第140話 vsアンハッピー
ノアは額に当てていたお札をデスクの上に置いた。
その様子を黙って見ていたディアマットは、敢えて問う。
「どうなった」
先程の彼女の様子はただ事ではなかった。
やばい、と口走った矢先のことなのだ。
なにか宜しくない出来事が起こったに違いない。
ディアマットは己の予想する最悪のケースを踏まえながらも、続けた。
「まさか、負けたのではないだろうな」
「そのまさかです」
ノアが真顔のまま振り返る。
その表情は悲しんでいるとも、喜んでいるともとることはできなかった。
「ジェムニが負けました。神鷹カイトとエレノア・ガーリッシュに」
「なんだと!?」
リアクションを見た瞬間、まさかとは思ったが。
本当に負けてしまったのか。
あの鎧が。
新人類王国の誇る、泣く子も黙る決戦兵器、鎧。
12ある内の一角が、崩された。
しかも早々に、だ。
「馬鹿な。戦闘開始から10分も無いぞ!」
これがどういう意味を持っているのか、わからないディアマットではない。
彼は今、焦っていた。
責任問題云々ではない。
それ以上に重く圧し掛かる、鎧の敗北。
地球外生命体の目玉を埋め込んだ鎧は、新人類王国の切り札である。
これまで負け続けていた王国が支配者としての面目を保ってれれたのも、切り札が控えていたからだ。
ところが、だ。
その鎧が負けてしまった。
それも、自分たちが施した移植手術で。
こんなに間抜けで、馬鹿げた話もあるまい。
「目の使い方を学んだようだな。思考が回る分、鎧よりも有効活用できるのだろうか」
そんなディアマットの不安を余所に、ノアはぶつぶつと独り言を口走っている。
「身体の霧化に関しては銀女をよく調べる必要があるな。実際に接触したシャオランにも話を聞かねばならん。いや、それ以上に興味深いのは物質との一体化だ。あれはどういう力なんだ? エレノアの人形と融合した後、元に戻ることも可能だった。人形以外ともくっつくことができるのか? それとも彼とエレノアのみのイレギュラーなのか……どちらにせよ、霧化は体内の細胞を再構成していると見ていい。ジェムニにつけられた傷が残っていないし、奴の再生能力とは完全に別物と考えるべきだろうか」
「おい!」
すっかり自分の世界にはまってしまっているノアを現実世界に引き戻すと、ディアマットはそのまま怒鳴りつけた。
「考察するのは結構だ。だが、鎧が倒された今。もはや一刻の猶予もならん!」
鎧が勝てない。
それはつまり、従来の王国戦士では勝てないことを意味している。
彼らは王国の切り札であると同時に、畏怖されるべき守り神でもあるのだ。
もう逃がさないなんて悠長なことは言ってられない。
「殺せ。残りの鎧全部を率いて、奴を倒せ!」
「まあ、落ち着いてください王子」
「落ち着けるか! 大体、貴様は何故そうも冷静なのだ! 大事な鎧が消されたのだぞ!」
「そんなときこそ、冷静になるんですよ」
ノアの態度はあくまでやんわりとしたものだった。
彼女は噛みつく事もせず、胸倉を掴んできた王子を宥め始める。
淡々と、現状を説明しながら。
「まず、残りの鎧を全て出すという提案ですが……それはできません。今出ていない鎧は全て調整中。安定していない体調なのです」
「確か、後5体が城内を徘徊してるんだったな」
「1体は外で待機しています。出口を見つけた時の為に、保険をかけておかないと」
「では、残りの4体を一斉にかからせろ! もはや一刻の猶予もないぞ!」
「3体までなら可能です」
「残りの1体はどうした!?」
ディアマットの表情がますます歪んでいく。
綺麗な顔立ちの面影はそこにはなく、代わりにあるのは般若の形相だけだ。
まったく、誰に似たのだろうとノアは思う。
「1体はあなたの命令では動くことができない鎧なのです」
「なんだと。どういう意味だ!?」
「そのままの意味です。あれは意思を持って、自分で動いてる。だからこそ札も必要がない」
鎧は基本、命令待ちの人形である。
ただ、その中にも自分の意思を持っている例外が存在していた。
自分の意思で考えて行動するその存在はノアの理念とは異なる物だが、そういう異物を放り込んで観察するからこそ実験は捗るのである。
「わかりますか? 誰にも縛られない超戦士なのですよ」
「だが、そんな制御も利かない鎧が……」
「ご心配なのは理解できます。ですが、あれが覚醒してから今日までずっとこの城は平穏を保たれています。なぜだか、理解できますか?」
謎かけのように紡がれる言葉。
ディアマットはノアを締め上げる力を緩めると、少々間をおいてから答えた。
