第43話 新しき民と古来の民
やはり私は物事を深く読み取る能力がなく、そこらじゅうに転がっていたあらゆる前兆をぼんやりと『そんなことも起こっているのかあ』程度に認識し、次の瞬間にはさして気にもせず忘れてしまうということを繰り返してきたのでしょう。
大公国が樹立しました。
それはのちに『ルクレツィア大公国』という、公爵のもっとも有名な娘の名前を冠する精霊国の友好国となるのですが、当時まだ定まった名前を持たなかったこの国にも、民はいるのです。
というより、民とは土地につくものですから、『大公国にいた』と述べるよりは、『大公国となったあたりの土地にもいた』と言うほうが、実情を正確に表すことができているかもしれません。
大前提として、民は自分の上に立つ者が誰であれ、そこに関心を持たないのです。
ただ、税の重さだとか、治安だとか、そういうものが大事で、それが担保されている限りにおいて、王が変わろうが、領主が変わろうが、彼らはさして気にしないようですし、領主の名前さえも覚えていないというようなことも、よくあるのでした。
私もまた『精霊王』という通名ではよく呼ばれるのですけれど、では精霊国の民のどのぐらいが私の実名を知っているかというと、これはおそらく、三割もいないのではないでしょうか?
そんなありさまなものですから、大公国の民たちは、自分の住んでいるあたりの土地の主が変わったことも知らなかったわけなのですが、戦乱という直接的なことに巻き込まれたのをたいそう不安がり、そこで少しでも不安の少ない場所に移り住もうということで、精霊国に来たというわけなのでした。
私はこの当時、民たちの心理がよくわからなかったものですから、彼らのたどたどしい主張を聞いても、彼らがなにを言いたいのかを全然理解できなかったのです。
というのも、どうにも彼らが安寧を求めて『生まれ育った土地を捨てる』という重い決断をしたのはわかるのですが、当時の精霊国は、『安寧』とは程遠いありさまでした。
先の戦争において食料はほとんど空っぽになり、それは祖国からの物資支援……というか講和条約に伴う賠償によってどうにかなったのですが、依然として輸入に頼らねば次の年にどうなるかわからない、寒々しい痩せた土地なのです。
その輸入とて、代わりに輸出できるものはダンジョン資源ぐらいなものなのでした。
塩と魚、イモあたりはよくとれるのですが、それは国内の食料をまかなうために消費されてしまい、とても輸出品になるほどではなかったのです。
こんな土地で、安寧。
しかも、祖国からの賠償によって一時改善した食料事情は、こうして流れてきた亡命者たちによって、再び危機に陥っていました。
この時の亡命者は、精霊王の率いる義勇軍の三割ほどにのぼりました。『全国民』と言える規模の義勇軍の、三割です。
言うまでもなく国民が急に三割増えたということになりますが、これを受け入れる準備などしているはずもありませんから、私は国王の名のもとに、彼らの住む場所、仕事、そして生活が安定するまでの食料をふくむさまざまな支援について、頭を悩ませねばならなかったのです。
いい加減にしてくれ、とこの時はさすがに怒鳴りかけてしまいました。
住居も食料も、民が増えるに合わせてどこからともなくわいてくるわけではないのです。
そもそも、精霊国は国家として困窮しているのです。
だというのになぜか民は、ここに『安寧』があると思い、押し寄せる……
「今回はどうしようもありませんでしたけれど、やはり人足の数の管理と、部隊の数えやすさについては、見直すべきでしょうな」
重用している家臣からそんなふうに言われて、それはまあ、わかっているのですが、今言われてもどうしようもないという感があり、私はまともに返事もできませんでした。
まったくもって彼の言う通りなのです。
正しさ。
私は自分が『王』という正しさを体現する存在となってなお、この、論理的というのか、道義的というのか、『それはまあ、言われてみればまったくその通りで、反論の余地もないのだけれど』というようなことに対し、反感があるのです。
