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クズとヤンデレの建国記(仮)  作者: 稲荷竜
本編

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第92話 高貴なる怒り

「ありえませんわ」


 魔術塔からの『導器(どうき)技術をよこせ』という要求にもっとも早く反発を示したのは、デボラなのでした。


 彼女は七賢人のうち一人であることを表明してはいましたけれど、それは私もふくめ国内の誰にも信用されていないというありさまでした。

 けれどここで、七賢人のうち四人もの署名が入った手紙を読み上げたあとの様子には、たしかにただの魔術塔信仰者ではない重みのある怒りが感じられたのです。


「導器というものは、素晴らしいものでしょう。精霊王の御慧眼の賜物と存じます。わたくしも生活の中でその恩恵にあずかっていること、充分に承知しておりますわ。けれど……それを、七賢人が欲しがるというのは、ありえてはならないのです」


 その場は謁見の間であり、七賢人からの手紙は毎回なんらかのトラブルを起こすものですから、早期の情報共有を狙って宰相とアルバート、それにオデットが同席しておりました。

 シンシアもいたほうがよかったのですけれど、彼女はスタンピードの影響で地上にはびこってしまった魔物どもの対応の最高裁量権保持者ですので、最近は本当に忙しく、手紙が唐突に来たのもあり、この場にはおりませんでした。


 宰相とアルバートが続きを欲するように黙り込んでいるので、私もデボラに話の続きを促します。


 デボラは許可されてもしばらくは話し出しませんでしたけれど、それはどうにも、本気の怒りをこらえるために必要な時間だったようで、次に口を開いた時にはにおい立つような怒りはすっかり微笑の下に隠れておりました。


「……この場にいらっしゃるみなさんにうかがいましょう。『伝統』『慣習』というものを、いかに捉えておいでですか?」


 その問いに宰相はほとんど即答のように「打破すべきものです」と応じました。

 アルバートはちょっと考えて、「教師である」と答えます。


 私は迷ってしまい、言葉もさっとは出て来ませんでしたけれど、この半生でほとんどの時間敵対している相手が『伝統ある宗教』であるところの昼夜神殿で、彼らが神の名を利用して好き放題するのにかなり苦しめられてきましたから、「立ち塞がるものだ」と答えました。


 デボラは満足したのか、それともしていないのか、わかりませんけれど、とにかくうなずき、私のほうを見て語り始めました。


「みなさんのお答えに誤ったところはございません。すべてが正解なのです。そして、わたくしのような古い組織に属する者にとっては、『守り抜くもの』となります。抑えつけられた者の前に『打破すべきもの』として立ち塞がるのも、過去の例をもって未来を歩む者の『教師』となるのも、そして新しい勢力の前に立ち塞がるのも、そのすべてが『伝統』の役割であり、『伝統』を打ち破らんとする力こそが、未来を作り上げていくのです。ですから、若い力を吸い上げようというのは、許されることではありません」


 ふぅ、とついたたった一息を、今でも鮮明に思い出せます。


 デボラの吐いたほんの短い息には、彼女の想いがこれでもかと詰め込まれていたように感じられたのです。


 そのたった一瞬の息のあと、デボラはこう述べました。


「精霊王猊下(げいか)


 場にいた臣下たちがざわついた理由を、私はあとから知ることになります。


 猊下というのは宗教上の偉い人に向けて使われる呼び名でありますから、魔術塔などは私を『陛下』とは呼んでも、けっして『猊下』とは呼びません。

 これは魔術塔信仰者、昼神信仰者たちに徹底しており、親精霊派の者でさえも、私のことを『猊下』と称することはなかったのです。


 つまるところ、昼夜神殿は私を国家元首としては認めていても、自分たちと並び立つ宗教のトップとは認めていなかったのです。


 その『猊下』という呼びかたをデボラがした意味を、この時私は、とっさには理解できなかったのでした。


「どうぞ、わたくしを魔術塔に帰してはくださいませんか? ほんの短いあいだ無聊を慰めていたつもりではございましたが、わたくしの時間感覚はどうにも、今を生きる若い者たちと少しばかりずれがあるようで、魔術塔もほんの瞬きのあいだに変わり果ててしまったようなのです。これを正す機会をいただきたく存じます」


