side中編 シンシア
これはカクヨムでサポーター限定公開をしたシンシア視点の話です
本編1話から6話ぐらいまでのあいだの話になります
とはいえ最初は、『厄介払いをされたんだろうな』という思いもありました。
お兄様の手伝いであの家を抜け出してからすぐに冒険者になり、そして冒険者というのが聞いていたような職業でないことはすぐに理解できたのです。
冒険者組合という組織は、基本的には体力勝負の荒くれたち、しかも家を継ぐこともできず、商家などに雇ってもらって奉公をする適性もない人たちが最後に来るような『職業斡旋所』なものですから、そこは基本的に男社会なのです。
冒険者組合の建物をどうにか見つけ出して中に入った瞬間に、私はそこに流れる粗暴な空気を感じ取ってしまい、引き下がりそうになりました。
しかしこれ以外に生きていく道もなく、戻るという選択肢は最初から頭の中にありませんでしたから、私はけっきょく、前へ踏み出して冒険者として登録することになったのです。
この時、私にとって幸運は二つあって、一つは登録受け付けをしてくれた女性に私ぐらいの年齢の娘がいたらしく、とても親身になってくれたこと。
そしてこの当時たまたま魔術師を募集していたパーティがいい人たちだったことでした。
「遠征に出るから、【洗浄】【保存】あたりをそこそここなせる魔術師がほしい。可能であれば【疲労回復】なんかもできたらいいけど、まあ、そこまで高望みはしない。ようするにパーティの雑用としての魔術師の募集だな。お嬢ちゃんはどうだい?」
お兄様に曰く我が家は『禁書庫番』の家系だということで、だからでしょう、お兄様に教えていただいた魔術の中には神官魔術も多くありました。
【疲労回復】【傷病回復】【毒消し】などは神官魔術の領分ですので、魔術塔礼拝によって魔術を覚えた中に使える人はさほどいないのですけれど、私はそれらすべてが使えたので、パーティに加えていただけることになりました。
「いい拾いものをした。あたしはパーティ『ドラゴンテイル』のリーダーをしてるアネッサだ。お嬢ちゃんの名前は?」
「シンシアと申します。これからよろしくお願いいたします」
「お、おう」
なぜかひるまれてしまったのをこの当時は不思議に思っていたのですけれど、これはどうにも、私の名乗りというか、あいさつが貴族式のものだったのでおどろかれたと、そういうわけなのでした。
こうして『ドラゴンテイル』に所属、まずは見習いとしてお試し所属をすることになった私は、アネッサや他のメンバーから妹のように扱われ、そこで長い時間を過ごすことになったのです。
時間が経つ中で私の魔力がどうにも貴族としてさえありえないほど膨大なことと、私の物覚えが特別にいいことを知っていきました。
これはお兄様にもお褒めいただいたところなのですけれど、当時の私はお兄様をただ優しいだけのお方だと思っていましたから、きっと幼い妹を気遣って慰めの言葉をくださっているというように思っていたのです。
『冒険者にならないか?』
その言葉は本当に、厄介払いだと思っていました。
私は『自分も人間である』ということに気付かせてくれたお兄様にご迷惑をおかけするわけにはいかないと思いその提案を受けただけでしたけれど、お兄様のおっしゃるほどには冒険者適性がないのだろうなというように思っていたのでした。
今にして思えば愚かなことです。お兄様の未来を見通す慧眼を侮っていたということなのですから。
『ドラゴンテイル』としての時間は楽しく、心地よいものでした。
私に事情があるのはみな察していたようですけれど、詮索することもなく付き合ってくれたのです。
のちにアネッサが言うには「下手に詮索してあんたに抜けられたらたまらない」というのが理由だったそうです。
それは半分は嘘だと思いますが、半分は本当なのでしょう。
そもそも私は、『魔術師』というのを勘違いしていました。
冒険者になるような魔術師というのは当然ながら平民の生まれで、平民は魔力量が多くないのが普通です。
たまに才能ある者も出るらしいのですけれど、そういう人は魔術塔で学ぶうちに推挙され、貴族の養子だとか、王宮勤めだとか、そういう方面に出世してしまって、冒険者にはならないようでした。