正しさを押し付けられるたび、私の心の中には表に出せない不満がたまり、どうしようもなくいらだち、しかし相手が正しいだけに、稚気に任せて論理的でも道義的でもない不満を口に出すこともできない……
こうなってくるともう、すべての責任が自分にあるのはわかってなお、『どうにでもしてくれ』という思いがあり、私は「すべて、まかせる」とむっとした顔になり、述べてしまうのです。
この幼さを私はのちに振り返って恥じ、ひどいことを言ってしまったとおびえ、きっと悪辣な報復が今この時も練られているに違いないと恐怖のあまりベッドの中で頭を抱えて震えるのです。
けれどこういった『すべて、まかせる』のあとに報復を受けたことは、いまだかつて、一度もありません。
それどころか『裁量権を与えてくださり、ありがとうございます』などと言われ、いわゆる『精霊王』の『人を見る目のすばらしさ』の伝説に一つのページを加えられてしまうありさまで、私はこの世のままならなさを感じるばかりなのです。
この『国民総数三割増』という、精霊国史以外ではまず聞かないような大事件もまた、のちに解決の糸口が発見されることになります。
ですから問題は、解決の糸口が見つかるまでのあいだの国民感情なのでした。
私の差配(ということにされていますが、私は相変わらず、なにもしていません)によって新しく入ってきた民は住居を用意され、生活が安定するまでの支援を受けることになりました。
しかし最初から国にいた民がこれを聞くやいなやうらやみ、妬み、自分たちにも同じぐらいの支援をすべきだ、戦争で活躍したのは自分たちなのにその恩賞もないのはおかしいと、そのように叫び出したのです。
再確認しますが、彼らは義勇兵でした。
時代や土地、管理体制の変化によって『義勇兵』という言葉の意味は異なりますが、この当時の精霊国においては『食料も持ち寄り、給金もなく、栄誉と信仰のために命を懸けて精霊王に尽くす兵』という意味でした。
つまり彼らに与えられる報いは『勝利の栄光』以外になく、それは雪かきもできなければ、暖もとれず、生活をなんら明るくしない、虚飾の輝きなのです。
もちろん最初からそのことは明示していますから、ことが終わったあとで今さら恩賞だなんだと求められても、『それは、約束が違うでしょう』という気持ちになり、私の中の逃亡欲求とでもいうべきものが、だんだんと重くなってきているのを感じざるえませんでした。
王という業務のほとんどはこのように『横紙破りを試みる民への対処』なのです。
どれほどの黄金も、どれほどの宝石も、豪華な食事や寝具でさえ、このひっきりなしに無からわいてくる恥知らずな要求に応える苦労に比すれば軽く、『すべて捨ててどこかで静かに暮らせるなら、どれほどいいだろう』と思わない日はないほどでした。
ここで対応を誤れば『精霊王』の虚飾はたちどころに看破され、私の矮小で卑怯な本性が白日にさらされ、民は暴徒であることを思い出して王宮へ攻め入り、私を捕らえて火炙りにでもするでしょう。
しかし、私はこれを認めている現在まで、『精霊王』なのです。
「民に報いる黄金も、食料も、土地さえも、ありはしない。我が国にあるのは、万年雪と魚と、湾だけなのだ。だというのに彼らは存在しないものをよこせと言う。存在しないのだという事実については、聞こえないふりをする。それほど強欲に欲するならば、国土をすみずみまで検め、ひっくり返し、自分で探してはくれないだろうか」
私のこの発言に重臣が「それは、よろしいお考えです」と述べたので、私はなんの話かわかりませんでした。
私が重臣の真意を理解できたのは、『裁量権を与えられた』彼が亡命民および恩賞を求める民へ、以下のような法令を発布した時なのでした。
『これより、切り開いた土地はすべて、切り開いた者の所有物としてよい』
いわゆるところの『開墾地私財法』であり、これはこの当時、ありえないほどに革新的な法律だったのです。
もちろん私がその価値を瞬時に見抜くほど頭が働いているはずもありません。
その価値を私が知ったのは、オデットがこれの素晴らしさについて語ってくれたその時のことだったのです。




