断章 遭遇編 第16話 迷える子羊達の出会い ――サイド:ソラ――
その日、というわけでは無いが、その前日あたりから、実は希の堪忍袋の緒が切れかかっていた。その原因は、彼の横にあった。
「はぁ・・・」
「つっ・・・あーーー! 天城! てめえ明日はくんじゃねえ! 辛気くせえ面してんじゃねえよ! どっか行って頭冷やしてこい!」
「うぇ?」
いきなりの怒声に、周囲の全員が希を注目する。そう、何に苛立ちを隠せなかったのかというと、ソラが吐く溜め息だった。それを隣でずっと聞かされ続けて、遂に堪忍袋の緒が切れたのである。そうしてその大声に気付いて、涼太が大慌てで、止めに入った。
「ちょ、希さん。一回声のトーン落として! むっちゃ睨まれてるっす!」
「うお・・・またあのババアだ・・・わり」
涼太の言葉に、希もまた、向こうで司書らしい熟年の女性がかなりの圧力を放ちながら此方を睨みつけていた事に気づいて思わず顔を引き攣らせる。
実はここ当分ずっと来ていた事で殆ど顔も割れていて、更には慣れぬ図書館の利用で棚への返却が上手にできていない彼らは、かなり、と付けて良い程に司書達から睨まれていたのであった。
「とりあえず、天城。お前今日・・・つーか作業始めてその溜め息何回目だ」
「あ・・・? 俺、そんなに溜め息吐いてた・・・か?」
希に言われて、ソラが始めてため息混じりだった事に気づく。とは言え、実はこの溜め息には、本を読み終えた事に対する疲れから来ている物も多かったので、そこまで多い印象はなかったのだが。
ちなみに。希がここまで苛立っているのも、実はこの読書に原因がある。当たり前だが、希はここ数年以上読書なんてしていない。それこそ下手をすれば最後にまともに読書をしたのは、10年以上昔だろう。その為、慣れない作業に思った以上に精神的に疲労が来ていたのである。
「あー・・・まあ、とりあえず。天城、ここまで殆ど毎日来てくれてっから、お前、一日ぐらい休め。幾らここまで連れてきたから、つっても流石にあんま根積められるとこっちもわりいからな。とりあえず今日はその本で良いから、明日とこっからは好きにしとけよ」
「あ・・・おう」
ソラも涼太が取り急ぎで折衷案を出した事に気づく。元々自分が悩んでいるが故に迷惑を掛けている、という自覚はあったのだ。なので、ソラは仕方がなく、ではあったがそれに従う事にした。
「じゃあ、俺、読み終わったから、これで」
「おう。何時も通り、まとめてるな?」
「ああ。んじゃ」
ソラは自分が纏めたメモを陽介に渡して、その場を後にする。流石に本を読んでそれで終わり、というわけではない。それから必要な情報を抽出して、まとめる作業も必要だった。調査に時間が掛かっているのは、机を借りてそれをメモにまとめていたためである。
なお、この数日で仲良くなった、というわけではないが、一同は連絡先を交換している。なので、何かあっても連絡は取れる様にしている。そうしないとソラが京都で置いてけぼりを食らう可能性があったからだ。
「んぁー・・・俺らもそろそろ休息入れるか」
「その方が良いっすね。そろそろ情報も集まってきましたし、明日は全員で一回休憩しますか?」
「そうしてくれ・・・」
涼太の提案に、希がぐったりとした様子で頷いた。ここ数日。滅多にしたことが無い作業で心神喪失に近い状態にまで疲労して、マンションに帰っていたのである。
なので実は苛立ち紛れに怒号を飛ばしてしまったかな、と少しだけソラに対して申し訳なく思っていたりする。
「涼太、情報の集まりはどんな程度だ?」
「そっすね・・・結構集まってます。多分、一回目の調査には十分じゃ無いっすかね」
「そうか・・・では、一度下見に出た方が良いか?」
希の疲れた様子を無視して涼太に問いかけた和平だったが。涼太から返って来た答えに、一度読書の手を止めた。そうして呟いた彼の言葉に涼太が更に思考を巡らせる。
「じゃあ、今までの情報をまとめて次の行動の指針立てますんで、今日はここまでにして、明日は全員下見を兼ねて休息で良いっすね?」
「そうしよう」
どうやら希だけでなく陽介も少し疲れていたようだ。彼の言葉に何処か嬉しそうだった。そうして、彼らも読書の手を止めて、図書館を後にするのだった。
一方のソラはと言うと、特に京都観光など考えていなかった為、そのまま大阪にある部屋に帰る事にしていた。
「はぁ・・・どうすっかな・・・」
一人になり、することも無くなってソラは今まで目を背けていた事を直視せざるを得なくなる。ソラが熱心に読書にとりかかっていたのは、これからどうするのか、というのから目を背ける逃避の意味が大きかった。