では魔力の乏しい魔術師に冒険者たちがなにを求めるかと言えば、『雑用』なのです。
知っての通り魔術には本当にさまざまなことができますし、他者を害する魔術よりも、生活を便利にする魔術のほうが多いぐらいなのです。
アネッサが最初、私に『【洗浄】【保存】などを使える雑用』としての役割を求めたように、それが『普通の魔術師に求められること』であって、大型モンスターを相手に巨大な火球を放って戦うようなのは、おとぎ話の住人だけなのでした。
貴族の家に仕える貴族の血統の『魔術兵』などはおりますが、それだって『魔術を放って、控えと交代しているうちに回復を済ませ、また隊列を入れ替えて魔術を放つ』という、『一人で巨大魔術をばんばん行使する』存在ではなかったのでした。
しかしお兄様の語る『英雄譚の魔術師』を基準としていた私には、この認識が欠如しており、『ドラゴンテイル』として初めて付き合った遠征で、予定外に出現したドラゴンを魔術によって討伐してしまったのです。
そのことから実力を認められたのですけれど、私はお兄様のおっしゃった通りの『普通の魔術師』としての活動をしただけのつもりでいましたので、戸惑い、不思議に思い、「私、なにかおかしなことをしたのでしょうか」とアネッサに問いかけることしかできませんでした。
その時のアネッサの苦り切った顔はよく覚えていますし、今では彼女が当時内心で思っていたことも、なんとなく想像がつきます。
『手放すか、維持するか』
思えば私という存在は、当時駆け出しでしかなかった『ドラゴンテイル』において厄介なお荷物だったのです。
たった一人の才能ある、しかもその才能に気付いていない少女。これを抱え込むことのリスクとメリットのあいだで、アネッサは揺れていたのではないかと思います。
けっきょく、『ドラゴンテイル』は私を維持することを選びました。
いえ、それを選んだのは、私なのです。
「あんたには、うちを抜ける選択肢もある。どうする?」
「このままでいいですけれど……」
そういう会話があったのでした。
アネッサは「そうか」と述べて私の意見を受け入れましたけれど、それは彼女にとって苦渋の決断だったように思うのです。
その後、さまざまな勢力が私の身柄を狙ったのだと、のちに知りました。つまりアネッサは、しばらくのあいだ、そういった勧誘、脅迫などを、私に悟らせずに私を守り切ったのでした。
「もしご迷惑なら、他のかたに引き渡していただいても構いませんけれど……」
彼女の大変さを知ったある日、私はそのように提案をしたものです。
するとアネッサは怒ったような顔になって、私に言いました。
「シンシア、あんたは『自分の価値』を理解してない」
「そうでしょうか」
「そうだ。それは戦闘能力の話じゃあない。あんたは、自分が一人の人間だっていうことをわかってない。自由意思を持って、死ねばいなくなって、とりかえしがつかない、一人の人間なんだ」
「わかっている、つもりですけれど」
「いいや、わかってないね。あたしは、あんたを仲間だと思ってる。それは、あんたが強いからじゃあない。いや、強いのも理由だ。でも、同じクエストを受けて、同じく命を懸けて、同じように笑い合ったから、仲間だと思ってる。だから、あんたを人間と思っていっしょに過ごしたあたしらが、あんたを『迷惑だから他人に引き渡す』だなんてしないことを、理解してくれ」
「……」
「もちろん、あんたが出て行きたいなら、話は別だ」
出て行きたいはずはありませんでした。
私もやはり、彼女たちのことを気に入っていたのです。
このころになると冒険者というのが私にとって本当に天職だと感じるようになっていました。
いろいろな現実を知れば知るほど、私は冒険者として優れており、そして、出会いに恵まれているのを実感するばかりなのです。
さすがにこの当時はまだ冗談交じりではありましたけれど、『お兄様はまさか、この流れを見越して私に冒険者を薦めたのでしょうか』だなんて思うようになっていました。
冒険者の常として情報の大事さも知っておりますから、貴族に出入りを許されている友人の伝手など使って、私はお兄様の動向を調べていました。
