35.盲点
挨拶した後、すぐに怪我人の治療にあたるアリーシャたち。こういったことに慣れているアリーシャはテキパキと手際よく治療をこなしていく。
ジャックの想い人に視線を向けながら――。
確か年齢は20歳、名前はジュリアさん。たぶん恋人なしとのこと。たぶんて何だ。それくらいはちゃんと調べておいてくれても良い気がする。
彼女はこの診療所の治癒師であり、共に仕事をしていくうちに惚れたようなのだが。
う~~~~ん……。共に過ごし惚れる……。
アリーシャは頭を捻る。なんとも納得がいかない。
超絶美少女にして、日々人を救い助けている我らの見事な仕事ぶりを見ながらなぜ自分たちには惚れない?むしろどんどん扱いが雑になりお説教ばかり。視線が冷えていくのはなぜなのだろうか?
「アリーシャ様」
「はい」
うんうんと頭を捻っていたのはあくまで脳内。顔には聖女にふさわしい微笑みを張り付けていたアリーシャはさらに深く聖女スマイルを深めて声をかけてきた気の強そうな女性に返事をする。
「あちらの方もお願いできますか?」
くい、と顎であちらと示される。
どことなく、悪意を感じるのは気のせいか。
いや、気の所為ではない。
アリーシャの視線の先には脂ギッシュでボリューミーな体型ながら毛髪が少々残念な男性がいた。手の甲に薄っすらできた火傷を治療しに来たよう。
ふふふふふふふふ。
心の中で低く笑うアリーシャ。
先程から見目の悪い方や少々グロッキーな傷の方の治療を任されている。たまに彼女たちでは手に負えない重傷患者も任されるのだが……それが見目の良い方だと不機嫌そうな悔しそうな表情をしてくる。
そりゃあ自分だってうおって思う見た目をした人とかいるけれど、見た目で誰に担当させるかとかそれは違うような気がする。
そんな行為は自分の価値を下げる。
そんなんだから――――
いや、いけない。
ふーと心の中で息を吐く。顔には微笑みを張り付け治療にあたり続けた。
「一日終わった……」
「お疲れ様でございました」
うむ、帰りたい。
仕事を終え、診療所内に用意された部屋に戻り燃え尽きたように椅子に腰掛け天を仰ぐアリーシャにロメロは同情的な視線を投げかける。
「ここはハズレね……」
「大きい診療所ですから、その分プライドも高いのかもしれませんね」
はああああ、とアリーシャの口から腹の底から吐き出された大きな息が漏れ出る。治療自体は別に疲れるものではない。どれだけ見た目が悪かろうと患者であることに変わりはない。重症患者は多少疲れるものの、そんなに大勢でもなかったのでここまで疲労困憊になった原因ではない。
じゃあ、何か。
それはもちろん、治癒師からの悪意である。
一部の頭のお悪い……ごほんっ、血統主義で平民は人にあらず主義の貴族たちや色欲魔人たちから平民で見目麗しい彼女に向けられる視線もなかなか心にくるものがあるが、そんなものは可愛い。可愛い。
ここの治癒師から向けられる妬み、嫉みのドロドロとした視線はなんとも重々しく、身体に纏わりつく。
なぜ聖女が治癒師からそんな視線を向けられるのか
別に聖女が治癒師たちに何かしたわけではない。彼女たちを下に見たことも、意地悪をしたこともない。むしろ聖女たちは仲間意識を持っているぐらいであった。
治癒というのは人を救う尊い仕事である。感謝もされる。しかし、それと同時にグロかったり、不衛生だったり、救えなかったり――自分の無力さを思い知らされたり、と辛いものがある。
同じ治癒を行うものとして、共感できる部分がたくさんあると思う。
ではなぜ?
