36.坊っちゃん
聖女と治癒師たちとの仲は深まらず、深まるはジャックとジュリアの仲のみ……のような気がする。こうなんか付き合う前のオーラが出ているように見えるのはアリーシャが感じる焦りのせいだろうか。
彼女に対して程よく緊張が解れたらしいジャックは自然な笑みを浮かべながら彼女と接するようになった。彼女も何やらジャックに少しばかり砕けた様子で自然な笑みを浮かべている……ように見える。
ていうか、距離が近い。
まあ別にベタベタくっついているわけではないが。こうふとした時にちょっと触れ合っちゃった……きゃっ!みたいな…………。
いやぁ甘酸っぱい。いいねぇいいねぇ、この付き合う前のなんともいえない青春さ。
ほほほほほほほほ…………………やば。
このままではヤバい。
神官長にど叱られる。
給料減額…………とか?
ノー!それはいかん。
なんとかなんとか…………今日も今日とてしっかりと治癒魔法を使いながら、頭の焦りを表には出さず実に見事な手際の良さで次から次へ訪れる患者の傷を癒していくアリーシャ。
ありがとうございます、と去っていく男児とその母親に極上スマイルを浮かべながらヒラヒラと手を振るアリーシャ。なんとかしなければ、なんとかしなければ、なんとかしなければ…………
「おい、ブスが触るな!」
一人の男性の怒鳴り声に思考が止まる。皆の視線が集まる方――怒鳴り声を上げた男性に視線を向ける。
………あれは。
アリーシャの片眉が不快げに上がるが、それに気づくものはいない。
「お前らみたいな出来損ないには用なんかないんだよ!」
「そうだ、そうだ!お前らみたいな貧乏でブスでなんの取り柄もない治癒師が坊ちゃんに触れるなんて烏滸がましいんだよ!」
「そうだ、そうだ!坊っちゃんのようなお金持ちに劣化女が触ったら汚れるだろうが!早く聖女様を呼んでこい!」
皆の視線の先には3人の男がいた。坊っちゃんとお付の二人と言ったところだろう。その前には一人の小柄な少女。確かまだ入ったばかりの治癒師の子だったはず。
坊っちゃん……恐らくどこかの商家のボンボン。貴族であれば、平民がとか血がとか言ってくるはずだ。
それにしても……アリーシャの目がすっと細まる。
なんともお見苦しい坊っちゃんである。ぶくぶくと太った身体。酒ヤケなのか掠れる声。ツバを飛ばしながら怒鳴る様。体格の良いムキムキ兄ちゃんを引き連れて威張り散らして……なんとも見るに堪えない。
というか…………まぁ、坊っちゃん…………
お坊ちゃまの坊っちゃんかな。
うん。
うん。
そうだね。金持ちの坊ちゃま。
例え薄毛のおじさんでも坊ちゃまだよね。
うん。
人の見た目にケチつけて呼び名にケチつけて良くないけど、おじさんだね。
違和感半端ないね。
うん。
「お前みたいな劣化女に触られたら俺の価値が落ちるだろう!」
「そうだ!お前みたいななんの取り柄もないやつは引っ込め!」
「早く聖女様を呼んでこい!」
アリーシャが思わず遠い目をしている間にも罵声は続いていた。少女は涙を目にためながら震えている。ちらりとアリーシャは周りを覗う。
――――誰も動かない。
いや、いた。
一歩踏み出すロメロに視線を向ける。視線に気づいた彼は……任せろとばかりに頷く。
だがアリーシャは頭を横に振る。
それを認めたロメロも頭を横に振る。
それを認めたアリーシャも再び頭を横に振る。
えー…………まじですかぁという内心丸わかりの表情を浮かべながらもロメロは足を戻して、アリーシャに軽く頷く。
アリーシャの口角がゆるりと上がった。
それに気づいた神官たちは口元を引き攣らせている。
えぇ……とばかりに。
あらあら、なんとも失礼な神官たちである。聖女が出ればいいんでしょ?ここまで熱心に求められたら行かなければ――ね。だって私は心優しき慈悲深き聖女でしょ?
でも何をしに?
手当て…………?
はは、んなわきゃない。
見たところケガなどしていない。まあ頭が少々よろしくないようだが、残念ながらそれを治す力は自分にはない。
ではなんぞ?
もちろん追い払いにだ。
この場にいる責任者ロメロには許可を得た。所長がここの責任者だが、自分の上司ではない。聖女に何かあったときやその言動の責任を取らされるのは神官。
というか、ただの金持ちボンボンに物申せぬ所長など話にならない。
暴走モードオン……だ。
ざっざっとわざと音を立てながら男たちのもとに向かうと少女を背後に隠すかのように少女と男たちの間に勇ましく立った。
アリーシャは心の中ではっと笑う。
なんとも間抜け面だこと――――。
アリーシャの前には彼女の美しさに口をポカーンと開けたまま身動き一つ……いや、瞬き一つせずに立つ3 人の男たち。
「アリーシャ聖女様……」
今にも溢れそうな涙をなんとか堪えていた少女の口からぽつりと漏れる言葉。それと同時にポロリと一筋の涙が流れた。アリーシャの名前の後に小さく怖かった……と聞こえたのは気の所為ではない。
ふわりと安心させるかのように浮かんだ笑みはまさに聖女にふさわしき慈愛の微笑み。その笑みにざわめきかけた場は再び静寂に包まれる。
その圧倒的な美に、
気高き美しさに
悪に屈しない姿に
人々は見惚れた。
例えそれが内心……色々とチャァァァァァァンス!!!と悪魔の如き笑みをギラつかせていようとも。




