その2
連休初日の朝、楓は境内の掃除をしていた。巫女装束を着込んで、いつもはおさげにしている髪を後頭部で一括りにしている。楓が黙々と境内を掃いていると、階段を上ってくる人影が見えた。
――お客さんかな
楓が階段を注視していると、その人影は知り合いであることに気付いた。
「本郷先輩、おはようございます」
階段を上ってきたのは本郷だった。楓の姿を見て一瞬表情を歪ませた本郷は、その後いつもの様子に戻り、
「おはようございます」
と挨拶を返してくれた。しかし一瞬の表情が楓は気にかかってしまい、本郷に尋ねる。
「……先輩、調子が悪いんですか?」
「え、あ、なんでしょうか」
本郷は楓の話を聞こえなかったらしい。その様子が、なにやら挙動不審だ。視線をふらふら彷徨わせ、楓の顔を見てくれない。おかしい、本郷はいつでも基本、人の目を見て話すタイプだと思っていたのだが。
――なにか私、変?巫女装束、似合ってないとか?
楓は自分の格好をチェックするも、着こなしを間違っているようでもない。困ってしまった楓に対して。
「ああ、君は悪くないのです。全て、僕の内面の問題ですから。申し訳ありません」
苦々しい表情で、楓は何故か謝られた。謎である。こんなときに副音声が聞こえると、なにかわかるのかもしれない。しかし、石神様のテリトリーであるので、副音声は沈黙していた。
「えと、先輩はお参りですか?」
楓が改めて本郷の用向きを尋ねると、本郷は咳払いを一つして、
「弓道場を、見てみたくなりまして」
と言ってきた。どうやら先日のあれは社交辞令ではなかったようである。
「お父さんに聞いてきます」
楓が自宅でお茶を飲んでいた父親に弓道場について尋ねると、快く開放してくれた。本郷は父親に連れられて、そのまま弓道場に向かっていく。本郷はその間、楓とは一切視線を合わせない。
――なんだろう、変な先輩
不思議に思いつつも、楓は掃除を続けていると、参拝客が数組やってきた。
それから時間が過ぎて、昼前になった。
「ありがとうございましたー」
お守りを買ってくれた老夫婦に、楓は笑顔で挨拶をした。
本日は晴天、厚手の巫女装束は少々暑苦しいくらいである。夏物を出してもらうべきだったかもしれない。
連休初日にも関わらず、そこそこ参拝客が訪れている。今はインターネットなどで情報が拡散される時代である。どこかに石守神社の情報が載っているのかもしれない。
――がんばってお守り、作った甲斐があったかも
石守神社の厄除けお守りは、小石を洗って磨いたものを、石神様の前に丸一日置いたものが入っている。石神様のありがたい力がちょっとだけ宿っているので、効果は抜群だ。小石をせっせと石神様の前に並べるのは、楓の仕事であった。
「楓ー、そろそろお昼食べなさい」
「はーい」
母親が呼んだので、楓はお守り売り場から立ち上がる。長い間座っていると、腰が痛くなってしまうのが難点だ。
「そうそう、ついでに先輩に声をかけてらっしゃい。お昼に誘うのよ」
「……はーい」
続けて聞こえた母親の言葉に、楓はがっくりとうなだれる。
あれから本郷が帰った様子もないので、まだ弓道場にいると思われた。父親が道衣や道具を貸していたので、弓を引いているのだろう。母親は美形な本郷を観賞しながら昼食をとるつもりのようで、その張り切る様子に楓はげんなりしてしまう。だが仕方なく、楓は本郷を呼びに行く。
――いや、先輩が嫌なわけじゃないのよ
ただなんとなく、気恥ずかしいだけだ。それに朝一番におかしな反応をされたせいで、妙に自分の巫女装束が気になる。着崩れてはいないし、間違った着方もしていないはずだ。
楓がそのように悩んでいると、弓道場が見えてきた。本郷はどうしているのかと、楓は音を立てないように気をつけて、弓道場を覗く。真剣な表情で弓を引き絞る本郷の姿が見えた。
――わ、すごい
息をのむのも気を使う、そんな緊張感がある。楓がじっと見守る中、本郷が矢を放つ。
タァン!
