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クズとヤンデレの建国記(仮)  作者: 稲荷竜
本編

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第75話 海の領域への布教

 スノウホワイトがすっかり貴族的な所作を身につけたころになっても、雪の領域はどんどんその積雪量を増しておりました。


 あたりは一面真っ白になり、長いこと黒い土を見ていないような日々が続き、いよいよ作物の問題は深刻化していたのです。


 砂の精霊国からの支援もありますが、これを頼りすぎても共倒れになるのがわかりきっていて、我々は新たにこの寒い中でも雪を掻き分けて芽を出す作物か、あるいは他の国からの支援を求めねばならない状況なのでした。


 食料の問題は私に絶え間なく心労をもたらし続け、王宮で三度三度毎日食事をとるのもなんだか申し訳なく思うほどで、しかし子供たちの手前親が飢えている様子を見せるわけにもいかず、無理やり体に詰め込むというようなことを繰り返していたのです。


「やはり、海の領域か、あるいは森の領域に遣いを出し、本格的な貿易を始めるべきでしょうな」


 宰相はそう決断し、それに異を唱える者もいなくなっておりました。


 我々は、この二つの領域が気候変動線西にある我々の領域よりも、よほど恵みがゆたかで、珍しい食料も数多くあることを知っていたのです。

 この領域と取引ができればどれほどよいかと思わない日はないほどなのでした。


 しかしそれが全員に言外ながら『最後の手段』のように扱われていたのには無視できない理由があったのです。


 昼夜神殿。


 私の人生に立ち塞がるものはたくさんありますが、もっとも強固で、もっとも反発し、もっともしつこく残り続けているものは、この二つの神殿に他ならないのです。


 私たちが海・森の領域と『国家としてのやりとり』を渋っているのにもやはり、これら神殿の影がありました。


 というのも、海の領域の大国王と、魔術塔の七賢人とが、連名で精霊王国あてに手紙をよこしたのが、すべての始まりなのでした。


 その手紙には精霊王国の昨今の苦境をいたわる旨と、それから食糧支援を申し出る旨があったのです。

 ただしそこには『精霊王が魔術塔総本山に参れば』という条件があって、これを受け入れるわけにはいかず、我々は苦しんでいたのでした。


 私などは特にこだわりもなく、また、問題の認識が甘いものですから、『なんだ、総本山に行くだけで食料を支援してくれるのか。じゃあ行こう』ぐらいに思ってしまったのですが、これはまたしても、複雑な政治的意味合いと、宗教的意味合いのこもった行動なのだそうです。


 昼夜の神殿の反精霊派とでも言うべき連中は、その方針をまたしてもひるがえし、『殲滅』から『懐柔』に切り替えたようなのでした。

 そうして彼らの述べる懐柔はすなわち『精霊信仰は、昼夜信仰より格下である』と内外にしらしめることであり、それには『精霊王を総本山に参らせた』という事件が必要になるらしいのです。


 それでも食べ物には代えられないと思うのですけれど、もし私が総本山に参ってしまえばそれは十年、二十年、あるいは百年という、ほぼ永遠とさえ言える期間ずっと『精霊王は魔術塔に恭順の意を示し、神に赦しを乞うた』と言いつたえられ、そこに『そのおかげで飢饉はおさまった』とか『精霊というものの間違いを認めた』などとつけられ、精霊信仰永遠の汚点として残されるそうなのです。


 宗教というもののやっかいなところがここで、彼らは『経典』『宣教』という手段で自分たちに有利な話をほぼ永遠に残すことができるのです。


 この汚点がなにをもたらすか、その具体的なところもいっぱい説明されたのですが、それを全部書き記すにふさわしい記録にするつもりもないので、とにかく単純に、『昼夜の神殿がいくら人を殺し、民を絞っても、それに異を唱える信仰の生まれない世界にされてしまう』ということだけ、記しておきます。


 つまり、今後数百年、数百万、数千万、あるいは数億人の命が、私の単純な『食料に代えるための行動』により失われると、そういう話なのです。


 とはいえ私は単純なものですから、今後のことも、これから先の時代に生まれるはるか未来の命のことも、目の前で苦しむ人たちの命には代え難く思い、やはりまだ、難色を示しました。


