第320話 vsお巡りさん
交通都市、シンジュク。
あらゆる交通機関が発達しすぎてひとつの都市として完成した街だ。
貿易の中心となってしまった為か、様々な国家から色んな人間が集まってくる。
スバルが通う学校もそうだ。
実際、外国からシンジュクに移住している学友がいる。
周囲を見渡しても外人はそこまで珍しくない。
目の前の横断歩道で子供達の引率をしているのも外国人だった。
故郷のヒメヅルから引っ越してきた時には息がつまりそうだったが、今では慣れたものである。
「さあ、子供達! 左右を確認してから車が来ないかよく注意するんだぞ!」
「はーい!」
どこかのバンドにいそうな白メイクの男が褐色の青年と一緒になって子供達の引率をしている。
傍から見れば不審者以外の何者でもなかったのだが、子供たちが懐いている上に警察服をきているので大丈夫なのだろう。
きっと。
たぶん。
おそらく。
訝しげに見ていると、白メイクと目が合った。
「おお、子供達よ!」
白メイクが目を見開き、スバルを指差す。
「登校途中のお兄さんだ。ちゃんと挨拶をしよう!」
「はい、エリゴルさん!」
「おはようございます!」
「おはようございます、お兄さん!」
「お、おう。おはよう」
横断歩道のど真ん中で挨拶をし始める白メイクと子供達。
圧巻されて尻餅をつきかけているスバル。
子供たちはともかく、エリゴルと呼ばれた白メイクの警察官の迫力は凄かった。
というか、警察服と白メイクの相性が凄まじかった。
本来は頼る筈の警察官なのだろうが、なぜかこの男に頼りたいと思えない。
「お兄さん、道中気を付けてくれ。最近は妙ないちゃもんをつけて暴行に走る不審人物がいるらしい」
それはアンタなんじゃないのか、と言いかけてスバルは止めた。
白メイクの後ろで引率をしている褐色肌の男が申し訳なさげに首を横に振っていたのである。
彼の視線がスバルに無言の言葉をなげていた。
コイツ、こう見えても悪い奴じゃないんだよ。
そうなんですか。
初対面の人間だったが、意思が伝わった瞬間だった。
人は誰でも分かりあえる可能性があるのかもしれない。
人類の可能性を垣間見て小さな感動に浸かっていると、スバルはここが横断歩道のど真ん中であることを思いだす。
「あ、じゃあ俺はここで」
「うむ!」
軽く頭を下げてから横断歩道を渡り始める。
会釈を返した後、白メイクと褐色肌が子供をつれて向こう側へと歩き始めた。
信号の真下まで辿り着くと、スバルは反射的に振りかえる。
一瞬、脳裏に様々な光景が思い浮かんだ。
高い所から白メイクを見下ろす自分。
右手にはナイフを握っていた。
頭を押さえつけて刃を振り降ろす。
視界に赤が広がっていった。
言葉で許容できない罪悪感が湧き出て、口を開く。
「ごめんなさい!」
「ん?」
白メイクが振り返った。
きょとんとした顔でこちらを見てきている。
ややあった後、彼は笑顔で手を振ってきた。
「気にしないでいい。もう過ぎたことだ」
「は、はい!」
なにを口走っているんだろう、と思いつつも、スバルは恥ずかしさの余り逃げ出した。
子供達の変な人を見るような視線が痛くて、今すぐ消え去ってしまいたい。
しかし、さっき頭に浮かんだ映像はなんだったのだろう。
なにかの閃きにしては物騒だし、相手側は善良な――――善良なお巡りさんの筈だ。
だというのに、どうしてこんな物騒な光景を思い浮かべてしまったのだろう。
ただ、どうしても言っておかないといけない気がした。
妄想にしては妙に現実味がありすぎる光景だったのもある。
白メイクの警察官に対して申し訳ないと感じていたのだろう。
きっとそうだ。
あれが事実だったとしたら、彼はこの世にはいない。
だからさっきの光景は眠気が呼び起こした悪夢の片鱗なのだろう。
そうに決まっている。
