1-1 エリク家の危機
「もうじきよ……」
馬車に揺られながら、マルグレーテが呟いた。冒険者学園ヘクトールを出て、一か月とちょい。途中適当に寄り道して遊びながら、俺達はエリク家の広大な荘園へと辿り着いた。
「あと一、二時間で屋敷に着くわ」
荘園内に入ったのは、昨日の午後。あと一、二時間なら、それから一日ということになる。荘園の外にもエリク家領土は広がっている。俺達が常歩でパカポコのんびり進んでいるという面はあるだろうが、地方貴族とはいえ、なかなかの権勢に思える。
「長いようで、短い旅だったね」
「そうだな、ラン」
実際、楽しい旅行だった。基本、街道を辿ったので、モンスターはほとんど出ない。「出ないところ」を選んで作られてるのが「街道」だからな。街道筋には一定間隔で宿場街があるから、そこでうまいもの食ったりし放題。宿屋が離れているときは、きれいな泉を見つけてほとりで車中泊。裸で泉遊びして体を清め、保存食を食べる。ヘクトールのみんなに酒も茶もたんまりもらったから、キャンプみたいで楽しかったわ。
モンスター戦も、あるにはあった。フィールドで遊んだときに時折雑魚と遭遇したけど、瞬殺さ。なにせランもマルグレーテも、すでにそこそこ中級魔法を使えるように育っている。さすがは原作ゲームのメインキャストだけある。成長速いわ。
それに即死モブの俺だって、ステータスこそ底辺だろうけど、装備だけ見れば上級プレイヤーだ。なんせクラスB装備の長剣「業物の剣」に、裏ボスレアドロップの短剣「冥王の剣」、防具にはクラスB「支えの籠手」がある。おまけに裏ボスレアドロップのアミューレット「狂飆エンリルの護り」まで。これ全部、ステータスアップだの敵ステータスダウンだの、特殊スキル持ちの装備だ。いくら俺が即死モブだとしても、雑魚にやられる装備ではない。
加えて、旅立ちのとき、みんなが馬車に放り込んでくれたアイテムには、装備も多かった。なんせヘクトールはZクラスにしても、成績こそ底辺だが金持ちが多い。もちろん上位クラスの連中もいろいろくれたしな。それらを適切に三人で装備しているからさ。まあ負けなしだわ。
それに雑魚とはいえ「レアドロップ固定」効果で、それなりの消費アイテムぽんぽん落とすし。なかなかおいしい。宿場街で売れば、その街一番の温泉宿に逗留してうまいもん食っても、まだ余る。
「それにしても、整った荘園だね」
「そうだな、ラン」
エリク街道の左右には、葡萄などの果樹や小麦大麦を生産する畑が続いている。痩せた土地や斜面には葡萄、平坦な場所には畑といった感じだ。春だけにどこにも青葉が茂っている。
「そうかしら……」
マルグレーテは眉を寄せている。
「わたくしが子供の頃は、ここはもっと豊かに茂っていたの……」
「そうなのか」
「ええ」
マルグレーテによると、ここ十年あまり荘園に問題が生じていて、家計は火の車らしい。農業素人の俺からすると、ちょっとそれが信じられない光景だ。普通に豊かに思える。
マルグレーテは浮かない顔だ。旅立ってからずっと、ランと一緒にほがらかに笑い、楽しそうにしていたマルグレーテだが、エリク家領地が近づくにつれ、言葉少なになった。
「安心しろ、マルグレーテ」
腰に手を回し、抱き寄せてやった。
「誰もお前を取って食ったりしない」
「そうね……」
マルグレーテは、俺の胸に顔を埋めた。
「少し……このままでいいかしら」
「遠慮するな」
「……ありがと」
か細い声だ。俺は髪を撫でてやった。
マルグレーテ、よっぽど実家が嫌なんだな。初めて会ったときは、気丈な跳ねっ返りだった。あれはある種のペルソナだったんだろう。他人の攻撃を避けるための。様々なフラグ立てを経て、俺の前では繊細な本質を見せるようになっている。かわいい奴だ。
「きれいな森だねー」
常歩でのんびり進む馬車の上から、ランは周囲を見回している。周囲には広葉樹の大木が思い思いに枝葉を広げ、五月の優しい陽光をたっぷり受け止めている。樹々の間隔が広いので、森というのに明るい。東から西へと森を貫く細い道を、俺達はくねくねと辿っている。
「ここは『神狐の森』。はるか昔、神の使いの狐が住んでいたらしいわ」
「へえーっ。だから神々しい雰囲気なんだね」
「ここだけ荘園に開拓せず、森のまま残してるのは、そういう理由か」
「うん、そう」
俺の胸に口を着けたまま頷く。なるほど。日本で言うなら「鎮守の森」ってとこなんだな。
