019 入部編④
「いいか。男には負けられない戦いがある。俺にとっては今この瞬間がその時だ」
料理部に所属する数少ない男子生徒たちは片隅で円陣を組んでいた。
そこに交じった貴明が熱を込めて言葉を吐き出す。
彼の台詞を聞いて、男子生徒たちもまたヒートアップする。
「ああ。バリバリのキャリアウーマンが帰宅した時に料理を作っておいて、『やっぱり貴方の料理は美味ししいわ。いつもありがとね』って笑顔を浮かべてもらうためにも」
「『○○君の料理すっごく美味しい~。料理作ってくれたお礼に膝枕してあげる』って甘えさせてもらうためにも!」
「料理を趣味にして女の子と話すためにも!」
「俺たちの実力、見せつけるぞっ!」
『おお!』
熱いソウルを共感しあった彼等は一心同体となった。
「……すっげえ不安なんだけど」
その中で唯一人、冷静な亮二を除いて。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――話の始まりは数十分前に遡る。
陸上部での部活体験を終えた翌日。
貴明と朱莉は宣言どおり料理部にやってきていた。
聞いたところ、料理部は毎回複数人でグループを作って、班ごとに課題の料理を作るというのが普段の活動らしい。
貴明は数少ない男子が集まるグループ、朱莉は料理部の部長がいるグループに割り当てられた。
「よし、いっちょ頑張るか」
今日の課題はパウンドケーキであることを聞いた貴明はエプロンを結びながら気合を入れる。
「貴明君、本当に大丈夫ですか? 私がいなくても料理できますか……?」
「朱莉は一体俺を何だと思ってるんだ。俺だって料理ぐらいできることを見せてやる!」
ビシッと朱莉に指を突きつけてやる。
「そうですか……。分かりました」
貴明の宣言を受けて、何故か朱莉は目を閉じて俯く。
それからカッと目を見開き、
「前々から貴明君は自分の力で生活したいと言っていましたね。なら、今ここで! 実力を証明してみせてください! 私よりも美味しいパウンドケーキを作ることができたら認めてあげましょう!」
まるで意趣返しのように、朱莉は指を突きつけてきた。
「勝負をするからには全力でお相手いたします。全力でかかってきてください」
そう言って、朱莉はクールに去った。
勝負を仕掛けられた貴明はというと、
「…………料理で朱莉に勝つのは無理では?」
珍しく絶望した顔で呟いていた。
――こうして、料理部での予期せぬ対決はスタートした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「というわけで皆さんの力を貸してください!」
『………』
「あれ、思ってた反応と違う」
これまでの経緯を説明し、助力を求める。
しかし、何故かグループメンバーの反応は乏しい。
「そりゃあ冒頭で谷沢とのイチャイチャを見せつければそうなるわ」
料理部に所属する貴明の友人、亮二が冷静に言い放つ。
「いいか、俺含めてここにいる男子どもは女子との交流目的で入った連中だ。こうした場じゃないと女子との接点が持てない悲しい連中だよ。なのに、ミスコンなんて目じゃない、千年に一人レベルの美人の女の子とキャッキャウフフしてれば妬みの気持ちは誰だって持つ。俺だって持つ」
他のグループメンバーから離れて、亮二とコソコソと会話する。
「いや別に俺と朱莉はキャッキャウフフなんて」
「そういうテンプレはいらん。とにかく、お前は既にこの男子グループの中でも目の敵とされているんだ。協力要請は諦めろ」
チラッとメンバーを見るとなるほど、彼等はこちらを睨むように見ていた。
時折、朱莉のほうに目線をチラチラと目を向けているようだが。
邪な目で見たら許さん。
「でも俺一人の力では朱莉に勝てる気がしないしな……」
レシピ通りに作るのであれば普通のパウンドケーキを作るのは造作でもない。
しかし、勝負の相手は家事スキルがカンストした太神家のメイドだ。
太神家の中でも彼女は下位のほうであるが……世間一般から見たら三ツ星シェフレベルの実力である。
故にレシピ通りにしか作れない貴明だけでは到底太刀打ちできない。
料理部全員で力を合わせても勝てる確率は限りなく低いのだ。
それでも僅かな希望にかけて、自分とは違う発想を持つ誰かに協力してほしいのだが。
「まあ、友達のよしみだ。俺は協力してやるよ」
「ありがとな、亮二。だけど二人だけじゃ心許ない」
「でも他は……」
「大丈夫だ。俺が何とかする」
は? と疑問を発する亮二を置き去りにして、貴明は他のメンバーの前に立つ。
「自己紹介がまだでした。自分は太神貴明と言います。亮二に誘われて今日は体験入部にやってきました。入るかどうかは分からないけど、ひとまず今日はよろしくお願いします」
目の前の三人はほぼ初対面、うち一人は上級生だ。
なので礼節を持って挨拶をする。
彼等は無愛想によろしく、と返事をした。
