第48話 大公国の証書
私たちが『砂と魔術の国』へ行くには国境を越えねばなりません。
しかもそれは、精霊王の身分をあきらかにせずに行かねばならないのでした。
私は問題を直視するのが嫌いで、特に現実的、事務的、法的、国際的、金銭的、人間的な問題というのは、もう見るだけでもかなりの力を持っていかれてしまいますから、問題解決のための人選だけしたならば、あとはその人に任せていれば万事解決して、自分でなにかをするようなことないと、そのように思い込む傾向があります。
ところがそうはいきません。
かつてオデットは冒険者証書を使って私とともに国境を越え、長く潜伏生活を送った手腕があるわけですが、それは私が精霊王として広く知られる前の話であり、今の私は、同じ手段では国境を越えることができないのです。
そしてうまく正体を隠して国境を越える手段は、オデットにも用意できないのだと言われてしまいました。
正しくは『密出国』と『芸人に扮する』という手段を提示されましたけれど、密出国は当然ながら危険が伴いますし、旅芸人に扮するのも、もしも芸人でないと看破されれば『不正に国境を越えようとする者』としてその場で斬り殺されるおそれもありましたから、私にはとてもできそうになかったのです。
困り果てた私はとりあえず、この件の発案者である(外国を見てみろと手紙で言われたのでこの当時の私は発案者だと思っていますが、先述の通りそれは私の勘違いです)大公国王を頼ることにしました。
もちろん大公国と精霊国のあいだにも国境はあり、関所はあります。
しかし、大公国と私とが最近緊密に、秘密のやりとりをしていることは宮中で有名ですし、仮に大公国に精霊王がひっそりたずねて行ったとしても、まさかその先で国境を越えて『砂と魔術の国』へ行くとは思われないだろうという打算もあったのです。
私はオデットを伴ってなるべく堂々と関所まで行き、やはり遠目に見ただけで私の正体はばれるようでしたから、関所の番兵をねぎらいつつ、訪問動機をたずねる彼らに、このように述べました。
「これから大公国王と秘密の会議がある。いいかい、このことは、誰にも言ってはならないよ。供回りも、妃を一人だけしか連れていないぐらいの、秘密の会議なのだ。他の妃になにか聞かれても、決して漏らしてはいけない。いいね」
今思うと焦りと不安のあまり無駄に口数が多くなってしまっていたように思われますが、とにかくその場は勢いと誤魔化しでなんとか通り抜け、私とオデットはどうにか大公国へ侵入することに成功しました。
さて、大公国王は当然『国王』でありますから、ふらっとアポイントメントもなしに行ってすぐに会えるというお人ではありません。
もちろん宮中の者に察されるのを嫌って事前のアポインメントなどとっておりませんから、大公国王にどうやって会おうかという、そこで私たちはすっかり手詰まりになってしまったのです。
しかし事態はやはり『精霊の導き』のごとく推移しました。
気の利いた関所番が、わざわざ登城して『精霊王がお越しの旨』を大公国王に告げてくれたのです。
この伝令は秘密裏にして緊急のものとして、王に直接届いたようですから、なにごとかと血相を変えた大公国王が満足な伴も連れずに関所までいらしたのを、私は大変申し訳ない気持ちで迎えるはめになりました。
そうして焦った顔で用向きをたずねる大公国王に、私はこのたびの『砂と魔術の国訪問計画』と、国境を越える手段をどうにかできないかという相談をしました。
大公国王はしばし呆然としておりましたが、なんだか疲れ果てたように力なく、「そうだな」と悩み始めました。
「精霊王はその、大変目立たれるので、やはり、まずは顔を隠さねばならないだろうな……」
この時に大公国王が私を止めなかったのは、さしもの老獪な貴族たる彼とて、『精霊王が唐突に訪問してきて、いきなり国境を秘密裏に抜けたいがどうしたらいいなどという相談をしてきた』ということに混乱し、その目的や動機をたずねることを失念してしまったのだと思われます。
もしもこの時に大公国王が私の『砂と魔術の国』入りの動機をたずね、それが自分の送った手紙の内容を勘違いされたものだと知り、私を止めたならば、私はこのあと、『砂と魔術の国』でひどい目に遭うこともなかったのでしょう。
相変わらずすべては私が悪いのですけれど、あとから振り返るとやはり、『もしもなにか一つでも大公国王から勘違いの是正につながる言動をもらえたならば、私はあの苦労をせずにすんだのに』という思いがわいてしまうことは、禁じ得ないのです。
そうやって私の相談を受けた大公国王は、きわめて迅速かつ手軽に私たちの身分を偽装してくれ、大公国からの行商人というふうにした越境証書を発行してくれました。
このあまりに手軽なのに、私は『やはり大公国王は、私にあの南の国の様子を見せたいのだな』ということを確信したわけなのですが、のちにルクレツィアにたずねたところ、まったく別の見解を提示されました。
大公国王はこの時、私におびえていたらしいのです。
私ごときにあの、貴族の範たる大公国王がなにをおびえることがあるのかと思ってしまうのですが、のちに事情をすべて知ったルクレツィアにいわく、『支援を打ち切り、返済を迫る旨をしたためた手紙のすぐあと、アポイントメントもなしに精霊王が直接乗り込んできたのだから、なにをするのか不安に思うはずだ』ということでした。
それに加えて、また別のところからの話なのですが、ルクレツィアはオデットのことを、大公国王にやたらとおそろしげに語っていたらしいのです。
これは大公国王が完全に平民出身であるオデットを『我が娘と並ぶ立場の妃として遇されているのは、我慢ならない』としたため、ルクレツィアがおおげさにオデットのことを語って、大公国王を黙らせたことがあるのが原因のようでした。
どう語ったかはそのくわしいところを誰も教えてくれなかったのですが、漏れ聞こえた話をつなげますと、『闇に潜むこと影のごとく、どこでも侵入できる』だとか、『どれほど見つけようとしてもまったく痕跡を残さないので、一度隠れられたら二度と発見できない』だとか、『その気になれば各国の王城に散歩のごとく侵入し、王の首を持ち去ることもたやすい』だとか、それはそれは、すさまじい誇張を語ったようでした。
大公国王はそれきりオデットによる暗殺を警戒し、私がオデットを『そういう用途』で重用しているものと解釈し、私の三人の妃の人選についてそれ以上の口出しをしなくなったようです。
そのオデットを伴っていきなり大公国を訪問した私は、はからずも大公国王に不穏なメッセージを伝えてしまい、おびえた大公国王は私の意のままになったと、そういうことらしいのでした。
かくして私は大公国の視察隊として、南の国へと向かうことになりました。
しかし、かの国はまだまだ遠く、そのあいだには私の生まれ育った祖国も存在します。
どうして私はこの時、『ついでだから、両親にあいさつをしていこう』などと思ってしまったのか。
ふとした思いつきはいつでも私によからぬものを運んできます。それはもちろん、この時も例外ではないのでした。




