第67話 vsサソリ女
トラセインの街に無数の根っこが溢れかえる。
その根っこの大きさは、先日見た巨大チューリップの比ではない。建物の隙間を縫って蠢くそれは、見方によっては巨大な蛇が前進しているようにも見えた。
「うっへぇ、きもっ!」
その様子を見たエイジの第一声がそれだ。
彼の言葉に賛同するようにしてシデンとカイトも続く。
「B級映画みたい」
「モンスターパニックなんかだと、人に襲い掛かってくるものだが」
「おい、止めろよ。本当に襲い掛かってきたらどうするつもりだ!」
比較的冷静に感想を呟くカイトに、エイジは怒鳴る。
現在、トラセインの街に出現した根っこは動いているだけで、それ以外の動きが見られない。
大樹にグーパンチを放ったカイトに襲い掛かってくることもなく、ただ巡回しているだけだ。
だがいかんせん、この巨体である。
一本だけでも太さ6,7メートル程はあろう巨大な根っこが街中を移動するだけで民家は崩れ落ち、住民は逃げ惑う大パニックとなった。
「やっぱり、俺がパンチかましたからか?」
「今の所、それ以外原因が思い浮かばないけど……」
呑気に首を傾げるXXXの面々。
だが、そんな時間も長くは続かない。
「ぎゃあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
中央区に断末魔の叫び声が木霊する。
一斉にそちらの方向に視線を向けた。
するとどうだ。巨大根っこの先端が割れて、住民の頭に齧り付いているのである。
「いいっ!?」
「食ってやがる!」
齧り付いた根っこは、そのまま勢いよく住民を丸飲み。
そのまま満足することなく、近くで腰を抜かしている次の獲物へと近寄っていく。
「ひ、ひぃっ! 来るな! 来るなあああああああああああああああああああああああっ!」
震えた叫びは、目前に迫る恐怖に抗えず、立つことができない住民ができる唯一の抵抗だった。
だがそんな彼の叫びに応えるように、人影が迫る。
「うおりゃ!」
巨大根っこの先端にエイジが殴り掛かった。
ぱっくりと割れた先端が大地に叩きつけられ、悶える。
その隙にカイトが疾走し、根っこに手刀を叩き込んだ。巨大な根が切断され、樹液とも取れる透明な液体が溢れ出す。
「君、大丈夫?」
「あ、ああ。ありがとう」
シデンは腰を抜かした若者を立たせ、周囲を警戒。
第二、第三の根っこが彼らを取り囲むが、彼がそれらに向けて右手をかざすと、あっという間に凍り付いて動きを停止した。
氷漬けになった根っこが倒れ込むのを確認すると、シデンは住民の背を押して避難を急かす。若者は焦りながらも走りだしていった。
「おい、エネルギーの注入っていうのはガチ捕食なのか!?」
一先ずこの場にこれ以上根っこがいないことを確認すると、カイトは問う。過去の事例を見たことがあるふたりは、その質問に首を振った。
「ああ。それで空洞に連れて行かれて、ホルマリン漬けみたいにされる。そうすれば自然とブツが完成ってわけだ!」
「なるほど。ついに動き出したか」
カイトは理解する。
この根っこが動き始めた。要するに自分に義手を授けたイルマが危惧する事態が動き出したのだ。
「どうする? 正直、向こうが住民を取り込むだけだったら、この隙にボクらもスバル君を追って親玉を狙うべきだと思うんだけど」
シデンの提案は合理的だ。
確かに今からスバルを追って行けば、早い段階で合流できるだろう。
だが、
「いや、根っこを叩き潰そう」
クライアントからの依頼は、更にその根源――――要するに大樹の存在にある。その根っこがエネルギーを注入する為に住民を無差別に食らうのであれば、早い段階で阻止するに限る。
「向こうの戦力を増やしてやる必要はない」
「それはそうだけど、本当にスバル君だけで大丈夫なの?」
シデンが危惧していることは、ただの旧人類であるスバル少年を先行させていることにあった。
根っこが動いてきた以上、内部に変化があってもおかしくない。
ブレイカーに乗っているわけでもない彼が内部で襲われた場合、誰も助けることができないのだ。
