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「そもそもの始まりは、莫大な魔力を制御できず、無意識に放出してしまっていた魔王様を、ウリヤーナの魔法が襲ったことでした」
ウリヤーナの家の中、一番広い部屋に大きな丸い机が一つ用意され、その周りに椅子が人数分並べられていた。そのうちの一つに座った青いローブの女、エカチェリーナが話を切り出す。
「えーっと…。それって、あの黒い影みたいなもの?」
「ええ、そうです。あれは召喚魔法で召喚した使い魔の様なものでして、魔力と引き換えに命令を実行してくれます」
「あの使い魔にはあなたを襲ってもらって~、その後オリガが助けに入る予定だったのよ~。恩を売って油断させようって作戦だったのに~、貴方のせいで予定が狂ったわ~」
ティオスは一年前の事を思い出す。彼はいきなり現れた黒い影に襲われ、気が付いたら宙に浮いていた。高所から自由落下し、そのまま儚くなるところだったのを、オリガに助けられたのだった。あの時はいたく彼女に感謝していたのだが、どうやらウリヤーナの策に嵌まっていたようだ。
「ところが魔王様は黒い影に驚いた拍子に魔力が暴走し、偶然ですが転移魔法が実行されてしまったのです」
「じゃあ、俺がいきなり空中に投げ出されてたのは、俺の魔力が原因だったのか」
「はい。その後、そこの緑魔女が魔王様を拐かし、ウリヤーナが愚かにも魔王様を殺害しようとしました」
「あの時はごめんなさ~い。魔王になって、その女に一泡吹かせたかったのよ~」
ウリヤーナは悪びれもせずに、隣に座る幼い魔王に謝った。ティオスは確かに『魔王紋』を受け継いでいるものの、彼女にとっては仕えるべき主人ではないため、敬意を欠いた行動をとるのだ。しかしティオスにとってはさして気にするほどの事でもないらしく、彼女の様子に半笑いで済ませた。
「魔王様はそこで、再び死に瀕したことにより魔力が暴走。そのまま転移魔法をまた行ったようですが……その後、どうされていたのですか?」
これまで滞ることなく一年前の状況を振り返っていたエカチェリーナが、そこで漸く隣に座る魔王に意見を求めた。答えを求められたティオスは、既に朧げな記憶を掘り返す。
「ウリャーに攻げきされて、目を閉じたんだ。でも何も起こらないし、おかしいと思って目を空けたら森に居て…。とりあえずレオンさんを探そうと歩き回っていたら、おば……エレーナさんに会ったんだ。で、エレーナさんに拾われて、この一年はその人の所で過ごしてたよ」
「エレーナというのは?」
「あたしのとこの魔女さ、族長様」
「そうでしたか」
エカチェリーナは納得したように頷く。基本的に男人禁制を掲げている漆黒の森だ。若い魔女の中には男と言うだけで排除しようとする者もいるため、比較的温厚なものが多い赤魔女に拾われていたことに安心した。
「ティオスは迷子だから、一時的に集落に置いてくれって頼まれてね。あの子は複雑な事情もあるから、最初は反対したけど……あの子の熱意に負けて、滞在を許したわけだよ」
「…そういえば、エレーナさんはなんでいないの?」
その時、ふと思い出したように疑問の声を上げたのはティオスだ。ウリヤーナが集落を訪れたときにも居合わせ、ティオスの面倒を見ていた張本人たる彼女が、この会談に参加していないことに対して不満気に見える。ティオスのその声に、彼の向かいに座る赤の集落の長たるナターリアは、つい笑いを溢してしまった。
「?? 何がおかしいんだ?」
「だってねえ、ティオス。五大魔烈が二人に、魔女族の集落の長二人。これだけ錚々たる顔ぶれの中で、高々二十歳そこらの魔女が平気なわけないだろう。この緑魔女も、居るのがやっと、ってとこなのにさ」
自らの左隣を指さしながら、そうナターリアに言われ、彼女が指さす方を見るティオス。そこには心なしか顔を青くして席に着くオリガの姿があった。ティオスはその予想だにしなかった姿に、目を大きく見開いている。
「え? 俺、何ともないけど…」
「それは魔王様が『魔王紋』によって甚大な魔力を得ているからです。それはどの魔族より優れた魔力をもたらします。それ故、その魔力に包まれ、守られている限り、魔王様が魔力差によって威圧感を感じることはありません」
エカチェリーナはそこで一度説明を区切り、喉を潤すために手元の水を飲んだ。その様子を見ながらティオスは次の言葉を待つ。
「魔力に敏感な魔族は、己の身に宿る魔力と、場に漂う魔力又は相手の魔力とで、どちらが大きいかを感じ取ります。もし自らの魔力の方が小さければ、相手に気圧されることもあるんです。もちろん、研鑽をつめば容易に怯えたりしませんし、その相手にとって相応の力でなければ、恐れるに足りませんから気圧されたりはしませんが」
