18.皆幸せ
公爵に用意された執務室にて。
「お疲れ様でございました」
「ああ、陛下が説明していると思ったのだがな」
なんて、思ってもいないことを侍従に言う公爵。
あの絶望に染まる顔を直接見たかった。娘から婚約者を奪ったからではない。むしろそれについては感謝している。真面目な娘は婚約した以上何があろうとも破棄などとは考えないから。
だから黙って王に直接婚約破棄を勧めた。
どこかの貧乏貴族の令嬢に王を誘惑させようと思っていたのだが、その手間が省けて助かった。結婚の準備を娘にさせたのは悪かったと思うが、あの小娘に任せておいたら碌なものにならないと思ったのだ。
案の定あの女が用意したものは最悪だった。
「ルカミア様のご婚約に関してですが、あちらは非常に喜んでいるとのことです」
「そうか、ルカミアもあんな王に嫁ぐよりも幸せになれるだろう」
ルカミアの次の婚約者は侯爵家の跡取り息子だ。国に厚い忠義を誓い、国の害になりうる王をコントロールしていく同志だ。非情なところもあるが美形で頭も良く、ルカミアの価値が分かる男。
小娘に恋慕しているフリをして調子に乗らせていた長男とも非常に仲が良い。
深い愛などは芽生えないかもしれないが、うまくやっていくだろう。そして、いずれは二人が次代の王を育てていくことに―――。
薄っすらと公爵の口角が上がるが、お茶の用意をしている侍従は気づかず話しかける。
「それにしてもあれだけご立派な御方からあのような品位も責任感もない者が生まれるとは……人とは不思議なものにございますね」
先代王はとても立派な人だった。国を思い、民を思い、家臣を上手に使う人だった。家臣も王を敬い、彼の判断に従った。
「……だからこそ我らがいるのだ」
国にとって必要な王は崇め従い、不要な王からは権力を奪う。この国は代々そうやって継承され、他国からも認められている。幸運なことに不要な王は欲しいものを与えればだいたい黙って言うことに従ってくれるものばかりだったらしい。
たまに異常なものを見たとでもいうように見てくる他国の者もいるが。所詮は他人事だ。
人によっては何様だと思うものもいるだろう。
けれど公爵は思う。
「我らは優しいと思わないか?」
「優しい……ですか?」
「ああ」
今度は薄っすらと、しかし慈愛に満ちた眼差し。だがどこか冷たい印象を受けるのはなぜだろうか。
「家臣に殺される王。権力を剥奪され拘束される王、無理矢理傀儡とされる王。能力を持ちながらその力を振るう機会を奪われる王。我らは何も奪わぬ。能ある王にはいかんなくその力を振るってもらい、無能な王には欲しいものを与えて納得したうえで政治から身を引いてもらう。誰も傷つくものはいない、血を流すこともない」
優しいだろう?そう信じて疑わない眼差しに射抜かれて侍従は小さく頷く。少し納得いかなそうなその様子に公爵はくくっと軽く笑う。
「まあ多少様々な犠牲はあるがな。だが、そんなものは些細な問題だろう?」
娘の気持ちも。
王妃となる女の気持ちも。
離婚させないためだけに聖女を呼ぶ金も。
彼にとっては1日で忘れるような、いや考えることさえ必要かと思うことなのだから。
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王国でブリリアンが涙を流し公爵が笑みを浮かべていることなど知らぬアリーシャたち。アリーシャにブツブツと物申していたジャックがポツリと呟いた。
「ですが、人から幸せを奪ったものの末路というのは不幸になる可能性が高いのかもしれませんね」
神職についていて聖女が祝福した夫婦にこんなことを言ってはならないかもしれない。だが、ルカミアのことを思うと、なんとも複雑な気持ちにもなるというもの。
これからブリリアンは王妃となる。女性の中で一番の地位、王妃になるべく育てられてきたルカミアは彼女に頭を下げて生きていかなければならない。それは彼女にとって屈辱と言えるものではないのか。
1人の令嬢を貶めた国王夫妻に何か不幸が、と思っても致し方ないというもの。