 そこで声を上げたのは宰相でした。


 デボラ返却の条件がまだまとまっていないからです。


 この時点でもまだ魔術塔はデボラが七賢人であることを隠しながら交渉しており、こちらも信じておりませんから『デボラは七賢人なんだろう?』などという不確かなことは交渉の場で言えません。


 そうして交渉は難航し、魔術塔はいろいろ条件を提示してデボラ返却を迫ってくるのですけれど、その条件は一顧だにあたいしないものばかりですから、我々としては、デボラを返すわけにはいかず、ずるずると、魔術指導官みたいなことをさせ、いつのまにかデボラを国家の要職のように扱っていたのでした。


 すべてはデボラが『七賢人であること』を証明しようとしなかったのが原因なのです。


 彼女は『七賢人を名乗るだけの女性』であり、魔術塔の交渉における態度も、彼女自身の様子も、すべてがそれを『嘘』だというように思わせていました。


「あなたが本当に七賢人だというのなら、魔術塔はもっと交渉に熱心に乗り出し、もっともっとこちらにへりくだるはずだ。七賢人なんていう重要人物を、敵視している国にとられている者の対応とは感じられない」


 宰相の言葉にデボラは『もっともだ』という様子でうなずきました。


「わたくしや魔術塔の良識ある賢者が、わたくしを七賢人だと熱心に証明しなかったのは、精霊王国との本格的開戦を嫌ってのことです。異教徒に七賢人の一人を囚われたならば、それはもう、全信者を動員しての聖戦の理由たりえます。この事態の回避を試みたのです」


「ではなぜ、その七賢人が民を先導して精霊王国を危機に陥らせようとした? 扇動役は危険も大きく、囚われる可能性も高いし、死ぬ可能性さえあるはずだ」


「それはもちろん、わたくしの死によって魔術塔が精霊信仰者殲滅の大義名分を得るためでございます。……精霊王がわたくしの死によって苦境に立たされれば、きっと、このおかたは、わたくしのことを嫌い、憎み、ずっと想い続けてくださることでしょう。このおかたの心に永劫残ることを、望んだのです。わたくしは、このおかたを一目見た瞬間から、愛しておりますから」


 一字一句、たがわずに覚えているはずです。


 いわゆる愛の告白というものをされるのは、もちろんすでに妻が四人もいますから、初めてでは、ありません。


 しかし私は、デボラの言葉に、とてつもない重さを感じたのです。


 それは冒険者時代の仲間や、雪国に入って吟遊詩人をやっていたころにいつもおひねりを入れてくれる人妻、果ては街で一瞬すれ違っただけの少女はもちろん、妻たちと比べてさえ、圧倒的な重みでした。


「わたくしは長く生きすぎましたから、精霊王にうらまれ、憎まれ、そうして殺していただけるなら、人生の締めくくりとしてこんなにいいことはないと、そう思い、扇動役に志願したのです。けれど……精霊王は、わたくしを殺してはくださらなかった」


「それは」


 私はそんなふうに口を挟みましたけれど、理由を説明しようとしたようには思えませんので、これはまあ、うめき声みたいなものだったと思います。


 黙っていることに耐えきれませんでした。


 私は死にたいとよく思いますし、殺されたいともかなり思っていますが、誰かを死なせたいなどと思ったことは滅多にないのです。

 もしもこの時のデボラの言葉の重さに理由をつけるのであれば、彼女は妻の誰とも違って、私に殺されたいと、私の手にかかりたいと、そういうはっきりした願望を持っていたことが理由なのではないかなと思います。