お兄様は変わらず屋敷で勉学に励んでいるようでしたけれど、このごろ、特に熱心に昼神に祈っているという話が耳に入るのです。
それはあとに思えば昼神などという愚物に祈っていたわけではなく、きっと精霊の声に耳をかたむけていたのだと思いますが、私がなにか大きな事件を起こす(瓦版の一面に載るようなものですから、大きな事件だったのだと思います)たびにそうして祈るようにしていたという話が入ってきたものですから、私はお兄様に心配をおかけしているのだとわかってしまって、とても申し訳ない気持ちになったものです。
そうして私が健やかに暮らしていることをお兄様のお耳に入れるために精力的に活動していたある日、私の身に転機がおとずれます。
というより、客観的には『転機』と言えるもののない期間がないぐらいの人生だったようにも思うのですけれど、私にとってはっきりと『障害』と言ってもいいほどのものが立ちふさがったのが、その時期だったのです。
それは公爵家からの護衛依頼でした。
公爵家嫡男が別な街に発つので、その護衛をさせようという、そこだけ聞いてしまえば不自然というほどでもない依頼なのですけれど、二点、どうにもきな臭い部分があったのです。
まず、その公爵というのが、秘密裏に兵を集めているだの、貴族を集め会合して独自の勢力を拡大しているだの、そういう噂のある家なのでした。
噂のすべてが真実だとも思いませんが、たしかにその屋敷には多くの兵がいたというのを確かな筋から聞いておりましたから、そんな『精強な私兵のいる家』が冒険者に護衛依頼を下ろすというのが、怪しいなと思われる一点目でした。
二点目には、それが『ドラゴンテイル』への指名依頼だったことです。
冒険者にはそれぞれ『なわばり』……得意分野があります。
貴族関係の護衛もふくむ雑用はそういうパーティがおりますし、市井でのトラブルシューティングなどもそういうパーティがおります。
私たちは『ダンジョン』を主ななわばりにする冒険者パーティであり、その方向性は『ダンジョンにもぐってモンスターを減らす』ことに特化していました。
これに貴族から護衛依頼というのは、礼儀作法も知りませんし、貴族に伝手もありませんから、とてもおかしなことだったのです。
結論を述べてしまうと、目的は私でした。
この当時からすでに公爵は独立の準備を進めており、そのために『強い魔術師』は喉から手が出るほどにほしいものだったのです。
この当時の私は戦争というものを歴史資料でしか知らなかった世代ですし、冒険者ですから軍の運用方法についても、やはり戦術書でしか知りません。
それによると、戦争というのの勝敗を決めるのは魔術兵なのです。
歩兵運用はすべて『自軍の魔術兵にたくさん魔術を放たせ、相手の魔術兵や歩兵に味方魔術兵を狙わせないようにする』という目的で想定されています。
それほど魔術兵というのは強い戦力であり、先に述べた通り、その『強い戦力』でさえも、一発大きな魔術を放ったら後詰めと交代して休憩し……という手間がいるのです。
そこを私は強い魔術をいくらでも放てるものですから、目をつけられたと、そういうわけなのでした。
しかしそこでおどろいてしまったのは、護衛対象から告げられた一言でした。
「シンシアちゃん、僕と結婚して、お嫁さんになってほしいんだ」
私は当時十歳になるかならないかというところで、お相手はすでに二十代半ばでした。
貴族が政治的に必要であれば歳の離れた結婚をするという知識はありましたし、年老いた貴族などは二十も三十も年下の後妻をめとったりするという話も聞いたことがあります。
しかし二十代の未婚の貴族が、十歳の平民に膝をついて求婚するという話は、さすがに耳にしたことがなく、おどろいてしまったのです。
「ひと目見た時から好きだった」
その後なにか熱烈にたくさんの美辞麗句を並べ立てられた気もするのですが、それはすべて耳を上滑りするばかりで、だんだんとおそろしくなってきました。
私はどのようなモンスターでも一見しただけで倒しかたがわかるほうなのですが、『異常な熱意で求婚してくる公爵家嫡男』という魔物の対処法はわからなかったのです。
私がその時に周囲に視線をめぐらせたのは、助けを求めてのことだったと、あとで気付きました。
