42.無念
正気を失った顔で血まみれになりながら迫る人の群れ。
いや、人というのはあまりにも狂気めいている。
ゆっくりと目を閉じ、
心で穢れよ消えろと強く念じる。
開いた目に映るのは
倒れてゆく人々。
全ての人が倒れ、安堵から息が漏れる。
「もう大丈夫ですよ」
「おお、ありがとうございます」
穢れ祓いを終えたアリーシャに村長が膝をつき涙を流しながらお礼を言うが彼女はゆっくりと頭を振った。
「助けられなかった命が……。申し訳ございません」
ところどころから悲痛な泣き声が聞こえてくる。
此度は手遅れの人が幾人も出てしまった。穢れ人の時に傷を負いすぎたのだ。正気に戻ったときにその負荷に耐えられなかった。
「いいえ、いいえ!なせそのようなことを!?アリーシャ様はお救いくださったのです!私の責任です。私がここを留守にしたばっかりに……」
今回穢れが発生した場所は周辺の村々と少し揉め事の最中の小さな村だった。話し合いの為、数カ月村長が留守にしていたところに穢れが発生。
代理の村長は自己保身の為、村長にも神官庁にも連絡せず隠し続けた。穢れ発生場所への立ち入り禁止、感染者を閉じ込め隔離しただけだった。
だが穢れは拡大していき、穢れ人は増える一方。危機を感じた数人の村人が神官長と村長に連絡しようとしたものの、邪魔され閉じ込められた。村長が帰ってきた時には多くの人が穢れに侵され正気を失っていた。
穢れ人としては耐えられた自傷、他傷も、人には耐えられるものではなかった人が十数人。正気を取り戻し、倒れる家族を見つけ、その息が止まっていることに気づいた者たちは涙を流し縋り付くしかなかった。
その姿を見た他の村人たちも喜べるはずもなく、この場は嬉しさよりも悲しみに満ちていた。
「お母さーーーーん!お父さーーーーん!」
「ああ、なぜ息子を連れて行ったのですか!?」
そんな声が聞こえてくる。
下を向き唇を噛み締めるアリーシャにドンッと何かがぶつかってくる。
「なんでだよ!聖女様なんだろ!?助けてくれよ!!!」
彼女の胸ぐらいの身長の男の子がアリーシャの身体にドンドンッと拳をぶつけてくる。アリーシャは避けるでもなく黙って立ち竦むしかなかった。
少しでも息があれば助けられた。だが、穢れ祓いと同時に息絶えた者は…………無理だった。
「穢れ人に戻せよ!お母さんとお父さんを返せ!」
慌てて男の子を引き離す村人たち。
「も、申し訳ございませんアリーシャ様。本気でそう思っているわけではないのです」
いや、本心に違いない。
人間に戻して失うくらいならばいっそ穢れ人のままで……。そう思うことは無理からぬこと。
「本当に……本当に感謝しております!どうかこの子の無礼をお許しください!」
村長だけでなく、周囲の人々が頭を下げる。だが、その目にはなんとも複雑な色が見える。アリーシャの心とて一帯の穢れを祓えた安堵と救えなかった後悔がせめぎ合っている。
ふーふーとなんとか荒ぶる呼吸を宥めようとする男の子に近づく。神官や村人が止めようとするが構わず近づく。
すっと膝を曲げ地面につけて男の子の手を取り、両手で握る。少し見上げる形になったがしっかりとその憤り、そして悲しみの宿る瞳をしっかりと見つめる。
「助けられなくてごめんなさい」
その言葉に男の子はビクリとした後、身体を震わせた。
「………めん……い」
ごめんなさいと小さく呟かれた言葉。責めてごめんなさい、と。
「大丈夫よ。大丈夫だから」
どうしようもない怒り、悲しみを小さい体、心で受け止めきれないことくらいわかっている。そっと背中に手を添えゆっくりと擦ると男の子の身体が一瞬固まった。
……っく、………っく………………漏れ出る嗚咽はやがて、大きな泣き声となり村に響き渡る。それにつられるかのように様々な場所から同じような音が聞こえてきた。
アリーシャも神官もその場を静かに去るしかなかった。
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「おかえりなさい」
「おかえりぃ」
聖女村に戻った彼女を出迎えたのは、シェイラとリリアだ。彼女たちも仕事を終え、支部内の雑談スペースでお茶を飲んでいた。
「……ただいま」
その暗い表情と声音にシェイラとリリアは顔を見合わせる。
「助けられなかった」
「そう……」
「そっかぁ…………」
椅子に腰掛けながら言われた言葉にシェイラもリリアも表情に影を落とす。自分たちも経験したことがあるが、なんの慰めの言葉も出てこない。
アリーシャは事前にかなり放置されていたことはわかっていのである程度の被害は覚悟していた。全滅――最悪の事態も想定はしていた。その予測に反して多くの人の命が助かりはした。
だが――
「………あーーーー!」
自分の力が及ばなかった悔しさ、息苦しさが込み上げてくる。
どれだけ力のある聖女でも対処が遅れれば、どうにもならない。リミッターが外れ身体を酷使し続け、自分を他者を傷つけ人間の限界を越えてしまった穢れ人は祓おうともその命は助からない。
正気に戻ると同時に命を落とすからだ。
もっと早く知らせがあれば助かった。
だが、アリーシャの穢れ祓いによって動かなくなり、もう目覚めない光景はあたかも自分がその命を奪ってしまったかのような錯覚に陥る。
こんなことは度々ある。
「なぁんで人ってさ……隠蔽しようとしたり、どうにかなるって楽観視しちゃうんだろうねぇ。穢れに関しては聖女を呼ぶしかないのにねぇ」
リリアの言葉にアリーシャとシェイラは無言だった。だが、心の中で激しく同意していた。
一度でも穢れに侵されれば人としての価値が落ちる。
その場の管理はどうなっていた。
誰の責任?
ただのほんの小さい黒いモヤぐらい消えていくだろう。どこかに飛んでいってしまうだろう。
そんな考えがあるのだ。
そんなことはないのに。
これでもまだ昔に比べれば、迅速な報告が増え、対処も早くなったのだ。これからもっと穢れに対する考えが変わっていくのを願うしかない。
3人は暫く何も言葉を発さず失われた命の冥福を心の中で祈った。