亮二の言う通り、女の子とイチャついていた貴明を妬んでいるようだ。
それと純粋にどう接するべきか測りかねているように見える。
「体験入部している身なので皆さんに是非お聞きしたいんですが……ズバリ、料理部に入部した理由は何ですか?」
「それは……料理ができるようになりたいからだよ。それ以外に理由があるか?」
三人は互いに牽制しあって、結局この場唯一の上級生が代表として答える。
「ありますよ。例えば――女の子と仲良くなりたいとか」
「ちょ、おま……!」
貴明の背後にいる亮二が慌てた声を出した。
しかし貴明はそれに取り付かず、動揺を見せた三人に視線を向けたままだった。
「別に疚しい理由ではないと思います。男としてむしろ健全な動機かと。だから隠す必要はありません。というか、亮二から聞いたので実のところは知ってるんですけどね」
悪びれずに貴明はニッコリと笑う。
あっけなくバラしたことを話された亮二が「おま、お前ぇぇぇえええ」と叫んでいたがこれも無視した。
「し、知ってるなら聞くなよ。悪趣味な野郎だな」
今度は明確な敵意を持って、彼等は睨んでくる。
だがその程度では動じない。
むしろ予想通りの反応をしてくれてありがたいとまで思う。
そう、彼等は既に貴明の手のひらの上で踊らされているのだ。
「では、三人が女の子と仲良くなりたいから入部したことを前提に聞きますけど――女の子と仲良くなることが皆さんのゴールですか?」
「は……?」
何を言ってるんだこいつ、と三人は素っ頓狂な表情を見せた。
「この際だからハッキリ言わせてもらいますが、別に女の子と仲良くなるだけなら料理部にわざわざ入部する必要はないんです。吹奏楽部や軽音楽部だって女子は多い。むしろ料理部のようにグループ分けされない分仲良くなれる可能性は高い」
貴明はあえて大げさに身振り手振りを交えて話を展開する。
「けれどあえて料理部を選ぶのはそれ相応のメリットがあるからだ。じゃあ、そのメリットが何かというと、料理のスキルを学べる――料理部の存在意義そのものが利点なんだ」
「ど、どういうことだ?」
「逆に聞こう。目的通り女の子と仲良くなったとしよう。で、その後は?」
「その後って……?」
「仲良くなった後の将来像だ。まさか仲良くなれればそれで良いとでも?」
「んなわけないだろ。仲良くなった後は付き合いたい。というか、彼女が欲しいから女の子と仲良くなりたいんだろうが!」
「その通り! ではさらに踏み込もう。部活のおかげで親密になって彼氏彼女の関係になりました。これで満足か? 他にやりたいことはないのか?」
「や、やりたいことと言ったら、文字通りヤ――」
「あ、いや、ごめん、言い方が悪かった。付き合い始めたんだから、恋人として当たり前のことは色々と経験するとして……。俺が聞きたいのは料理部だからこそできることややりたいことは他にないかってことだ」
貴明は一度言葉を切って三人を見回した。
いきなり話を振られて困惑しているのだろう。
視線をウロウロとさせて答えに窮していた。
ならば、と貴明が先陣を切る。
「まあこの後は妄想したシチュエーションを語ることになるんだし話しにくいよな。
けど、俺はあえて語るぞ。俺が妄想したシチェーションはこうだ。
――料理部での交流がキッカケで付き合い始めて、一緒に同じ大学にも進学した。
で、大学入学をキッカケに一人暮らしを始める。
ちなみに彼女は実家暮らし。ここ重要なポイントな。
平日は受講する講義が違ったりして二人になる時間が中々取れない。
だから、二人はある約束を交わした。
週末ぐらいは二人でゆっくり過ごそうと。
約束の週末の帰り、二人は校門で待ち合わせて近所のスーパーに立ち寄る。
『今日はどんなメニューにしますか?』
『うーん、何でもいいけどなあ』
『何でもいい、というのが一番困るんですよ。そういえば最近お肉ばっかりで野菜取ってないですよね? なら野菜炒めでも作りましょう』
……なんて会話を繰り広げながら食材を購入する。
二人では食べきれないぐらい買っちゃいましたね、って道すがら話すのがお約束だ。
で、借りている部屋に着いたら早速料理開始。
彼女はキッチンに立って野菜を切り始める。
テレビでも見て待ってて、と彼女は言うけど、彼女一人に料理させるのも気が引ける。
けれどこのときの俺は元料理部だ。
一通りの技術は身についている。
俺はおもむろに立って、
『手伝うよ』
って言って彼女の横に立つ。
『これぐらい私一人で十分ですよ』
『それでも俺は手伝いたいんだ。こうして同じキッチンで一緒に料理するのが夢だったからさ』
『……な、なら仕方ないですね。でしたらキャベツのカットお願いします』
『おう任せろ』
そうやって横に並んで和気藹々共同作業するんだ。
時たま手とか体がぶつかって、顔を見合わせて、照れ隠しに笑い合う。
そんな風に互いを意識しながら彼女と二人で料理をしたい。