助けを求めるという習慣がなさすぎたため、なぜか無意識に人を探してしまった自分の動きの意味がわからなかったのです。
しかし、最初からこのようにプロポーズをするためだったのでしょう、『ドラゴンテイル』のメンバーは長い公爵嫡男遠征行列の先端と後端に配置されて近場におらず、周囲は公爵私兵がいるばかりで、私を助けてくれる人など、どこにもいないように思われました。
私の出身はいちおう子爵家らしいのですが、私は平民として冒険稼業に従事していますし、そもそも子爵と公爵だと家格が比べものになりませんから、やはりプロポーズを断る選択肢はないのです。
それに、これは悪い話でもなかったのです。
冒険者が公爵の奥方になれるなど、それが私の戦闘能力をあてこんでのことであっても、大抜擢には違いないのですから。
それでも私がなかなか返事をできなかったのは、彼のことが気持ち悪かったからです。
そんな時に私の頭に自然と浮かんだのが、あの美しいお兄様のことでした。
目の前の公爵嫡男も、決して見目は悪くないのです。美醜というものを数値的な指標で表わすなら、百を最高として、七十か、あるいは八十に届くかもしれない、そのぐらいの素敵な男性ではあるのです。
ところがお兄様は一万なのです。
私は求婚されて、初めてお兄様の美しさについて理解できたような気がします。
それはもちろん、ただ顔面の構造だけでそこまでいくというわけではなく、私を気遣って色々してくれるのに、みょうにぶっきらぼうな感じで私に気を遣わせないようにする心配りとか、冒険譚を話し私に冒険者を薦めておきながらふと浮かべる、私の身を案じるような物憂げな表情とか、そういう、私への優しさをふくめての、一万点なのでした。
ところが目の前の公爵嫡男は、ずっと私を褒め称えてはいるものの、私を見てはいないのです。
『夜の輝きのごとく美しい髪……』という表現を手を変え品を変え繰り返しているだけで、彼の言葉は私の見た目と、私の年齢に終始しているのでした。
おぞましさの正体がわかりました。
私は体を求められていて、それが嫌なのです。
冒険者たちも粗野で下品ですけれど、公爵嫡男にはそれ以上のわかちあえないなにかを感じました。
いろいろな男性をこの歳ですでに見てきましたけれど、それら男性について『将来の相手』という指標をあてはめてみると、どれもお兄様には遠く及ばないことを思い知らされるばかりなのでした。
いつか、英雄になって、貴族の位を手に入れ、 再会したい。
私は家を出る日、お兄様にそう告げました。別な家名を持つ貴族としてまた会いたいと、そう思ったのです。
当時、その感情の正体はわかりませんでした。しかし、今ならわかります。
それは愛なのです。
お兄様の行動をつぶさにチェックしていた理由。お兄様の情報を集めていた理由。ふと気付くとお兄様のいらっしゃる方向に目を向けてしまった理由。
それはすべて、愛なのでした。もっと他に言葉があるのかもしれませんけれど、私の語彙では、愛と表現するより他にないのです。
偶然にも目の前の男によって『結婚』というものを意識させられた十歳の私は、その相手に選ぶならお兄様以外にいないのだと確信させられました。
あれほど美しい人が隣で微笑んでくれたなら、それだけでも私は幸福なのですから。
しかし、このままでは権力差で押しきられて、私は公爵に嫁ぐしかなくなってしまうのでしょう。
お兄様、と頭の中で救いを求めました。
そうして、お兄様は応えてくださったのです。
「お兄様、やめないか」
厳しい女性の声がして、私は頭の中で念じたことを読まれたのかと思い、おどろき、そちらを見ました。
するとそこにいたのは、私より少し年上という感じの、ハニーブロンドの美しい女の人だったのです。
彼女は『お兄様』と言いながら私に求婚する男をにらみつけ、ずんずん厳しい足取りで歩いてくると、ひざまずく男から私を守るように背にかばいました。
「私兵に囲ませ、公爵であることを知られた状態で、まだ世間も知らぬであろう幼い少女に求婚などと、身分ある者の振る舞いとは思えない」
「し、しかしルクレツィア……! 憧れのシンシアちゃんが私の護衛になってくれるなど、こんなチャンス、今を逃せばいつ巡ってくるか!」
「黙れ」
