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3時33分

 ゴーン……


 ゴーン……


 耳をつんざくような、大きな鐘の音。

 それは、突然動き始めた柱時計から発せられていた。時計の針は、3時33分を指している。秒針は既に文字盤の『2』を通過しようとしていた。


 その時、瞬達三人は、収容所一階のエントランスホール、その中央に設えられた柱時計の、まさに目の前にいた。

 

 うねるような空気の振動がびりびりと肌に伝わってくる。瞬は、突然の出来事に、わけもわからず両耳を塞いで、柱時計を注視していた。それは隣にいる二人も同様だった。


 鐘の音は、ぴったり一分間鳴り続けた。

 音が止むと、突然、玄関周りや廊下の照明がぽつりぽつりと点灯し始めた。だがその光は、蛍光灯や白熱灯の明かりではない。もっと鈍くて赤い光だった。プレハブ小屋では電気が使えていたので、この収容所に電気が通っていてもおかしくはないのだが、それにしても、この妙に赤い光は何だろう? 照明として使うには、あまりにも不便ではないか。

 いや、それだけではない。問題は、一体何故、突然収容所内の電気が復旧したのか、ということである。誰かがブレーカーを操作したのだろうか。 鮫ちゃん? ……そして、この音。確かに大きい柱時計ではあったが、大型のライブハウスのスピーカーさえも凌駕しているであろう音量が、この柱時計から放たれていたのだ。果たして、こんな事が物理的に可能なのか? それとも、どこかに大型のスピーカーが隠してあるのだろうか。しかし、周囲を見回してみても、それらしき物は見当たらない。

 小雨は両耳を塞いだまま、目を瞑ってその場にへたりこんでいる。真紀は顔を顰めながらも、冷静に周囲を観察していた。


 音が止んだのち、俺達はお互いに声をかけあったが、満足に会話する事はできなかった。正常な聴力が戻るまでに時間を要したのだ。

 しばらく後、ようやく会話ができるようになった頃に、真紀が切り出した。

「一体何なの、これ……これもドッキリの一環? 何か仕掛けてあったのかしら」

 なるほど、確かにその可能性もある。もっとも、仕掛けた当人は既に帰らぬ人になっているはずだが。

「もしかしたら、鮫ちゃんがブレーカーを操作したのかもしれない」

「鮫太郎くんが? ……いえ、この建物はもう放棄されて半世紀以上の時間が経っているんだから、電気系統は死んでいるはずよ。取り壊される予定になっていたのなら、修理もされていないでしょう。……いや、でも」

真紀は僅かに目を伏せて、唇に触れた。考え込んでいる様子だ。

「それだとこの状況が説明できない……」

「だろ? そうとしか考えられない。とにかく、ここで考えていても何も始まらない。鮫ちゃんを探しながら、ついでにブレーカーも探してみればいいだろう。違うか?」

「……そうね。瞬もたまにはまともな事言うじゃない?」

真紀が右の口角を持ち上げて言った。

 たまには、とは何だ。そう思ったものの、反論できない自分が悲しい。ともあれ、とりあえずは鮫ちゃんの捜索を再開するという方針が固まった。俺は、ずっと座り込んだままの小雨に声をかけた。

「小雨? どうした? 立てるか?」

小雨は手で顔を覆ったまま、ぶるぶると震えている。

「なんか……やっぱりおかしいよ、ここ……」

「ああ。早く鮫ちゃんを見つけて、ここを出よう。外に出れば携帯もつながるかもしれない。すぐに警察に電話して……」

「それはそうだけど、それだけじゃない……さっき、その柱時計が鳴ってから、空気がざわざわしてるの……気付かない?」

 そう小雨に問われた俺は、思わず真紀と顔を見合わせる。彼女も首を横に振った。

 小雨は感受性が強い方だから、人の死体を目の当たりにして過敏になっているのだろう。……いや、寧ろ彼女の反応が普通なのだろうか? もしかしたら、俺と真紀が冷淡なのかもしれない。あの惨状を見てきた自分の冷静さに、自分自身驚いているぐらいなのだ。

