第41話 結婚式の招待状
『華々しき戦勝を飾った精霊王は、その喜びの冷めやらぬうちに、二度目の結婚をした。食糧難によってすぐに撤退するであろうと思われていた精霊王軍がおおいに騒ぎ、食べ、踊り明かすのを見て、敵対する軍はたちまち士気を失い、四散した』
この時に行われた結婚式で戸惑っていなかった者は、おそらくルクレツィア一人だけなのではないでしょうか。
ほとんど全国民というありえない規模の義勇兵たちさえも、『今から結婚式を行う』という宣言には、一瞬、戸惑い、固まったような気がします。
あの、戦勝にわき、食料の不足が自分たちの将来を潰えさせるのだということさえ気付かず、軍隊がきちんと隊列を組んで攻めて来たならたちまちに蹴散らされるということすら理解していない暴徒の群れが、一瞬、冷静になったのです。
しかし彼らは祝い、騒ぐ理由をいつでも欲しているものですから、すぐさま新しい慶事にわき、ますます踊り、騒ぎ、食べ始めました。
私には理解できません。
どうしてそこまで、騒げるのだろう。なぜあんなにも……未来に不安はないのだろうか? この寒い季節をこえるだけの食料がもう国を逆さまにしても種イモ一つさえ出てこないのだと、本当にわかっていないのか?
あるいは私のように常に未来への不安に囚われ、今日を生きても明日には今日以上の苦難があるに違いないと思っている者のほうが、少数なのだろうか……わからない。
私は、民というものを、自分と姿形が似通っているだけの別種の生物であると、この時からはっきり確信し始めたような気がします。
彼らは短絡的で将来を不安がることがなく、自分の問題が片付かないとまったく関係ない誰かを責めて、それをなんの間違いもないのだと信じ、おおいに政治を論じ、戦略を論じ、自分の思うようにすれば国政も国際関係も万事うまくいくのだと、あながち冗談でもなく思っているような……
しかし明るく、よく笑い、よく食べ、前向きで、不安がないからこそ精いっぱいに生き、子をなし、祝い、人の祝い事にも全力で祝辞を叫ぶことができる。
私は民という生き物の生態について、いまだにちっとも理解できていません。
それゆえに彼らと話していると、いつその尾を踏んで怒り出し、裏切られたと決めつけられて報復を受けるのか、わからないのです。
私はおそらく、一生、この『民』というものを理解できないのだと思います。
きっとこれからも、なんだかわからないうちに好意を示され、なんだかわからない理由で王として扱われるのだと、そのように思うのです。
外で大騒ぎする民の声が響く本陣陣幕には、今回の遠征における首脳が集まっていました。
そこには私とルクレツィア、その父である公爵がおり、ルクレツィアが『結婚式』について公爵に説明を求められているところなのでした。
しかしルクレツィアは蜂蜜色の瞳で公爵を一瞥するだけで満足な説明はせず、私を見ると微笑み、こんなことを述べるだけだったのです。
「私たちの故国にも、招待状を出そう。きっと、シンシアの時より盛大な式にできる」
戦争中の相手に『結婚式をやるから来てくれ』という招待状を出す。
これが異常な行為であることは私にもわかります。おそらく、ルクレツィアも、自分ではない誰かがそのようにしたならば、おかしいと判断するのではないでしょうか。
しかし、だからこそ、そこには彼女以外にはうかがいしれない、なんらかの策略があるように思われたのです。
「馬鹿げている!」と怒鳴る公爵が、私にもルクレツィアを止めるように述べましたが、私がなにかを告げる前に、ルクレツィアが公爵に告げました。
「父上、精霊王の御前です。言葉を慎んでください」
「慎むのはお前のほうだ、ルクレツィア! そもそも、お前を精霊王に嫁がせたのは……」
「父上」
たった一つの単語だけで、場の空気が凍りついたように思われました。
あの偉大にして老獪なる貴族の見本のような公爵でさえも、娘の威圧感に圧されて黙り込んでしまったのです。
ルクレツィアはそのようにたった一語で父親を黙らせると、私のほうを向いて、微笑みました。
「あなたなら、わかるだろう? 互いの両親がそろった。だから、結婚する。シンシアだけが一番の妻のように振る舞っているのは、よろしくない。我々は少なくとも同格の妻なのだから、結婚式は早いほうがいい。そうだろう?」
私はうめきました。
