第84話 『精霊王号令』
この当時は冒険者にとっての黄金期であり、『写し目の魔女シンシア』をはじめとしてなん人もの英雄的冒険者が綺羅星のごとく現れました。
それら冒険者たちの中には一代限りの男爵位をあたえられた者もいたほどなのですけれど、そういった位をもらっても、本当に貴族として国家に仕える冒険者というのは、まれでした。
そもそも彼らは自由を愛し、『根城』を持つことを好まない性分があるそうなのです。
シンシアなどは彼女個人も子爵の位を持っているほどですけれど、そういうのを狙って『国家での昇進』のために行動していると、どうしても国家というものに縛られますから、それが嫌、ということのようでした。
そうしてこの当時はまれに見る食糧難であり、いわゆる『根城』を持たない冒険者たちが、飢饉におびえてまで雪の領域にとどまる理由もありません。
それが、我が領域のダンジョン活性化が放置された原因の……いえ、正確には、『活性化されたダンジョンが発見されていなかった原因』のほとんどだったそうです。
あとは、シンシア。
彼女の存在は冒険者内であまりにも強大であり、半ば事務局員のようなことまでやっていたらしく、『シンシアがいる場所なら、多少おかしなことになっても、対処できるだろう』という信頼を受けていたようでした。
この当時に起きたスタンピードもまた、たしかに、シンシアが雪の領域にいれば問題なく解決したことでしょう。
彼女はこの時、海の領域におります。
私がおいてきてしまったのです。
これについて、海の領域からの遠征を求められたことを原因として責めるのが違うというのは、冒険者組合の名誉のために補記する必要を感じます。
海の領域には今、多数の事務局員と冒険者がいて、その中には雪の領域で鍛えられた精鋭パーティなども存在するのです。
それでも追いつかないぐらい同時多発的なダンジョン活性化があって、それでシンシアにまで救援要請が来たと、そういうことらしいのです。
これは『史上類を見ない』ことであり、この対処に完璧を求める権利は、この時期から未来にいるすべての人にないものと私は考えています。
しかし、この当時に生きていた私としては、『急に多くのダンジョンが一気に活性化し始めた』ということを知れる立場にもいたわけですし、海の領域で起こっているそういうことが雪の領域でも起こりかねないと、それぐらいは予想できてもよかったはずなのです。
すべてはもう、終わってしまったことですけれど。
私は、私が『待ち』、『考え』ていればつかむことのできたあらゆる端緒を、つかみそこねて失敗しているように思います。
冒険者関連はシンシアに、大公国関係はルクレツィアに、市政の細かいことはオデットに、行政は宰相に、国内外の貴族との渉外はアルバートに任せておりますし、砂の精霊国にいたってはそのすべてをアスィーラにゆだねていて、彼女らは十全以上にその職務をまっとうしてくれています。
しかし、それらの情報を総合できる立場にいるのは、私だけなのです。
王とはもしかしたら、幾多の才能ある専門家を従え、その情報を統括し、適切な指示、一個の情報だけではわかりようもない未来を読み解き、その時々で『王の一声がなければいけない未来への対策』をとるものなのではないかと、この時点からようやく、私ごときにもわかり始めてきたのでした。
私が王城付近にたどりついた時にはちょうど、民衆がスタンピードであふれだした魔物たちに襲われている、その瞬間なのでした。
私は冒険者としては初級も初級であるから、中には見たことのない魔物も多数おりましたけれど、それだけにとんでもない事態が起こっていることだけはわかります。
「どうする?」
オデットに問いかけられて、ようやく、目の前の事態が悪夢ではなく現実なのだと、理解できたように思います。
思い返せばオデットはいつでも冷静でした。
それは、彼女がほとんどのもの……たとえば人命や誇りといった、人がいちいち説明されずとも当たり前に大事にしているものにさえ、価値を見出していないというのが、理由のように思います。
だからこそ私はオデットの執心と、その理由がわからず、混乱し、いつ気まぐれで彼女が私を見捨てるのかにおびえ続けることになったわけですけれど……
ともあれ、またしても、この場でなにか行動を起こすならば、決定権があるのは私なのです。
ぼんやりしているうちに王城内から兵が出てきて魔物への対処にあたろうとし始めましたけれど、彼らの目の前にあるのは『民と魔物が入り混じり、叫び声をあげながら争い、あるいは逃げ惑っている様子』であり、ここに『隊列を組んで導器をぶっぱなす』ということをすると、民まで巻き込んでしまいかねません。
また、集まった民の中にはそれぞれの事情でクーデターに参加していた冒険者たちもおり、乱戦の中で彼らは魔物をいくらか抑えてもおりました。
これを巻き込んでは魔物の集団がいっせいに王城へとその爪牙を向けそうに思われますし、冒険者を巻き込んで攻撃するというのは、冒険者組合という比較的協力的な組織を敵に回すことにもなりかねません。
人道、戦術理論、政治。
つまり、我が国の兵が攻撃を決断できない理由が幾重にも幾重にも重なり、兵たちはすっかり止まって、民からすれば、兵らが自分たちを魔物に食わせ処理するつもりなのだと、そう見える光景がそこにあったのです。
