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【連載版】愚かな王太子に味方はいない   作者: 遥彼方
愚かな王太子に味方はいない

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8/12

悪女の真実と覚悟

 嫌い。嫌い。大嫌い。

 大人も子どもも。男も女も。父も母も。

 あたしは人が嫌い。怖い。気持ち悪い。


 だけど誰よりも、誰よりも。

 あたしは、あたしが大嫌い。



 あたしはマノン。ただのマノン。

 日雇い労働の父さんと、元娼婦の母さんの子ども。平民の中でも、あんまりお金のない家に生まれた。体の弱い弟がいたから、余計にお金がなかった。だけど父さんも母さんも、あたしを愛してくれていて、弟は可愛かった。

 よく覚えてないけど、貧乏でも、それなりに幸せだったんじゃないかなと思う。


 ううん。それはあたしの願望で、本当は生まれた時から歪んでたのかも。

 だってあたしは悪魔の子。魅了の魔法を持ってたから。


 魔力があるとか魔法が使えるとか、魔道具を使うか魔法使いに見てもらわなきゃ分かんない。どっちにしてもお金がいるし。だから普通の平民、とりわけうちみたいに貧乏な平民は、魔力があって魔法が使えるかどうかなんて知ることができない。


 だからあたしも両親も、周りの人も、誰も意味分かんなかった。


 どうして誰もがあたしをちやほやしようとするのか。

 どうして誰もがあたしに気に入られようとするのか。

 どうして誰もがあたしを‥‥‥。


 熱っぽい目で見るのか。

 触ろうとするのか。


 自分のものにしたがるのか。


 大きくなっていくにつれ、あたしに向けられる周りの感情が、変になっていった。


 道を歩くと、やたらと誘拐されそうになる。母さんとしっかり手を繋いでいるのに、隙を見て引っ張られたり。通行人のおじさん、露天商のおじさん、若い男の人も、やけに変な目であたしを見てくる。

 同年代の男の子だって、あたしと手を繋ぎたがって、触りたがる。


 嫌い。怖い。気持ち悪い。


 嫌なのにお前が誘ったんだと言われる。違うと言っても信じてくれない。


 あたしは外を歩くのが怖くなった。父さんと母さんは仕事があるから、家で弟と二人で過ごすようになった。

 だけどある日、家に近所のおじさんがやってきた。熱っぽい目であたしを見て、手を伸ばして、触ってきた。


「やだぁぁぁああ!」


 あたしは泣き叫んだ。弟も大声で泣いた。そこへたまたま父さんが早く帰ってきて、おじさんをあたしから引き剥がして殴った。血が出るまで殴った。


 近所の人たちが騒ぎを聞きつけて集まった。おじさんは言う。


「あいつが悪い!」


 近所の人たちも言った。


「あの子といると変になる。あれは魔女だ!」


 あたしたち家族は、そこに住めなくなった。


 逃げるように家を出て、別の家に落ち着いて。また騒ぎになって、家を出る。

 弟は前より熱を出すようになった。お金は前よりなくなった。どこにも落ち着けない。父さんと母さんはとても疲れて、よく喧嘩をするようになった。


 ごめんなさい。あたしが悪魔だから。魔女だから。ごめんなさい。


 そんな時、ちょび髭の貴族がやってきた。父さんと母さんの生活と、弟の薬代を出してあげるから、あたしを養子にしたい、と。

 あたしは、ちょび髭の貴族――トリュフォー男爵の養女になった。


 そしてあたしは、はじめて知った。あたしは魅了魔法が使えることを。

 周りの人を変にしていたのは、無意識に魅了魔法を使っていたからだということを。


 男爵はあたしにいい服を着せ、礼儀作法を習わせ、魔法の練習をさせた。特に魅了魔法の制御の練習は厳しかった。できなければ鞭で打たれた。言葉遣いも仕草も、もっと男を誘うようにと。服は胸を強調するもの。宝石は派手に。化粧は濃いものを。


 ある程度こなせるようになったら、あたしを社交界に連れ出した。

 パーティ―であたしは、男爵の命令通り、練習した魅了魔法を色んな貴族令息にかけた。あたしの魅了魔法はとても強い。貴族令息たちはあたしの操り人形になった。


 誰かに魅了魔法をかけて、誰かの心を壊すたび。あたしの中で何かが壊れた。大切な何かが死んだ。

 だけどあたしに拒否権はない。嫌だと言ったら、家族は‥‥‥。


 父さんと母さんの生活を壊したのはあたし。弟の体を壊したのはあたし。

 だからあたしの心が壊れるくらいどうってことない。悪いのはあたし。


「次のターゲットはこの男だ」


 シモン・オベール・ド・ゴール。この国の王太子。

 あたしは震えた。王太子は今までのターゲットとはわけが違う。破滅の音がする。


 ああ、でも、今さらか。

 どうせあたしは壊れてる。心が死んでる。


「分かりました。その代わり、両親と弟に一生困らないお金をあげて、どこか遠くで暮らさせてください」

「いいだろう。十分な金を持たせて隣国に移住させてやる」


 そしてあたしは、次のパーティーで王太子に魅了魔法をかけた。

 


