断章 楽園創設編 第21話 楽園の始まり ――エリザの母――
吸血姫。人間からは吸血鬼とも間違われる事のある一族だが、実はかなり違う、というのが、彼女ら吸血姫の言い分だ。
まず何が違うのか、というと、吸血姫は姫と言うように、女しか居ない。それも、まるで雪の様な色白の肌を持つ美女だけだ。髪の色については、黒色も居れば金色も居る。まあ、この二つだけだが。
『あはは』
楽しげな声が、闇夜の中に響く。10世紀のご時世は、異族達の全盛期だ。後に彼女らの天敵になる教会さえ、この時代には殆ど力を持っていなかった。それ故に、異族達は好き放題に生きていた。
そしてそれは、吸血姫達も同じだ。満月の美しい闇夜の中。一人の金色の美女が背中の悪魔羽を使い、優雅に空中を飛んでいた。美女は出る所が出ており、引っ込む所は引っ込んでいる。だが、決してどこかのパーツが過ぎているわけではない。現代ならばトップモデルとして通用しそうな体型だった。
『あはは・・・どぉーお? お空を散歩した感想は? 人間には出来ない事でしょお?』
『ひいぃぃぃ!』
美女の楽しげな声と共に、女の絶叫が木霊する。彼女は一人ではなかった。その腕には、一人の女が抱えられていた。こちらの女はおそらく人間だ。
その首筋には、明らかに彼女の牙の跡があった。気を失いそうになると同時に、女の首筋に牙を立てて痛みを与えて、気を取り戻させていたのだ。血を吸うわけではない。単なる悪辣な遊びだ。
もうひとつ。吸血鬼達との違いを述べるのなら、この悪辣さだ。確かに吸血鬼達も人間を見下し似たような悪辣な遊びに興ずる事は無いが、吸血姫達ほど、他の種族を見下すわけではない。
『あはは・・・楽しいわねぇ』
『ひぃ・・』
『あら・・・』
『ぎゃあああ!』
気を失いそうになったのを見て、美女は少し急ぎ気味に魔術を展開して首筋に牙を立てた。吸血は、行わない。敢えて、痛みを与えるだけ。
美女は本来吸血行為に及ぶにあたり行う鎮痛剤の様な効果を持つ魔術は使わず、逆に拷問などで使われる痛みを増幅させる魔術を使用する。
『こんな綺麗な夜景を楽しまないなんて損よぉ? 貴方にとっては最後の夜かもしれないんだからぁ』
『それって・・・』
美女の言葉に、女は痛みを忘れていよいよ震えを大きくして、真っ青な顔を更に青くして、更にこの夜何度目かの失禁をしてしまう。そんな女を見て、美女は楽しげに笑い声を上げた。
『あはは! 家まで送り届けて貰えると思ってたぁ? まさかぁ。終わったらただ落っことすだけよ?』
『ひぃいいい!』
本気だ。女は美女の非常に楽しげな様子から、それを心の底から把握する。だが、それがわかったからといって、ジタバタする事は出来ない。なにせもし彼女に取り落とされでもしたら、そこで終わりだからだ。ここは、雲よりも高い空の上。落ちれば間違いなく、人間の彼女では生命は無い。
『まあ、もし貴方が吸血鬼になれたのなら、助かるかもねぇ。さっきから感染術式使ってるものねぇ』
『そ、そんなのいやぁー!』
美女の言葉を聞いて、どうやら吸血鬼になるよりも死を選んだらしい女がジタバタと暴れる。だが、美女はそんな女をあざ笑うように、噛み付いて牙から首筋に魔術を流し込んで、身体のコントロールを奪った。
感染術式。これは、美女達吸血を行う者が共通して持つ術式だ。吸血に際して、彼女らは血を吸うと同時に、因子を流し込める。それで流し込むのは自らの吸血の因子だ。
人間は、殆ど何も因子を持たない。純粋まっさらな身体と言ってよかった。そこに、吸血という因子を与えると、その因子が身体に馴染む事がある。そうして、後天的な吸血鬼が生まれるのである。
ここで、もう一つ吸血鬼と吸血姫の違いに言及しておく。彼女ら吸血姫は吸血鬼と違い、この因子注入を一つの魔術として捉え、流し込むか否かを選択出来る他、純粋な魔術を流し込む事も出来た。
というわけで他の魔術も選択出来るのだが、対象の反応を楽しむ為に、吸血姫達の多くは吸血に際して感染術式を同時に使用していることが多かった。
『うふふ・・・悪くわないわよぉ? こうやって好き勝手に闇夜を飛んで、好き勝手に血を吸って生きる・・・いい生活よ?』
『ひっぐ・・・』
幾ら楽しさを説かれても、それは美女、つまりは吸血姫の楽しさだ。人間が楽しいと思えるかは、また別だった。