――否、その夢を実現するためにも俺は料理ができるようになりたい!」
おおよそ原稿用紙二枚分の妄想シチュエーションを熱い思いで語り尽くした。
これには他のメンバー(亮二含む)も呆然していた。
「料理部でスキルを磨くことでできるシチュエーションだ。さあ、再度問うぞ。料理部だからこそできることややりたいことはないのか?」
貴明は三人の内の一人――貴明と舌戦を交わした上級生を見やる。
「お、俺は……!」
「別に料理部の子と付き合うことが前提じゃなくてもいいんだ。料理部はあくまでキッカケに過ぎない。料理部で料理を学び、女の子とのコミュニケーション方法も学ぶ。結果的に別の場所で彼女を作る……なんてことも十分ありえる。だから、料理というスキルを身につけた未来の自分を考えてくれ」
その貴明の一言がキッカケとなったのだろう。
上級生は堰を切ったように語り始めた。
「俺は……俺は気が強い女性が好きだ! 普段はバリバリのキャリアウーマンで、恋人になってもその様子は普段と変わらない。でも、俺が作る料理をいつも楽しみにしていて、作った料理を食べ終わった後には『いつもありがとね』って満面の笑みを向けてほしい!」
「いいシチュエーションだ! その彼女が嫌いな食材を入れて『これ苦手なんだけど』って頬を膨らませながら不満気に言わせるのも乙だよな!」
「ああああ! それ滅茶苦茶良い!」
興奮する先輩に満足気な笑みを見せた後、左側のメガネをかけた男子に今度は君だ、と促す。
「俺はむしろ逆に彼女に甘えたい! ほんわかした女の子に好きなメニューを作ってあげて、その後お礼に膝枕してあげるねって言われたい!」
「膝枕してもらった状態で耳かきとかしてもらったりな!」
「それな!」
三人の内二人を懐柔させた貴明は最後の一人に視線を向けた。
「俺は……女の子と話すのが苦手だから。どうしたいこうしたいっていうのはなくて……」
「それでも構わない! むしろその方が可能性は無限大だ! 料理を趣味にすれば話題も弾む。例え料理が得意じゃない女の子だったとしても、その場合は尊敬の眼差しで見てくれるさ!」
「そう……そうだよな! 話題のレパートリーを増やせば何だってできるよな!」
気がつけば三人は貴明を敵として見るどころか、まるで同郷の友人のように接していた。
「最終的な目標は違えど、そこに至るまでの過程は同じだ。料理が上手くなれば、自然と女子達からの注目も集まるようになる。そうやって一歩一歩重ねていくことで、俺達の夢を叶えようじゃないか」
『ああ』
「そこで改めて提案させて欲しい。俺に力を貸して……いや、違うな。皆に協力してもらいたい」
三人が同調してくれたのを見て、貴明は彼等に再度協力を求む。
「今日俺と一緒に体験入部に来た谷沢朱莉っていう子は物凄く料理が上手なんだ。……俺は彼女の作る料理を超える一品を作りたい」
件の朱莉をチラと見ると、彼女は部長達と話していた。
そして時折こちらを盗み見てくる。
男子グループの話し合いが終わるまで場をつなげてくれているみたいだった。
そりゃこれだけ話が長引けば皆待つか。
無理をさせてすまない、朱莉。
けどこれは君に勝つために必要なことなんだ。
だから……すまない。
心のなかで謝って再び三人に向き直る。
「彼女に勝てる可能性は極わずか。けれど、もし勝つことができれば、女子達の中で俺達の評価はうなぎ上がり。挑戦する価値はあるぜ!」
三人は一瞬、逡巡した顔を見せる。
が、しかしすぐに表情を引き締めた。
「ああ、やってやる。二人もいいよな」
上級生が残りの二人に確認すると、彼等も真剣な表情で頷いた。
「よし、じゃあこれから俺達は協力関係だ。強敵を打ち破るためにも……円陣を組もう」
そう提案して円陣を組んだ。
なお、これまで蚊帳の外だった亮二も強制的に肩を組ませた。
――こうして話は冒頭に戻る。
「いいか。男には負けられない戦いがある。俺にとっては今この瞬間がその時だ」
「ああ。バリバリのキャリアウーマンが帰宅した時に料理を作っておいて、『やっぱり貴方の料理は美味ししいわ。いつもありがとね』って笑顔を浮かべてもらうためにも」
「『○○君の料理すっごく美味しい~。料理作ってくれたお礼に膝枕してあげる』って甘えさせてもらうためにも!」
「料理を趣味にして女の子と話すためにも!」
貴明の気合のこもった一言に、三人が連鎖的に願いを叫ぶ。
絆が強く結ばれたことを確信し、貴明は自信を持って声を上げる。
「俺たちの実力、見せつけるぞっ!」
『おお!』
熱いソウルを共感しあった彼等はこうして一心同体となった。
「……すっげえ不安なんだけど」
その中で唯一人、冷静な亮二を除いて。
――こうして、貴明と朱莉の勝負の火蓋は切って落とされた。
なおこのとき、朱莉は貴明のことをジト目で見つめながら、
「……いくらなんでも待たせすぎです。待たせる男は女性に嫌われますよ?」
と、珍しく呆れていることに貴明は気づかなかった。




