第78話 わつるふ様の正体
もちろん私がたった一人でのこのこその漁村におとずれてしまったのは私の不注意からなるものなのですが、多くの不注意がそれをしてしまった本人には自分の注意不足だと認識できないように、当時の私もまた、自分が漁村まで来てしまったのを『精霊にかどわかされた』かのように思ったのです。
実際に、すぐそこにいる二人のシンシアにまったく気取られずに酒場を出てこられたというのは、あとから思い返せば異常に思います。
オデットほどではありませんが、あの二人も(子シンシアのほうもです)かなり他者の気配に敏感なほうであり、特にあの場では『精霊王の護衛』という意思を持っていたらしいので、気づけなかったことをあとからずいぶん謝られてしまいました。
オデットの精霊王捜索隊も実は配備されていたらしいのですが、それも私が酒場から出たことに気づけなかったようで、これはもう、本格的に『精霊のみちびき』と言うしかないような、異常事態と断言してしまっていいでしょう。
痩せて目のぎょろついた男のこぐ船に乗ってたどりついたその場所では『祭り』が始まる直前らしいのでした。
しかし、当時のその光景は本当に不気味で暗いばかりで、私にはこれが祭りの前とはとうてい思えず、ここでようやく『騙されたのではないか』という疑念が、だんだんと確信に変わりつつあったのです。
ぎょろ目の男を問い詰めようとしたところ、船がついたのを見て来たのでしょう、体格のいい数人の男が徒党を組んで現れ、ぎょろ目の男をにらみつけ、こう問いかけました。
「そいつか」
ここで私がやはり推測したのは、私が精霊王であるとどこかの段階で看破され、昼夜神殿の手の者にさらわれたのではないか、ということだったのです。
しかし実態は違うようで、彼らは昼夜神殿の信者ではなく、『わつるふ様』を祀る民であり、どうにも私が『わつるふ様』への生贄として見繕われたのだということが、ぎょろ目と男たちとのやりとりでわかってきました。
私がそうであるように、ぎょろ目の男も私にどこかしら共感のような気持ちを持っているようで、生贄として連れてきたのは自分であるにもかかわらず、「すまねぇ、すまねぇ」と泣きそうな声で言いながら、この段階で今さら「助けてはやれないのか」と言い出すのです。
すると私はますますぎょろ目の男に共感を覚えてしまいました。
彼の行動はまさしく、私そのものなのです。流されるまま行動し、差し迫ったところでようやく自分の行動のもたらすものに気づき、もはやどうしようもないのに『なんとかならないか』などと言ってみる。
そういったケースで私が『なんとかなってきた』のは、そばに有能な妻だったり宰相だったりがいて、彼女たちが私に惜しみなく力を貸してくれるからなのです。
しかし、男は一人きりで、力を貸してくれる者もいないようでした。
人が徒党を組むと必ず生まれる『一番下』にこの男はいて、彼は常に奪われるがわ、踏みつけられるがわであり、抵抗する力も度胸もなく、一生をそのまま終えるのだと、そういう立ち位置なのが、わかってしまったのです。
私は自分に優しい者や強い者などをおそれる一方で、弱い者を見るととたんに優しい気持ちがわいてしまうのでした。
覚悟や勇気、度胸があるというわけでもないので、弱い者を見て、それに同情し共感したところで、たいていは彼らがどうにもならない現実に打ちのめされるのを見ていることしかできないのですけれど、今回はもう、ここからあがいてどうにかなる状況だとも思われませんでしたし、ここで殺されるのならばもうそれは『私の責任による死』ではないという思いもあって、私はぎょろ目の男をなぐさめようと思ったのです。
「いいんだ」
恐慌し私の助命をうったえ、今にも相手に殴られそうな剣呑な雰囲気だったせいか、その時の声は自分でもうっとりするほどに、慈愛に満ち、我が身をかえりみない、評判通りの『精霊王』のものでした。
「でもよぉ」
「いいんだ」
それきり、私たちは通じ合い、うなだれ、それから笑いました。
私はまだ顔を隠したままでしたけれど、その時に浮かべていた、情けなく、力なく、この世にはびこる『強者の論理』みたいなものの重みでうなだれて、向かい合っているのにお互いの目を見ずに足の指先を見合うような、そういう疲れ切った笑顔は、彼にも伝わっていたことと思います。
これに戸惑ったのは徒党を組んできた男たちのようで、彼らは偉そうな態度も勢いもすっかり失って、私とぎょろ目の男を交互に見たあと、ばつが悪そうに「わかりゃいいんだよ……」と吐き捨てておりました。
私とぎょろ目の男はようやく見かわしあって笑い、『強者』にほんのささいな一発の意趣返しができた喜びをわかちあったのです。
こうして私は『わつるふ様』の生贄として小屋に通され、誘拐された外国人なのか、祭りということで招かれた貴人なのか、あるいは偉い人の大事なお客様なのか、よくわからない、丁重な扱いを受けることになったのです。
椅子の一つもない狭い小屋に入れられ、「時間になったら来る」と言い捨てられて外鍵をかけられた時、私は実に数年ぶり、アスィーラに出会ったあの年に宿に泊まった時以来の安心を覚え、「ふう」と自分でもおどろくぐらい大きな息をついてしまいました。
しめっぽいと思われた漁村は通気性のいい木造の建物が多く、私が入れられた小屋も狭く、そして暗くはありますけれど、床には土足で踏み込まない習慣があるので清潔ですし、帽子と似た素材でできた床敷きの感触もそう悪いものではありませんでした。
安堵して帽子を脱ぎ、そして服の襟をゆるめていると、カタカタと部屋の小窓が動く気配がします。
それは木枠に紙を貼ってある窓でして、雪の領域ではすぐ川が凍ってしまう都合上、こういう薄くて丈夫な紙というのはないものですから、これを輸入できないかなあなどと考えておりました。
その紙の小窓がいきなり開いたため、私はびっくりして、固まってしまったのです。
そこから中をのぞきこんでいた人物もまた、おどろいて目を見開き、固まっていました。
……どう、認めればいいのか、少し迷います。
今では一般に知られるようになったことも、それが広く人口に膾炙するきっかけとなる物事は、必ずあるものなのです。
私がこの漁村ででくわしたのはそういう、今の『常識』がまだ『常識』ではなく、『受け入れ難い新発見』であったころの、端緒なのでした。
『わつるふ様』の正体。
それは大漁を祈願する神であり、土着の信仰であり……
精霊王がそうであるように、実在する、特定の人物、あるいは集団を指すものであり……
現在の呼び名で語るのならば、それは『マーメイド』あるいは『マーマン』と呼ばれる人種であったのです。