「アスプルならまだ話し合いでなんとかなるかもしれないけど、このアナコンダみたいな根っこがスバル君のトークに付き合ってくれるとは思えないんだけど」
「確かに。よし、そっちは俺が行く」
カイトは立候補する。
異存はないようで、エイジは拳を。シデンは銃を構え、それぞれ振り返った。
「気をつけろ。アーガスの話だと、何人かの使用人が注入されたらしい」
「具体的にはどんな感じになるんだ?」
カイトが問うと、エイジとシデンは頭を捻らせる。
マリリスの形状を説明すればいいんだろうが、それが中々言葉では形容できないのだ。
ややあってから、彼らはひとつの答えをだし、同時にいう。
『わかんない!』
「役立たず」
カイトは冷めた目でふたりを見た。
なんというか、もうちょっと説明してくれてもいいんじゃないだろうか。
まさか丸投げされるとは思わなかった。
「おら、いいからさっさと行け! こうしてる間にもアイツが食われてるかもしれねぇぞ!」
エイジが叫び、次の根っこを殴り倒す為に走り出した。
それに続くように、シデンもスカートを托しあげてガーターベルトに装着された6つの銃口を露わにし、駆け出す。
今更だが、この男はトラセットでもずっとコスプレしていた。ブレない男である。
「……で、結局どんな感じになるんだよ」
カイトは首を傾げつつ、空洞へと走り出す。
彼の独り言にも似た疑問に答えてくたのは、根っこが大地を這いずる音と悲鳴だけだった。
僅かな明かりだけを頼りに、スバルは空洞を突き進んでいく。
ここまで休憩なしで走り続けた彼は、既にマリリスが捕えられていた空間に辿り着き、奥にあった階段らしき凹凸を駆けあがっていた。
しかし、これがまた長い。
蛍石スバル、16歳。彼はお世辞にも体育の成績はそんなにいいわけではない。寧ろ、長い間ゲームしかやってこなかった物だから、クラスの中でも下から数えた方が早いレベルだった。
最近はカイトにつき合わされたり、新人類軍から逃げたりとしている内に少しずつ筋肉がつき始めているが、それでもスタミナには限りがある。しかも既にガス欠気味だ。
彼はひぃひぃ言いながら走っていた。
そして汗だくの表情で思う。
まだあるのかよ、と。
階段の先は、まだ見えない。
元々薄暗い空間の為、小さなライターの明かりでは上の構造まで見えないというのもある。
要するに、ゴールが見えないという焦燥感がスバルの疲労を加速させていた。
つい先程、大樹を振動が襲い、何段か転げ落ちてしまったのも理由のひとつだ。同居人によるロケットパンチのせいだった。
「畜生! こんなことなら獄翼で突っ込んで刀をぶっさせばよかった!」
貴重な資源に向けて、とんでもない発言を残すスバル。
この発言を各国の首脳陣が聞けば、正気かと疑われることだろう。
しかし蛍石スバル。彼は常に大真面目である。
疲労による苛立ちは、誰もいない筈の空洞にいるスバルに独り言を発させる程度には積もっていた。
出来ることなら、獄翼に乗り込んで一気に上まで飛んでいきたい気分である。
ポケットの中に突っ込まれているスイッチに手を伸ばす。
果たして大樹の内部で押した場合、獄翼が駆けつけてくれるかは微妙だ。
だがこれ以上走り、足が棒になるよりはマシなのではないだろうか。
次第にスバルはそう考えるようになる。
やや間をおいてから、スバルは決意した。
押そう。
今は大樹の内部だが、獄翼が自動モードで突っ込めばきっと穴くらい空くだろう。スバルはそう考えて、スイッチに手を伸ばした。
この時、少年は仮に穴が出来上がったとして、衝撃で自分も吹っ飛ばされる可能性があることにはまるで気づいていない。
ところが、だ。
大樹がそんなスバルの行動に怖気づいたかのように、彼の視界にある物が映った。
光だ。
薄暗い空洞。その端から続く階段に、真上から光が差し込んできているのである。
「お、おお……!?」
それは、太陽の光が当たっていることを示す。
地下から続く巨大空洞。その終点と思われる光が今、彼の目の前にあった。押しかけたスイッチを再びポケットに押し込み、スバルは光の方向へと向かう。