軽い音がして、矢が的の中心近くに命中する。
「すごい!」
思わず声を出してしまった楓に、本郷がこちらを向いた。
「どうしました?」
表情を和らげた本郷に、楓も自然入っていた力が抜ける。
「えと、先輩お昼ごはん、たっ食べませんか?」
楓は何度か本郷と昼食を一緒に食べたことがあるとはいえ、自宅で一緒に食べるのは、何故かとても恥ずかしい。そんな気持ちがあるので、楓は言葉がおかしな風にどもってしまった。
「ああ、もうそんな時間ですか」
本郷が足元に置いてあるスマホを手に取り、時間を確認する。
そして道具を手早くまとめて、弓道場から出てきた。
「母さんが、お昼を一緒に食べませんか、と言っています」
楓としてもずうずうしい話だと思うが、もう母親の準備は万端なのだ。だが本郷が困ったように眉を寄せる。
「弓や道衣を借りた上、昼食までご馳走になるわけにはいきません」
生真面目な本郷らしい答えが返ってきた。しかしここで本郷を逃しては、後で母親になにを言われるかわからない。
「気にしないでください。母さんは、先輩を観賞したいんです。どうか私のためにも、お願いします」
楓は本郷に軽く頭を下げた。楓の言い方がおかしかったのか、本郷が小さく笑った。
「観賞、ですか」
楓は心臓をドキドキさせて本郷を見る。
「それは仕方ないですね。石守さんのためにも、観賞されに行きましょう」
本郷が微笑んだ。
楓は本郷と並んで家に向かう。道衣を着込んで弓を担ぐ本郷は、なんだか凛々しくみえる。
「先輩は、引っ越してから今日初めて、弓道をやったんですか?」
「そういうことになりますね」
楓の言葉に、本郷がこちらを見て頷いた。
「どうでした?」
この質問に、本郷は真面目な表情をした。楓まで釣られて、背筋が伸びる。
「おかげさまで己との対話が進みました。今朝までの悩みがふっきれて、新たな道が開けた気分です」
「……そうなんですか?」
本郷の言葉が抽象的過ぎて、意味がわからない。楓が首を傾げていると、本郷が楓の姿を頭からつま先までじっくりと眺めてきた。その視線が、楓をなにやら落ち着かない気分にさせる。
「朝は言いそびれましたが、巫女装束がお似合いですよ」
「そう、ですか?」
突然本郷にそんなことを言われた。今まで気にしていたこともあり、楓は思わず声が裏返る。
「ええ、橋本姉妹も、見たがっていましたね」
連休前のやり取りを思い出したのか、本郷が笑みを浮かべた。釣られて楓も笑う。
「この格好の写真をメールで送るよう、頼まれました」
楓の言葉に、本郷が少し考える仕草をする。
「よければ、撮りましょうか?」
「え?」
楓はなにを言われたのか理解できず、呆けた顔をしてしまう。
「写真ですよ。自分で撮るよりもいいですよ、きっと」
そう言って、本郷が自分のスマホを楓に向けた。
「え、ちょっと待って……」
「ほら、ポーズ」
楓の気持ちが落ち着くよりも早く、本郷がシャッターを切ろうとする。思わずかしこまった立ち姿をとると、シャッター音が響いた。
「ほら、きれいに撮れましたよ」
本郷のスマホに、表情を強張らせた楓が写っていた。
「送りますから、石守さんのを出してください」
楓は言われるままに差し出して、写真を送ってもらう。だがここで、楓は大切なことに気が付いた。本郷のスマホに、楓の今の写真が残ってしまう。
「先輩その写真消してください!」
「おや、何故でしょう」
楓の主張に、本郷が不思議そうな顔をする。だが楓はなおも言い募る。
「恥ずかしいです!消してください!」
楓が本郷のスマホに手を伸ばすと、本郷はとられまいとスマホを持った手を上に掲げる。一生懸命背伸びしても、到底届きそうもない。
「この写真を橋本姉妹に送るのでしょう?同じ同好会メンバーである僕には消せというのは、差別ではないでしょうか」
悲しいですね、と本郷に顔を伏せられたら、楓はどうすればいいのかわからなくなる。だがこのままではいけない。自分だけが恥ずかしい思いをするなんて。だったら――
「じゃあ、代わりに先輩の写真が欲しいです!」
「僕のですか?」
驚く本郷に、楓は頬を膨らませて訴える。
「私だけ写真を撮られるのはずるいです。それに弓道をしている姿が、かっこよかった、です」
楓は後半照れてしまい、声が小さくなる。そして夢中になるあまり、本郷と密着した体勢であることに今更気付く。慌てて離れようとした楓の肩を、本郷がぎゅっと抱きしめた。
「……え」
本郷は楓のうなじのあたりをするりと撫でて、耳元で囁いた。
「かっこよかった?」
その感触に、楓はびくりと身体をすくませる。
――なに、いまの、なに?
「……副音声?」
「はい?」
間近にある本郷が、楓に問い返す。
「いや、違うくて、えっと……」
アワアワと混乱する楓に、本郷は抱きしめていた腕を解いて、一歩下がった。
「どうぞ、撮ってもらって構いませんよ」
本郷が弓を担ぐようにポーズをとってくれたので、我に返った楓はあわてて写真を撮る。
「さあ、行きましょうか」
何事もなかったかのように本郷に背中の押され、楓は歩き出す。だが足元がおぼつかない。
――先輩の写真、永久保存版かも
楓は顔を赤くして、写真の入った携帯電話を抱きしめた。




