30.完璧人間はいない
伯爵は娘の顔をちらりと一瞬だけ見た後にゆっくりと口を開いた。
「侯爵は天才的に商売下手なんだ」
ん?聞いていた皆の心が一つになった。聞き間違いだろうか。
「んんっ。侯爵は非常に優秀な方なんだが、それを活かすのがおできにならない。商売や投資はすべて外れる。特に商売がお好きなのだが………どれも上手くいかないのだ」
「冗談ではなく?」
「リリア様!」
教会長に怒られちゃった。何よぉ、自分だって思ってるくせにぃ。
「真面目な話です。商売に失敗するたびに借金を抱えていらっしゃいます」
「うそよ!」
アホなんですか?それとも運なし?とポロリするところだった。ありがとうマリア様ぁ。また教会長に叱られるところでしたよぉ。
「だって、だって……そんなこと聞いたことない!借金をしていてあんなに頻繁にパーティーに顔を出せるわけがないわ!」
パーティー……なるほどそれはちょっとわかるかも。
「ご自分の顔を利用してご婦人方から、いや殿方からも支援を頂いていたんだよ」
「殿方……か……らも?」
美しさは男女関係なしに人を魅了するものだ。
「貴族社会において顔を利用するのはよくあることだ。だが普通はそれを苦痛に思ったり苦悩する。逆に持つものが持たないものに媚を売る様を楽しむものもいるが」
あー……なんとなくわかる。
「だが彼にはそれらがない。別に悪いこととも思わないし、自分を欲する者を馬鹿にもしていない。単純に金を得る為にしてるだけなんだ。あまり物事に感情を抱かない方のように見受けられる」
マリアは目を見張る。あの優しい笑顔に感情がない?
「彼はある意味すごく真面目な人間であり、侯爵家当主として家の経済状況を良くしようとしている。それが商売や投資になるわけなのだが……。
なぜか全て失敗に終わるんだ。あれだけ商才がないのだから普通だったら諦めると思うのだがなぁ。
手当たり次第に次から次に手を出す手を出す。そして増える借金。国から出ている貴族手当等だけで返せるわけなし。じゃあ自分の顔を利用しましょうってことだな」
え……なぜ諦めないの?頭いいのにバカなの?皆の心が再び揃う。
「彼が婚姻相手に望むものは金だと明言しているのは知っているだろう?結婚したら相手の家から金を頂く気満々なのはわかっている。それこそ商才があれば金を融通するのも悪くない。だが彼に関してはその可能性は極めて低い」
でしょうね。皆がうんうんと頷く様子に伯爵は苦い笑みを浮かべる。
「別に普通に生活する分には十分な手当があるのだから王宮勤めでもすれば良いのだ。だが彼はいつまでも巨万の富ばかり狙い商売に手を出し続けている。
婚姻すればその負担は相手の家にどんどん襲いかかるだろう。それにそれを断ればまた様々な者にその顔を使い金を融通してもらうぞ?
