第66話 スノウホワイトの誕生
この当時に起きたことで私が本当に幸運だと思えるようなことを探すのならば、それは、祖国にあった大きな懸念の一つが、昼夜の神の信徒として東へと流れていったことでしょう。
すなわち祖国の第一王子は、さっさと武装蜂起して国を取り戻そうとしたのではなく、いったん国を離れて気候変動線より東へ行き、力をためる決断をしたのです。
私は『決断』の力がないものですから人の決断についてとやかく述べる資格はありませんけれど、あくまでも『未来から』の視点で語るならば、第一王子のこの決断はおそらく、間違いだったのだろうと思います。
なぜなら精霊軍のほとんどは私といっしょに結婚式の行進の列にまじって砂の精霊国まで来てしまったものですから、この当時、祖国にまともな兵力を残していなかったのです。
第一王子はここで立てば、祖国の城にこもっていた身重のルクレツィアを捕えることも可能だったと思われます。
そうならなかったのは、本当に私にとって幸運で……
とはいえ第一王子の行動を知ったのはずいぶんあとだったわけですから、この当時の私はアスィーラとの結婚式を終えて一息ついたタイミングで、急に祖国の城に残してきたルクレツィアのことが気がかりでたまらなくなり、アスィーラに頼んで慌てて精霊国義勇兵たちを引き連れ、祖国へと戻ったわけなのでした。
そして城でさまざまなことをまとめていたルクレツィアに、このようなことを告げられました。
「ここは正式に精霊王国となり、この城は今日からあなたの住処となった」
これが私の人生で七つ目の住処になるのでした。
まさか、祖国の王城、その玉座に腰掛け、あまつさえそこに住まうことになろうとは……
今思い返しても、『なにがなんだか、わからない』という感慨ばかりがあって、ちっとも実感というものがわきません。
ともあれ書面上、契約上、権利上……私が祖国に戻った時点で、『祖国』は本当の意味で、世界から消え失せたのでした。
さて、祖国がまるごと手に入りました。それは、ようするに南にある穀倉地帯も手に入ったことになります。
これで精霊王国の食料事情は解決、とはなりませんでした。
この当時の私はまだつかんでおりませんでしたけれど、昼夜の神殿は敬虔な信徒や、身分があり精霊王への対抗心を持つ者に、内々に気候変動線より東への移動を薦めていたのでした。
これはのちに『東方大移動』というかたちで白日のもとにさらされることになるのですけれど、この時はまだ初動も初動ですから、我々の認識としては、『ここにいるべき民が、いないな?』という程度のものでした。
その『いないな?』は土地の調査をさせていく段階で次々とあきらかになり、また、民は出て行くさいに貯蔵されていた麦などをすっかり持ち去ってしまったものですから、我々の食料事情は、『解決』とまではいかなかったのです。
空いてしまった土地については、元祖精霊国と申しますか、アナスタシアの治めていたあたりにいた、畑にもできない雪深すぎる土地の民に分配することで、どうにかしようということになりました。
しかし『開墾地私財法』を施行しており、そのために人々は力を尽くして自分の土地を得ようとしているものですから、そこにいきなり、働いていない人たちにポンと土地を渡しては、不満が出るでしょうと、そのように言われました。
これはたしかにその通りだと思ったので、なにかしらの『設定』が必要になります。
そこで義勇兵として参加した者の中から戦果のよさそうな者を選んで土地を与えるということになったのです。
この当時の精霊国義勇兵は本当に無給で、もちろんアスィーラの結婚式に出た食べ物などを食べさせてもらうという程度の恩恵はありましたが、その程度だったのです。
『無償で働かされた』という記憶は、本人が本人の意思で呼びかけに応じてのことであっても、いつか『労働力を搾取された』という思い出にかわって私への恨みになると思われましたので、これに恩給を与えるというのは素晴らしいことだと思ったのです。
しかしここで、大きな問題が立ち塞がりました。
たとえば私が精霊王となるきっかけである『雪の王都奇襲』から数えても、我々精霊国はまともな戦いというのをしたことがありません。
雪の王都奇襲は歩いていたらなぜか王城までたどりついてしまったという怪談のような不思議な話ですし、大公国支援のための戦もテンションが上がりすぎた民が突撃したら片付いてしまい、その後、祖国の陛下が崩御したのでなんだか相手が一方的に降参したと、こういう事件なのです。
さらに祖国を奪うことになった戦いは、そもそも戦いではなく『結婚式』ですから、この時の働きに武功を見出すというのもおかしな話になってしまいます。
つまり戦働きで目立った者を探すことができないのです。
困りました。
そんな時に意見をくれるのは、いつでも有能な私の重臣であり、もうじき宰相と呼ばれるようになる彼なのでした。
「神が決めたことになさっては、いかがか」