「おい。今の彼は知り合いか?」
「いいや。たぶん、今日初めて会った」
「だったら今のアレはなんだ」
「さあ。人違いだろう」
「お前で見間違いということはないだろう」
「だとしたら、彼は謝った。俺はそれを良しとした。だからこの話はこれで終わりだ」
「……たまにお前の人間性が凄いと思うよ」
「子供たちはピュアだからな。俺自身が純粋にならんと!」
だとしてもそのメイクと子供連呼は止めた方がいいと思う。
褐色肌の同僚は溜息をついて肩を落とした。
今日の自分は変だ。
目覚めたらデジャブーに近い感覚で自分のベットに違和感を覚えるし、バイトの青年の名前も思い出せずにいる。
まるで記憶の一部に霧がかかったようだ。
もしかすると変な物でも食べたのだろうか。
ありえない話ではない。
母、アカリは故郷のヒメヅルから送られてくるキノコを好んで料理に使う。
以前、毒キノコをそのまま食べて酷い目にあったのはよく覚えていた。
あれと同じ感覚で幻覚を見ているのかもしれない。
だとしたら最悪の夏休み開始日だ。
今日は早めに帰るべきだろうか。
そんなことを考えながら住宅街を抜けていくと、老婆の怒鳴り声が聞こえてきた。
「何度でも言ってやるよ! 迷惑なのさ、ウチの玄関前でペットの糞を放置するのは!」
「ファッキン! この僕のエスパー・パンダが選んだ場所だぞ! 寧ろ光栄に思うべきだろう!」
聞いたことがある声なので視線を向けてみる。
よく家に来てパンを買ってくれる柏木夫人――――確か、バイトの彼は豚肉夫人と呼んでいたか。
彼女が自宅の前で髪の毛が逆立った青年と言い争いをしていた。
青年の方を見ると、手綱を握っている。
その先を更に見てみると、どういうわけかパンダと繋がっていた。
「よく覚えておくんだな! 大自然は常に生命のサイクルによって成立される。糞だって地面に落ちればそのまま栄養となって大地に恵みを与えるのだ! だからこれは放置ではない。素晴らしき環境保管だ!」
言ってることが滅茶苦茶だった。
あれが白メイクの言っていた不良だろうか。
確かにとんでもないいちゃもんの付け方である。
これで暴行にまで及ばれたら堪ったもんじゃない。
特に豚肉夫人は知り合いで、かなりの御高齢である。
変な喧嘩に発展してしまえば、まず間違いなく命が危ない。
あまりトラブルには巻き込まれたくないが、ここは近場にいる自分がなんとかすべきだろう。
意を決して近づいていくと、スバルはおずおずと会話を試みた。
「あ、あの」
「なんだぁ!?」
「なにさ!?」
ふたりの険悪な視線を受け、尻餅をついた。
「あら、誰かと思ったらスバルちゃんじゃない」
「ど、どうも」
尻を払いながら立ち上がると、スバルは落ち着きを取り戻し始めた豚肉夫人に問う。
「どうしたんですか。急にあんな大声出しちゃって」
「ああ、そうだ! 聞いてよ、もう!」
不良に指を突きつけ、夫人は訴える。
「こいつ、ウチの玄関先にペットの糞をそのままにして帰ろうとしたんだよ! 信じられるかい!?」
どう考えてもマナー違反だ。
自治会からのお触れで『ペットの糞はきちんと片づけましょう』という看板も出ている。
「ファッキン!」
すると、不良は地団太をし始めた。
なにが悔しいのか、怒りの感情を露わにして彼は叫ぶ。
「おかしいだろう! なぜ僕が糞を片づけなければならん! エスパー・パンダによる大地に恵みを受け取れないのなら、貴様が片付ければいいだろう」
「どうでもいけど、ペットの名前それなの?」
「悪いか!? かっこいいだろう!」
いまいちセンスを感じられない名前だった。
哀れみの視線をパンダに向けてみる。
呑気に転がっていた。
人間じゃないからっていい気なもんである。
「アンタのペットじゃないか。きちんと片づけるのがマナーだよ」