「ジャック大丈夫よ。そもそも結婚生活が幸せとか思える方が世の中少なかったりするものよ」
侍女たちからバッカス国の王の今後については聞いている。そんなこと話しちゃっていいの?と思ったが、話してくれるのならば聞いてしまいましょう、である。
だからブリリアンが思い描くような結婚生活が送れないことをアリーシャは知っている。だが、流石に国家機密はべらべらと話す必要はないのでありきたりなことを言ったのだが……
「本当にちゃんと祝福してきたんですよね?」
「人をなんだと思ってるのよ。お金がもらえるんだからちゃんとしたわよ」
全く失礼な男である。呆れながらもはっきりと断言するアリーシャにほっとするジャック。自分だって二人に好意的な訳では無いが、やはり聖女という名を戴く以上そこはちゃんとするべきである。何よりも聖女が嫌々やった祝福など不幸なことが起きそうで不吉だ。
不幸が起きろと思ったり、でもやはりと思ったり、自分でもなんとも矛盾した考えが頭をぐるぐると回るものだとジャックは思う。
「でもまあ……心と頭と口は別物ってね。心の中までコントロールは不可能だよね」
「それは祝福してないってことですね…………」
「ノンノン、心はこもってなくても口も態度も祝福したよ。ジャックだって嫌いなやつが昇進したらおめでとうと言いつつ心の中でくたばっちまえとか思うでしょ?」
「そこまでは思いませんけど、まあ良い気分ではないかもしれませんね。…………って私はいいんですよ!アリーシャ様は聖女でしょう?清らかな心でいてくださいよ!」
「「うおっ、出た出た」」
聖女モラハラだ、と黙っていたリリアとシェイラがクスクスと笑い出す。二人をちらりと見た後、ジャックに視線を向けるアリーシャ。
「聖女だって人間だって言ってんでしょ?何されたって平気、何も思いません。どんなことされたって幸福な気持ちしか湧きません。どんなひどいことをされても慈悲の心で許せって?」
「そこまでは言ってないですけど……」
「そんなのは感情のない、壊れた人間よ。もはや人形。変な洗脳されて他人の都合の良いように考えることを強制されてる奴隷だね」
「…………………………」
ジャックが閉口したのを見て、満足したのかアリーシャは鼻からふん、と息を吐くとケーキとお茶を口に運び始める。
「ま、私たちは聖女様聖女様って言われてるけどさ。ただの力を持たない人間なんだよ。穢れから人を救うことはできても権力者から人を救うことはできないし、逆らうこともできないんだよ」
そう言うアリーシャの視線がジャックを真っ直ぐに貫く。とてもきれいな瞳だと思う。確かにそうかもしれない。人と違うようで違わない。
聖女とは王でもなければ、政治家でもない。神の代弁者でもないのだ。
聖女様、聖女様と崇められながらも、婚約破棄を止めることも。その後の人生も父親の道具となるであろう女性一人救うこともできない。
「ま、自分に降りかかる不幸は全力でなんとかするけどね。でも全ての顔見知り程度の人を自分の人生かけてまで救おうだなんてお人好しの心は私にはないよ」
ただでさえ、穢れ祓いという危険な仕事をしているのだ。
そもそも人から与えられたものの中でどんな生活を送るのかはその人次第。運にも左右されるとは思うけれど……。でもあのナルシーな王との婚約中でも自分にできることを模索し、自分の意志を曲げずにいたルカミア。
虐げられている、哀れだと言うものもいるだろうが、彼女は気高く強い人だと思う。
次の相手がまともであればきっと幸せを掴み取れるだろう。相手はあの狸親父様次第だが。
果てさて、結婚生活とは相手から奪い取ってまで得たものでも幸か不幸かわからぬもの。
理想が高い程、夢見たものが大きい程、現実とのギャップに驚きがある。ショックがある。
それを我慢し、乗り越える心があのブリ娘にあるかしら?
「………………あるわけないよねぇ」
アリーシャの呟きに3人は怪訝な顔をしたが、彼女はにやりと笑うのみだった。