「うっ……!」
迷うことなく光の下へと向かったスバルは、一瞬にして身体を照らされたことで軽い眩暈を引き起こす。
だが僅かに目を擦らせ、慣らすことでこれに順応させた。
視界が安定した後、スバルは周囲を見渡す。
光の奥へと足を踏み入れたスバルが目にしたのは、巨大な広場だった。
足場は根っこが絡み合い、葉が何重にも重なり合うことで空間を保っている。彼の横にある壁や、これまで登ってきた階段もまた同じだった。
「お待ちしておりました、反逆者様」
広場の観察を続けるスバルに、女性が呼びかける。
ふと、スバルは辺りを見渡した。
右。誰もいない。あるのは壁だけだ。
左。やはり誰もいない。こちらには螺旋階段のような巨大な階段が存在しており、その先には扉がある。
本当にここは大樹の中なのかよ、と疑問に思った。
しかし、声の主はここにもいないようだ。
ならば後ろか、と思い背後を見る。
自分が通ってきた道があるだけだった。
人影はない。
「こちらですよ。足下をご覧ください」
「足下?」
その指示に従い、視線を下へと向ける。
床から女の顔が浮かび上がっていた。一瞬、お面が落ちているのかと思ったスバル。これには流石に驚き、後ずさる。
「どわああああああああああああああ!?」
「そんなに驚かないでくださいまし。傷つきますわ」
女性が這い出てくる。
床を構成する根が穴を開き、彼女は颯爽とスバルの前にその全身を曝け出した。
いや、彼女だけではない。女性の登場を合図とするように、次々と女たちが床から飛び出してくる。
まるで高速で植物が生え始めているかのような光景だった。
「またお会いしましたね、反逆者様」
「き、君は……」
にこり、と微笑む女性。
スバルは彼女を知っていた。ダートシルヴィー邸に足を運んだ際、突然開かれた歓迎のミュージカル。
あの場でスバルのダンスパートナーを務めた、メイドだ。
「使用人のシャウラと申します。以後、お見知りおきを」
軽くドレスの先を摘み、お辞儀をする。
シャウラの礼に続き、床から生えてきたメイドたちが一斉に礼をした。
流されるようにスバルも礼をしてしまった。この男、結構律儀である。
「お、俺は蛍石スバルだ!」
そして、律儀に名乗る。
いい加減、『反逆者様』と呼ばれ続けるのはむず痒い。
「ふふふ、良いお名前ですね。スバル様」
一度だけのダンスパートナーは笑みを崩さず、優雅に笑う。
「退いてくれ。俺は――――」
「残念ですが、貴方をアスプル様やマリリス様のいるところへ通すわけにはまいりません」
シャウラが笑みを崩す。
それと同時、彼女の長い髪の中から黒い尾が飛び出した。
先端に光る巨大な針が、スバル目掛けて向けられる。
その姿は、まるでサソリ。ポニーテールにして纏めた髪の中に針を隠し持つ、サソリ女だ。
「ゴルドー様とアーガス様は貴方を懸念材料としておられます。申し訳ございませんが、ここで私達が排除させていただきます」
シャウラが一歩前に踏み出す。
彼女の背後に甘える使用人たちも、各々の細胞を変化させていく。
その変貌を目の前にしたスバルは、思わず一歩下がった。
「アンタ達は、全員あれを受け入れたのか?」
「そうです。祖国の為に、私たちはこの身を差し出しました」
全ては祖国の為。
新人類王国に敗北し、死んでいった者の恨みを晴らす為。
そして、主君の為。
「主従関係や愛国心に疎い、日本の貴方にはわからないかもしれません」
だが、理解してもらおうなどとは思わない。
例え目の前にいる少年が、国に害を為す存在でなかったとしても。
「それでも、貴方がアスプル様を惑わすのであれば。ここで抹殺します!」
「――――っ!」
シャウラの後頭部から伸びる尾が、真っ直ぐスバルの心臓目掛けて飛んでいく。
「今度生まれ変わる時は、ダンスをもう少し嗜むことをお勧めしますわ」
「余計なお世話だ!」
真っ直ぐ飛んできた針を、両手で弾く。
それは反射的な行動だった。勢いよく飛んで行ったシャウラの尾は、あらぬ方向へと突き刺さる。命中した壁が、徐々に紫色に変色していった。
「惑わす気なんかない!」