精霊郷。
私が思い出したのは、昼神からも夜神からも見捨てられた者が最期に落とされるとされる死後の世界でした。
そこでは妖精たちが好きに人の魂を弄び、拷問し、興味のままに苦痛を与え続けるのだと言われています。
もちろん精霊信仰をかかげるにあたって『死後に行く場所』についてもある程度私の解釈(とはいえそれは、答えざるをえなかったから無理やりひねり出した、その場の思いつきでしかありませんけれど)をまとめられ、民に広められています。
なので『昼夜信仰において悪人が死後に落とされる苦痛に満ちた場所』としての精霊郷という言葉は使われなくって久しいのですが、私はやはり『その精霊郷』を信じており、目の前の光景がそのように見えたのでした。
「どうすれば、いいのだろう」
ぼんやりと問いかけました。
この意識せず口にしたこの質問を私が覚えているのは、こぼしたあとで猛烈に後悔したからなのです。
「あなたの好きに」
オデットは私の意思を尊重する人ですから、主張というものをしません。
それは彼女の美学、哲学、盗賊としての矜持に理由があるようでしたけれど、その話はやっぱり、私にはさっぱり理解できません。
ただ、『宝が宝の意思で輝くことが大事なんだ』という一説だけは、なにか、彼女の思想を語るうえで重要な一言のような気がして、心に残っています。
「なんとかしたいけれど、どうしていいのか、わからないんだ」
いわゆる『宝』の条件から外れてしまうことをおそれて、私は滅多に内心の、本気の悩みというのをオデットにうちあけはしませんでした。
もちろん他の妻よりはオデットを頼って相談することは多いとは思うのですけれど、このように弱みというべき『己』をさらしたことなど、人生でも数えるほどしかなかったように思います。
オデットはそこでちょっと悩むようなそぶりを見せてくれましたので、まだ私に協力的なようですけれど、この時の私は『オデットは価値を見出せなくなった宝を手元からなくしてしまう』というのは、やはり心の底にあって、彼女に意見を求めながらも背中には冷や汗が流れていたことを覚えています。
オデットはやはり、指針を示しませんでした。
「あなたがなにを守りたいのか、それが問題だ。民なのか、それとも、城内にいる人なのか、兵か、それとも別のものか」
「すべて、みな、失わないために、どうしたらいいのだろう」
「それはあたしには思い付かない」
このあとオデットは『宰相か内務大臣あたりに聞いたほうがいいね』と続けるつもりだったらしいのですけれど、私はもうそこですっかり恐慌してしまいました。
こんな時に願うのはただ一つなのです。私はこういうどうしようもない状況の時には、いつだって、たった一つのことを願うしかできなかったのです。
「助けてくれ」
私の口からこぼれた言葉の情けなさ、恥ずかしさは、未来から思えば、あまりにもひどすぎて、文字にして笑ってしまうほどでした。
恥、なのでした。
恥を塗り続け、塗り続け、私は今、幾層にも折り重なった恥によって、私は精霊王という巨大な姿になっています。
人々が『精霊王』を賞賛する時、それはたしかに耳触りのいい、英雄的な、奇跡的な活躍ばかりなのだけれど、その奇跡の時に私がしでかしたことはといえば、恥の上塗りだけなものですから、讃えられるというのと、恥を嘲笑されるというのは、私にとってほとんど同一のものなのです。
しかも、この恥は、三十近い男が、こんな状況で『助けて』と述べたことに感じているのでは、ないのです。
三十にもなった私が、精霊王と呼ばれているこの私が、この状況において『助けて』としか述べられない、その能力向上への怠惰、情けない心、成長できなかった精神性が、恥ずかしいのです。
恥じてなお、それを改善できないことが、より恥ずかしいのです。
この当時も私はやはり小さな声で細く細く助けを求めました。
それはスタンピードの影響で魔物たちに襲われている民たちの耳にはとどかず、民たちを挟んで向こうがわにある王城で整列する兵にもとどかないほど、小さい声だったのです。
けれど、オデットの耳にはとどきました。彼女は隣にいたのですが。
そうして、私の『助けて』は、精霊王の救援要請なのです。
軍が進むに充分な理由になり、この言葉が伝令によって伝わったならば、精霊王国の兵はすべての作戦目標を捨て去ってでも、精霊王を救援せねばなりません。それが、王国という形態の国の、国軍の宿命なのです。
オデットが、伝令役となり、私のそばから離れ、兵に私の言葉を伝えました。
オデット妃の言葉ですから、兵たちは王城に精霊王がいなくとも、きっと本当に精霊王がそう述べたと捉えたのでしょう。
兵が進み始めました。
それは人道的、戦術的、政治的に最悪の決断のように思われます。
民と冒険者を巻き込んで軍を進ませ、自分の身だけを守った精霊王。そう歴史に記されてしかるべきことなのです。
けれど、そうはならないのです。
ならなかったのです。
最悪の汚名か、最高に皮肉な英雄視か。
私はまたしても無意識に後者を選んでしまい、そうして、『精霊王降臨』として、城の天井に描かれることになった絵画のモチーフがいよいよ始まるのでした。




