017 入部編②
放課後。
桃子は一人、昇降口に向かって歩いていた。
今日はレッスンもなければ仕事もない。完全なオフ日だ。
ただ遊ぶ予定やどこかに行く予定はない。
なので家に帰ってゴロゴロするぐらいしかやることがない。
折角のオフ日なのに勿体無い……。
と思いつつ、まあボッチだから仕方ないねと諦観も抱いている。
昇降口は目の前の角を曲がった先だ。
方向転換しようとしたところで、昇降口とは正反対にある階段から降りてきた何者かとぶつかってしまう。
「おっと」
身バレ防止のためにかけている厚めのレンズのメガネがズリ落ちそうになり、慌てて元の位置に戻す。
これだから慣れない格好は嫌なんだ。目を隠すために伸ばしている前髪も正直邪魔だし。
そんなことを思いながら、ぶつかってきた相手を見る。
「…………お、太神、くん?」
一言目に「げ」と声を出さなかった自分を褒めてほしい。
貴明のことは嫌いなわけじゃないけれど、自分からしたら少々近づきがたい相手だ。
そういう相手にやっべ、出会っちまった……と思うのは当然だと思う。当然だよね。
「広納さんか。ごめん。急いでてよく見てなかった。怪我はない?」
「……あ、うん、大丈夫」
「なら良かった」
ぶつかったといっても、倒れるほどの衝撃ではなかった。
なのに貴明は本気で怪我がなかったことを心配するような顔つきだった。
「広納さんは帰るとこ?」
このままいても気まずいだけなのでさっさとその場を離れようとするも、桃子のことはお構いなしに貴明が喋りかけてくる。
これだから……これだからリア充は。
「と、特に予定もないから。……えーっと、太神くんは部活でもあるの?」
体操服姿の貴明を見て質問を返す。
話を途切れさせず、聞き返したことを誰か褒めてほしい。
去年までの桃子ならともかく、アイドルとして微妙に上がったコミュ力が力を発揮してくれた場面だった。
「ああ。これから部活。といっても、仮入部で体験してくるだけだけど」
知ってる。昼休みに話を盗み聞きしてたから。
といっても、そのことを告げるはずもなく。
「そうなんだ。何部?」
「陸上部。友達に誘われてどうかって」
「へえ。……ずっと気になってたんだけど、どうして体操服そんなに綺麗なの?」
今日は午後の授業に体育があったはずだ。
男子は陸上競技を体育でやっているみたいで、中には走り幅跳びもあったはず。
なので男子のほとんどが体操服を汚していた。
それなのに貴明が着る体操服は新品同様の真っ白さだった。
「朱莉が汚い服で初対面の方に会うなんて、太神家の名折れですって言って、急遽家庭科室で縫ったんだ」
「縫ったって……一から?」
「らしい」
朱莉作成の服って言ったら、また何か言われるんだろうなあ、と貴明は呟く。
言葉とは裏腹に表情はとても穏やかだ。
やはり専属メイドと言われるぐらいなので、家事スキルは高いのだろう。
それでも服一着をこんな短期間で仕上げることは果たして可能なのか。
女子力の低さに定評のある桃子には分からない。
「それにしてもまあ、こうして広納さんと話せるチャンスができてよかったよ」
朱莉に思いを馳せていると、貴明が急にぶっこんできた。
「実はずっと広納さんのことが気になっててさ」
「…………え」
ええええええっ!?
突然の大胆の告白に、桃子の頭は一気にオーバーフローする。
「いや、でもだって、太神くんには谷沢さんが……それにわ、私なんかが太神くんとだなんて、不釣り合いにもほどがあると思うんだけど。で、でも、太神くんがそこまで言うなら私……」
「――俺たち、どこかで会ったことない?」
貴明には聞こえないぐらい小声で呟いていたとはいえ、即座にフラグが折れる悲しみといったらありゃしない。
いや分かっていた。分かっていたけどね!
「あ、会ったことはないと思うけど……」
「だよなあ。一度会った人を忘れるなんてことないと思うし」
ジッと貴明がこちらの方を見てくる。
朱莉もそうだが、貴明も非常に顔面偏差値の高い人間だ。
声の大きい男子によって、朱莉の方に注目が集まりがちだが、女子の間では貴明もかなり噂になっている。
そんな相手に見つめられていると思うと、邪な気持ちが例えなくてもドキドキしてくる。
「きっとよく似た誰かと勘違いしたんだろうな。不快な思いをさせてごめんよ」
「う、ううん、構わない……」
トマトのように顔が赤くっている自覚があった。
こんな顔、見せるわけにはいかないと、貴明から顔をそらした。
「ど、どうして今になって部活に入ろうと思ったの?」
代わりに苦し紛れの疑問を投げていた。
「まだ仮入部……どころか入部体験だけどな。まあ確かに今更感はあるよな」
今は四月の第三週。
既にほとんどの新入生が体験入部を済ませて本入部している。
この時期に体験入部や仮入部をしている人間は、やる気があまりない人間だったり、やりたいことが見つからなくてとりあえず片っ端から試している人間が多い。
貴明はそのどちらにも当てはまらない。
特別ゆえ、彼は部活に入ろうと思っていなかった。桃子はそう考えていたのだが。
「やりたいとは思ってたけど、最初の一歩を踏み出す勇気が出なくてな。友達に誘われてようやく決心がついた」
「太神くんは勇気がないような人には見えないけど」
「そんなことないさ。勢いでこの学校に入学したのはいいけど、そこで待っていることは俺にとってほとんど特別なことなんだよ。勝手がわからなくて、尻込みしてることが多いんだ。こう見えてな」
自虐気味に貴明は笑う。
でも、昇降口から見えるグラウンドを映した瞳には希望や好奇心が宿っていた。
昇降口にたどり着いた二人は靴を履き替え、校舎を出た。
「じゃあ、俺は部活があるからここで。広納さん、帰り気をつけてね」
「……あ、ありがとう」
ようやく地獄のような時間が終わる。
別れの挨拶を済ませると、桃子はさっと背中を向けた。
「ああ、あと」
離れようとしたところで、貴明が声をかけてくる。
「広納さん、目綺麗なんだから伊達メガネするのは勿体無いよ。前髪短くするとか、目がよく見えるメガネにしたほうがきっと似合うよ」
なんて、普通の人が言ったら歯の浮くような台詞を平然と言ってくる。
これも特別な人間だから許されることだろう。
さっきよりも顔をかああっと赤らめた桃子は早足でその場を離脱した。
しばらく距離を置いてから、桃子は振り返る。
貴明がグラウンドで待っていた友人とちょうど合流するところだった。
楽しげな彼の様子を遠巻きに眺めながら、
「……やっぱり、太神くんは私と違って『特別』だよ」
と誰にも聞こえないような声で呟いた。