「では、どうしてここに来たのです?」
「友達が止めて見せろって言った! なんとかしたいと思うのは当然だろ!」
清々しいほどに真っ直ぐな回答だ。
シャウラは思う。アスプルが彼と個人的な友好関係を結んだ理由が、なんとなくわかる気がする。
だが同時に、ゴルドーがこの少年を危惧する理由も察した。
「それがアスプル様の決意を揺らがせる」
「力があれば、なにをしてもいいのか!? その力で泣いた子がいるんだぞ!」
「それを成したのが、新人類王国です!」
「犠牲者のアンタ等が、同じことをするのか!?」
「力を振るう相手に、それ以上の力を使わずに、どうやって対抗すると言うのですか!」
シャウラが再び後頭部を揺らす。
壁に突き刺さった尾が、再度スバルに襲い掛かる。
だが、それはまたしても少年に命中することは無かった。
尾の先端についている巨大な針が、第三者によって掴まれたからだ。
「貴方は……!」
「か、カイトさん!」
少年と使用人たちは見る。
ここまで、全力疾走で駆け上がってきた超人の姿を、だ。
見れば、彼の足下には焼き焦げたような足跡が残っている。どれだけの脚力でここまで走ってきたというのだ、この男は。
「なるほど。あれが注入された連中か」
そしてカイトは見る。
大樹の力によって変貌した、人間たちを。
力を求め、細胞を変質させたミュータント。
彼女たちは最早、旧人類とも新人類とも区別できる存在ではないのかもしれない。
「パツキン共はどこだ?」
「パツキン?」
カイトの問いに、使用人たちは首を傾げる。
どうやらあまり使われない用語らしい。カイトは補足を入れた。
「この国の勇者だ。黒薔薇の礼を返しに来た」
両腕から爪を伸ばす。
僅かながらに、彼らを取り囲む使用人たちが震えた。
「……そして、コイツは進ませてもらうぞ」
シャウラの尾を放り捨て、カイトはスバルの背中を押す。
その意図を察した少年は次の扉がある階段へと進み始めた。
「させません!」
シャウラがスバルに向けて、指を指し向ける。
彼女の背後に控えていた使用人が飛び出し、スバル目掛けて飛翔した。
背中に生えるトンボのような翼が羽ばたき、一気にスバルとの距離を0に縮める。
「お覚悟を!」
トンボメイドがナイフを振りかざす。
が、
「とろいぞ」
「な!?」
眼前に、カイトの姿が映った。
直後、彼女の腹部に鉄拳が突き刺さる。
「!? 何時の間に――――」
まるで瞬間移動したかのような、視認不可の超スピード。
大樹の力で細胞を変化させた彼女たちの目でも、捉えることが出来ない。
「カイトさん、殺さないで!」
「なに?」
振り返らずに扉へと向かう同居人のリクエストに、カイトは訝しげに答える。
「お前を殺そうとした連中だぞ」
「いや、一応知り合いなんだ。ダンスもしたし」
「こいつら全員とか?」
悶絶するトンボメイドを突き飛ばし、カイトは周囲を見る。
軽く3,40人くらいだろうか。
「え? うん、まあ……そうだね」
「……お前、尻が軽いな」
「どういう意味だよ! 後、アンタが考えてるようなことはしてないぞ!」
「酷いですスバル様! 私とあんなに情熱的に足をからませたのに!」
「アンタも誤解を受けるような発言をしないで!」
サソリメイドがおよよ、と嘘泣きをし始めた。
なんて女だ。サソリの女は怖い。スバルは今、心の底から思った。
「……お前のリクエストはわかった。要するに、『コイツら全員、俺の女だから大事に扱え』と。そういうことだな?」
「だから、ちげぇっての!」
同居人も同居人で、妙な勘違いをし始めている。
だが、彼はそれなりにスバルを気遣う男だった。少なくとも、現在は。
「いいだろう。お前には借りがある。なるだけ善処しよう」
「だから……ああ、もうそれでいいよ!」
これ以上の問答は時間をかけるだけだ。
そう判断すると、スバルは全てを諦めて受け入れた。
少年は虚像のハーレムを抱えつつ、異国の友人のもとへと向かう。
「……意外に手が早い奴だ」
その後ろ姿を見て、同居人は少年に対する認識を僅かながらに変えたのであった。