「とりあえず、今日はもう帰っかな・・・そういや、あのデパート。地下の食料品街美味いつってたよなー・・・」
答えは出ない。だから、とりあえず何かやれることを。なのでここ数日、ソラはカイトから借りた部屋に居座るのではなく、殆ど毎日の様に京都の図書館に出掛けるか、近くの繁華街に出掛けていた。雑踏に紛れて、なるべく考えない様にしていたのだ。
「ん?」
そんな所に、ソラのスマホに着信が入る。そうしてスマホの画面に映る電話相手に、思わずソラは目を見開いた。そこに映されていたのは、なんと彼の父親の名前だったのである。ソラはかなり悩んだが、鳴り止まない電話に覚悟を決めて、通話ボタンを押した。
「あー・・・なんだよ」
『迷惑は掛けていないか?』
「ああ、まあ・・・うん」
とりあえず、ソラは曖昧な返事を返す。迷惑を掛けていないか、と言われれば掛けているし、つい先程もそうだった。
だが、そんな事を馬鹿正直に言う様なソラではなかったし、それが嘘だと気付かぬ星矢でもなかった。が、それを指摘する両者では無い。なので、星矢も本題に入る事にする。
『そうか・・・とりあえず、カイト君には此方からも連絡を送っておいた。彼には重ねて、礼を言っておけ』
「わーってるよ・・・」
『なら、良い』
「で、親父・・・なんか用か?」
まさかこんなお礼を言うのを忘れるな、という事を言うために忙しい彼が連絡を入れるとはソラも思っていない。あまり長話もしたくなかった事もあって、ソラは先を急かす。
『ああ・・・ソラ。お前は何を悩んでいる?』
「あ・・・?」
まさか父から悩みの相談を受けるとはソラは露ほどにも思っていなかった。なので思わずその裏を探ってしまう。が、よくよく思い返す。彼の全く飾り気のない単刀直入の問いかけには、彼らしさがあった。
だから、だろうか。それとも、つい先日に和解への糸口が見えたから、かもしれない。ソラは思わず、悩みを口にした。
「・・・なあ、親父。怒るって、やっぱ拙いか?」
『む・・・』
実は星矢としても、本当にソラから悩み事の相談をされるとは思っていなかった。親の努めとして、母が居ない間には自分が聞いてやらないといけないか、という思いから、柄にもなく問いかけたのである。なのでかすかな感情の揺れが、電話越しにでも伝わる。
だが、それでも問い掛けたのは彼だ。だから、彼もまじめに答えてくれた。
『・・・いや、間違いでは無い。怒る事は、必要だ。だが、その怒りが正しい物かどうかは、その状況によるだろう・・・少なくとも、お前のこの間の怒りについては、仕方がない物だろう。その後の行動は、あまり承服しかねるが』
少しだけ悩む気配があり、星矢が語り始める。当たり前だが、星矢の所には既にソラがなぜ喧嘩をしたのか、という詳細が報告されていた。なので、それを含めての、アドバイスだった。
流石に星矢とて、今の血気盛んな年頃のソラに唾を吐きかけられてまで怒るな、とはいえなかった。出来れば良いのだろうが、出来る方が珍しいぐらいは星矢も把握していたのである。
「そうか・・・そうだよな・・・」
『悩んでいるなら、寺にでも行って来い。京都の寺には座禅が組める所もある。座禅の一つでも組んでこい』
「え、あ・・・おう」
『ではな』
頭を掻いて父親の言葉を受け止めていたソラだが、続いた父らしからぬ適当なアドバイスに、思わず目を見開いて困惑する。だが、星矢の方はそんなソラを無視して、言うだけ言って電話を切った。
まあ、実は星矢にも柄にもない事を言った、という恥ずかしさがあり、かなり強引に会話を終えたのであった。
「・・・お寺、ねぇ・・・確かに、座禅つーのは悩みに効きそうっちゃあ、効きそうだよな・・・」
丁度、先ほど調べていた本もお寺関係だった。それ故に、ソラはとりあえずその寺へと行ってみるか、と思いながら、借りている部屋へと、帰っていくのだった。
その翌日。最近希達と一緒に居た所為で真っ当な時間感覚になっていたソラは早朝から出発することにする。せっかくの父のアドバイスだ。最近は和解も進んでいた事もあって、ソラはそれに従ってみる事にする。まあ、座禅という物に興味があった事も大きかった。
「こ・・・これ、のぼんのか・・・」
だが、その決意は初手から挫けそうになる。ソラが来ていたのは、何と鞍馬寺だった。ソラは昨日、丁度鞍馬山の大天狗について調査していたのである。
そうして鞍馬寺に近い駅で下車したソラだが、目の前に広がる長く急な山道に、思わず絶句する。その山道は少なくとも、先は見えない。ソラはてっきり駅から近いと思っていたのだが、全然違うかった。