「いやしかしだな!」
「お父様はなんと?」
「…………『粗相のないように』と」
「あなたのなさっていることは?」
「求婚だ」
「世間ではそれを『粗相』と言うのだ」
「だが未来の公爵当主は私だぞ!」
「今は違う。私はお父様のご命令を優先する。未来のことは未来命じるがいい」
「未来になったらシンシアちゃんが歳をとってしまうではないか! お前のように!」
「お兄様、そろそろ殴るがかまわんな?」
「昔はかわいかったのに……お前も、姉たちと同様に歳をとってしまう……」
「昔のお兄様は素敵だったが、歳を重ねるとアラばかり目立つようになるのが原因だ」
「私の紳士としての力はすべて、無垢な少女の前でしか発揮されないのだ」
「存在が粗相」
「存在が粗相!?」
「兵たち、お兄様は人生にお疲れだ。馬車で休ませてさしあげろ。お兄様が暴走した時は私が全権を委任されるとお父様より許可もいただいている」
男は連れて行かれました。
私はどうやら、助かったらしいのです。
ハニーブロンドの髪の素敵な人は、私へ振り返ると蜂蜜色の目を細めて安心させるように笑いました。
「申し訳ない、冒険者シンシア嬢。兄はあれで幼い少女が絡まなければ優秀で、分別もあるのだが……」
「いえ、お助けいただきありがとうございました」
「なに、全面的にこちらが悪い。……私の護衛依頼をということだったのに、兄が無理やりついてきた時からこうなる予想はしていたのだが、対応が遅れた。まったく、昔は素敵な男だと思っていたのだがな。世界で二番目ぐらいに。とはいえ、一番と二番の差は甚だしいが」
「……一番のおかたは、それほど素敵なのですか?」
これはあのあんまりな人が二番なので、『差があるらしいとはいえ、一番も大丈夫なのかなあ』という純粋な疑問からくる発言でした。
しかし、のちに友人となり、またのちに半ば敵対状態となり、またのちに一応の仲間となるルクレツィアは、この時、迷いなく言い切りました。
「この地上において、比べる対象がいないほど美しいおかただ」
これは評価すべき審美眼ではありましたけれど、私はお兄様より美しいおかたが地上に存在するとは思っていませんから、「はあ、なるほど」とあいまいな返事をしてしまいました。
お兄様をさしおいて『この地上に比べる対象がいないほど美しい存在』はいないので、貴族も案外、ものを見る機会がないのだなと感じたのです。
もちろんこの時にルクレツィアが言っていたのはお兄様のことなので、この評価はなにも間違っていませんでした。
護衛依頼はこうしてつつがなく終わり、あの男が勝手に出していた私との婚約誓願書をめぐってもう少しルクレツィアとの付き合いは続きましたけれど、すべてを解決したあとに、私たちは身分を超えた友人となったのです。
そうしてまたいくつかの時間が経っていき、いくつかの事件がありました。
困難、特に私を襲ったのはモンスターにまつわる困難ではなく、人間関係にまつわる困難だったのですけれど、そういった時に心の中でお兄様に助けを求めると、例外なく助けとなる人が現れ、私を救ってくれたのです。
私は神というものへの信仰が薄く、それの恩恵について全然信じていませんでした。
けれどお兄様を思い浮かべ、その輝くご尊顔に向けて祈った時にはいつでも助けられてきたものですから、この時にはもう、私は『お兄様信仰』とでも呼ぶべきものに目覚めていました。
偶然で片付けるにしてはあまりにも確実なのです。
お兄様に祈るとたちどころに私を悩ませる問題が解決するのです。
『シンシア、お前、冒険者にならないか?』
あの当時は半ば厄介払いのような提案だと思っていましたが、もう、そうではないとわかります。
お兄様は私が冒険者として過ごせば運命が私に味方することを見抜いていらしたのです。そうでもなければ、お兄様の顔が浮かぶたび助かるなどということは、ありえないでしょう。
冒険者は『ゲン』というものを大事にします。
みなそれぞれになにかに祈り、無事に戻ることを願います。
私の『それ』はお兄様であり、そうして私があらゆる困難から無事に帰れないことはなかったのです。
そうして『ドラゴンテイル』に所属してさらに歳月が経ったある日、私はアネッサにこのように告げられました。
