62.皇太子妃?
それから数日後――。
自分は一体何を見ているのだろうか?
呼ばれてもいない場に上機嫌で娘を連れて行き、皇帝の前にも関わらず好き勝手に発言する男を親だなどと思いたくない。
この男はなぜこんな嬉しそうな、自信満々の顔でいるのだろう?目が見えていないのだろうか?
皆が困惑の表情を浮かべているのが見えない特殊な加工でもされているのだろうか――――?
ここは王宮の会議を行っている一室。皇帝も皇太子も大臣たちも勢ぞろいしている場。そんな中に乗り込んだのだ……この愚父は。
なぜか?
「うちのシェイラほど皇太子妃にふさわしい娘はこの世におりません!」
皇太子妃候補を決める会議が開かれると聞きつけたから。
愚かにも父はなんの権力も皇太子の後ろ盾にもなれないであろう男爵家の娘を皇太子妃にするべきだと乗り込んでまで言いに来たのだ。
「娘は男爵家出身ではありますが、この通り美しく、教養も勉学も他の令嬢より抜きん出ております!何より聖女なのです!この国に多大なる貢献をしている聖女!他のご令嬢方はまあ、何もしていないようですがうちの娘は違います!」
「……男爵、シェイラ聖女が素晴らしい少女であることはもちろん認めておる。だが、前例もない上、皇太子妃となる娘はもう決まっているのだ」
内々に数年前から公爵家のご令嬢が候補に決まっており、教育を受けてきた。見た目、人柄、頭脳、特に問題なしということで正式に発表をするという書類に押印するだけというところにまで来ている。
聖女という肩書は魅力的ではあるが公爵令嬢の努力や公爵家の後ろ盾を捨てるほどではない。そもそも聖女が王族と結婚するというのは今はあまり得策ではない。昔大聖女であるノアが自分の心よりも後輩育成を選び、皇后という地位も蹴ったというのが美談となっている。
そう、聖女とは慎み深く表立って王の隣に立って政治に関わるべきではないというのが民たちの意向なのだ。
というかいくら娘が素晴らしくともこんな地位も賢さもない、優秀さのかけらもない面倒なだけの父親付きでは無理というものだ。
王族の婚姻とは個でするものではないのだ。
「ま、まあ公爵令嬢が皇太子妃にというのは血筋から見れば良さそうですが……しかし、うちのシェイラは聖女ですよ!しかも、他の貴族出の聖女と比べ並外れた聖力を持っています!それに今とても役に立っています!お飾りではなく、そういう者を皇太子妃に据えるべきです!」
うわぁと場が白けていく。
シルビア帝国の皇太子妃、後々には皇后になるわけだが、それらはお飾りでは務まらない。どこよりも広大で比類なき強国なのだ。他国に劣ることなど許されない。その発言の一つ一つに力が宿るその地位に血筋だけで選んだものなど据えられない。
全てを考慮して選ばれているのだ。
だが……父親は血筋だけだと都合の良いように解釈している。
ああ、もうなんで……?嫌だ。本当に嫌だ。
まるで私が悪いみたいではないか。
ちらちらと遠慮がちに集まる視線。
……皆迷惑で論外だと考えているのにはっきりとそれを言わない。だってシェイラが聖女だから。大切な大切な聖女だから。
「男爵よ。シェイラ聖女には他にやることがあるのだから難しいであろう?」
「シェイラ聖女が素晴らしい少女であるのは言うまでもない。だが……皇太子妃教育を今から受けるのは大変であろう?」
「公爵令嬢の努力を全て無駄にするのは可哀想であろう?同じ年頃の娘がいる男爵なら理解せねば。ああ、もちろんシェイラ聖女もとても努力しておられますがね」
なんとか引かせようと頑張る大臣たち。
はっきり言ってしまって良いのに。
貧乏男爵家生まれの常識外れの頭が悪く欲だけは人一倍の男の娘など皇太子妃にできないに決まっている、と。
シェイラが聖女だからと言葉を選びゆっくりやんわりと事を収めようとする高位貴族の姿に息が苦しくなってくる。ちらちらと困ったように……そして、責めるような視線を向けられ頭がふらつく。
これは――怒りだろうか。
――悲しみだろうか。
なぜこんな感情が湧いてくるのだろう。
なぜ今日はこんなに自分の感情がコントロールできないのだろう。
いつもは我慢できるのに。
急に頭がクリアになる。
いつも表面的には崇めながら、おかしな聖女扱い。直接悪く言われたことなどはないが、その目には哀れみが…嘲りが浮かんでいるのに気づいていないと思っているのか。まるで異質なものを見るかのように僅かに細められることに気づいていないとでも?
唇が緩やかに弧を描く。
「…………ふっ、ふふっ」
少しだけ笑みが漏れた。
楽しいからではない、このバカバカしい現状に理不尽な現状に心が限界を感じたのだ。
壊れゆく心。
自分という存在はそんなにもこの世に迷惑を掛けているのだろうか。
何も悪いことなどしていないのに。
むしろ人を救っているではないか。
なのになんなのだこの視線は?
ああ……嫌だ。本当に嫌だ。
本当に自分がここに存在しているということが――。
シェイラは気づかなかった。
幾人かの人が彼女の異変に気づいたことを。
そして、ある決心をしたことを。
悲しみ、哀れみ、心配……その目に宿るは様々な感情。
されど、強い決意が表れていたのは皆同じだった。