これは現在で言う『精霊クジ』のはしりになる意見で、のちにこのクジは現金を出せば誰でも買えて、当選者にはお金が入るというようなものになるのですけれど、この当時は義勇軍に参加した民に配って、当たりの番号を引いた者に土地を与えると、そのようなものとして始まったのです。
このクジは本当に素晴らしい思いつきだと思っておりました。
これならばもう、完全に運否天賦のしわざでありますから、土地をもらえた者はこの世のものではない神に感謝するでしょうし、外れた者も、残念がり、天にツバでも吐くと、そのように思っていたのです。
しかしそうはなりませんでした。
当てた者は私に感謝しますし、外した者は私にうったえてくるのです。
しかもこののちにはクジを引く前には熱心に私に頼み込んで、私がクジの当たり外れを決められるかのように思っているような、そういう様子の者まで、出始めるのです。
これは現在までそうなのですが、私は精霊クジの結果について、まったく関与しておりません。
だいたい、そんな、『誰かに得を与え、誰かに得を与えない』などという決断、私がしたがるわけがないでしょう。
しかし民はクジの結果を私が操作しているかのように、半ば本気で思っているようでした。
それは私がクジの運営がわであるという意味ではなく、なにか神なる不思議な力でもって確率を操作していると、そのような思い込みに感じるのです。
そのように人の不可解と言うべきものは、相変わらず私の人生に大きな石のように立ち塞がっておりますけれど、それはまあ『いつものこと』なので、ここからの一年ぐらいは、私の人生でも珍しいほど、安定した時期だったと言えるのではないでしょうか。
この当時にはさらに二人の妻の懐妊もあり、もちろん、ルクレツィアと私のあいだの子も、無事に生まれました。
ルクレツィアとその父のあいだにあった不穏な空気もいつのまにか払拭され、大公国王から私への支援に対する返済要請もされなかったことになりましたので、この当時のルクレツィアは、出産のために大公国におりました。
いざ出産という時には私もそこに出向いて、産婆たちに『落ち着いてください』と笑われながらも、逃げ出したい気持ちをこらえて、我が子がこの世に生まれる瞬間を待っていたのでした。
そうして無事に産まれた我が子は、しわくちゃで、赤くて、とても小さく、それから、とても元気がよかったのです。
私は我が子の鳴き声が遠く騎士山脈まで響き渡るような心地で、腕の中の小さな命がここまで元気に、そしてここまで無力に私の腕に身をゆだねているのが、愛おしくてたまりませんでした。
この子ならば、信じられる。
私はてらいのない信頼というものに飢えておりました。
それは四人の妻を相手にしても、『まったく心配するところも、気になるところもない』というほどには発揮できないものでしたから、私の心にはきっと生まれつき『信頼』というものが欠けているのだろうと、半ば本気で信じておりました。
しかし、腕の中の我が子には、疑う余地がないのです。
きっと、祖国の王が晩年暴走し、生まれたての第二王子に王位をゆずるなどと言い出した時も、このような気持ちだったのではないでしょうか。
すべての人は知恵があり、なんだかわからない法則の中に身をおいて、言葉には裏があり、行動さえも、真実ではない。
朝に嬉しそうな顔で感謝を述べておいて、夕べには忌々しそうな顔で文句を吐き捨て、感謝させられたことを怨むような、そんな人々ばかりの、この世界。
その中で、生まれたての我が子の、なんと無垢で、潔白なことか……
私はこの子にスノウホワイトと名付けました。
祖国王の孫である第二王子は、ルクレツィアの提案によって大公国王の子ということになっており、スノウホワイトが産まれる瞬間にも、立ち会っておりました。
スノウホワイトにとっての小さなおばであるエリザベートは、生まれたての姪っ子を見てたいそう喜び、この二人はこのあと姉妹のように育ち、ともに土地を運営することになるのです。
私はこの当時、ここからの人生はもう、すべてうまくいくものだと思っておりました。
私は我が子の誕生に立ち会って人への信頼を育み、四人の妻たちを愛し、さらに産まれてくる我が子もきっと愛せる。
国家には相変わらず問題は山積みだけれど、かつてのように『この先、どうしたらいいかもわからない』というほどではなく、種々の問題を一つ一つ片付けていけばきっと、国家経営も安定するだろう。
家臣たちは有能で、やはり『精霊王』を必要以上に高く見すぎているところは感じられるけれど、力を尽くしてくれるのはありがたいし、彼らの才覚はきっと、我が子の暮らすこの国をよくしてくれるだろう。
きっと、うまくやっていける。
しかしそれはやはり、『推測』ではなく、『願望』にすぎなかったのです。
精霊王国に次なる脅威がおとずれたのは、ちょうどアスィーラの子がもうじき生まれるという、暖かい時期のことでした。
祖国の第一王子が、国を取り戻すため、東方から兵を率いてやってきたのです。
その背後にはもちろん、昼神教と夜神教の姿も、ありました。




