クーザン侯爵令息の反抗
気に入らない。
何もかもが気に入らない。
バティスト・クーザン・ド・アルノー。
私は代々軍事に優れたクーザン侯爵家の長男ながら、家門の落ちこぼれだった。
弟たちと同じ修練をしても、筋肉がつかない。視力も姿勢も悪く、いつも怒られていた。
そもそも私は剣を振るより本を読む方が好きだ。
しかし両親はそれを許してはくれない。
腹が立った私は、両親を無視して一切剣に触らず、より本を読むことに没頭した。両親が忌避する魔道具研究も始めた。魔道具研究は結構私に合っていたが、怒った父に壊された。だから私は父を殴ってやったが、腐っても元騎士の父にぼこぼこにされた。クソ親父め。
両親は反抗的な私を持て余し、10歳の時に王太子殿下のもとに送った。
シモン・オベール・ド・ゴール。
愚直で面白みがなく、地味な容姿の笑わない王太子。
無表情な王太子が、灰色の目でじろりと私を見た。私は無遠慮な視線にムッとして王太子を睨んだ。
不敬など知ったことか。
クーザン侯爵家は貴族派で、第二王子のベネディクト殿下を推している。ベネディクト殿下の従者には弟がなった。私は家門から見放されたのだ。
どうせ見放され、期待されていないのなら、とことん反抗してやろうじゃないか。
「分かった。下がれ」
もっと有力な候補がいたはずなのに、予想に反して私は王太子の従者になった。
気に入らない。気に入らない。気に入らない。
むかむかしながら、従者として仕えた。
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正式に従者になった数日後、すっかり不貞腐れてむすっとした顔で王太子殿下の所に行けば、呑気そうな顔のブーシェ伯爵令息と一緒になった。
「知っての通り、俺は傑物の弟と違って冴えない凡人だ」
相変わらず無表情で出迎えた王太子が、手を差し出した。
「俺に選ばれて不運だったな。これからよろしく頼む」
幼い私たちは、色んな感情を押し込めて握手した。
ああ、本当に不運だ。
従者というのは主人を起こすところから始まり、主人が就寝するまで仕事が終わらない。それなのに王太子は、日が昇る前に起きて、深夜まで眠らないのだ。
暗いうちから勉強をして、走り込みをして、入浴してから着替え、朝食をとってから弟と各種授業。午後のアフタヌーンティーの後、弟を離宮に送って、また剣の修練、読書、倒れるまで魔法練習‥‥‥夕食の後にまた勉強。わざわざ弟の寝かしつけまでしてから、また勉強。
なんなんだ。なんなんだ、こいつは。
「俺に付き合う必要はない。通常の起きる時間に来て、先に寝ろ」
私は立ったままうつらうつらと船をこいだ。ブーシェ伯爵令息は器用に寝ている。それに気づいた王太子が、抑揚のない声で言った。
言われなくてもそうする。無理だ。私は眠い。
翌日寝坊した。ブーシェ伯爵令息も寝坊していた。
王太子は自分で身支度をすませていた。おそらく、勉強と走り込みもすませているのだろう。
そんな毎日が数日、数週間、数ヶ月、一年と続いた。
誰だ。こいつを冴えない凡人だなんて言ったやつは。努力の天才じゃないか。
ああ、ああ。本当に気に入らない!