「貴様らが勝手に決めたルールだろう! ならば僕は僕のルールに従い、エスパー・パンダの望むままにさせるとも!」
ペットへの愛情が変な形で溢れている奴だ。
話が通じないのを肌で痛感すると、スバルは助けを求めるように近くを見渡してみる。
近所には誰もいなかった。
他の通学路の利用者は意図的に避けて通っているのだろう。
中々薄情な連中である。
「どうしても決着をつけたいのなら相手をするが、どうなんだガキ!?」
「え、俺!?」
「当然じゃないかい! アタシに殴り合いをさせるのかい!?」
今たまたま通りかかった人間に殴り合いをさせるつもりなのかと問いたかった。
スバルは殴り合いが苦手である。
特に鍛えているわけでもないし、体育の成績もあまりよろしくない。
それに痛いのは嫌いだ。
「俺、善良な一般人なんですけどね!」
「だったら大人しくしてろよ!」
不良が問答無用で殴りかかってくる。
話をする気がない人間はこれだから嫌いだ。
すぐ暴力に訴えて力でねじ伏せようとして来る。
こういう連中がいるから、泣きを見る人間が出てくるのだ。
でも、それって誰のことだ。
明確なイメージを持って出てきたはずの否定の言葉に、スバルは困惑する。
彼が明確な答えを出すよりも前に、不良の拳がスバルの目の前で止まった。
受け止められたのだ。
横から介入してきた顔の半分が前髪に覆われた男によって。
「ファッキン! 貴様、誰だ!」
「ゼッペル・アウルノート。この辺を任されている巡査だ」
稲妻のように出現したそれは不良の腕を捻りあげ、そのまま一本背負いを華麗に決めてみせた。
不良の背中が思いっきりバウンドする。
見るからに痛そうな技だった。
「ふたりとも、怪我はないかな」
「は、はい」
「いやぁ、すまないねぇ。いいところに来てくれたよ」
「丁度、不良の事件で見回りを強化してたんですよ。この時間、学生の数も多いですから」
背中を思いっきり打ち付けられた不良を見下し、ゼッペル巡査は氷のような冷たい視線を投げつける。
「悪いが、君は署にきてゆっくりと話を聞かせてもらおうか」
「ふぁ、ファッキン……!」
「あまり手間をかけさせないでくれ。骨を折られたくはないだろう?」
手首を掴まれ、言われた言葉が決め手だった。
不良は観念する様に項垂れると、パンダの手綱を持ったまま立ち上がる。
「では、男は私が連行します。お気をつけて」
「ありがとねぇ。助かったよ」
「君も。さっきは危なかったね」
もう少し遅れていたら顔に痣ができるところだった。
だから彼には礼を言わなければならない。
頭を下げて言葉を吐きだす。
「ありがとうございます!」
「ははは。そんなに畏まらなくても良いよ」
ゼッペルが苦笑し、警察帽子を脱いでから一礼する。
そのままパンダごと不良を引きずっていく後ろ姿を見届けつつも、豚肉夫人は見知った少年がまだ頭を下げたままだったことに気付く。
「どうしたんだい、あんた」
「……わかんない」
スバル本人としても、どうしてこんなに悲しい気持ちが溢れかえってくるのかわからない。
彼は泣いていた。
ゼッペルの顔を見た途端にこうなってしまったのだ。
自分でもわけがわからなくて、頭がおかしくなりそうだ。
「でも、絶対にお礼を言わなきゃいけない気がするんだ」
「言ったじゃないのさ。お礼」
「これじゃあ足りないよ」
そうだ、全然足りない。
彼のお陰で自分は救われた。
だから感謝するのは間違っていない。
『そうか。残念だ』
ただ、これくらいの感謝じゃ足りないのだ。
自分は彼に対して、言葉では言い表せないほどの感謝の念を抱いている。
不良から救ってもらった程度では片付けられない、大きな恩だ。
具体的になんだったのかは思い出せない。
きっと、これも悪夢のせいだ。
不思議な一日を実感しながらも、スバルはしばらく頭を下げたままだった。