 しかしここでスノウホワイトや子シンシア、シュジャーのことを持ち出されて、『精霊王の子として、無事にすみますまい』などと脅されるとさすがに実感もわきますので、魔術塔総本山に参るのはやめようと、そういう話になったということなのでした。


 けれどその決定を覆さねばならないほどの事態に直面しており、我々はどうにか頭をひねり、魔術塔や昼神教と関係のない場所から食料を得られないかと、そういう話をしているわけなのです。


 もちろん、成果はかんばしくなく、いよいよ『総本山礼拝』が視野に入ってきて、謁見の間に集った人たちの顔は一様に暗く、『将来の不安』というものがすぐ隣に立って肩を叩き、おそろしい双眸(そうぼう)でこちらをのぞきこんでいるような心地になっているのでした。


「民か、家族か、決めていただくことになるやもしれません」


 宰相が私に『決断』を求める前振りみたいなことをするのは珍しく、いよいよ事態が差し迫っているのに、私は震えました。


 選べません。


 民というものは自由にならず、たびたび私の手を離れて暴走し、その生活を支えてもお礼の一つもなく、されて当然という顔でサービスを受け、なにかよんどころない事情でサービスを取り上げるとあらば激しく怒り、こちらをののしる、そういう生き物であると思っています。


 これと我が子を比較などできるはずもないのですけれど、それでも私は、どちらかを捨てる決断ができないのです。


 それはもちろん捨てたあとの報復をおそれる気持ちもありますけれど、それだけではなく、この愚かだと切って捨ててしまってもいい人たちを、その愚かさ、身勝手さまでふくめて、愛してもいるのでした。


 私は多くの人が集まった時に生まれる個性の先鋭化、すなわち『自由』を愛しているのです。

 わがままだし、迷惑はかけるし、言うことはきかないし、癇癪を起こす、この幼子のような民という生き物の、自由さを愛でており、それが失われることだけはあってはならないと、そう思っているのでした。


 もちろん事態がいよいよ喉元にまで迫ってくれば家族を選ぶのでしょうけれど、そこまで差し迫るまでは、この民たちの自由を守りたいと、そう願っているのです。


 しかし、私たちがこうして魔術塔への恭順を選択肢の上位におかざるを得ない理由の一つには、間違いなく民の声がありました。


『精霊王が頭を下げるだけで飢えなくてすむなら、そのほうがいい』


 私が思うようなことは、民もまた思うのです。

 民は今後百年ののちの話などわかりません。もしかしたら、明日の話もわからないかもしれません。目の前に我が子がいても、その子の将来のことも、想像さえ、しないでしょう。


 この『今、目の前の飢え』以外になにも見えない民たちが我々をせっつき、魔術塔の厚意にすがらせようと民意を形成しているのです。


 彼らは『王宮でぜいたくな暮らしをしている者にはわからないだろうが、実際に飢えかけているのは我々で、食糧を作っているのも我々で、天候のせいでもどかしい思いをしているのも我々だ。ただ頭を下げるだけで我々が救われるのに、なぜそれをしない』と声高に訴え、高札などを勝手に立てます。


 これについて私は反論する言葉を持ちません。


 しかし、民には民の悩みや苦労、差し迫った危機があるのはわかるし、言い分を訂正するほどあなたたちのことを尊重していないわけではないのだけれど、同様に、我々も我々のできる限りをしようとしていることは認めてもらえないだろうかと、そう思ってしまうのは、隠せませんでした。


 自分たちを尊重するように求める人たちの特徴というのか、まず自分たちが他者の働きや心労を認めていないのに、自分たちのことばかり認めろと、このようにうったえる傾向があるように思います。


 そうして少しでも認めると、どんどん『あれも、これも』と思い出したように『自分の苦境』をうったえ、それがすぐさま改善されないと大騒ぎしますので、私もだんだん嫌な気持ちになり、『そんな大騒ぎする元気があるなら、もう東のほうへ移動したらいいじゃないか』という考えが心をよぎってしまうのは、どうしようもないのでした。