王太子があまりに努力するから。頑張るから。
私も頑張ってしまうじゃないか。
「どうしてこうなったんでしょうねー。俺、努力は嫌いなんですよー」
「私だって大嫌いだ」
王太子は、手のひらの豆が潰れて血だらけになっても剣を振る。倒れるまで魔法を使う。人を殴り殺せそうな分厚い書物を読み漁り、何時間も勉強する。
才能がないから人より剣を振るのだと。
魔力がないから人より酷使するのだと。
要領が悪いから人より勉強するのだと。
そう王太子は言う。
馬鹿か、こいつは。あんなに努力できるのは才能だろう。私はできない。
今もひたすら腕立て伏せをしている王太子を尻目に、ブーシェ伯爵令息と木陰で休んでいた。
途中までは一緒にやっていたのだが、ついていけないし、休めと命令もされている。自分を限界以上に追い込みながらも、人のことだけは見ているのだ。私たちの限界が来るタイミングを見計らって、命令するのだから。
自分は休まないくせにふざけるな。
知っているんだぞ。最近頭痛が酷いこと。いつも以上にしかめっ面になっているんだからな。夜の勉強中、寝そうになった時に潰れてない手のひらの豆を潰していることも気づいているんだぞ。
ああ、本当に気に入らない。
容姿も剣も頭も凡庸で、愚直で陰気な王太子。
全てにおいて秀才で、華麗な傑物の第二王子。
一番であれ。愛妾の子より優秀であれ。
できて当然。できないお前に価値はない。
王太子という立場と、王妃と私の家門のような貴族派たちの呪詛が。生まれた時からつきまとう重い呪いが、日に日に王太子を闇に誘っている。
ゆえに王太子は生き急いでいる。
努力して、努力して、努力して。足掻いているように見えて、全てを諦めている。
そこにいるのにいないような。いつかふいに自分で自分を消しそうな。そんな危うい男だ。
気に入らない。
「なんであんなに努力するんだ。できない私たちへの当てつけか」
「うわー、それは腹立つねー」
棒読みで思ってもないことを私が言い、棒読みで思ってないくせにブーシェ伯爵令息が同意する。
私はブーシェ伯爵令息を見てにやりと笑った。ブーシェ伯爵令息もまた、ふくよかな頬をにんまりとさせていた。
どちらともなく立ち上がり、手をわきわきさせながら王太子に近づく。
「? どうした」
「どうしたもこうしたもありますかな?」
「強制的に休ませてやりますよ、このやろー!」
「は? うわ、やめ……わはははは」
二人で担ぎ上げると抵抗されたので、脇腹をくすぐり倒してやった。どうだ、笑い死ね、この無表情。
「主人が休まないと従者が休めるわけないって知らないんですな、この馬鹿王太子殿下は」
「俺たちの痛む良心をどうしてくれるんですかー」
「ぶっ‥‥‥はは、だからって、ははははっ、くすぐることっ」
「陰気臭いその表情筋を、生き返らせてやろうと思いましてな」
「使い方忘れてるでしょー」
「分かった! ははっ、分かったから!」
抵抗するのをやめたシモン殿下は、私たちがくすぐるのをやめても笑っていた。勝った!
風呂に入れて着替えさせて朝食を取らせた後、いつものように弟殿下のところに行く。
「ベネディクト殿下。今日の午前授業はお休みです。この馬鹿兄殿下を寝かしつけてやってください」
「! 兄上、どこか悪いのですか」
絵画から飛び出したような美少年が、蒼い瞳いっぱいに心配の色をのせた。
「頑張りすぎ病ですな。薬は睡眠です」
「‥‥‥ああ」
私の簡潔な説明に、聡い弟殿下はあっさりと頷いた。
「こいつらが心配性なだけだ。俺はなんともない」
「僕も今、心配性にかかりました。それに昨夜は夜更かししたんです」
「そうか」
穏やかな表情のシモンがベネディクトの頭をくしゃりと撫でる。連れだってベッドに入ると、普段はシモンがしているように、今日はベネディクトがシモンの背中を叩いた。
ほどなくして二つの寝息が規則正しく空気を揺らした。兄だけでなく、弟も寝たらしい。
『狸寝入りじゃなさそうだねー』
『だな』
そうっと部屋を出てから、もう一度そうっと扉を半開きにする。
寝息に変化はなかった。やれやれ。
ベネディクトもまた、シモンよりも早起きをして剣術や勉強をしている。兄よりも遥かに優秀なこの弟もまた、努力家なのだ。兄の補佐が目的だが。
全く。世話の焼ける兄弟だ。
シモンは弟といる時は穏やかな顔をする。婚約者のヴァスール公爵令嬢と会った日は、目の色が明るくなる。
私たちでは、そんな顔をさせてやれない。
だから私たちは、定期的にシモンを襲撃するようになった。馬鹿みたいにふざけて、馬鹿みたいに笑わせてやった。
年齢が上がって弟の寝かしつけという口実がなくなってからは、息抜きに城下町に誘った、というより拉致って連れ出した。
どうだ。こんな馬鹿なことは私たちしかできないだろう。ざまあみろ!




