第76話 『わつるふさま』
広い海原の中に大小様々な島が浮かぶ光景は、陸地ばかりの領域を見慣れた身には、なんだか騙し絵のように思われました。
海の領域は気候変動線を抜けてすぐのところに船着場がありまして、そこから目的の島まで渡ることになります。
大型船乗り場にはたくさんの人が集まっておりますが、その人たちの格好は、やはり雪の領域とはぜんぜん違っておりまして、一枚の布を裁断して作ったワンピースを布のベルトで留めるという、一言にまとめてしまえばそういうような作りの服なのでした。
砂の領域にもこのような衣服はありますが、その違いは、どう言ったらいいのか……布の色合いが砂の領域と違ってモノトーン中心なあたりとか、生地の風合いがどことなくガサついているのとか、そういう細かい要素が無限に積み重なり、とにかく似たものではあるのでしょうけれど、一見するとまったく違うもののように思えるのです。
「シンシア様、お待ち申し上げておりました」
ここで私たち、というよりシンシアを出迎えたのは海の領域の冒険者組合の中でもかなりの地位にいる人物らしいのです。
しかし私は、その男性がそこまでの偉い人だとはまったく思いませんでした。
これは、海の領域の人の特性と言ってしまってもいいかもしれませんけれど、とにかくこの領域は、偉くなるほどヘコヘコと頭を下げ、腰が低く、話をする時にもいちいち自分を卑下しなければならないという不文律があるような、そういう態度をとるのです。
それはいわゆる『慎み深さ』とはまた違うと申しますか、どうにも彼らなりのウィットの一種なのではないかと、そのように思われます。
とにかく気候変動線をまたぐと気候や地形ががらりと変わり、そこで暮らす人の文化も大幅に変わるものですから、私はそのたびに人の様子からその心理をうかがうべく観察をやり直しになり、他領域に入るたび『入らなければよかった』という泣きそうな後悔に襲われるのです。
この時点で私は彼のことを案内に遣わされた小間使いと思っておりましたので、船の中でシンシアからこっそり『かなり地位も実力もあるかたですよ』と言われ、おどろきを押し隠すのに努力せねばなりませんでした。
その時に有利に働いたのが、海の領域特有の帽子なのです。
トウと言ったか、タケと言ったか、とにかく硬い植物の繊維を編み込んで作ったこの帽子は、遮蔽物の少ない海の領域で、人々が日差しに体を焼かれないように生み出した知恵なのです。
このつばの広い軽く通気性のある帽子をかぶり、そこからさらに日除けのための薄布など垂らすと、すっかり顔を周囲に見られる心配がなくなりますから、この帽子だけは、出立前に持たされ、絶対にとるなと申し付けられるまま、かぶりつづけていたのでした。
地位のある男性にこがせるまま四人乗りのボートで進んでいますと、男性が話しかけてきます。
「まさかそのおかたは、シンシア様のお子様でございますか?」
私はこういうふうに話しかけられると、どう対応していいかわからず、黙り込んでしまいます。
なので子シンシアを膝においたままどうしようかとまごついていると、さすがシンシアは慣れたもののようで、愛嬌のある外向きの笑顔など浮かべつつ、こんなふうに応じたのです。
「ええ。宮殿の外も見せてやりたいと思いまして」
「左様でございますか。その、しかし……現在のこちらの冒険者組合には、その、なんと申しますか、まったく我々の不徳のいたすところで申し開きのしようもございませんが、精霊王に連なる尊いおかたとはいえ、護衛をつける余力もなく……」
もちろん彼らはシンシアが『精霊王妃』であることを知っていますから、シンシアの子というのが精霊王の直系であることもまた、知っているのです。
そしてかつてあった東方大移動以来、精霊信仰者を嫌ってこちらに移った昼夜神殿の信者が大量におりますから、そこに子供を連れ込んでくるとは、まさか思わなかったようなのでした。
まったくもって彼らの考えは正しく、私も子シンシアを伴うことについては、ほんの思いつき、振り返るまで連れてこようと述べた記憶さえないほど無意識のことでしたので、今さらながらその危険性を感じて、ぎゅっと小さな体を抱きしめたほどなのです。
その時に子シンシアが「お兄様、苦しいです」と述べたもので、冒険者組合の男性は船を漕ぎ漕ぎ、器用に体をめぐらせて私のほうを見ました。
「シンシア様には、ご長男もいらしたのですか?」
私のことなのです。
子シンシアが私をお兄様と呼ぶのでそのように思ったのでしょうけれど、シンシアに私ぐらい大きな子がいるわけもなく、その奇妙さに男性は口をすべらせてしまったのでしょう。
しかし、すぐさまなにかを察したようにハッとして、奇妙に優しい笑顔になり、取り繕うように早口で言葉を重ねました。
それは方言混じりというか、海の領域特有の奇妙な謙遜混じりでありましたから、その時の私にはうまく聞き取れませんでした。
シンシアも笑顔で対応していたものですからただの雑談だと認識したのですけれど、のちに宿で彼女が珍しく怒りをあらわにしてみたので聞いてみたところ、男性はこのような勘違いをしていたようなのです。
「シンシアがお兄様ではない男性と秘密の逢瀬をしているという、度し難い思い違いがあったようです」
ようするに浮気相手との秘密の旅行も兼ねて海の領域に来たと、そのように思われたのでした。
