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2時27分

「ひゃぁっ!?」


 突然姿を現した鮫太郎に驚いた直哉は、素っ頓狂な声を上げながら尻餅をついた。


「へえ……ここにこんな部屋があったとはな……なかなか、いい趣味していやがる」

 鮫太郎はずかずかと拷問室へと入って来た。直哉も気圧されるように、尻餅をついたままの姿勢でじりじりと後ずさる。


 一体何なんだこのガキは……? この部屋の惨状を目にしても、怯えるどころか眉一つ動かさず、涼しい顔をしている。いや、それどころか、むしろこの状況を楽しんでいるかのように見えた。バラバラの死体や鉄の処女を眺めながら、残忍な笑顔を浮かべている。

「そこに転がっている死体は、全部お前が殺したのか?」

鮫太郎は、未だに立ち上がれないでいる直哉を見下ろしながら言った。

「あ、ああ……そうだ」

「ここに来る途中で男の死体も見かけたが、それも全てお前が?」

「そうだ、俺がやった」


 最早、こんなところで取り繕っても無駄だろう。そう判断した直哉は、脅しの意味も含めて、鮫太郎の質問に素直に答えた。いずれこの男も殺さなければならないのだ。向こうから一人でノコノコやってきてくれた事は、寧ろ幸いだったと言える。そうだ、一刻も早く……。

 人形を完成させるという本来の目的を思い出した直哉は、チェーンソーを強く握って立ち上がった。

「おお、おお。怖い怖い。それで俺を殺そうってのか?」

 鮫太郎は、へらへらと茶化すような口調で言いながらも、更にじりじりと詰め寄ってくる。このガキの放つ妙な威圧感は何だろう? 直哉は気圧されて、当惑しながら後ずさり、ついには壁際まで追い詰められた。

 背中に伝わるひやりとした壁の感触に、直哉は慌ててチェーンソーのスイッチを入れ、奇声を上げながら鮫太郎に飛びかかった。


「えええぃぃあああああ!」

鮫太郎は体を左に反らして、あっさりとそれを避け、涼しい顔で直哉を見据えている。すっかり頭に血が上った直哉は、更にがむしゃらにチェーンソーを振るった。二度、三度、四度……その度に、チェーンソーは虚しく空を切る。

 こいつは只者ではない……直哉は、落ち着け、落ち着け、と自らに言い聞かせた。このままでは埒があかない。仕切り直しが必要だ、と直感して、鮫太郎に背を向け、開け放たれた拷問室の扉を目指した。

「おっと、そうは問屋が卸さねえぜ」

 駆けだそうとした瞬間、直哉の足は何かに躓いて、そのまま前のめりに転び、強かに鼻を打った。

 鼻骨が折れたような感触があった。鼻をさすりながら足元を見ると、そこには鮫太郎の足が伸びていた。どうやら足を引っかけられたらしい。たらりと鼻血が流れ、口から顎へと伝っていくのがわかる。辛うじてチェーンソーは手放さなかったものの、直哉が再び起き上がるまでの間に鮫太郎は扉の前へと移動し、弁慶のように仁王立ちしていた。

「姉貴と真紀もやるつもりなんだろう? お前はもうこの部屋から一歩も出られない。諦めるんだな」

「何をっ!」


 逆上した直哉は、尚も遮二無二チェーンソーを振るった。

「無駄だぜ。お前みたいな素人に、俺は殺せねえよ」

闇雲にチェーンソーを振り回しても、鮫太郎は左右にひらりひらりと身を翻して軽くかわしてしまう。ヤケになった直哉は、右肩に大きくチェーンソーを振りかぶった。

「はっははは、当たるわけねえだろそんなの」

 鮫太郎の冷笑がさらに神経を逆撫でする。全力をこめてチェーンソーを振り下ろしたが、またしても鮫太郎は紙一重のところでそれをかわし、渾身の一撃は空振りに終わった。バランスを失った直哉は、そのまま前につんのめる。