「……新人類軍だから、か?」
「正確に言えば、国家の人間だから。といったところでしょうか」
なんとも合点のいかない答えであった。
まあ、それはいい。
どちらにせよ、意思のある鎧は国の人間なのだ。
その上で安全が確保されていると言うのであれば、
「何者であれ、国の脅威になる人物は撤去する。そう判断していいのだな?」
「その鎧の判断を信じるのであれば」
「……いいだろう。私は国の人間を信じる」
だが、本題とこの件はまた話は別だ。
これで動ける鎧は残り3体。
その3体をフル稼働させて、カイトとエレノアを倒さなければならない。
新人類王国の威厳とプライドを保つ為にも。
「残り3人を一斉に集めて、奴を誘導しろ。殺せ」
「しかし、目玉が」
「構わん」
ノアに反論を許す間もなく、ディアマットは即答した。
彼の興味は既に『目玉』という資源にはない。
彼が見ているのは敵の抹殺だ。
「資源なら右目もある。研究には事足りる筈だ」
「それは、まあ。そうかもしれませんが」
「ならばさっさと命令しろ。そして迷宮を作り直せ。奴の居場所はわかってるんだろう?」
ノアはジェムニを介して、カイトの場所を見ていた。
そして彼女が作り出す迷宮は、常に彼女の意思で作り替わる。
都合のいい場所に繋がる一本道に塗り替えることなど、造作もないことなのだ。
溜息をつきつつ3枚の札を抜き、ノアは思考する。
城内の各所にいる鎧たちが、一斉に身を震わせた。
「む」
先頭を走る月村イゾウが足を止める。
壁が歪んでいるのだ。
廊下そのものが波のように凹凸し、足場を崩していく。
「体勢を整えろ。迷宮が作り替わるぞ」
「つ、つくりかわるって!?」
言った傍から転倒しそうなスバルが問う。
おんぶしている囚人服の娘は、いまだに眠ったままだった。
スバルは背中に預ける少女の身を床に落とさぬよう、必死に堪える。
そんな彼の肩に手を差し伸べ、固定させてくれたのはアーガスだった。
「迷宮はひとりの能力者によって作り変える事が出来るのだ。せっかくなので、配色も多少美しくしていただきたいのだが……」
廊下の歪みが戻っていく。
無数の分かれ道があった廊下が、今度は一本道が続くだけの素気ない物へと変化する。
残念ながら廊下の配色はもとのグレーだった。
華やかさのない鉄臭い色に、アーガスは肩を落とす。
「いかん! いかんと思わんかねスバル君。私は前から提言しているのだが、誰も聞き入れてくれないのだよ。もっと美しい風景画なんかを飾るべきだとは思わんかね?」
思わんかね、と言われても困るのである。
どうコメントしろと言うのだ。
新人類王国の廊下のアート事情なんて知ったこっちゃない。
ただ、絵でも飾っていれば目印になっただろう。
少なくとも、今の現状では非常に助かる。
「そうだね。まあ、多少は必要だと思う」
「おお、そうかね! 君は美について素養がありそうだ。良きことだぞ!」
なんだかすごい気に入られた。
急に元気になっては薔薇を撒き散らし始めるアーガスを尻目にスバルは正面を向く。
「ん? どうしたの」
イゾウが立ち止まったまま、なにか考え込んでいる。
こちらを哀れみの目で見ているわけではない。
「……妙だな。迷わせる為に廊下を増やしたのではないのか」
「あ」
言われてみれば、おかしな話だ。
迷宮とはその名の通り、迷うべき場所だからこそ名付けられる。
少なくともスバルの中の認識ではそうだ。
しかし、今は一本道とその奥に扉があるだけ。
どう見ても誘導されている。
「では、この奥にいるのは」
「左様」
イゾウに巻かれている包帯。
その隙間から僅かに見える口元が、歪んだ。
「物怪よ。どれ程奥かは知らんが、確かな気配を感じる」
「ホントかよ」
訝しげに見やるが、イゾウの歓喜の笑みは消えることはない。
我ながらとんでもない奴を引き込んだもんだと思いながらも、スバルは後ろを見る。
行き止まりだった。
壁に扉はなく、先に進む為には奥にある扉を開かなければならない。
「神様、お願いします。変なのがいませんように」
目を瞑り、縋る様に言ってからスバルは思う。
そういえば変なのしかいないところだったな、ここ、と。
彼は首をぶんぶんと横に振ってから言い直す。
「神様、お願いします。まともなのが出てきますように」
「軽く人格否定を受けた気になるのは気のせいかね」
横のアーガスが笑いながら問いかけるが、スバルはこれを無視。
決意を固め、扉に向かう。
「よし。お祈りは済ませた。行こうぜ」
「う……ん」
そんな時だ。
