第49話 生家
久方ぶりに入った祖国はどことなく沈んだ空気が流れており、あれほど憧れた石畳の道もどこか朽ち、活気があったはずの人々はうつむき、痩せ細っているように感じられました。
どうにもその原因には大公国を成立させてしまったこと、精霊国に大敗したこと、そしてその戦争行為の代償として発生した賠償があるようでした。
私は故郷が活気のない様子なのを見て、その遠因に自分がいることに心を痛めました。
この様子を見て私の心によぎったのは、シンシアとの結婚式から顔を合わせていない両親のことです。
「ちょっと、両親の様子を見たいのだけれど」
この当時の私は右目以外のほとんどの箇所を『火傷を負っているから』ということにして包帯で隠していたものですから、たった一言発するにも大変な苦労をせねばなりませんでした。
さすがにやりすぎだと思うのですが、大公国王もオデットも、その周囲にたまたま居合わせた者さえもが、『精霊王はここまで顔を隠さねば、きっと正体がばれてしまう』と見解を一致させたため、しかたなくこうして顔のほとんどを隠しているのです。
その私の短い言葉に、オデットはどこか食い気味に答えました。
「是非会おう。あたしもあいさつをしたいと思っていたんだ」
言われてみれば、おそらく三人の妃の中で私の両親と面識がないのは、オデットだけなのです。
ルクレツィアと両親が出会ったかどうかはわかりませんが、もともとルクレツィアはこの国の公爵の娘であり、私との婚約もあちらが主導だったようですから、両親と顔を合わせたことは、きっとあるのでしょう。
こうして文字に認めていると、なんだか自分がこの国の子爵の家で生まれ、台所に捨てられていたシンシアを追放し、神学校に入学してルクレツィアに出会い……といった日々が、幻のように感じられます。
禁書庫番の役割をいただく子爵家の後継でしかなかった私は、いつの間にか精霊王として君臨している。
順当にいけば魔術塔に信仰を捧げていた私は、ルクレツィアの要求によって神学校へと進み、そうして重責から逃亡し冒険者となり、気付けば精霊王……
今でも時おり、目を閉じて、そして再び開けたなら、これまでの精霊王としての日々は幻で、かび臭く暗い禁書庫の司書席で目覚めるのではないかと、そのような気がするのです。
この人生はなにもかもが夢のようで、もしかすれば、禁書の扱いを間違えた私が閉じ込められた、現実ではない世界なのではないかと、そのように……
けれど、目を閉じて頭をよぎるのは、たしかに、転げ回りたくなるほどの羞恥、立ち塞がるさまざまな現実的な問題、悲鳴を挙げて逃げ出したくなった数々のできごと……
悲しいけれど、この当時の、オデットを伴って両親のもとをおとずれたこともまた、夢ではなく、現実なのでした。
私は両親の住まう家を目指しました。
我が家は領地こそありますがそちらに住んではおらず、王都に程近い郊外に居を構え、いつでも登城して禁書庫に出勤できるようにしておりました。
王宮内でのお役目を持つ家の者はだいたいがそのように領地の管理を執事などに任せ、自分たちは王都付近で過ごすということをしていたのです。
だから私が目指した場所もまた、王都郊外の子爵邸だったのですが……
そこはいつのまにか無人になっており、管理者とおぼしき年老いた掃除婦が、一人で中庭をはいているところでした。
窓は締め切られて板が打ち付けられ、華美ではないが小綺麗だった庭園はそこで育てていた草花が抜き去られておりました。
生まれ育った家から人の気配が消え去っているというだけでも衝撃的でしたのに、母の世話していた庭がすっかり枯れ果て、家庭教師から逃げまわったさいに通り過ぎた菜園もただの土に戻っているというのは、幼いころの幸福だったころの思い出がすっかり土に還ってしまったような、自分自身の死とさえ言える衝撃がありました。
私は愕然としてなにも言えないありさまでしたから、オデットが人好きのする笑顔を浮かべ、掃除婦に「ここの子爵様に遠方から手紙を持ってきたのだけれど、子爵様はどうされたのかな」とたずねました。
するとオデットの雰囲気のおかげか、老女は「ああ」と同情するように眉根を寄せて、こんなことを述べたのです。
「ここの主でしたら、なんでも国家を困窮させる遠因となったとかで、爵位を自ら返上し、財産もすっかり王家へ献上しました。領地だった場所に小さな館だけは残したので、今はそちらにお住まいということですよ」
いったい、どうして。
そんな言葉が私の胸によぎり、そうして、心も、頭も、凍りついたようにそれ以外を思い浮かべることができなくなりました。
いったい、どうして。
いえ、あきらかなのです。間違いなく私のせいなのです。しかしこの時の私はいっこうに結論にたどり着けませんでした。
それは知能の問題というよりも、やはり、私の脆弱な精神が原因のように思われます。
「……確かめてみる?」
そんなことをしている場合ではないという、精霊王としての使命感みたいなものを、私はほんの一瞬だけ、思い出しました。
けれど私の体は勝手にうなずいていたのです。
こうして私は、ほとんど行ったこともない自分の家の領地へと向かうことになったのです。
砂と魔術の国に入るのは、もう少しあとになりそうでした。