「シンシア、お前をパーティから追放する」
唐突すぎておどろいてしまいます。
アネッサは続けて理由を説明しました。
「あたしら『ドラゴンテイル』は、あんたの実力に合わせて身の丈に合わないことをたくさんしてきた。でもな、もうそろそろ、限界なんだ。あたしら全員が、あんたについて行く実力じゃあない。このままじゃ、あんたの負担になる」
「そんな、私はそれでも……」
「よくないんだよ。……なあ、仲間なんだ。仲間ってのはさ、そりゃあ、たまには頼って、寄りかかることもある。でも、頼りっぱなしじゃあ、いけないんだ。頼ったぶんは、いつか返す。そうやって横に並んで歩いて行くのが、仲間ってもんだろ?」
「……でも、冒険者になりたての私をここまで導いてくれたのは、アネッサたちじゃありませんか」
「そうだ。そのぶんは返し終わった。これからどんどん、あたしたちが返さなきゃならなくなる。そして……それはきっと、不可能だ。お前ほどの才能に報いることが、あたしたちじゃ、できない」
そんなことはない、なんて言っても、なぐさめにもならないことを、私は知っていました。
そして安易ななぐさめは、アネッサたちを傷つけることも、わかっていました。
だから私が言えるのは、これだけだったのです。
「……ありがとうございました」
「うん。……突然ですまないな。まあ、今受けてる依頼が終わったら、お前とは別れるってことで」
「アネッサはやはりダンジョンこもりを続けるんですか?」
「そうだなあ。例の貴族様の依頼の時に貴族方面ともツテができたし、王都に戻って貴族依頼でも受けるようにしようかな。それとさ。まあこれは、あたしの勝手な願望なんだが……その目のことだけど、そのまま、隠さないでいてほしいんだ」
私の左右で色違いの、『混ざり目』についての話なのでした。
左右で色違いの目を持つ『精霊子』というのは本来、縁起の悪い存在なのです。
冒険者組合は実力主義ですし、精霊信仰もほかの職業に比べてずいぶん隠れ信者がいるようなのですけれど、それでもやはり、世間で縁起が悪いとされているものを堂々とさらして歩くのは勇気がいるようなのでした。
「シンシアぐらいの功績がありゃあ、その目も美点だ。……ま、実力主義ってやつだよ。強ければなんでも許される。より大きなことを許されたいと思えば、より強い必要があるがな」
「……」
「あんたにも隠して生きる選択はある。……でもな、あんたはさらして生きていったほうがいいと、あたしは思うんだ。だって、強くて綺麗だから」
そうして私はアネッサと別れました。
それからしばらくパーティに所属せずソロで活動していました。
声をかけてくる人たちはいましたが、どうにも実力で釣り合いがとれるようにも思えず、私の強さをあてこんでいる様子が見られましたから、仲間として組む気にはなれなかったのです。
パーティを組まない代わりに、新人指導などは積極的に行いました。私がアネッサに教えられたことを教えて、人を育てるのが彼女たちへの恩返しになると思ってのことだったのです。
しかし、そうしている期間は長くはありませんでした。
王都に戻るというルクレツィアに頼まれて彼女の護衛としてともに戻ることにしました。気付けば、私もずいぶんお兄様から離れて過ごしてしまったものです。
もちろん依頼料を払ってお兄様にまつわる情報は常に入るようにしていますけれど、相変わらず敬虔に祈り、勉学に励み、派手な行動を慎んで、日々を清貧に生きているようでした。
お兄様であればもっともっと大きなことができるとは思います。
そしてきっと、もしもお兄様がなにかを成すとすれば、それは成人後になるのでしょう。
それまでに王都に戻っていれば、私の力もお兄様に役立てていただけるかと思いましたので、私はルクレツィアの頼みを聞いて彼女の護衛として王都に戻りました。
そうしてしばらくはお兄様の気配を感じられる王都での暮らしが続きました。
ルクレツィアは婚約者が敬虔な昼神信徒ということで神学校へ入学していきましたが、彼女がたいして信心深くないのを知っていた私は、彼女とともに『似合わないね』などと笑って、彼女を祝福しました。