 ブィィィィィン……ガガガガガガ


 チェーンソーが奇妙な音を立てる。次の瞬間、直哉の左足に激痛が走った。コントロールを失ったチェーンソーが、直哉の踏み込んだ左足を切り裂いていたのだ。


「うがあぁぁぁぁっ!」


 チェーンソーを放り出して、左足を押さえながらその場に転がった。足の中指と薬指の間の肉が、靴の裂け目から覗いて見えた。手には、ぬるぬるとした血の感触が纏わりついている。直哉は、痛みで気を失いかけた。


「クックック、無様だな。豚の蹄みたいになっちまったじゃねえか?」

勝ち誇ったような笑みを浮かべた鮫太郎が、直哉を見下ろしている。必死で立ち上がろうと試みたが、裂けた左足を着こうとすると、体重がかかって傷口が広がり、更なる激痛が襲った。


 鮫太郎は徐に、ポケットから小さな機械を取り出し、直哉の目の前にかざすと、その横にあるボタンを押した。


『そこに転がっている死体は、全部お前が殺したのか?』

『あ、ああ……そうだ』

『ここに来る途中で男の死体も見かけたが、それも全てお前が?』

『そうだ、俺がやった』


 先程の会話の音声が流れた。その目の前に掲げられた機械は、どうやらボイスレコーダーらしい。

「これを警察に聞かせれば、全てがお前の仕業だという事が証明される……まあ、この様子じゃ、その必要もないだろうけどな」

鮫太郎はそう言うと、ボイスレコーダーを再びポケットに仕舞い、直哉の周囲をぐるぐると歩き始めた。

「まあ、これだけ凄惨な殺人事件だ……いったい、何年刑務所にぶちこまれる事になるんだろうな? 死刑が執行されるまでの間」

 

 死刑。


 その言葉が、直哉の頭の上に重くのしかかった。

 そうだ。警察に捕まったら……間違いなく死刑だ。マスコミに煽り立てられた裁判員達は、情け容赦なく死刑を突きつけるだろう。裁判員と傍聴人の侮蔑に満ちた視線に囲まれて、何年も閉じ込められた挙句、殺されるのだ。


 だめだ。俺はまだ死にたくない。何とかこいつを殺して、この島を脱出して……いや、その前に、女だ。女を殺さなくては。ここまで来てあの人形を中途半端に終わらせてしまっては、死んでも死にきれない……。


「お前、もしかしてまだ、どうにかしたらこの部屋を脱出できる、とか考えてるんじゃないだろうな?」


 鮫太郎の冷徹な声が響く。

「お前はもう、屠殺場に運ばれる豚のように、ただただ死を待つ事だけの存在なんだよ。お前の味方は一人もいない。お前という肥溜の上に、世間はありとあらゆる吐瀉物と排泄物を情け容赦なく投げつけるだろう。そうして散々貶められた犯罪者に、死刑という鉄槌を下して溜飲を下げるんだ。人は皆、人を殺してみたい生き物なんだよ。そして、それが正当化されるのならば、是非ともやってみたい。それが、この国に死刑制度が存在し続ける理由だ」


 直哉は絶句した。四方八方から、ゴシック体の罵詈雑言が降り注いでくるのが見えた。それはもちろん幻覚であったが、既に直哉は冷静な判断力を失っていたのだ。

 人殺し! キモオタ! デブ! 豚! 変態! スケベ野郎! 人間のクズ! 鬼! 悪魔! お前なんて生まれてこなければよかった! 私の顔に泥を塗りおって! 童貞ってこわい…… あれが人間の顔か? なんか臭そう…… ウジ虫! さっさと死ねよ!


 直哉を取り囲んだ大勢の人間が、皆一様に蔑むような視線を浴びせてくる。その口から、言語の限りを尽くした罵声が発せられ、それが文字となってぶつけられるたびに、黒いインクが直哉の体を汚していく。群衆の中には、直哉の知人、級友、さらには両親の顔もあった。


「わかるか? お前にはもう、二つの選択肢しか残されていないんだよ。豚になって殺されるか、今ここで死ぬか、その二つだけだ」


 鮫太郎の低い声が、拷問室の中で冷たく響き渡った。

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