 そのくせ行政が対応し彼らのうったえた問題を解決するころには、彼らは自分がなにをうったえたのかさえ忘却しているのです。


『今日』しかないかのように振る舞う彼らに辟易してしまうのは、もう、本当に、『どうしようもない』ぐらいしか表現する言葉が見当たらないぐらいに、どうしようもないのでした。


 しかし天は我を見放さなかったのです。


 この当時は本当にそう思っていたのでした。罰しか与えないものと思われた神だか精霊だかが、私のために天啓をもたらしてくれたのだと、あまりのタイミングのよさに、そう思ったのです。


「お兄様、海の領域でダンジョンが活性化し、応援要請が冒険者組合からとどいておりまして……」


 シンシアが言いにくそうだったのは、それが冒険者として逆らえない要請であり、精霊王国王妃として行くのが望ましくない状況だったからです。


 彼女はどうにもこの時、あれほど熱心に続けていた冒険者稼業から足を洗う覚悟さえしながら、私に話を持ってきたようなのでした。


 つまりシンシアは、誇りをもって続けていた冒険者よりも、精霊王国王妃としての立場をとるつもりで、私に話を持ってきたのです。


 ところがここで私が持ち出したアイデアは、彼女にとっていたく想定外のようでした。


「ならば、ちょうどいいから、私も同行しよう」


「は? いえ、その……よろしいのですか?」


 この時のシンシアのおどろいた顔は、彼女があまり表情の変わらない人なだけに、よく覚えています。


 私はこの時点で『シンシアさえもがおどろくようなことを言った』と自覚すべきだったのですけれど、『素晴らしいアイデア』を思いついてしまった時の私には自己客観視の力がいちじるしく欠如しておりますから、シンシアの様子に気づいたのも、のちに思い返してのことだったのです。


「うん。私も考えたのだけれど、この苦境を解決するためには、やはり精霊信仰を向こうに広めて、民におのずから食糧支援をしてもらうしかないと思うんだ。シンシアと私なら、きっとできるだろう。だから、行こう。シンシアも連れて」


 子シンシアはこのころ歩けるようになっており、舌足らずにおしゃまなしゃべりかたをするのがたまらなく愛おしく、一瞬たりとも手元から離したくないほどだったのです。

 ただ、私のことを『お兄様』と呼ぶのは、なんというか、やめてほしかったのですけれど、それはどうにもシンシアの仕込みのようでして、私は強く人の行いを否定できない性分なものですから、大きくなった子シンシアには、いまだに『お兄様』と呼ばれており、そのたびむずがゆいやら、背筋が寒いやら……


 大人シンシアはなにかを思案していたようでしたが、すぐに金銀の目を細めて美しく笑いました。


「素晴らしいお考えです、お兄様」


 ……宰相あたりに相談していればきっと、布教という活動には長い長い年月がかかって、喫緊の問題を解決する方法としては下策も下策であることを教えてもらえたでしょう。

 また、東方大移動によって昼夜神殿の信仰者密度が増えた気候変動線東の領域に、精霊王が直接出向くというのがいかに危険なことかも、いっしょに教えてくれたように思います。


 しかしこの時の私は宰相やルクレツィア、それにアルバートあたりに相談してはこの『素晴らしい思いつき』を止められると思っておりましたから、シンシアと、事情を聞いてきたオデットにだけ明かして、さっさと東方へ旅立つことにしたのです。


 オデットはきっと危険性について承知していたと思いますし、そのために例の『精霊王捜索隊』を使って安全確保なども心を砕いてくれたようなのですけれど、彼女は私の行いを止めようとしませんから、今回もまた、私のしたいままに任せてくれたのです。


 だから、もうこれもどのぐらい言ったかわかりませんけれど、これから始まる事態もまた、その責任は私にあります。


 しかし能天気な私はこれから起こることなど予想もしないものですから、シンシア、子シンシアとの初めて行く領域への旅を、旅行かなにかだと思い、うわついた気分でいたのでした。

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