はからずもそれは私の正体隠蔽が成功していることを表している福音ではあったのですけれど、この領域で活動するさいに、シンシアはたびたび『秘密の旅行をしている者への配慮』を受けたらしく、そのたびにひどく怒って、ここの冒険者組合事務局をどうにかして焼き尽くせないだろうかなどと、真剣に検討している様子まであるのでした。
おかげで私の正体について詮索する者がなかったのは、まあ、よいことだったと、前向きに思ってみても、いいかもしれません。
とにかく海の領域の大人たちについては、このように事実確認もあいまいなまま余計なお世話みたいなことをする傾向がありまして、それは心地よいおもてなしというよりは、陰でひそひそ話しながらネタにして消費していることがうかがえるような、生暖かい視線のほうを感じてしまうものなのでした。
こうなるともうシンシアはずっと不機嫌ですし、私もシンシアの機嫌が悪いと居心地も悪く、今回は『活性化したダンジョンの不活性化』というはっきりした目的もありましたから、これをさっさとこなして帰ってしまおうと、そういう気持ちになっていました。
もちろん私は布教をしようと思ってここに来たわけなのですが、それは本当にプランが皆無というのか、とにかくいつものようにシンシアが大活躍して、精霊に祈りでも捧げれば、おのずと信者は増えるだろうと、そういう程度の目論見だったのです。
私は精霊信仰最大の宣教師として今扱われているのですが、布教しようと思って具体的な計画を練って作戦行動めいたことをしたことは一度たりともないのです。
私の布教は『なぜか、広まっていた』というものでして、その広めかたをあとから研究し次に活かそうとしたことも一度や二度ではないのですけれど、その分析が役立ったことはなく、いつでも『なぜか、広まっていた』という状態に陥るだけなのでした。
この時も広まる理由について、あとから考えても、本当にわけがわからないのです。
そもそも、我々はこの土地の信仰の実態というのか、そういうものを見た時には、ほとんど『精霊信仰の布教は無理だ』と、あきらめかけたほどだったのですから。
「お兄ちゃんもアレかい?」
そういうふうに声をかけられたのは、シンシアが受付で用事を済ませているあいだの、冒険者組合の建物でのことでした。
冒険者組合の建物にはたいてい酒を出す食堂が併設されておりますが、それは海の領域でも同じで、魚を使った料理やら、澄んだ白い酒、あとは海藻なんかを用いたわけのわからない料理なんかが出ておりました。
私もただ遊んでいるだけというのは申し訳なかったので、このあたりには肉や我々の領域で飲まれるような酒が足りていないのだななんて、分析めいたことをしていたところでしたので、急に声をかけられておどろき、つい、そちらを見てしまったのです。
そこにいたのは粘土を焼いただけというような容器で酒を呑み、昼から赤ら顔になった、この領域の冒険者でした。
彼は酔漢なりの距離感で親しげに私に声をかけ、腕の中の子シンシアに酒くさい息をあびせて笑いました。
私はそれだけで彼のことを嫌いになり、子シンシアを彼と反対側において、なにかあればシンシアを呼ぶ心構えをしつつ、『情報収集の一環』ということで自分を説得し、彼からあからさまに遠ざかることをしなかったのです。
これはもちろんなにか騒いで問題を大きくしたくないという、戦いを嫌う気持ちからでしたが、案外、有益な情報を耳にできたので、精霊王としては『精霊のみちびき』だなんて呼ぶべきなのかもしれません。
酔漢が語ったのは、『外国人への不満』なのでした。
いわく、外国人は数年前にいきなり来て島をいくつも占拠しただとか、昼夜の信仰を広めようと強引に布教しているだとか……
外国人の持ってきた富で栄えた島にはパンや肉なんかがもたらされたけれど、この領域で古来からあるものを食すのが、この領域で生まれたものの魂であり、それによってしか鍛えられない『男』の気持ち、根性があるだとか……
とにかく話の八割九割はどうでもいいことでしたけれど、残る一割に、我らの求める宝があったのです。
「だいたいよお、昼神だの夜神だのいわれてもなあ、こちとら『わつるふ様』の加護で育ったんだっていうのによぉ」
わつるふ様。
なんとも耳慣れなく、どこかおそろしい響きだと感じました。
ともあれ昼夜の神ではない信仰が古来からあり、それによってここらの人たちはこんな陸地の少ない場所で暮らせてきたのだと、その程度のことを男はぐだぐだと語り、そうしてテーブルに突っ伏して寝息を立て始めたのです。
わつるふ様。
それは正体もわからない謎の信仰なのですけれど、たった一つだけ言えることがあります。
昼夜の神殿は昼夜の二柱以外に神を認めておらず、それ以外はすべて『精霊』という『邪悪なもの』として扱っております。
特に東方大移動でこちらがわに来た者たちは基本的に昼夜の神以外を認めませんので、その『わつるふ様』もきっと、邪悪なるもの、すなわち精霊とみなされているだろうと、そういうことは、この当時の私にさえ想像がおよんだのです。
ここに私は事態解決の糸口を求め、この『わつるふ様』について調べようと、そう思いついたのです。
私の思いつきはいつも私に困難を運び、私の『こうなるだろう』という推測にはいつだって多分に願望が混ざります。
今回の『わつるふ様』にまつわる行動も、やはりそういう運命を持って始まったのだと、のちに振り返れば、そう思わざるをえないのですが、この時の私はやはりあまりにも能天気で、思い返している今ここにいる私の頭を抱えさせるような、なんともひどいありさまなのでした。




