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018 入部編③

「皆さん、練習お疲れ様です。冷たい麦茶をご用意しておきました」


『うぉぉぉおおおお!!』


「これが……メイドの実力……! マネージャーとしても参考になります!」


 朱莉が部員たちに美しい所作で麦茶を渡していく。

 その優雅さ故か、アクションを起こすたびに陸上部員に熱狂が湧いた。


「へえ、陸上部って皆元気だなあ。さすが」


 そんな部活風景を眺めながら貴明は呟いた。


「一応補足すると、いつもはこうじゃないからね。朱莉のせいで部員たちのテンションがおかしな方向に振り切っちゃってるだけだから」 


 冷めた目線を部員たちに飛ばしながら呑気な貴明のコメントにツッコむのは弓枝だ。

 なお、弓枝と同じように貴明と朱莉の世界観に慣れている奈月は「キンキンに冷えてやがる……!」と大多数の陸上部員に混じって麦茶を飲んでいた。


「うーん、おかしいなあ。体験入部を勧めただけのはずなのにどうしてこうなったんだろ」


「良くも悪くも朱莉には合わなかったから、かな。マネージャーとしては適正率百パーセントっぽいけど」


 最初は朱莉もマネージャー側ではなく、運動する側として体験入部に参加していた。

 体力ならある、と本人が豪語していたので、弓枝のいる長距離グループに混じって走っていた。


 最初は調子が良かった。

 しかし、メイド業がいくら体力を使うとはいえ、走る体力と家事をする体力は違うということだろう。


「ランニングなんて……ご主人様に危険が迫っているときぐらいしか必要ないんです……!」

 

 と、よくわからないメイド語録を発信しながら朱莉はリタイアした。


 しばらく横になって休んでいた朱莉だったが、体力が回復したあとは起き上がって練習風景を眺めていたらしい。

 そこで目についたのがマネージャーの存在だ。


 陸上部のマネージャーの仕事は主に二つある。

 練習合間の休憩中に部員たちが水分補給できるよう麦茶を作ることと、記録を計ることだ。

 

 この陸上部にマネージャーは二人いた。

 三年の熟練マネージャーと新しく入ったばかりの新入りマネージャー。

 記録の計測が容易な長距離の新入りマネージャーが担当し、熟練マネージャーが短距離の測定を行っている(跳躍や投擲は選手たちが持ち回りで記録を取っている)。


 麦茶は練習が本格化する前にマネージャー二人であらかじめ作っておき、飲みたい時に飲めるように所定の位置に設置してある。

 大きめのタンクに麦茶を入れているのだが、激しい運動によって水分を求める部員は後を絶たず、練習中に最低一回は作り直す必要があるらしい。

 

 ちょうど麦茶が切れて補給しにいこうとした新入りマネージャーから以上の内容を朱莉は聞いたらしい。

 そこからの朱莉の変化は著しかった。


「そういうことでしたら私にお任せください」


 先程までとは打って変わって顔を引き締めた朱莉は新入りマネージャーの代わりに自分が麦茶を作ることを提言した。

 体験入部してくれた人にそんなことさせられない、という思いがマネージャーから語られたが、メイドモードの朱莉を止められるはずもなく。

 気がつけば説得されて、朱莉が麦茶を作ることになった。


 結果、今の事態になっている。

 本場のメイドの所作が見れるだけでなく、いつも以上にキンキンに冷えた麦茶、そして絶妙な味付け(麦茶に味付けなんてあるのだろうか、と貴明は内心疑問に思う)がどうやら大絶賛のようだ。


「貴明君に弓枝もお疲れ様。はいこれ、麦茶」


 ここは一応『外部』だから朱莉も呼び方を変えているらしい。

 礼を言って、麦茶を受け取る。


「疲れはもう取れたか、朱莉」


「はい。貴明君の走る勇姿を眺めて心も身体もチャージ完了です」


「その様子なら心配なさそうだな……」


 でもまあ、元気そうで何よりだ。

 頬に手を当てて何故か顔を赤らめる朱莉を見ながら思った。


「太神君が近くにいれば朱莉は大丈夫そうだね。それよりも太神君の方はどう? 奈月と一緒に短距離グループで練習してたみたいだけど」


「なんとかついていけてるって感じかな」


「でも練習を重ねれば全国も夢じゃないって部長が言ってたよ。流石の運動神経だねタカヤン」


 美味しい麦茶を飲めてご満悦な奈月が朱莉の後ろからやって来る。


「全国……インターハイに出場するご主人様……。大きな陸上競技場で、布面積の薄いユニフォームを着て筋肉を惜しげもなく晒しながら駆け抜けるその姿……み、見たい。貴明君! 是非陸上部に入りましょう!」