そうして、美女と女は暫くの間、夜空の散歩を楽しんでいると、横合いから声が掛けられた。声を掛けたのは金色の美少女だった。彼女の背中にも、美女と同じく悪魔のそれに似た羽があった。美少女の顔立ちは、おそらく二人は母娘か、それに類する関係だろうことが容易に想像出来るぐらいに、美女によく似ていた。
『母様』
『あらぁ、エリザじゃない。どうしたの?』
『あぁあああああああ!』
『あら』
女の絶叫に気付いて、うっかり、もしくはしまった、という表情がエリザの母の顔に浮かぶ。エリザに気付いて後ろを振り返った際に、本当にうっかりで女を離してしまったのだ。
そうして絶叫しながら落下していく女を一度見て、顔を前に向けて、口をとがらせてエルザに告げる。
『あちゃぁ・・・ダメじゃない。声を掛ける時は前からにしなきゃ』
『あの・・・助けに行かないで良いのですか?』
『良いわよ。もうどうせ飽きていたもの』
飽きた。そういう母に、エリザは内心で少しだけ、怖くなる。この点は同じ吸血姫としてエリザも不思議に思うが、おそらく父親の血だろう、と思っていた。
彼女の母はまさに、吸血姫の中の吸血姫。唯我独尊傾向が強い一族の中で、更に強い我と力を持つ<<吸血女王>>と呼ぶべき存在だった。まあ、実際に同族からも女王と呼ばれており、豪奢なお城を根城にしていた。エリザはその吸血姫の女王フィオナ・べランシアの娘だった。
『それで、私の可愛らしいお姫様は何の用事かしら?』
『あ・・・母様が望んでいたワインが手に入ったので、お知らせに』
『あらぁ。あれが手に入ったの?』
『はい』
フィオナはエリザの言葉に嬉しそうに笑顔を浮かべる。笑えば硬い表情のエリザと同程度の年齢に見えた。まあ、元々吸血姫達は吸血鬼と違い不老の存在なので、エリザの母も20代中頃と言っても通用する見た目だが。
ちなみに、ワインぐらいで彼女が喜んだのには、わけがある。当たり前だが、10世紀ともなると交通機関が発達しているわけでも無い。元々欲しいとは思っていたが何分産地が少し遠かったので、手に入らないかな、と諦めていたのだ。それが手に入ったのだから、ご機嫌なって当たり前だった。
『じゃあ、今日はこの辺にして、もう帰りましょう』
『はい、母様』
そうして、二人は一緒に夜空を飛んで、自分達の家へと戻る。そうして出迎えたのは、何人もの美女達だった。この城に、男は居ない。時折居るが、それはただ単に拐ってきただけの事だ。たった一人を除いて、1年と居たためしは無い。その後その例外を除いた男達がどうなったのかは、敢えて言う必要は無いだろう。
『お帰りなさい、クイーン、プリンセス』
『はーい、ただいま』
『戻りました』
城にあるバルコニーに着地すると同時に、メイド服姿の女性達が二人を出迎える。プリンセス。それが、エルザのここでの呼ばれ方。圧倒的な女王の娘。それが、彼女のここでの在り方だった。そうして、留守にしていた女王は、配下の面々へと留守中の事を問う。
『3日程留守にしてたけど、何か変わりはなかったかしら?』
『はい、クイーン。適度に天使達が来ましたが、あちらに』
『あら、上出来ね』
そう言ってメイド達が指差した方角を見たエリザの母は、そこに並んだ下級天使達の遺骸を見て良し、と微笑みを浮かべて頷いた。
当たり前だが、これだけ主が好き放題やっているのだ。教会にせよ、その上に居る天使達にせよ、見過ごすはずがなかった。だが、その結果は、フィオナが、いや、それ以外にもこの城に居る吸血姫達が出る必要さえ無い、という事だった。
ちなみに、だが特段何か変わったことは無いと言ったメイド達に対して、この当時であっても、多く異族達は絶句するだろう。この当時でさえ、天使達は最下級であったとしても、とんでもない強さを誇っていた。
どのぐらいかというと、おそらく中級の天使であれば一つの異族の村を壊滅させられる。上級、それも熾天使クラスともなれば、一つの種族を滅ぼす事も容易だ。そんな種族の最下級であれば、単独でも一個中隊ぐらいの実力を持ち合わせていると言ってよかった。並の異族では、勝てるはずの無い相手だった。唯一の難点は、数が少ない所為で彼女らだけにかかりきりになれない事だった。
『それで、ワインが入った、って聞いて帰って来たんだけど・・・』
『はい。丁度ミスラルダ様がお持ちになられています』
『あらぁ。ミスラちゃん来てたの?』
