守ろうとしただけです。あなた達、悪魔から』
『そう・・・なら、私もただ生きる為に、戦っただけ。あなた達が私達を攻撃するというのなら、私は生きる為に、戦わないといけない』
天使の格としては、およそ中級程度。それを見て取って、逃走は不可避と決めて――実際にはエリザの力量ならば、可能――エリザは交戦を決める。
そうして、相手が細剣を構えたのを見て、エリザも自らが愛用する細剣を片手で構える。此方も、人が誂えたのではない細剣だ。銘を<<悲しみの薔薇>>と呼んだ。青い鍔を持つ、青バラの細剣だった。実家にある双子の細剣の片方を、旅に際して勝手に持ちだしたのである。
『ふっ!』
『はぁ!』
両者は同時に翼を広げて相手へと肉薄し、無数の真紅と純白の剣撃が交わされ始める。そうして、この後数日に及ぶ戦いが繰り広げられるのだった。
数日後。遂に、勝敗が決した。それは当たり前と言えば当たり前だが、エリザの勝利だった。
『悲しみの海の中に、沈みなさい』
『・・・ぐふっ・・・女王の娘は・・・最早このクラスにまで・・・』
胸に細剣を受け、天使が血を吐きながら呟いた。それは称賛とも悪態とも付かぬ呟きだったが、それが、彼の最後の言葉になった。
『女王の娘・・・そう、母様は相変わらず、好き勝手やっているようね・・・』
別に助けが欲しいとかではないが、それでもいい気なものだ、とは思う。他の異族達が狩られ、追い詰められているというのに、フィオナは相変わらずだという。
まあ、あの城は時間の経過が無い。聞けばあまりに危険すぎて、教会の聖者達によって膨大な空間と共に、人間社会からは隔離されているらしい。だから、外的要因では変化が起こらない。そして、内的要因でもまた、起こる事は無い。
それ故に、エリザは何かの変化を求めて旅に出たのだ。逆に時の流れが無いのなら、フィオナが相変わらずであるのは、当たり前に思えた。
『貴方は・・・ご自分の家に帰ろうとは思わないのですか?』
『つっ! 誰!?』
戦闘が終わって油断していたとは思わない。だが、それでも背後から声を掛けられたのだ。警戒して余りある相手だった。
そして、それは正解だった。振り返ってそこに居たのは、これまた天使だった。だが、先とは違い、この天使は女だった。同じなのは、金色の髪色だけだ。それ以外は全て異なる。母性を感じさせる柔和な美貌と女性性が全面に出たたおやかな容姿。鎧も武器も持っていない。
『<<告知天使>>・・・』
『敵意は無いですよー』
エリザには、柔和に笑うガブリエルの言葉を信じるしか無い。相手は誰もが知る熾天使の一人。まさに最高幹部の一人だ。中級程度の相手に数日必要なエリザでは、上級の天使にも勝ち得る事は出来ない。ましてや熾天使ともなれば、一瞬で殺されるのは目に見えていたからだ。
だが、とりあえず信じるに足りるだけの相手ではあった。確かに、天使や教会はエリザ達異族を悪魔として嫌悪し、忌避している。だが、そんな中にも変わり者が居る。その中の一人にして筆頭が、ガブリエルだった。
最高幹部がそれで良いのか、とは思うが、彼女にも、そして彼女の仲間たちにも何か思う所があるらしい。同じ熾天使達から苦言を呈される事はあっても、それだけだった。
『家・・・ねぇ。今はまだ帰るつもりは無いわ』
『ご家族がご心配には?』
『ならないわ。どうせ貴方達熾天使が出ない限り、母様には勝てないもの』
ガブリエルの問いかけに、エリザが首を横に振る。だが、残念ながら、熾天使は他の神話の神々との睨み合いで、動くことが出来ない。
あまりに、今の教会の勢力範囲は広がりすぎている。ユーラシア大陸の半分を勢力下に抑えているのに対し、数えられる程の熾天使では、力ある神話の神々と睨み合うしかできなくなってしまっていたのである。
もし誰か一人でも手傷を負えば、それが致命打になりかねない。なので今となっては、最早その可能性となりかねないフィオナは手出し無用の相手になってしまったのであった。
『・・・あら、もしかして、母様に他の異族の保護を頼みに行ったのかしら?』
『なんですけどね・・・はぁ・・・』
『聞くわけが無いわ。私なんかとは違い、母様は正真正銘の吸血姫。他の夜の一族ならまだしも、それ以外の一族は自分達よりも下、って考えているもの。多分、唯一他の種族で対等になれたのは父様だけよ』
ガブリエルの溜め息に、エリザが笑いながら告げる。確かに、どこかに保護区でもあれば、とは思う。だが残念ながら、喩え娘のエリザが頼んだ所で、保護区を作ってくれる事はありえないだろう。それぐらいには、フィオナは唯我独尊の存在だった。
『龍族の者達とどちらが唯我独尊ですかね』
『知らないわよ』
ガブリエルも同じ考えに至っていたらしく、溜め息とともに呟いた。その呟きに対して、エリザはなげやりに笑うしかない。多分、エリザは母だ、と答えるだろうが。
『っと、そうだ。丁度見かけたので、忠告しておいてあげます。今東へは行かない方がいいですよ』
『あら・・・』
『今オスマン国なる国が興隆を果たして、版図を広げています。今東に向かうのは、如何に貴方といえども少々危険でしょう・・・と言えば行くでしょうね』
『そうね』
この時期から、エリザは若干危険性の高い場所に行く様になっていた。だが、ガブリエルは流石にそれを止めようと思っているのだ。なので、殆どゼロと言える確率の事を、その確率に言及せずに告げた。
『かの国はイスラムの宗派です・・・つまり、わかりますね?』
『つっ・・・貴方の管轄、というわけね』
『はい』
ガブリエル。またの名を、ジブリール。イスラム教において、預言者に対して啓示を授けた大天使。嘘の様な強さを誇る熾天使の中でも、有数の実力者。その管轄下でもしエリザが事を起こすなら、自分も出る可能性がある、と彼女は暗に告げたのである。
『はぁ・・・西にも東にも、貴方達の国ばかりね・・・』
『・・・すいません』
『どうして貴方が謝っているのかしら・・・』
本当に心から申し訳無さそうに謝罪したガブリエルに対して、エリザが呆れる。謝るぐらいならやらなければ良いだろうに、と思う。だが、彼女にも理由があるのだろう。それを糾弾した所で始まらない。
『はぁ・・・また、あの騎士達の属領を通るわけね・・・』
『ご武運を』
流石に、吸血姫と熾天使が一緒に居るのは大問題だ。なので、ガブリエルはエリザに激励を送ると、そのまま飛び去っていった。そうして、再びエリザは、戦乱の中に消えていくのだった。
お読み頂きありがとうございました。




