15.怒り
「なんで無視するのよ!わたしは王妃よ!そんなことが許されると思ってるの!?」
バッカス国の王宮から少し離れたところに建つ屋敷から女の声が聞こえる。乱れた髪の毛を整えもせず、玄関の扉の前に立つ衛兵の襟首を掴む様はなんとも鬼気迫る勢いがあった。
「ブリリアン、どうかしたのかい?朝から騒がしいよ……」
いつものブリブリとした声はどこへやら怒り狂った大声を上げるブリリアンの前に現れたのは彼女の夫であるライルだ。
「ああライル……!この国の至高なる王にして私の愛する夫……!」
ブリリアンは即座に鬼の形相を消し、目に涙を溜め身体をクネクネしながらライルにしがみついた。その豊満な胸をライルの身体に押し付けながらうるうるとした目で見上げる先には――
鬱陶しそうなライルの顔。
なぜ?
ブリリアンは身体を硬直させた。
「ラ、ライル?」
「で、何を朝から騒いでいるんだい?」
ブリリアンの動揺など無視して自分の疑問を優先するライル。
「あ、あのね。こいつが私を無視するのよ!ねえこいつクビにしても良いでしょう!?王妃の私に無礼を働いたんだから」
ライルの態度に不審さを感じながらも、とにかく目の前の男を罰したい一心で自分の思いを訴える。ふふん、と衛兵に向けて優越感のある表情を向けるブリリアンだったがすぐにその笑みは固まった。
「君は何を言ってるんだい?彼は仕事をしているだけだろう?全く騒ぎを起こすなんて。……もしかして公爵から何も聞いていないのかい?」
「?公爵?あいつが何?」
おろおろと戸惑うブリリアンに面倒だと言いたげにライルの口からはあとため息が漏れた。ブリリアンはビクリと身体を震わせる。
「君、すまないが公爵に連絡をしてくれるかい?」
「畏まりました」
王の命を受けた衛兵は2人の前から消え、恐らく外にいたであろう衛兵が室内に入り新たに扉の前に立った。
「公爵が来るから話は彼から聞いてくれ」
ブリリアンの顔を一瞥することもなく、言い放たれた言葉。彼の視線は美しい一人の使用人に向けられていた。
「な、待ってよライル!」
彼女の引き止める言葉など聞こえていないかのように欠伸をしながら寝室に戻るライル。その後ろには視線を向けられた使用人が付き従っている。
「!?あんた、ライルにくっつくんじゃ「王妃様」」
ライルの後をついていく女に掴みかかろうと足を踏み出したブリリアンを側にいた侍女が腕を掴み止める。
「何よ!?離しなさいよ!王妃の身体に触るなんて無礼よ!」
力尽くで手を離そうとするが全く離れない。むしろ腕に指がどんどん食い込んで痛い。
「王妃様、公爵様がいらっしゃるのです。お着替えをされたほうが宜しいかと」
そう言われ痛みに顔をしかめつつ自分の身体に目をやる。
ふりふりすけすけの肌着だ。
結婚式の後この屋敷で初夜……まあ別に初めてでもなんでもないが……を過ごす決まりだと言われベッドの上で甘い時間を過ごすこと数日。
彼女はここ数日何も身に着けないか、この肌着を着るかのどちらかだった。衛兵に絡んだのだって、彼がイケメンだったからだ。私の安全を守ってくれてるのだからサービスショットを披露したと言うのに……。
声をかけても無視。身体を寄せても無視。冷たく冷えた視線を寄越すのみ。だからムカついて騒いでいたのだが。確かにこの格好で公爵に会うわけにはいかない。
「わかったわよ!着替えるわよ!」
強気な言葉とは裏腹に手が離され思わずほっと息が出たブリリアン。しかしその心は穏やかではなかった。
一体どういうことなの?
なんなのだ、皆のこの態度は!?
私は、
私はライルの妻。
この国の王の唯一無二の妃、王妃なのよ!
怒り心頭で暴れ出したかったが、使用人たちの冷たい目や先程の力強い腕を思い出したらとてもできなかった。
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「ご機嫌よう、王妃様。私をお呼びと聞き参上いたしました」
「公爵、これはどういうことよ!?私は王妃になったのよ!?この扱いはどういうことよ!?」
「はて、この扱いと申されましても……」
挨拶もせず品位の欠片もなく食ってかかるブリリアンに不快な様子を全く見せずに優雅に出された茶を飲む公爵。どちらが王族かわかったものではない。
「私は王妃よ!王妃はこの国で王の次に偉いのよ!なのに何よ!?衛兵は無視するし、侍女は平気で腕を掴んでくるし、しかもさっきたかが使用人が王の寝室に入っていったのよ!?王妃たる私がどうしてこんな目に遭ってるのよ!?こんなんやってられないわ!離婚よ離婚!」
ふん、といかにも怒っていますといわんばかりに腕を組み横を向きそっぽを向く。自分を溺愛している王が離婚など承諾しないと強気に出るブリリアン。
彼女は思っていた。ゴネれば自分の思い通りになる、と。
「離婚……は困りますなあ、王妃様」
ぞくぅ……その威圧感のある重低音に身体が震える。ぎこちなくゆっくりと公爵の顔に視線を向けるとそこにはいつも通りの穏やかな笑顔。
いや、
いつも通りではない。
なんなのだ?この妙な迫力は――――――。
「だ、だったら早く改善して頂戴」
怖い、怖いがなんだ。自分は王妃なのだ。今や公爵より上の人間なのだ。自分の主張を押し通すことが許される立場なのだ。
一瞬でも家臣のことを怖いと思ってしまった自分が恥ずかしくなり、それを誤魔化すかのように更に居丈高な態度を取るブリリアン。公爵はその様子を見て微かに目を細める。
その心に思うは何か。
「ところで王妃様。王妃、とはどのようなものだと思いますか?」
「は?」
思いもかけない言葉にブリリアンの頭の中から怒りも羞恥も恐怖も消えた。