「わたくしが貴方を恐れなかったのは、貴方が力を持て余していたからよ~」
「そしてわたしとレオーノヴィルに気圧されたのは、実力の違いが分かっていたからですね」
「うるさいわね!」
からかう様に口を挟んだウリヤーナだったが、すぐさまエカチェリーナに痛い所をつかれてしまい、顔を赤くしながら怒鳴る。
「まあ、五十年修業を積んでやっと正気を保てるぐらいだからね。二十のあの子じゃちょっと厳しすぎるってわけさ。分かったかい?」
「うん。ありがとう、ナタリーさん!」
納得がいった様子のティオスは、輝かんばかりの笑顔でナターリアに礼を述べる。それによって部屋に流れる空気が和らいだ。彼の笑顔は、不思議と周囲を明るくさせる力がある。初めて謝意を述べられたときから、幾度となくその笑顔を見てきたレオーノヴィルはそう思った。
例によってエカチェリーナに発言を禁止されているため、円卓の一席を占めているものの、これまでに一度として発言ができなかったレオーノヴィル。しかし彼の顔は、目の前で繰り広げられる話に必死で追いつこうとしている人間の子供に、慈愛を含んだ笑みを向けている。
「気持ち悪いですね…」
「? 今なんて?」
隣人の様子に気づいたエカチェリーナが、思わず溢した言葉を拾ったのはティオスだけだった。彼女はそれに「いえ、なんでも」と言い、咳払いをして誤魔化した。一同の目がエカチェリーナに集まる。そのことを確認して、彼女はティオスと目を合わせた。
「どうやら安全に一年を過ごせていたようで安心しました。ではわたし達の方も報告させてもらいますね」
「あ、うん。お願いします」
ティオスに促されエカチェリーナは一年間、どの様な事があったのかを大まかに話す。
「まず、魔王様が行方不明になったので、わたしの魔法で魔王様を見つけようとしました。しかし漆黒の森どころか魔界、延いては三界中で捜しましたが見つかりませんでした」
「俺が自分でも知らないうちに錯乱魔法を使ってたんだよね」
このことに関してはナターリアが到着する前に聞いていたため、ティオスに混乱はないようだった。ティオスが確認するように言った言葉にエカチェリーナは頷き、言葉を続ける。
「わたしの魔法で見つからないとあっては、魔王様が見つかるまでどれ程時間がかかるか分かりませんからね。先に本来の目的を優先させたんです。粗方の事情はレオーノヴィルから事前に聞いていましたから。人界との緊張状態は早急に緩和させるべきだと判断しました」
「うん。それに関してはありがとう」
「人界での交渉がうまくいったので魔界に帰り、今度はレオーノヴィルが元々行う予定だった族長への挨拶回りを行いました。もちろん、その時にそれぞれの種族の住処の近隣を捜し回ったり、人間の子供を見たという噂が無いかの確認をしたりはしましたよ」
エカチェリーナに言われることに素直に頷くティオスの顔には不満げな様子など微塵もなかった。
「しかし一向に魔王様は見つからず、挨拶すべき種族も残すところあと二つに迫ったとき、漸くウリヤーナから連絡が来ました。あなたを見つけた、と」
それがつい先刻の事です、とエカチェリーナは続けた。
「…あれ? そういえばナタリーさんは俺の事聞かされてなかったの? それにナタリーさんも報告しなかったの?」
今しがた言われた無い様に疑問を感じたティオスが口を挟む。一年も滞在しておいて、エカチェリーナさんに連絡が行っていないのはおかしいのではないか。ティオスは感じたことを尋ねる。
「ああ、それなら…」
「うっ」
言葉を発しながらエカチェリーナはティオスの隣にいる弟子に向かって、先程扉で行った見えざるモノによる攻撃を行った。ティオスは、目には見えなかったが、今確かに己の目の前を何かが横ぎったことを感じ身震いした。
「この子が連絡しなかったようです。手柄を独り占めしたかったのか、単に気に食わないからかは知りませんが、まったく困った子です」
「い~た~い~!!」
突如頭を抱えて机に突っ伏するウリヤーナ。よく見ると、彼女の額の位置あたりで頭を囲む青色の光が見える。魔法が使われている証拠だ。
「この子が連絡を怠らなければ、一年と掛からずに済んだんですがねえ……」
「まったくだよ。族長様から森を任されていたのに、いらない恥をかいたじゃないか」
「ご~め~ん~な~さ~い~!」
痛みは時を経るごとに増すようで、魔法をかけられたばかりの頃より更に痛がっているウリヤーナ。それを見るエカチェリーナはにこにこと絶え間なく笑みを浮かべている。ティオスはそんな彼女たちのやり取りに顔を引きつらせ、改めて魔女族の族長の恐ろしさを実感するのだった。