『お兄様』でも、『精霊王』でもなく、私の、手にかかりたいと。

 そう言われたように思えたのでした。


「そばで拝見していて、理解しました。精霊王はきっと、誰かをうらんだり、憎んだりなさらないのでしょう。平民も王族も、異なる思想を持つ宗教も、魔術も、それを過去のものとする導器(どうき)さえもひとしく愛してくださっているのです。であれば魔術塔は、精霊王の障害として誇りを持つべきなのです。ところが、この手紙。……是正が必要です」


 デボラの言葉を記憶はしていても、その意味するところはわからないのです。

 ただ、アルバートや宰相がわかったようにうなずいているので、ここで私がくわしく解説してもらうのも悪いかなと思って、わかったような、わからないような、そういう顔をして、うなずいているような、ただの身じろぎのような、そういう首の動かしかたをするだけなのでした。


 後年噛み砕いてみれば、これはきっと、矜持の問題なのでしょう。


 デボラは、誇りある者、すなわち『精霊王』のライバルたる魔術塔にも、誇りを求めたのです。

 導器を要求する魔術塔からはその誇りを感じられず怒ったと、まあ、そういうことなのだと、思います。


 これは非常に貴族的な怒りかたなので、子爵家出身の私も共感できていいように感じられるのですけれど、相変わらず私はそういう『誇り』とかがよくわかっていませんから、理解が及ばなかったのだと思います。


「七賢人だと証明する手段はあります。宰相閣下はどうぞ、わたくしが七賢人であると向こうが認めることを前提として、交渉案をまとめてくださいませ」


「今、その手段を見せてもらえないことには……」


「今は見せられません」


「しかし」


 宰相はかたくなですし、デボラもまた、この件についてゆずるつもりはないようでした。


 私はといえば、なんだか大変なことが起こりつつあるなあと思って話を聞いておりまして、理解できない点だらけなものでしたから、二人の話を邪魔するのも悪いかと思い、アルバートに問いかけました。


「もし、魔術塔の要求する通りに、導器を渡せば、どうなる?」


「国は滅びるでしょうな」


「要求を回避する手段はあるか」


「最終的に、呑まざるを得ないかと」


「それは、どうして」


「向こうの上層がデボラ嬢の正体を知っており、その正体を明かせば信者すべてを動員できるという切り札を持っておりますから、彼女の語る『良識ある』賢者の抵抗が弱まれば、その切り札を切ってくるでしょう。そうなればもう、我らは『殲滅』か『魔術塔の尻を舐める』かを選ばされます。そのさいには今より高圧的に導器を取り上げられるものと存じます」


 この時宰相が「アルバート内務大臣におかれましては、この夜神の従僕が騙る『己は七賢人である』という戯言(たわごと)を信頼なさるのか」と、嫌味をこめて水を向けました。


 アルバートは微笑さえ浮かべて、こんなふうに答えたのです。


「彼女の怒りは高貴なる者の怒りだ。子の悪行を嘆く親の怒りであり、民の狂騒を嘆く王の怒りだ。それとも、彼女をそばに置き続ける精霊王猊下の判断を、貴殿はなんと心得るのかね?」


 それはどうにも宰相を完全に黙らせる一言だったようです。


 私は『なんの根拠にもならないな』と思いながら聞いておりましたので、すぐさま宰相が烈火のごとく反論するのを予想しておりましたから、ここで彼が言葉に詰まったことにおおいにおどろきました。


 かくして首脳会議はデボラが七賢人であることを認めるということで終わり、宰相は『デボラが七賢人であること前提の交渉条件』をまとめることになったのです。


 私が相変わらずぼんやりしているうちに話が進み、決まり、私の役割は話が終わったあとにちょっとうなずいて、上がってきた書類に玉璽(ぎょくじ)をつくだけというものだったのですが……


 この時の会議は、とてもとても重大なものだったのです。


 それを半年と経たないうちに知らしめられることになります。

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