「しかしだな、信心がないと思われるのは違うと、はっきり言っておこう。そもそもだな、私が昼神教や夜神教といったものを信じられないのは、あれら神殿であがめられている場所に神がいらっしゃらないと知っているからなのだ。神はすでに地上に降臨なさっている。私は一生をその神に捧げ、足跡を崇めて暮らしていくつもりでいるのだ」
神が地上に降臨なさったという話について、普通であればなにを言っているのかと笑うところかもしれませんけれど、私はそれを笑う気持ちにはなれませんでした。
とびきり美しいものとの出会いは人に神を感じさせます。
私にもそういった体験があったのです。そして、その『神』は、私の運命を予言し、私が大成するよう導いてくれた……
「冒険者を自由でうらやましい身の上だと思うことは多かった。実際には、シンシアにはシンシアのしがらみがあるのだろう。けれど私は、教育方針も、住まう場所も、礼儀作法も、すべてすべて父に言われるままにして、父の望みに適う令嬢にならなければいけないと、そう思って生きてきた。……だから、嬉しかったのだ。信仰する神と出会い、彼を選べたこと。信じるものだけは自分で選べたこと。それが、嬉しかった」
口ぶりから、ルクレツィアの語る『神』とは、彼女の婚約者のことなのだとわかりました。
ルクレツィアはこのようにたびたび婚約者についての話をこぼすのですけれど、その名前や身分、容姿のくわしいところは決して語りません。
私には気持ちがわかります。
それは心の底から崇めているからなのです。
本当に信仰しているもののことは、相手がどれだけ信用に足る親友であろうとも、語れないのです。自分の貧相な表現力で語ってしまって、それが大したことないと思われるのをおそれるあまり、具体的なことをなにも言えなくなってしまうのでした。
ルクレツィアのほうも私がたびたび『お兄様』について語るのに、その詳細なところを一切語ろうとしないのに気付いていた様子がありましたけれど、それでも彼女からは一度たりともくわしい話をせがまれたことはありませんでした。
それは彼女もまた、私の『お兄様』に、彼女の『婚約者』と同じ、尊い気持ちを感じていたからに他ならないと思うのです。
さて、ルクレツィアが神学校で一年を過ごしたあと、大事件が起こりました。
思えば予感はありました。
お兄様の動向を把握しにくくなっていたのです。
それはお兄様が偶然にも(この当時は偶然と思っていました)ルクレツィアと同じ神学校に入学してしまったせいなのです。
神学校というのは貴族の子女のみが通う場所であり、その内実については貴族屋敷や貴族街の比ではなく、平民には知りがたいものなのでした。
毎日のように届いていたお兄様の情報も減り、依頼していた貴族街に出入りをしている冒険者たちも『さすがに神学校の中までは』というので、私はあまりにお兄様のことを知れないのにイライラしていました。
ルクレツィアに頼もうかとも思いましたが、そもそも連絡手段がないのと(平民の手紙など神学校に受け付けてもらえません)、それはお兄様の家名と名前をさらすということになりますから、『真に尊いと思うものの詳細を人に語らない』という気持ちから、お願いすることもできませんでした。
しかし学校にはいるのです。
三年後には卒業ですし、その前に長い休みには実家に戻ることもあるでしょう。
それまで辛抱して、いや、そのあいだに功績を打ち立てて貴族の位をもらい、成人したお兄様に結婚を申し込もうと思い、仕事に打ち込もうとしました。
しかし、『それ』は起こってしまったのです。
お兄様の完全なる失踪でした。
神学校から抜け出したという情報はのちに入ったのですが、その後のゆくえが綺麗になんの足跡もなくなってしまい、私は狂うのではないかというほど追い詰められました。
時を同じくしてルクレツィアの婚約者も消え失せてしまったようで、私たちは運命の奇妙な符号を感じながら、『公爵令嬢の婚約者を捜す』という依頼を発注してもらい、国の全土を股にかけた捜索活動を開始したのです。
この時は『お兄様の行方を示す手がかりが見つかるところに、ルクレツィアの婚約者の手がかりも見つかるな』という不思議な状態だったのですが、それはまあ、同一人物だったので、そうでしょうという感じです。