友人の来訪を知り、フィオナは更に笑みを深める。そうして、彼女は少しだけ早足に客間へと向かう。すると、そこには艶のある黒い髪の美女が腰掛けていた。言うまでもない事だが、彼女もまた、吸血姫だ。
『ああ、来た来た・・・フィオナ。これ、お前好きだ、って言ってなかったか?』
『ああ、そうよ! これよこれ! やーん! ミスラちゃん、ありがと! さっそく一緒に飲みましょう!』
フィオナはミスラから瓶入りのワインを受け取るとそれのロウをためらうこと無く空けて、この当時は高級品であるガラスのコップを持ってこさせる。
『はぁ・・・やっぱり血のように赤いワインが一番美味しいわ・・・』
『ああ・・・』
二人はワインを一口呷ると後味を楽しむ様に息を吐いた。そうして一口楽しんでから、フィオナは少しだけ顔をしかめて口をとがらせて、顎でミスラの後ろについて言及した。
『あ、それと今回は見逃したけど、後ろのそいつ、次は入れないでね』
『これがなかなかに面白い男でな』
フィオナの言葉に、ミスラは女帝の笑みを浮かべながら後ろに居た男をたぐり寄せる。そこにはフィオナの言葉を気にした様子は無かった。
後ろに居たのは、一人の白い肌の男だった。顔としてはなかなかで、体格にしても悪くはない。だが、そんな事をミスラは面白いと言ったわけではない。
『何と一度で馴染んだ・・・おまけに血の味の覚えも良い。なんだったか・・・ヤーヴァだかなんだか言う家の奴だ』
『あら。それは珍しいわね』
ミスラの言葉に、フィオナも意外感を滲ませた。当たり前だが強大な力を持つ吸血姫から幾ら因子を流し込まれようと一度で吸血鬼化するのは稀だし、元人間ということで他人の血を嫌う者は少なくない。
いや、100人居れば99人は拒むと言って良かった。そんな中の例外中の例外の存在に、ミスラが少しだけ懐かしげな笑みを浮かべる。
『それに、良いだろう? 別にこの城にも男が居なかったわけではない。貴様の旦那とかな』
『あらぁ・・・それを言われると、辛いわね』
『あれもあれで珍しい男だった』
二人は親友と言える仲だが、それ故にどうやら男の趣味も似ていたらしい。お互いに連れ合いとして選んだのは、珍しいと言えるだけの男だった。
『お前が幾ら因子を流し込んでも、不老の力だけ取り込んで吸血鬼には一切ならない。あいつは面白すぎた』
『まあ、あいつだけが、唯一見れた男、というのも面白くない話よー』
ミスラの言葉に、フィオナはパタパタと手を振る。不老といえど、不死では無い。既に彼はかなり昔に流行病で倒れていた。とは言え、300年近く生きていたらしいので、それを思えば、十分に超長寿と言えただろう。
『おまけに私達にも一切遠慮しない男だったわねー。この城じゃ一番弱いのに・・・』
『懐かしいな・・・ああ、エリザはそういえば何をしている?』
『あらぁ?』
部屋に入るまで一緒だったからつい一緒だと思っていたのだが、居なくなっていたエリザにフィオナが首を傾げる。だが、やはり、エリザは居なかった。それを見て、フィオナはメイド達に、エリザを探させるのであった。では、その頃のエリザはと言うと、お城の別のバルコニーに一人で居た。
『はぁ・・・』
父譲りの毛先が跳ねる様な髪をくるくると弄びながら、エリザは溜め息を吐いた。父が死んで、既に50年近く。父が居た頃とそれから暫くの間はあの悪辣な奔放さ鳴りを潜めていたのだが、それもここ10年近くは抑えなくなっていた。
そんな母は奔放であるが故に、一族としてはこれまた父譲りにかなり稀有な吸血をあまり好まない自分も勝手気ままな旅路に誘う事が多い。それを思い出していたのである。母が帰って来たということは、裏返せばそれがまたある、という事だったのだ。
ちなみに、フィオナが落ち込んでいたのは40年とかなり長い様に思えるが、この城では時間は有って無いが如く、であった。実はそれ故にエリザも既に100歳を過ぎたと思うのだが、正確な年齢は彼女自身把握していない。フィオナも同じだった。
『プリンセス。クイーンがお呼びです』
『わかったわ』
何かを考えるわけでもなく、エリザはただただ毛先を弄んで満月を眺めていただけだ。なので何か思うことは無く、エリザは母の所に移動していく。そうして、こんな生活が、これからも数百年に渡り、続くのだった。
お読み頂きありがとうございました。