**


 容姿も剣も頭も凡庸で、愚直で陰気な王太子。それが世間一般の王太子の評価。

 だけどあたしの第一印象は違った。


 強くて怖くて優しい人だと思った。静かな灰色の目が全てを見透かしていて、だけどあたしと同じ匂いもした。


 なんとなくこの人に魅了魔法はかけたくないと思った。でも家族のためにかけなくちゃいけない。

 距離が近い方がかかりやすいから、あたしは挨拶を装って、王太子に近寄った。


「‥‥‥っ」


 魅了魔法をかけると、灰色の目を微かに見開いて、あたしに視線を合わせた。失敗した!

 慌ててもう一度、今度はもっと強く魔法をかけた。王太子は無表情のままあたしから視線を外して、何事もなかったように他の貴族と談笑を交わした。

 ちゃんとかかったら目や表情が少しぼんやりするし、あたしの命令を待ってからじゃないと動かない。また失敗した。


 嘘でしょ。これでもきかないなんて。


 魔法抵抗は感じなかったから、魔法耐性や魔道具で防いだんじゃない。自分の意思だけで跳ね返したんだ。なんて強い人なんだろう。


 終わった。

 あたしは血の気のひいた顔をなんとか取り繕って、そっとパーティー会場を抜け出した。中庭に出たところで。


「待て。マノン・トリュフォー男爵令嬢。俺と取引をしないか」


 王太子に呼び止められた。


「何のことでしょお?」


 男爵に仕込まれた甘ったるい声で、あたしはすっとぼけた。


 どうしよう。どうしたらいい?

 取引って何? 何を考えてんの?


 どうやったら、家族が危なくなくなる?


 父さんと母さんと弟の顔が浮かんだ。

 あたしがドジを踏んだら、男爵は家族をどうするだろう。

 男爵に逆らった人たちがどういう道を辿ったか、あたしは知ってる。男爵が見せたから。嫌だと目をそらしても、あたしの髪を掴んで無理矢理見せたから。


 ひどい暴力を。ひどい破滅を。ひどい絶望を。

 逆らったらお前も、お前の家族もこうなるんだぞ、と言って。


 男爵に壊されて、ぴくりとも動かなくなった人の虚ろな目を見て、あたしは思った。

 あたしとおんなじ目をしてるって。


「君の家族は必ず助ける。価値のない俺の命ではなく、弟の名にかけて」


 今。あたしの前に立つ王太子の目を見て思った。

 この人も一緒だ、って。


 だからあたしは王太子の手を取った。



**


 ごめんね、シモン様。

 あの時あたしと同じだって思っちゃって。

 あたしの破滅に付き合わせちゃって。


 あんたはあたしとは違う。

 あんたはまだ、壊れてない。死んでない。


 だってあんた、分かってる?