「空気が……言われてみれば、そんな気がしないでもないが……どっちにしろ、鮫ちゃんを探さなきゃいけない。明るくなった分、お互いにさっきよりは探しやすくなっているはずだ」

俺は、柄にもなく諭すような口調になっている。

「うん……わかってるよ……」

 小雨はよろよろと立ち上がった。


 改めて周囲を確認する。照明がついた事で、全体の広さや内装がはっきりと視認できるようになった。

 エントランスとは言っても収容所なので、内装は質素なものだ。その中で、正面に据えられた柱時計だけが豪華な装飾を施されて、異彩を放っている。それから、先ほど開かなかった正面玄関へと視線を移す。見たところ、施錠されているわけではないようだ。やはりどこかが錆びついているのだろう。鮫ちゃんと合流した後、二人がかりで体当たりすれば、無理矢理こじ開けることができるかもしれない。俺は二人に尋ねた。

「さて、どっちに行く?」

「配電盤がありそうな場所を優先的に探すべきじゃない? もし、鮫太郎くんが配電盤を操作したのなら、今もまだその近くにいるかもしれない。おそらく外周は牢屋だけだから、中心部から探していく事になるわね」

「よし、決まりだな」


 俺達三人は、エントランスから1階の中央部へと伸びている廊下を歩き始めた。

 廊下の天井からぶら下げられた電球が、赤い光を放っている。少しずつ目が慣れてきたが、それでもやはり薄気味悪い。暗室でもあるまいし、こんな職場で毎日働かされたら、きっと一週間で気が狂うだろう。だが、それでも何も無いよりはマシである。視界がだいぶ広がって、探索が楽になった。それに、鮫ちゃんが無事である可能性が高まったことで、気分的にも少し落ち着くことができた。

 俺達は、一つ一つ、部屋の隅々まで丹念に調べていった。しばらくして、いかにも配電盤が収められていそうな大きさの鉄製のボックスが、廊下の壁に設置してあるのを発見した。表面に施されている白い塗装がところどころ剥がれている。

「あれ、いかにもって感じね」

と、真紀が指差しながら言った。

「開けてみようか?」

「もちろん」

 真紀の命令……もとい、指示を受けて、俺はボックスの扉に手をかけた。


 ギギッ……


 これも錆か。

 どこかが錆びついているらしく、片手で軽く引いただけでは開かなかった。取っ手を両手で持ち直し、さらに強く何度か力を込めて、どうにか開ける事ができた。

「どう? 中の様子は」

真紀が横から首を出して、中を覗き込む。マルサラの髪とワインレッドのコートが、赤い光の中に溶け込んでいる。


 ボックスの中に、確かに配電盤はあった。だが、そこにはびっしりと埃が溜まっていて、人が操作したような形跡は見受けられない。真紀は、コートのポケットから、レースで縁取りされた高そうなシルクのハンカチを取り出して、埃を払いながら中のスイッチを確認する。

「……だめね。全部、切られているわ」

そう言って、軽く肩を竦めた。

「じゃあ、この電気は一体……?」

三人で眉をひそめながら、天井の照明を見上げていると……


 ザッ、ザッ


 どこからか、物音が聞こえてきた。

「何だ? この音」

俺が聞き耳を立てながら言うと、真紀は、音のした方向を見た。

「近付いてくるわ……鮫太郎くんかしら?」

「鮫太郎は、こんな足音を立てる靴、はいてないよ」

小雨が即座に否定した。すると、この音は何だろう。


 背後の廊下から、その物音は近付いてくる。一定のリズムで、着実に。

 俺達は、その物音の方向を一心に見つめていた。


 それはやがて、赤い光の中に姿を現した。

「ひっ……」

俺の腕にしがみつきながら、小雨が声を上げた。俺と真紀は、息を呑んでそれを凝視した。


 それは確かに人の形をしていた。しかし、目があるはずの場所には黒い穴がぽっかりと空いている。髪はほとんど抜け落ち、皮膚は醜く爛れ、服を着ていない。緩慢な動作ではあったが、一歩一歩こちらへ近づいて来ている。

「な、何? あれは……」

真紀が怯えたような声音で言う。俺はごくりと唾を飲みこんだ。


「あれは……どう見ても、ゾンビじゃないか……?」

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