第26話 行列からの逃亡
私が国を訪問する旨を告げれば、隣国は待ちかねていたように返事を出し、使者を送り、私を歓待する旨を堂々と両国に向けて発表しました。
それはまあ、そうなのでしょう。
王が自ら出向くというのは、恭順の意があることを示します。
つまり、相手の国よりも、己の国のほうが下であると、内外に明確にする、そういう行為なのです。
これはどうにも私の想像していた以上に大きなニュースとなり、世界各国に広まったようでした。
そもそも我が国はその広さこそ隣国と同じぐらいありますが、人口はルクレツィアの実家、すなわち隣国公爵領と同じぐらいであり、経済的にも『国家』として見ればそこまででもない、弱い国なのです。
それはアナスタシアの治世のころ、この国を理由をつけてとろうと、公爵がたった一家で兵をあげて攻め込んできたことからも、明白と言えるでしょう。
ではアナスタシアが追い落とされ私が玉座に就いたあとはどうかといえば、ますます、隣国より弱い国になっていったのです。
ダンジョン資源や冒険者の質というものでは隣国にひけをとらないぐらいですし、昼神や夜神といった既存の宗教の支配をはねのける第三の宗教を掲げた国ということで、それら神殿の権勢がおよびにくいという特殊性もあります。
しかし、我が国の経済は公爵に支えられているのでした。
様々な『国が国として始まる時に必要な出費』を公爵にしてもらっているのです。
おかげで公爵は我が国のダンジョン資源を優先的に売買し、その関税や値段をかなり好きに差配できる特権を持っているのです。
つまり、私の視点において、この当時すでに『精霊国』は隣国どころか、そのいち公爵に従う、属国でしかありませんでした。
これはもう自明の理だと思っていたこともあって、私が隣国に恭順の意を示すかのような行動をとった時の騒ぎの大きさは、『まさか、そんなにこの国を尊く、偉いものと思っていたのか』というおどろきとなって私の心に今も残っているぐらいなのでした。
民や隣国の私にとって意外な反応に加え、私たちを出迎える使節団に『夜の魔術塔』の者が多いのを見てとった時、ようやく私は魔術塔のたくらみの一部を察することができました。
どうにも隣国では『どのようにして、精霊王が我が国に恭順していると内外に示すか』がかなり重要な議題となって、連日会議が行われていたようなのです。
つまるところ魔術塔が私に『両親に会いに行ってはどうか』とすすめたのは、親切心ではなく、隣国を長く悩ませた問題を取り除き、隣国での地位を上げようと、そういう陰謀によるものだったようなのでした。
そこまで理解すると、さまざまなものが、『そういう目的だったのか』と記憶の中によぎります。
たとえば公爵から送られてくる手紙……シンシア宛という名目で冒険者組合から送られてくる依頼……昼神教の私への態度の軟化さえも、この問題にまつわる陰謀の一つだったように思われます。
ただ、親に会い、悩みを打ち明けたいだけだというのに。
王という立場には、このようなしがらみが、ほとんど無限につきまとうのです。
私はそういうものを感じるたびになんとも嫌になり、『上だの下だの、対外的にどうだの、そういうのが大事なのはわかるけれど、それより大事なものだってあるでしょうに』という、いわく言い難い気持ちになるのでした。
精霊王とその妻の帰国は、二人旅ならば三日で終わるところを、見せつけるようにゆったりと行進し、十日もかけてまだ旅程半ば、というほどだったのです。
なんとも、ままならない旅路なのです。
なにか大事なものを履き違えているような、そういう気持ちが常に胸にありました。
私をさらしものにするのは、多大な支援をしていただいているので仕方のないことと受け入れますが、そんなものは用事をすませたあとでもいいでしょうと、そのように、思うのでした。
そもそも私が両親に会いたいのは、『アナスタシアを第一王妃に』という昼神の横槍が原因なのですが、このゆったりとした、なんともいらいらする行進には、毎朝毎朝、昼神教の神官が来て、彼らの神に祈り、その礼拝を私にもさせ、行われるのです。
すると私はにこやかに微笑む神官の顔を見るたびにどうしようもなくいらついてしまうのでした。
私はあなたたちのせいで悩まなくていいことに悩み、その解決の糸口を探して両親を頼ろうとしている。
だというのに、私が両親に会うのをさんざん邪魔したあげく、今も老人よりなお遅いぐらいの歩みを強要させ、さらに私になにも恩恵を与えてくれない神への感謝までもを要求するというのは、いくらなんでも、お門違いがすぎるのではないかと、そういう、怒りがわいてくるのです。
怒りを抱いたまま彼らの茶番につきあっていると、なんだかもうすべてが嫌になってきて、ちょうどルクレツィアとの将来に悩みはじめた学生時代のような気持ちになり、私は王位も国民も、国で待つ二人の妻と一人の妻候補も、全部放り出して逃げたくなりました。
しかしそれでも、こんな私にさえ、責任感と使命感は、皆無ではなかったのです。
弱い国の王として国民の命をあずかる立場であることは、わかっていました。裏切ったさいに報復されるのをおそれる気持ちとは別に、無垢な民の幸福を願う気持ちも、まったくないではなかったのです。
けれどその気持ちは本当にぎりぎりなもので、あと一日、いえ、半日でも、このゆったりとしすぎた行進に付き合わせられたならば、その時自分がどういう行動に出るのか、自分でもわからないほどでした。
しかし、私は、やはり自分で行動を起こすことはしなかったのです。
「お兄様、二人でどこかへ逃げてしまいませんか?」
シンシアがなにを思ってそんなことを言ったのか、当時も今も、わかりません。
いえ、説明のようなものはあったのですが、理解できなかった、というのが正しいでしょう。
状況が落ち着いたあとで話されてさえ理解が及ばないのですから、この当時の私はといえば、本当にまったく、その行動原理について想像も及ばないほどだったのです。
けれど、私は逃げることにしました。
正しくは、シンシアのつぶやきに「それも、いいかもしれない」と、肯定ともとれるぼんやりした返事をしてしまい、それがシンシアの中で『認められた』と勘定されたのです。
そうして私は逃げることになりました。
きっぱりと否定しなかった時点でシンシアはいいように解釈して行動を開始するとわかっていたうえで、私は彼女の提案を否定しませんでした。
だからまぎれもなくこれは、私の責任で起こったことなのです。
逃げて状況が好転したことが一度もないのだと、この記録を認めている私は、わかっています。
けれどきっと、これから先に似たような状況になれば、やはり私は逃げ出すのだとも、思います。
意図もなく、思惑もなく、ただ目の前のいらだち、苦境から目を逸らしたいあまり、逃げるのです。
そうしてのツケを支払うことになるのでしょう。
この当時の逃亡もまた、私の人生に重苦しい問題をもたらすことになるのですが、この時の私はそのようなことを想像さえしていませんでした。