 あんたが婚約者を見ている時。あんたが弟を見ている時。従者と言い合ってる時。

 あんたの目には、希望の光があって、優しさがあって、決意があるんだよ。


 だからあんたは壊れなくていい。破滅するのは、あたしだけだ。あんたとの取引は成立しない。

 あんたを共犯者にはさせない。罪を犯すのはあたしだけだ。


「隣国に向かう男爵の馬車が、ヴァスール公爵令嬢によって襲撃された。君の家族は無事に保護されたぞ」


 シモン様から報告を受けた後。


「ごめんね」


 あたしはシモン様の隙をついて、今までにないくらい強い魅了魔法をかけた。


 シモン様はあたしと浮気してるふりをして、婚約者に冷たくして、弟と他人みたいに接して、従者を遠ざけて。ものすごくすり減ってる。

 それでも誰か他の人がいたら絶対に油断しないけど。共犯者だったからかな。あたしと二人きりの時はほんのちょっとだけ、気を抜く瞬間があるんだ。


 魅了魔法は意思の強い人にはかかりにくい。

 でもあたしはずっと訓練を受けてたから、どんなに意思の強い人だって操れた。男爵のひどい拷問に耐えた人でさえ、あたしの魅了魔法には逆らえなかった。

 悔しくて恨めしいことに、一番かけたい男爵本人は魔道具を肌身離さず持っているから、操れなかったけど。


 執務机に向かって、ぼうっと動きを止めたシモン様にあたしは囁いた。


「キスして」


 シモン様の豆で硬くなった両手があたしの頬を優しく掴んで、少し冷たい柔らかい唇がおでこに触れた。


 ――成功、した。


 正気のシモン様なら絶対にこんなことしない。二人だけの時、シモン様はあたしに指一本触れない。

 それはシモン様の真面目さでもあるし、婚約者への一途な愛でもあるし、本当は男嫌いのあたしへの配慮でもある。


「‥‥‥っ、仕事に戻って」


 色んなものが溢れそうになったあたしは、シモン様から離れた。気持ち悪い男たちにキスはたくさんされたけど、こんなに優しいキスは知らない。


 しっかりして。あたしに泣く資格はない。


 ぎゅっと目をつぶって、あたしはおでこに手を当てた。この優しさと冷たさを忘れたくなかった。今だけは許してよ。


 どれくらいそうしていただろう。

 ずっと心地よく響いていたシモン様のペンの音がぴたりと止んだ。


「どうしましたぁ? シモン様」


 まさかと思うけど、魅了魔法が弱まったのかとシモン様の様子を探る。


「いや。何でもない」


 シモン様はぼんやりとした顔と目で、再びペンを走らせた。


 難しいところでもあったのかな?


 しばらく注意深く様子を見ていたけど、不審なところはなさそうだった。もう大丈夫。


「シモン様ぁ。私飽きちゃったから帰りますね」

「ああ。政務があるから送れないが」

「大丈夫ですぅ」


 あたしはシモン様を残して執務室を出て、離宮に向かった。


「マノン・トリュフォー男爵令嬢」

「あら。ベネディクト様。ごきげんよう」


 良かった。声をかけてくれた。

 あたしはほっとした。あたしはシモン様みたいに人の動きを予測するとか、狙い通りに動かすとかできないから。会えますようにって祈りながら来ただけだった。


「君に名を呼ばれるいわれはない」


 シモン様の弟は、硬い声と冷たい表情で、あっという間に近くまで来た。

 怖いくらいに整った美貌。どっしりと根を張った大木のシモン様と違って、弟は極限まで研がれて光る刃物みたいだ。


「兄上に何をした?」


 長くて綺麗な手があたしの手首を掴んだ。空気が重くなる。

 怖い。


 今まで感じてきたものとは違う恐怖にあたしは動揺してしまった。すぐに剥がれそうになった張りぼてをかぶり直す。


 あたしはマノン・トリュフォー男爵令嬢。男をたぶらかす悪女。破滅させる悪魔。

 救いはいらない。


 シモン様は言ってた。弟はシモン様より賢くて何でもできるんだって。何でもできるのに努力もするんだって。魔法もすごいんだって。

 シモン様より魔法耐性があるはずだし、シモン様みたいに努力家だったら意思も強いはず。それにさっきかけた魅了魔法はシモン様より弱いから。簡単に跳ね返せる。

 跳ね返して気付いてくれるはず。あたしがシモン様に魅了魔法をかけたって。


「‥‥‥」

「嫌だわ。何もしてませんよぉ」


 ほら。評判通りの悪女でしょう?

 だからお願い。悪い魔女からシモン様を救って。


「失礼。呼び止めて悪かった」


 手首から、シモン様の弟の手が離れた。シモン様と同じ、豆で硬くなった手だった。



**


 断罪のあの日は心が痛かった。


 ごめんね。ごめんね。ごめんね。


 辛い言葉を言わせて。誰よりも大切な人を傷つけさせて。


 でもここはあたしの晴れ舞台だから。

 魔女の断頭台だから。

 もう少ししたら、めでたしめでたしだから。


「触らないで!」


 伸ばされたシモン様の手を、あたしは力いっぱい跳ねのけた。


 あたしなんかに触っちゃ駄目。あんたは綺麗なんだから。

 あんたは何にも悪くない。関係ない。

 全部全部、騙して魅了した魔女のせいなんだから。


「この間抜け! あんたなんて最初から好きでも何でもない。男爵に言われたから構ってやっただけなんだから!」

「そうか」


 そう。それでいいの。

 あとはシモン様の弟が、あたしの魅了魔法を暴いて、あたしを断罪すれば。


 それでみんな、ハッピーエンドなんだから。


**


 それなのに、なんで。


「マノン!!」

「マノンッ!!」

「姉ちゃん!」


 どうして。


「父さん母さん、クロード!!」


 あたしにまで、ハッピーエンドが用意されたんだろう。


 ああ、シモン様。あんたは本当に評判通りの馬鹿だね。あんたの弟も、婚約者も、みんなみんな馬鹿だ。

 ごめんね。ごめんね。ごめんね。

 今までいっぱいごめんね。




 ありがとう‥‥‥っ。

ここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました。


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