それは、世論のせいである。もちろん全ての人ではないが、一部の人の挙げた声に同調するものが現れ、少々大きくなってしまったのだ。
治癒師は治癒魔法で怪我を治療できる。魔法では治すことができない病に対しては薬を処方する。薬に対する知識も豊富。
だが………………それだけ?と言われるのだ。
聖女はそれに加え、穢れ祓いや結界を張ることができる。
見た目は…………ははっ!比べるまでもない。
似ているようで完全なる非なるもの。
――――治癒師は
聖女の
劣化版――――だと。
誰が言い出したか殴ってやりたい。
お前らができないことをできる彼女たちのことをなぜ馬鹿にした言い方をする。
彼女たちが聖女に対抗意識を持つことも劣等感を持つことも理解できてしまうだけに、嫌いにもなれないなんやかんやいってお人好しなアリーシャだった。
~~~~~~~~~~
うむ……どうしたものか。
アリーシャは女の子の腕に手を添えながら、顔面に麗しき聖女スマイルを張り付け、頭の中でうんうんと悩んでいた。
「はい、終わりですよ。よく頑張りましたね」
相変わらず頭と身体は別で動いていたアリーシャはふわりと女の子の目を見て言う。
「アリーシャ様、ありがとう!」
痛みで苦悶の表情を浮かべていた女の子の顔に明るい笑顔が浮かぶ。女の子の後ろからはうっ、うっ、ズルズルと涙を堪らえようとする音と鼻をすする音がする。
「お母様、もう大丈夫ですよ」
「あ、あ、ありがとう……ござぃまずぅ……うっ、うっ」
鼻水を垂らしながら大泣きする女の子の母親はアリーシャの言葉が届いているかどうか微妙ではあったが、返事があったことにほっとする。
「お母様、過ぎでてしまったことを考えても致し方ないことです。お嬢様はご無事だったのですから次からは気をつければよろしいのですよ」
「はい、アリーシャ様……うっ、うっ……」
女の子は母親が不在の間に働く母親のために食事を作ろうとし、火を使った際に腕に火傷を負ってしまった。治療の間女の子は痛いだろうに母親を思いやってか、冷や汗を浮かべながらも笑顔を浮かべようとしていた。
それに対し母親は不在にした自分を責めて泣き続けていた。例えそれが生きていくために働いている間に起きたことであったとしても……。
「お嬢ちゃん、お母様を思う気持ちはとっても素晴らしいことだけれど、一人の時に火を使ってはだめよ?私と約束をしてくれる?」
「はい、アリーシャ様!」
アリーシャと小指を絡めた後、去っていく母娘に手を振る。なんともやるせない。母親だって好きで留守にしたわけではないよう。
他の女に走った元夫。貴族でない平民の彼女が娘と共に食べていくには働かなくてはならないわけで――――。だがまだ彼女はましなのだろう。診療所だってタダではない。
聖女は無償で労働をせねばならないが、今彼女は診療所の手伝いにきているわけで、無料で診察はできない。
職業柄貴族、平民、豊かなもの貧しいものと様々なものと接するが……なんとも世の中は不公平なものだと感じる。
「あらあら、指切りなんてして……。いかにも聖女様って感じよねぇ?」
「本当に。私お優しい聖女様なのぉ」
「やだぁ」
そんな言葉とクスクスと笑う声が風に乗って耳に届く。
はあ……
アリーシャの憂いが世の中の世知辛さから、現実の世知辛さに戻る。
これでは、彼女の調査ができない。
自分から見る姿だけでなく同僚たちから話を聞くのが一番だったのだが。
ちらりと少し離れたところにいるジャックを見る。ジャックはジュリアと何やら真剣な表情で仕事の話をしているようだった。
おーおー、相変わらずわかりやすいことで。
真剣ながらもその頬は僅かに赤らみ、鼻の下がほんの僅か伸びている。まだまだほの字継続中のよう。
これは本気のようだ。
彼女の人柄が掴めないままくっつく2人。
青褪める神官長。
怒る公爵。
公爵から叱責を受け、笑顔で凄む神官長。
そんな未来が見えたアリーシャは恐ろしや、とブルリと身体を震わせ呟く。
「まじでどうしたものか…………」
アリーシャの呟きを聞くものは誰もいなかった。




