64.決心
下を向き唇を噛みしめるシェイラの耳に呆れたような視線が突き刺さると同時に深いため息が聞こえた。
「……親子の情とはなんなんだろうね。嫌だ嫌いだと恨み言を言いながらも子は親を求める。どんな扱いをされてもその心を完全に失うことがなかなかない」
自分は情で躊躇しているのだろうか?
それとも貴族としてのプライド?
自分でもよくわからない。
だがそもそも自分の貴族としてのプライドって何だろうか。周りに馬鹿にされ、平民の聖女のような扱いをされて…………それなら平民になって聖女村に行って自由を得られた方が幸せになれるというものじゃないのか。
でも……
でも…………
頭の中で、でもでもが頭を駆け巡る。
「はっきりと言おうか。君たちは邪魔なんだよ」
思考が止まった。顔を上げるとそこにはほほ笑みの形を作りながらも冷たい目がシェイラを見据えていた。
「我が家は侮辱されてばかりだ。兄は領主としての実務は私に全て任せている。王宮勤めもしておらず、娘を使って金儲けを企むだけ。品性の欠片もないとは思わないかい?」
叔父と姪の視線が交差する。お互いがお互いの目を見て、決してそらされない。
「金はまあ私や君が稼いでくるから問題はないのだが……男爵家の一員としては評判というものをなんとかしたいと思うものだろう?というかそもそもなぜ君がこんな扱いをされているのに誰も助けてくれないと思う?」
「それは……人のことなんてどうでもいいから」
「はは、正解だ。君が聖女としての力を振るうことははしたないと思われるかもしれないが、別に悪いことではない。むしろ助かることだ。兄は金を受け取っているが、法外な金額を受け取っているわけではない。君に暴力を振るっているわけでもない。他者にとってなんの問題もない。だから助けようなどとは思わない」
関わりのない他家がどうなろうとどうでも良い。当たり前の事だ。
「助けてあげた方が……と思うものもいただろうが、君自身思うところはあったかもしれないが、望んでいなかっただろう?」
ちらりと叔父の視線の先には公爵夫人。
「だが君の心を考慮している余裕などないんだよ。兄は今回政治に口を出した。これはいただけない。これから聖女を盾にどんどん何か政治において利を得ようとするかもしれない」
それはとてもまずい。高位貴族に目をつけられた弱小貴族の末路。無能ななんの頭脳も持たぬ男が他の貴族に太刀打ちできるわけなどない。自分とて領地に関する仕事をするだけで手一杯なのだ。
「そして、そうなると我が家は潰される。そんなことにはしたくないのだよ。兄から当主の座を奪わねば我が一族はおしまいだ」
「そんなことはお父様とお話してください」
「話になどなるわけないだろう?兄から当主の座を奪う名分が必要になる。そしてそれは聖女である君を逃がしたということで十分なんだよ」
それほどまでに重要な聖女をどうして誰も彼も見下し、粗末に扱うのだろう?他の聖女たちは幸せそうなのに。聖女村に行けば自分も幸せが見つけられるのだろうか……。
「でも、聖女村に行ったらお父様には会えないんですよね?」
「……何も命を取るわけじゃない。君が会いに来れば私は迎えるよ。…………ただ消えた君を兄が受け入れるかどうかはわからないけれど」
――――ははっそんなの決まっている。父は自分を道具としてしか見ていないのだから。本当に最悪な親なのだから。
なのに、なのに、それを寂しいと思う心が湧き上がるのはなぜだろう。なぜ諦められないのか。
「申し訳ないが、これはもう決定事項だ。王の許可も取っている。神官庁からも協力を得ることになっている」
す…と彼の視線の先にはいつからいたのか数人の神官の姿。
「彼らが君を聖女村まで飛ばす。この瞬間移動の力が宿った魔法陣で」
さっさと動き出す神官たち。魔法陣の敷物を取り囲む。
……………えっ!?今から!?
驚きすぎて言葉が出なかった。
「逃げ出した設定なのに挨拶も何もないだろう?大丈夫だ聖女村にはなにもかもある……らしい」
らしいって……なんだそれは。なんかしんみりしていた気持ちが吹き飛んでしまった。無性に反発したくなるのはなぜだろう?父親にはそんなこと思わなかったのに。
「君はもっと幸せになるべきだ。聖女村で今までのことを活かし、自身でちゃんと金銭を受け取り、好きなものを買い、仲の良い友人を作り、悩みや愚痴をこぼす。そんな生活も悪くないと思う。こんな君をほったらかすような世界に君はもったいない存在だ」
そう言う叔父の目は真っ直ぐシェイラに向けられる。その真剣な目にはむず痒い暖かさを感じた。この人に反発しようと思ったのはそれが許されるからかもしれない。
こんな人が父親だったら……違ったのだろうか?
こんなひねくれた人間になってなかっただろうか。
「兄が君を受け入れなかったら……私に会いに来るのもいいだろう。同じような年頃の息子たちもいるしな」
…………………………そうなのか、知らなかった。
「家の評判を気にして追い出そうとする親戚などもちろん捨ててしまっても構わない」
なんかずるい。飴と鞭みたいな。きっと相反するようなことを言っているがどちらも正直な思いなのだろう。自分の都合の良いように物事を運びたい。けれど人として子供を助けてやりたい…今更であっても。
なんかもうその気持ちだけで十分かもしれない。
魔法陣に向けて一歩足を踏み出す。
「「「シェイラ!」」」
思わず振り向いた。令嬢たちが大声を上げたからだ。
「私はあなたが羨ましかった」
「「私も」」
「その境遇は可哀想だと思ったけど、聖女としての力を振るうあなたは輝いて見えた。力だけ持ってほとんど何もしない私たちと違って……」
「ねぇ、知ってた?私達は私達で聖女のくせにいる意味のない存在って言われてるんだよ。名誉だけ受け取る傲慢令嬢だって」
「透明聖女とかいう人もいるんだよ」
そう言う彼女たちの目には涙が浮かんでいた。
「私たちとは違ってちゃんとした聖女であるあなたが羨ましかった。だから何もしなかった。あなたが苦しんでいるのをわかってたのに。ごめんね」
他の聖女からもごめんなさいと声が上がる。
「隣の芝生はなんちゃら……か」
ぽつりとシェイラの唇からこぼれる言葉。
「私も……ごめんなさい」
周りが見えていなかった自分の方がもっと酷かっただろうに。
彼女たちがゆっくりと頷くのを見て、再び歩みを進める。
「シェイラ!」
そう、父親が部屋に飛び込んでくるまでは。