折角決意を固めたところで、背中がもぞもぞと動いてくる。
おんぶしていた少女が目覚めたのだ。
首を横に振った際、スバルの髪が顔にかかったのである。
目元を擦りながら、少女は目を開けた。
「ここは……?」
鎖に繋がれていないことに違和感を覚えたのだろう。
少女はきょろきょろと周囲を見渡したのち、自分が知らない男に囲まれていた事実に驚愕する。
「わっ、わっ!? だ、誰!?」
「お、落ち着け! 俺たちは味方だ!」
背中で暴れ出す少女に対し、反射的にそう答えた。
まだ彼女の素性が明らかではないので本当に味方なのかは疑問が残るが、この状況では彼を攻めきれない。
善意で牢から連れ出すことを提案したのはスバルなのだ。
「み、かた……?」
きょとん、とした顔でスバルの顔を覗きこむ。
その次にイゾウ。
そしてアーガスを見やった。
囚人服を着た彼らの存在を見て、少女は言う。
「囚人?」
「その通り!」
問いに元気よく答えたのはアーガスだ。
彼はなぜか薔薇を口に咥え、その場で回転し始める。
バレエでよく見る、片足立ちであった。
回転する足が空を切る。
僅かな風を浴びつつも、スバルは真顔で少女を降ろす。
「立てる?」
「え? ええ」
足も鎖に繋がれていた為、立つ事が出来るかも不安だったのだが、それも杞憂に終わった。
少女は床の上に立つと、改めてスバルを見る。
「みなさんは……どなたさん?」
「えーっと、俺、蛍石スバル!」
「覚える必要はない」
「我が名は美しい美の狩人、アーガス・ダートシルヴィー! 遠慮なくビューティフルさんと呼んでくれたまえ!」
2名ほどマイペースな自己紹介を済ませた後、スバルが総括して言う。
「えっと、状況が複雑でうまく纏められないんだけど、君に危害を加える気はない。寧ろ、一緒に逃げようと思って」
「逃げる?」
少女が首を傾げた。
心底不義そうな顔のまま、彼女は再び問う。
「なにがあったの?」
「城が迷宮になったんだ。なんとかここから脱出して、仲間と合流しないと……」
言ってから、スバルは思う。
これってこっちの事情を全部知らないと理解できないよな、と。
しかしながら、彼らの事情は複雑極まりないうえに、スバル自身も状況を全部把握しているわけではない。
だが、少女は理解が早かった。
スバルの言葉を飲み込むと、彼女は無言で頷く。
「これが迷宮なのね。事態は深刻そうだわ」
「わ、わかってくれたか!?」
「ええ。迷宮は私も知ってるもの」
どうやら少女は新人類王国の事情にも、それなりに通じている人物らしい。
迷宮のキーワードを聞いただけで、城内の状況をある程度察してくれた。
ただ、それならそれで疑問が残る。
「すんごく失礼な質問するけど、君って王国の人?」
「え?」
頭によぎった疑問を、そのまま素直にぶつけてみる。
少女は真顔でスバルの顔を眺めた。
「知らないで連れ出したの? 鎖は? あれを外せるのは幹部クラスの力がないと無理な筈……」
「あ、私がちぎっておいたとも!」
元幹部のアーガスがポーズをつけながら挙手をした。
トラメットの街でも見たことがある、サタデーナイトフィーバーのポーズである。
気に入ってるんだろうか。
「……幹部の人なの? そうは見えないんだけど」
少女がジト目でスバル達を見る。
不審者に向けるような視線に射抜かれ、スバルは半笑い。
口元を引きつらせながらも、疑問に答えた。
「幹部の人じゃないかな。どっちかっていうと、あの人は元幹部だし」
「ふーん……」
珍しい物を見るかのような目つきで、少女がアーガスを観察し始めた。
調子に乗るアーガス。
次々と新しいポーズをとりつつも、少女の視線を釘付けにする。
「まあ、いいわ」
釘付けにした時間、僅かに5秒。
英雄はちょっぴり落ち込んだ。
「見たところ若そうだし、私のことを知らないのも無理ないわね」
アンハッピーだわ。
少女は不機嫌そうに顔をしかめた。
「じゃあ、命令。私についてきなさい。事情は歩きながら聞かせてもらうわ」
「え?」
急に強気な態度になると、少女はスタスタと前を歩く。
「そういえば、まだ名乗ってなかったわね。物を知らないってことはアンハッピーだから、しっかりと耳に刻み付けておきなさい」
少女は振り向き、刃のような視線をスバルに送る。
彼はこの手の目つきを見たことがあった。
敵と戦う時の、カイトの目つき。
獰猛な肉食動物を連想させる、威圧感に満ちた眼光がそこにはあった。
「私はペルゼニア。ペルゼニア・ミル・パイゼル。新人類王国、王位継承順位の2位にあたるわ」
直後、スバルが卒倒した。