「エリク家の荘園に問題が生じた頃、放浪の賢者に頼み、森の聖地で狐の魂に問いかけたのよ。荘園の収穫が激減しているのはなぜかと」
天候にも降雨にも、なにも問題がないのに、あっという間に収穫が減り、荘園が荒れた。その理由を知るためだと、マルグレーテは付け加えた。
「理由はわからなかった。心で狐と対話していた様子の賢者は、お父様の問いかけにもなにも答えず、早々に立ち去ったそうよ。真っ青な顔をして」
「そりゃ不吉だな」
「ええ……」
とにかく、エリク家は急速に傾いた。大規模な荘園を経営しているだけに、支出は多い。収入が激減すれば、資産バランスが一気に崩れてしまう。
「わたくしをヘクトールに送ったのは、最後の賭けだったのよ。ヘクトールで王族や中央貴族の知己を増やし、そのコネで荘園に産業を呼び込めないかと」
「それならお前の兄貴を送れば良かったじゃないか。そっちが家督継承者だろ。筋じゃんよ」
「お兄様は、お父様と荘園経営に忙しい。……それにわたくしは女。ヘクトールで王族の殿方と知り合いになれば……」
黙ってしまった。「男に触らせるな」って父親の言いつけ、貴族の貞操がどうのこうのに加えて、こういう事情があったんだな。変な虫がついたら、実家にまで影響があるから。それに魔導書だの装備だの送ってきたのも「娘のため」というより、いよいよ切羽詰まってきて、マルグレーテの可能性にすがるしかなくなったからか。
てことは……。
こいつは悪かった。王族のガキと恋仲になるどころか、マルグレーテはよりにもよって、「孤児貧乏即死モブ」の俺と恋愛フラグ立てたんだからな。「悪い虫」どころじゃないわ。エリク家から見たら俺、「最悪の寄生虫」じゃん。
これ、ますます俺がなんとかしてやらんとならんわ。責任がある。
「困り事ってのは、これか」
「ええ……」
マルグレーテは、俺に寄りかかったまま、胴に腕を回してきた。
「卒業試験の後、お母様から手紙が来て……」
去年の収穫が最悪で、いよいよ蓄えが底を着いた。春の種撒きも種苗生産もろくにできず、小作人が次々荘園を離れつつある。「エリク家創建以来の危機」だと書いてあったという。
「大丈夫だよ、マルグレーテちゃん」
俺の胴に回されている手を、ランがぎゅっと握った。
「モーブなら、きっとなんとかしてくれるから。故郷がガーゴイルに襲われたとき、モーブは私を助けてくれた。学園でだって、ちゃんと住むところを確保して、収入の道だって。……だからマルグレーテちゃんも安心して。私も手伝うから」
「ありがとう、ランちゃん」
ようやく俺の胸から体を起こすと、ランに微笑みかけた。
「そうね。わたくし、弱気が過ぎたわね。……モーブの前だと、つい甘えたくなってしまうの」
「わあ。それなら私と同じだねっ」
今度はランが抱き着いてきた。
「ねえモーブぅ……」
上目遣いに俺を見る。
「キス……して」
「仕方ないなあ……」
ランにキスをねだられるのは初めてだ。てかキスしたの、卒業試験ダンジョンをクリアした直後だけだからな。
俺が顔を近づけると、ランは瞳を閉じた。
「んっ……」
かわいらしい、子供のようなキス。最初のキスは俺、半死半生だったからな。感慨もクソもなかったが、今回は違う。ゆっくりと味わえるよ。ランの柔らかな唇。金色の巻き毛が風になびき、俺の頬をくすぐる感触。俺の胸を押すようにゆっくりと上下する、豊かな胸……。
「……ふう」
唇が離れると、ランが熱い息を吐いた。
「モーブ……好き……」
「……」
後ろから服を引かれた。
「わたくしも……勇気づけて……」
「……」
抱き寄せたマルグレーテにも、くちづけを与える。ランの子供キスと違い、マルグレーテは俺の舌をねだるからな。あの風呂場のときと同じく。
「……すて……き」
唇を離したマルグレーテが、うっとりと呟く。
「おっ……」
俺達三人の上に、例の赤い光の輪が明滅した。キスを交わしたのは、ふたりともこれで二回目。どうやらこれで、キスに関しては割と自由にできるようにフラグが開放されたみたいだ。俺が望めば、だが。
「わたくし……もう怖くないわ」
マルグレーテが俺を見上げた。
「モーブとランちゃんさえいてくれたら、わたくし、頑張れるもの……。運命とだって戦える」
身を起こした。
「ほら。屋敷が見えてきたわよ」
たしかに。森が途切れると、はるか前方にぽつんと、大きな屋敷が見えてきた。古そうな。
あれがエリク家か……。
●次話「東京都世田谷区千歳烏山」
作者が突然トチ狂ったわけではないので、ご安心下さいwww