そうなれば、お前は――修羅場に巻き込まれたり、笑いものになっていただろう」
いや、マジですか。ゾッとするマリア。
パトロンをもつ男の妻に向けられる視線は、きっと厳しいものになる。甘やかされてきた自分には耐えられない。それに男の取り合いで刃傷沙汰なんて冗談ではない。
「そもそも私はドブに金を捨てるつもりなどない。人とは運に見放されることもある。家族になるものとして助けるのは当然だ。だが、彼に関しては無理だ。人に融通されるのは当たり前。まして妻の実家から金をもらうのは当たり前。感謝の心さえないだろう」
彼の父親もそういう人間だった。その祖父も。没落してから時は経っているのにまだ社交界でちやほやされているのだからある意味すごいとは思う。
とはいえ、
「うちの財産でも彼を支えるのは無理だ。その時何人ものパトロンを抱えるだろう。だが侯爵様はきっとお前の実家の支援が少ないのが悪いと妻に対し何も罪悪感など持たないだろう。だって彼にとって金を手に入れるための正当な手段なのだから。彼にとって周りからの下卑た視線など何も気にならないのだから。
感情が乏しいというのは強いと言えば強い。だが……侯爵様の周りにいるものは破滅への道を辿るだろう」
かつて彼の周りには優秀なものがいた。目が利くものも。なんとか彼に富を築かせんと頑張った。だが排除された。ああしろこうしろとうるさかったから。
彼はとことん周りの話を聞かない。自分が正しい。自分が全て。なまじ優秀だからこそ勉強の実績はあったから。血筋もあったから。
こう聞くと非常にやべぇやつに聞こえるが、別に何か罪を犯したわけでもない。持つものから同意の上でその顔、身体、言葉、態度を売って金を頂いただけ。
その優秀な者たちも家から解雇したものの、他の家に紹介状を書いたりともめごとになったこともない。有能なものを頂けてお相手の家もニンマリだったらしい。
侯爵家は領地も持っているのだが、これは叔父が運営している。ここから金も入るのだが、ほとんどは叔父のもとにある。なぜなら運営しているのは叔父だからその金は叔父が受け取るべきものだという持論をお持ちなのだ。
がっぽり金が入るのを夢見ているのに必要以上の金の受け取りは拒否。彼の思考は全くもってよくわからない。
彼は自分が何かやったことで手に入れた金こそ自分のもの。周りからどう思われようともパトロンになろうとも自分で金を稼ぐ=正義なのだ。
崇高なのか、崇高じゃないのかよくわからない。
だが一つ言えるのは、とにかく侯爵は常人ではない。悪い意味でだが。もしかしたら花開くかもしれない。
だがそんな賭けに乗るほど、伯爵家は困っていない。
十分すぎるほどの権力も財力も持っている。
危険を犯して彼と結びつく必要などないのだ。
だからこそ、娘には諦めてほしかったのだが。
「お前はなかなか頑固だからなぁ」
その言葉にカッと顔が赤くなるマリア。
「言ってくだされば良かったではありませんか。侯爵様が変態だと」
変態…………ちょっと言い過ぎな気がしないでもないのだが。
「言っても信じないし、愛だ愛だと騒ぎ立てるだけだろう?それに侯爵様に夢見ているお前に現実を見せる必要もないと思ってな」
娘はまだ16歳。その繊細なハートが割れるのはあまりよろしくない。
「お前は聖女様=愛の使者みたいに思っている節があったのでな。彼女から諭されれば愛に対する妄信が薄れると思ったのだ」
なかなかの策士である。
「聖女様も愛が一番とか愛の前には何者も勝てませんみたいな考えをお持ちしている可能性もあったので賭けだったのですが、聖女様がとてもがめつ……ごほんっ現実主義で助かりました」
いや、たぶんリリアの性質をどこからか聞いてきたに違いない。さりげなく最後ディスってくるし、食えないタヌキジジイである。
とは言えないので変わりににこりと笑うリリア。聖女が愛を語らず、がめつくて悪うございましたなぁ。愛では飯は食えぬのですぅ。目だけで語る。
ありがとうございましたと去っていく伯爵とマリア。その顔は二人とも晴れやかだ。
「リリア様、ようございましたねぇ」
一番良い笑顔を浮かべた教会長がリリアに話しかける。
「何がですかぁ?」
「首が繋がっていて」
「簡単には切られませんよぉ」
「リリア様は大丈夫でも、ジジイの首はすぐに飛ぶのですよ」
「……まあでも国の重鎮がやべえやつの家族にならなくて済んだことは良かったかもね」
二人は黙る。その顔には薄っすらと穏やかな笑み。
そして
むふふふふふ
下品な笑みに変わる。
側にいた若造神官はぎょっとして二人を凝視する。
「いやぁ何よりも良かったのは、もちろんコレですなぁ」
「うんうん、とぉってもいい香りぃ」
「有り難いですなぁ」
「何言ってるのよぉ。正当な対価よ」
むふふふふふ……と笑いが止まらぬ二人。
若造神官は呆れる。
コレ――伯爵が帰る際に手渡してきた袋にパンパンに詰まった金貨を愛でる姿に。