「ん? これは珍しいな。俺と同じぐらいの年齢の奴がこんな朝から・・・お前も走りこみか?」
そこに、声が掛かる。ソラが声に気付いて後ろを振り向けば、そこには短髪の少年が居た。どうやら彼はここを登るつもりらしく、ジャージ姿だった。彼はかなり筋肉質な体躯を持つ少年だった。
「いや、そういうつもりはなかったんだけど・・・なあ、もしかして、鞍馬寺って・・・ここ上らないと行けない?」
「いや、確か途中まではケーブルが・・・」
言葉を発している最中に、短髪の少年が何かを思い出したらしい。ふと何かを考えこむ様に言葉を切った。そこに、どうやら寺の関係者らしい人物が彼に声を掛けた。どうやら彼はここらでは有名らしい。
「ああ、瞬くん。今日も訓練かい?」
「ああ、本田さん。ええ、今日も・・・そうだ。そういえばケーブルの運休がどうのってこの間言ってましたよね? あれ、何時からでしたか?」
「ああ・・・えっと、確か先週から、来月の頭までずっと運休だよ。今回は一部改修だからね」
「ありがとうございます・・・すまん、ということで、ここからなら、この参道を歩くしかない」
「げぇ・・・」
瞬の言葉を聞いて、ソラが非常に嫌そうな顔をする。先は見えず、どれだけ険しいのかは、分かりそうもなかった。そんなソラに、瞬が爽やかな笑顔を浮かべる。
「そんな嫌そうな顔をするな。見たところ、それなりに鍛えている様だ。お前なら、なんとか登れるだろう。ほら、来いよ。たまには一緒に登る相手が居ても良い」
「ちょ、おい!」
「ほら、こい! さっさとしないと置いていくぞ!」
急かすように参道を走り始めた瞬に、ソラは困惑する。だが、そんなソラに対して、瞬は笑って更に急かした。
「くっそ・・・ここ当分本読んで身体鈍ってたし・・・いっちょ気合、入れるか!」
「良し! そのいきだ! 行くぞ!」
そうして、二人は険しい参道を駆け抜けていくのであった。
それから、十数分後。ソラは息を切らせてはいたが、遂に鞍馬寺に辿り着いた。
「ぜぇ・・・ぜぇ・・・お前、マジはええよ・・・」
「ははは! まだまだ身体が鈍っているな! じゃあ、俺はこれから・・・っと、すまん」
息も絶え絶えなソラに対して、やはり瞬は慣れが大きかった。息一つ切らせていない。まあ、それでも夏であった事もあって爽やかな汗は掻いていたが。
そんな瞬のポケットから、着信音が響いてくる。どうやら彼のスマホに着信があったらしい。そうしてそこに表示された名前に、瞬が思わず目を見開いた。
「凛か・・・あ」
『お兄ちゃん? 今どこ?』
「すまん! すっかりお前の事を忘れて鞍馬寺まで来た!」
電話に出るなり、瞬は今にも土下座せんばかりに頭を下げた。そう、実は瞬は今日はただ単に参道に走りこみの訓練をしに来たのではなく、参道を見たいという凛の案内をする予定だったのだ。
『えー! ちょっと、信じらんない! あれほど待ってて、って言ってたのに!』
「悪い! 今直ぐ戻る!」
瞬は本当にすまなさそうに頭を下げながらも、これ以上罵声を飛ばされてはたまらないと通話を切断する。そうして、彼は大急ぎに未だ息絶え絶えなソラに別れの挨拶をする。
「すまん! 俺は用事があるから、また下に戻る!」
「おーう・・・ぜぇ・・・ぜぇ・・・なんであいつあんなに元気なんだよ・・・」
参道を駆け下りていった瞬に、ソラは思わず頬を引き攣らせる。どうやら来た時にはソラの速度に合わせてくれていたらしく、帰りの勢いは来る時よりもかなり早かった。そうして、ソラは振り向いて鞍馬寺の全貌を見ようとして、思わぬ人物と再会する。
「・・・みこしばぁ!?」
「ん?・・・ああ、天城か。どうした、こんな所まで」
行方不明だ、と聞いていた人物がさも平然と作務衣姿で立って掃除していたのを見たソラの絶叫が、鞍馬寺に響き渡るのであった。
その絶叫を聞いたからではなかったが、その頃の瞬は、ふと、一つ忘れていた事を思い出す。
「む・・・しまった。名前でも聞いておけば良かったな。俺の名前も教え忘れたし・・・まあ、仕方がないか」
彼は思わぬうっかりに、少しだけ苦笑する。語れるだけの時間はあったのだ。とは言え、こんな一期一会も良いか、とも思ったらしい。彼もまた鞍馬寺に行くつもりだし、もしまた会えたなら伝える事にするか、と思い、彼はそのまま急ぎおかんむりな妹の下へと、参道を駆け下りていくのだった。
だが、残念ながら彼の少しの期待が叶うのは、この数年後。全員が幾度かのニアミスを経た後。奇っ怪な縁で結ばれていたらしい彼らの通う学園が異世界に転移してから、になるのだった。
お読み頂きありがとうございました。




