第83話 かつての住居
本当に今さら、私は自分が『食糧難の国を捨てて呑気に外遊していた』ということを自覚したのです。
もちろん国を救いたい意思からの行動ではありましたし、予想外に一定以上の成果は出たのですけれど、なん度も認めたとおり、『布教』という行動には即効性がありません。しかし民は『今』、飢えているのです。
どうしたらよかったのだろう。
また、なのです。私はいつでも、こうして、行動して、時間という限られたリソースを消費しきってから、その消費したリソースについて思いを馳せるのでした。
すでに失って戻らないものの有効利用法ばかり考えて、それが失われる前にはぜんぜん考えなしに使ってしまうのです。
思考能力の欠如。
それは『思考する覚悟』とでもいうべきものがなく、問題に直面したら必死に目を逸らし、なにかストレスの少ない『すべきこと』を無意識のうちに探して、それが思いつくと思いつけたことを喜び、興奮して、まったく冷静でない状態になって行動してしまうのです。
待つ、という重圧に耐えられないのです。
考える、という覚悟を持っていないのです。
行動するというのは、いかにも前向きで、ぼうっとしているよりもずっとずっといいことのように思われるのですけれど、時間というリソースが貴重で、なおかつ重責ある立場ならば、行動の前にやるべきことが山ほどあるのです。私はそれを、いつだって放棄し、楽なほうへ楽なほうへと流れていくままになっているのでした。
戻って、どうなるのだろう。
わかりません。
平和的に魔術塔にあいさつに行く方向で話をまとめるしかないのですけれど、興奮した民の前に出てその宣言をしても、信じてもらえないような気がするのです。
なにより私は、私を信じていないのです。その私の口から飛び出した言葉など、いったい誰が信じるのでしょう?
雪道を歩く足取りはあまりにも重く、吹き荒れる吹雪に押し戻されて後ろに倒れそうなほどでした。
もはや北方にある騎士山脈は雪にけぶって見ることもできず、私とオデットは真っ白い闇の中を延々と歩き続けています。
会話などありませんでした。オデットは無口というわけではなかったのですが、どうにも私があまり、人と話すのを好まない性分であるのを理解してか、最近はこうして二人きりになると声をかけないでいてくれるのです。
急に、公爵邸からオデットに連れ出されて住んだ小さな小屋のことが懐かしくなりました。
まだ私が精霊王と呼ばれる前に住んでいたあの場所です。
シンシアにさらわれて気付けば私はあそこを出ておりましたが、今、あの場所はどうなっているのか、ふと、気になってたまらなくなりました。
「通り道だし、寄って行こうか」
私のつぶやきにオデットはそのように言ってくれましたので、私はこれ幸いとかつて自分が住んでいた小屋に向かい、またしても問題の先送りをすることにしたのでした。
ああ、城は今ごろ、民衆に囲まれているのだろう。ルクレツィアやスノウホワイトは大丈夫だろうか。
こんなふうに、思い出を懐かしんで小屋になど寄っている場合ではないのは、わかっている。わかっているというのに、私の勇気と覚悟はもう、『国に戻る』と決めた時点で底をついていて、だから、こんなふうに思い出にすがって、足を止めてしまうのだ。
『精霊王』なら。
ルクレツィアたちが私に見ている『精霊王』なら、きっと、こんな状況に陥ったって、果てしない深謀遠慮と断固とした態度と、なによりすばらしい覚悟と度胸で、乗り越えてしまうのだろう。
精霊王になりたい。
生涯においてそんなふうに思うことは二度とないのですけれど、この時だけは、みんなの述べる『精霊王』に憧れ、自分が本当に『それ』だったらどれほどいいのかと、そのように考えてしまったのです。
……そもそも、みなの言うような精霊王であれば、こんな事態に陥る前にすでに対策を打っているだろうというのは、まあ、そうなのですけれど。
もういっそのこと、みなのもとへ戻る前に一人で魔術塔の総本山に向かってしまおうかななどと、そういうことも、思いついたりするのです。
しかし、それはやはり『逃亡』であり、ここで己に逃げを許すと、海の領域においてきたシンシアや子シンシア、城にいるルクレツィアや、魔術の国から精霊の国にかえてくれたアスィーラに申し訳がなく、私は歯を食いしばって逃亡欲求をこらえねばなりませんでした。
ここで一発、自分のほおでも張って決意し、城に戻れたなら、どんなによかったでしょう。
しかし、それができないからこそ、私は現在、『精霊王』などというものになってしまっているのです。
雪中を歩んでかつて住んでいた小屋のあたりにたどりつきました。
しかし、私の前にはなにもない、雪に埋もれた場所があるだけだったのです。
「ああ、燃料にされちゃったかもね」
どうやら誰も住んでいないその小屋は、民が薪にするために解体されたようなのでした。
あらためて、まざまざと、困窮というものを見せつけられた気がします。
食べるものも、暖をとるものも、ない。
のちに戦闘以外の用途の導器開発に力を入れさせることになるのですけれど、その決済書に玉璽をつく時には、このなくなってしまった小屋のことが、心にあったような気がします。
私がしばらく動けもしないで立ち尽くしていると、オデットが優しくささやきかけてきました。
「ねぇ、逃げちゃえばいいんじゃないかな。生活ならどうにかなるよ」
その言葉はあまりにも蠱惑的に響きました。
だからこそ、私は、その優しさへの恐怖を思い出すことができたのです。誰か一人に人生をあずけ、その思うままに生き、優しさに甘え、無限に負債をふくらませ、呼吸するのも、みじろぎするのも差し押さえられそうな、あの恐怖。それを、思い出したのです。
逃げるのも、できない。魔術塔への参拝も、だめだ。城に戻ることだって、したくない。
この中でどれが一番ましなのかといえば、それは城に戻ることなのでした。
一生をオデットだけの世話になって過ごすより、魔術塔総本山に参拝して精霊信仰の人たちに恨まれるより……
いえ、この当時の私は、そこまで考える余裕さえ、ありませんでした。
ただ、ここからだと、魔術塔の総本山より、オデットとともに向かう、どこにあるかもわからない逃亡先より、城が一番近かったから、城に戻ることにしたのです。
……なにが、いけなかったのでしょうか。
海の領域に行ったことか。あるいはその後に、まっすぐ城に戻らず、ぐだぐだと寄り道をしたことか。それともオデットの誘惑になびきかけたことか。
とにかく私は、どこかでタイミングの調整をこなしたらしく、『それ』は私が城に戻るとともに起こってしまったのです。
スタンピード。
雪の領域におけるダンジョン活性化災害が起こり、私は城を取り囲む民が魔物たちに襲われているところに出くわしたのでした。