ルクレツィアは「あなたもそう思うか」と笑みを深めました。
「あなたの光り輝く足跡の横に並べると思うと、興奮してしまうな。精霊式の結婚はたしか、互いの頭から水をかぶせるのだったな。ふふ……このあたりは、寒いから、きっと、暖め合う必要もあるだろう。精霊式、いいな。暖め合おう。あなたの捨てるもの、すべて、私が蒐集する。あなたの足跡は誰にも渡さない」
発言の意味は、あいかわらずよくわからないのですが、なんだかおそろしさばかりが背筋を駆け上がってきて、私は耐えきれずにこんなことを言いました。
「しかし、食料事情がよろしくない。大公国にだって、我らの軍勢を養うほどの備蓄はなかったわけだし、民は飲んで騒いで、食料を浪費するばかりだ」
「ならば、祖国に供出してもらえばいいではないか。……うん、それがいいな。食料と酒でも持ってきてもらおう。我々の結婚式は盛大に祝われるべきだ。そうだろう? シンシアの時よりも、豪華にしたいものな」
「しかし、そう簡単に出してくれるわけが……」
「シンシアの結婚式は、手ずから手配し、自国内でやらせた。だというのに、私の結婚式になれば、食料を出すことさえ、できない? ……………………理解が追いつかない。王の頭蓋を盃とし、王の血を酒とすれば、少しはその愚かな思考が理解できるだろうか」
ルクレツィアの表情は微笑んでいて、声は静かでした。
それだけに私は、もし祖国が食料を出さなかった場合、彼女は本当に『王の頭蓋を盃とする』ように感じたのです。
「父上」
ルクレツィアが呼びかけたころ、公爵はすっかり萎縮していて、なんとかぎりぎりで威厳をたもっているようではありましたが、娘からの呼びかけにびくりと震え、『はい』と返事をしかけたのを、私は見てしまいました。
「な、なんだ」
「あなたは、邪魔なさいますか? まさか、なさいませんよね。あなたが私と彼との結婚を承諾してくださったのは、独立のために禁書庫番の知識を欲したわけでもなく、ご自分の間者のごとく娘を新興国に置いておきたかったわけでもなく、私の幸せを願ってのことだと、私は理解しております。それとも、あなたの真意は、私の理解の追いつかないものなのでしょうか?」
「……いや、それはだな、しかし……」
「彼は、私が選んだのです。あなたに与えられていないで、幼い日の私が見出し、私が選んだ唯一のものなのです。とりあげるおつもりは、ないですよね? 娘が唯一、自ら欲し、自ら手にしたものを」
公爵はなにごとかうめいていたと思います。
ルクレツィアの言葉は流れるような流麗さで、台本でもあるのかと思うほどでした。
それが彼女の落ち着いた、やや低い、美しい声でつむがれるものですから、その内容は理解できなくとも、その音の連なりだけは、後年こうして当時を思い出しながら、書き起こせるほどなのです。
それに比べて、このあたりからの公爵は言葉にも態度にも優雅さが失われてきており、私はこの父と娘のやりとりを見て、公爵家の世代交代を感じたのでした。
かくして公爵はすっかり反対する意思を失ってしまい、私と連名で祖国へ『結婚するので祝いを持参してほしい』という旨の手紙をしたため、送ることになったのです。
しかし私は、この手紙に記した要求が呑まれるとは、ちっとも思っていませんでした。
いくらなんでも、ふざけすぎているでしょう。
戦争中の相手から、いきなり『結婚するので食料をよこせ』という手紙が来たら、さすがに私でも怒って手紙を破り捨てると思うのです。
もちろん、手紙に書いた内容はそこまで直接的ではなく、祖国がシンシアと私との結婚式を手配したことから始まり、『貴族的な』言い回しを経由し、『いろいろ行き違いがあったが、お互いに平和を望む身であろうから、戦いのことは水に流して……』といった言い回しで講和もにおわせたものでした。
しかし講和をこちらからにおわせるのがそもそもおかしな話で、数はともかく、兵力も兵站も依然としてあちらが上なものですから、最後の一文については、遠回しな挑発ととられても、無理はなかったと思います。
実際、この手紙を受け取った時の王は怒り狂って手紙を握り潰し、そばにいた兵にすぐさま出兵をするよう告げ、自らも剣をとるほどの様子だったと言います。
しかし結果として、私たちのもとへ食料は届けられたのです。
それは、祖国の王の急死が原因なのでした。