「落ち着け朱莉! 変なスイッチ入ってるぞ!」


「……アカリンって結構妄想力高いんだな」


 妄想で目をキラキラ輝かせる朱莉に奈月がちょっと引いていた。


「谷沢さーん、麦茶おかわり!」

「あ、こら! 体験入部の女の子をこき使うな!」

「いえ構いませんよ、マネージャーさん! すみません、呼ばれてるので行ってきますね」


 麦茶を求める人々の波に朱莉は戻っていった。

 貴明は彼女の後ろ姿から視線をスライドさせ、グラウンドに向ける。


「いやしかし、ちょっと驚いた。皆、かなり真剣なんだな」


 貴明と朱莉が体験入部すると部員に紹介されたとき、まるで転校生がクラスにやってきたかのように部活全体が浮足立った。

 それを見て意外と緩いのだろうか、と貴明は最初に思ったがいざ練習に入るとそんな考えは一瞬で吹き飛んだ。


 皆真剣に、一心に、一眼となって練習に打ち込んでいた。

 誰もが一秒でも記録を縮めるため、あるいは一cmでも記録を伸ばすために練習に取り組む姿は貴明にとっては新鮮な光景だった。


 当然真剣な場はこれまでの短い人生の中でも何度か体験したり見たりしているが、そのいずれとも違う。

 彼等は「情熱」を持っているのだ。


「インターハイの予選が目前だからね。三年の先輩達は特に気合が入ってるんだよ。もしかしたらこれが最後の大会になるかもしれないから……」


 弓枝はしみじみと言う。

 グラウンドに視線を向けると、休憩を取らずに練習を行う上級生が見えた。

 

 特に三年生達の姿が多い。

 彼等の部活における熱量は他の学年より多く感じられた。


「おいおい、ユミユミ~。そんな暗いこと言うなって。先輩たちなら地区予選突破できるって。後輩が先輩を信じなくてどうすんのさ」


 奈月が弓枝の肩に手を回す。

 おりゃおりゃ、と人差し指で頬をつついて、弓枝が「もうやめてよ~」と奈月から逃れようとする。

 ただ、そのおかげで弓枝の切なげな表情は消えていた。


 そんな二人のやり取りを横目に見つつ、貴明は陸上部員たちの練習風景を見ていた。


「短距離ブロックー、そろそろ練習再開するよー」


 短距離ブロックをまとめるリーダーからお声がかかる。


「おし、いこう、タカヤン」


「ああ」


 彼等ほどの情熱は持っていないが、自分なりに真剣に練習に取り組もう。

 そう決心して立ち上がった瞬間、


「おっと」


 急に立ち上がった反動なのか、立ちくらみが発生。

 平衡感覚が乱れて体のバランスが上手く取れない。

 周りには体を支えるものもなかった。

 為す術もなく、貴明は背中からゆっくりと地面に倒れていき――


「――ご無事ですか、ご主人様」


 地面にぶつかる寸前で朱莉が抱きしめて激突を回避させてくれた。


「あ、ああ。ありがとう。助かった」


「いえ、ご主人様がご無事で何よりです」


 と、朱莉はニッコリ笑う。


「助けてくれたのは嬉しいけど、ちょっとこの体勢は流石に恥ずかしいかな。早く立たせてくれると嬉しいんだけど」


 背中に手を回してまるで抱きかかえるような体勢だった。

 手の位置を変えてそのまま持ち上げればお姫様抱っこの完成だ。


「こうなったのはご主人様の不注意です。ですので、恨むならご自身を恨んでください。ご褒美としてしばし堪能させてもらいます」


「何を堪能するんだ……」


 ニコニコ笑顔でこちらの顔を覗き込んでくる。

 顔がかなり近い。

 それが何故かこそばゆくて、貴明は彼女から目線を逸らした。


 気がつけばいつものように二人だけの空間を作った外側では、


「え……? 今、谷沢さんと太神君の距離って五十メートル以上はあったよね……?」

「目の前でパッと消えて、パッと現れたんだが」

「ワープって実在したのか!?」


 主人の危機に扮したメイドの人外能力を見てザワザワしていた。



 ――メイドは、主人のためならば人類としての能力すらも超越する。


 

 後に、この事件を目撃した人たちはそう語ったそうな。




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