結果から言えばお兄様は王都で見つかったので、私たちが王都を離れてしまったのは悪手でした。
私たちは偽の痕跡に騙されるまま各地を捜索し、しかしなんの手がかりも得られないまま長い長い時間……実時間にして数ヶ月だったように思いますが、私の一生より長く感じられる時間を過ごすはめになってしまったのです。
「あとは精霊信仰の隠し礼拝堂ぐらいか。だが……そこに踏み込むには、手続きがいる」
国家は信仰の自由を謳っておりますが、これは昼夜以外の信仰を認めないという実情があります。
そしてルクレツィアは表向き昼神を崇める公爵令嬢ですから、これがなんの手続きもなく精霊信仰の隠し礼拝堂に行ったとバレては、勘当されかねません。
勘当され公爵令嬢でなくなってしまえば婚約もなかったことになるので、ルクレツィアはその事態だけは避けねばならなかったのです。
私のほうはルクレツィアに比べると自由に礼拝堂に出入りできるとは思いますが、どうにもルクレツィアの婚約者と私のお兄様は同じ組織に囚われているようだとこの当時は思っていたので、『組織から人を無事なまま取り戻す』という都合上、貴族であるルクレツィアの後ろ盾は必要なものでした。
「……とりあえず、活発に動いている精霊信仰の礼拝堂が一つあるらしい。父に頼んでそこに神官戦士団を引き連れて行けるよう手配する」
「お兄様をさらったのは、精霊信仰の者たちなのでしょうか」
「わからん。そこまで過激な連中というわけではないはずだが……しかし、シンシアのお兄様は知らんが、私の婚約者は貴族で、王家から魔術にまつわるお役目ももらっている家柄だ。そんな者を捕らえる組織となると、精霊信仰を隠れ蓑にしたさらに裏の組織の可能性もある……」
「……ああ、お兄様、どうかご無事で……」
「それに、足跡をまったくつかめないどころか、私たちの調査能力でさえ偽の足跡ばかりつかまされるというのは……ともすれば、この国どころか、世界各国に根を張る巨大犯罪組織の可能性も……」
「……もしもお兄様に危害を加えているようであれば、苦しめて苦しめて殲滅してやる」
「私の婚約者が無事でないようなら、徹底的につぶしてやる。かかわった者、そいつが育った土地、少しでも血のつながった者、すべてだ」
「しかし、可能性としては、お兄様やルクレツィアの婚約者が、その組織の一員になっている……というのも、想定はすべきなのでしょうね」
「……たしかにそうだな」
「その時はどうしましょう。私はお兄様に味方しますが」
「私も婚約者に味方する。……お前とは敵対したくないものだな、シンシア」
「そうですね。私もあなたとは友人でいたいです」
しかし、互いの笑顔が、『もしも対立したら、この無二の親友さえ手にかけるだろうな』と述べていました。
そうして神官戦士団を引き連れた私たちは、その当時もっとも活発に動いていた精霊信仰の礼拝堂に踏み入りました。
そこでお兄様と再会し、お兄様がルクレツィアの婚約者であることも、知ったのです。
……もうあれはどのぐらい前のことなのでしょう。もはやすべてが懐かしい、青春の日々なのでした。
その後も困難はありましたが、シンシアも大きくなり、私はあの日思い描いた夢の中にいるような心地でおります。
……もしかしたら、お兄様は、私の思うようなおかたではなく、もっと人間くさい、運のいいだけの人なのかなと思わされることも、ありました。
でも、それでももう、いいと思っています。
私がお兄様のおそばにいるのは、もう、お兄様が美しいからでも、精霊そのものだからでもないのです。
もちろんそれも理由ですけれど、こうして妻になって同じ困難に立ち向かい、同じく命を懸けて、同じように笑い合ったのです。
私たちはもう、仲間なのでした。
お兄様を……このように思うのはやはり不敬だと感じるのですけれど……
人間だと、思っているから。
だから私はきっと、死ぬまでおそばに侍るでしょう。
最近の精霊王国はまた寒い時期に入っています。
昔はなんてことのなかった寒さも、今は骨身にしみるような心地となりました。
私たちの運命はきっと安定期に入り、かつてであれば物足りなさも覚えたのかもしれませんが、今はもう、なんだか、この物足りない感じに幸福を感じています。




